長編17
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飛ぶ燕【藍色妖奇譚】

『序章』

 心地いい陽気の中、木々をすり抜けて聞こえる無数の鳴き声は、前方の獲物を着実に追い詰めている。兎、狐、燕、馬によく似た声達は、眼前の獲物を取り囲むと主の到着を待った。

「おっと、漸く追い付いたか」

 木の上から飛び降りてきた青年は、自らが作り出した折り紙動物達の囲う、二本角を生やした黒い異形の者を見てニヤッと笑みを浮かべる。

「クソ、忌々しい祓い屋め!私が何をしたってんだい!」

 二本角の異形は、青年を睨み叫んだ。

「この林に入った人を襲ってたのはお前だろ。もうお尋ね者になってんだ、言い逃れ出来ると思うなよ」

 青年はそう言いウエストポーチから呪符の付いた風車を取り出し、異形の者に目標を定める。

「ふんっ、誤魔化せねーならこっちも奥の手を使うぞ」

 そう言うと二本角は口と思しき場所から青い炎を吹き、自分を取り囲む折り紙の動物達を払い除けた。火を浴びてしまった動物達は、直ぐに燃え散ることなく必死にもがくが、逃げる隙のできた異形は急いでその場を去ろうとした。

「チリリン・・・」

 その時、木々の生い茂る林の中を微かな鈴の音が反響した。異様な気配を察した二本角はその足を止めて立ち竦んでいる。

「な・・・なっ・・・」

「チリリン」

 瞬間、二本角の背後に薄紅色の着物に焦げ茶色の羽織を着た女性が颯爽と姿を現した。

「逃がしません」

 女性は一言だけ言うと、背負っていた刀を抜刀して二本角へと突き出す。二本角は振り向くことも出来ず、ただ眼前で風車を構える青年を見ていた。

「さあ、チェックメイトだ」

 青年はそう言い放ち、風車を投げて異形の者を貫いた。

「ガァッ!」

 二本角は最後の叫び声を上げ、跡形も無く消滅した。青い炎を纏い、舞い散る紙切れと共に。

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『第一話 飛ぶ燕』

 鈍色の雲は遥か向こうまで遠ざかり、町には僅かな雨の匂いが残っている。小さな木造の一軒家に住む織川飛燕は、先程まで雨漏りなんてしないかとソワソワしていたところである。

「よーし、とりあえず雨漏りは無し!さて、仕事行かなきゃな。松毬、来てくれ」

 飛燕の呼び掛けで鈴の音と共に現れた薄紅色の着物を着た女性は名を松毬といい、彼の式である。式とは、邪鬼祓いが使役する霊や妖怪の総称だ。

「はい、旦那様」

 ベージュ色の前髪の下で澄んだオレンジの瞳が光る。そんな彼女が微笑みながら飛燕の言葉に応じた。

「仕事行こう。今日は、二つ入ってます」

 そう言うと飛燕は机の上に置かれた一冊の小さな手帳を手に取り、あるページを開いた。

「津沼の松林にある、あの小さい公園。名前分からないけど、そこで遊んでいた子供が何人か行方不明になってる。まあ神隠しってやつね。その調査と、同じ松林に防空壕があって、そこに妙なのが住み着いたらしい。そいつを壺に封じて持ってこいと、依頼人様から言われております」

 今日の仕事内容を確認すると手帳をウエストポーチの中に入れ、腰に小さな壺を下げてから家を出た。飛燕は邪鬼祓いといい、悪霊のような現世の者に害を為す存在を除霊することや、妖怪といった異形を祓うことを生業としている仕事人である。

「旦那様、壺に封じろと言われているあやかしは、悪しきものなのですか?」

 道中、松毬は少し不安げな表情で飛燕に問いかけた。自分のように悪しき念を持たない妖怪が封じられては可哀想と思ったのだろう。

「さあ、正体を詳しく聞かされてないから会ってみないと分からない。松毬、もしかしてその妖怪が悪くない子だったら可哀想って思ってる?」

「ああ、はい・・・申し訳ございません。他のあやかしに同情してしまうなど・・・」

「大丈夫だよ。僕もその子が悪くなかったら壺に封じるつもりは無いし、依頼主にも謝る。まあ、悪いこと考えてる依頼人も少なくは無いからね~」

 飛燕はポツリポツリと話しながらもウエストポーチから折り紙で作られた藍色の鳥を六つ取り出した。燕を模ったものである。

「さ、行っておいで」

 飛燕がそれらを空中へ飛ばすと本物の鳥のように羽ばたき、雨上がりの空を舞いながら飛んで行った。これは飛燕が得意とする術の一種で、折り紙を折って作った動物に妖力や霊力を込めて使役する折り紙術というものである。紙で作った人形を使役する人型の術とも似ているが、折り紙術の方が高難易度である。

「偵察隊よろしく。現場がどんな状況か分からないと仕事にも影響出るからね。そういえば松毬、昨日祓った黒い二本角の妖怪、なんだっけ名前」

「鬼霊です」

「おにだま・・・そうそう鬼霊、あいつ祓ったの、僕的にはあれで八体目です。最近やけに出現率高いよね。あと心なしか強くなってる気がする」

 鬼霊とは、森林などの自然が多い場所に時々現れる下級の妖怪だ。容姿は全身黒い二息歩行の獣に二本の角、または一本の角を生やしたようなものでほぼ統一しているが、どのように生まれてくるのかは今のところ不明である。放っておくと人に危害を加えるので、邪鬼祓いは見つけ次第祓うか、掲示板に依頼が貼られていれば受けるというようにしている。

「確かに、昨日祓ったのも逃げ足は速かったですし、火力も少々増していましたね」

「まったくだ。小物だと思って油断していられないね」

 二人並んで歩きながら他愛のない会話をしていると、松林の入り口に差し掛かった辺りで先程飛ばした鳥が二羽帰ってきた。

「お、来たか」

 二羽の折り紙鳥は飛燕と松毬の頭上を二周回ると、彼らを先導するようにゆっくりと来た道を戻り始めた。

「何かあったか」

 この二周回る行為は主である飛燕へのサインで、少々危険、或いは何か事件に値するようなことが起こった時の合図である。ちなみに一周は脈ありで零周は何も無かったことを示す。藍色の鳥に導かれて辿り着いたのは例の公園であった。平日の昼間、ただでさえ寂れているこの公園には人っ子一人居らず、怪しげな雰囲気が立ち込めていた。

 飛燕が周囲を見渡すと、ある違和感に気付いた。今の今まで自分達の手前を飛んでいた二羽の折り紙鳥が姿を消したのだ。

「折り紙が、消えたな」

「旦那様、あそこです」

 松毬が示した方向には一本の大きな松の木があり、その下に妙な風貌の男が佇んでいた。その男の手には、ついさっきまで動き回っていた折り紙の鳥がグシャリと握られている。

「うわっ!いつの間に」

 飛燕は音も無く突然現れた謎の男に一瞬怯んだ。男の服装は白い長袖のワイシャツにネクタイ、スーツのズボンといったサラリーマン風の格好だが、目の焦点は定まっておらず口は半開きで笑っているようにも見える。そもそもこんな時間にこんな場所でスーツ姿の男は明らかに場違いだ。

「松毬、ヤツは人間じゃないな?」

「はい」

「よし。おいアンタ、そこで何してる?」

 飛燕の問いかけに男は応じない。

「そこで何をしてるんだ?」

 もう一度声を掛けると、今度は男が少し口を動かした。

「・・・ぅ」

 男の声は掠れており、何と言っているのか聞き取れない。

「松毬、交信頼めるか?」

「わかりました」

 飛燕が指示すると松毬は少し前に出て男に話しかけた。

「こんにちは。あなたはここで何をしておられるのですか?」

「・・・ぃぃ」

 恐らく会話になっていない。なぜこんな事をしているのかというと、相手が霊の類ならばそれら殆どは現世に何かしらの未練があって残っている。つまりその霊が縛られている原因を解消させれば所謂「浄霊」ができるのだ。しかし今回の場合、飛燕はそれが不可能と判断した。折り紙をやられた時点で思っていたことだが、男が次に発した言葉で確信した。

「食べるぅ、食べていい、食べるぅ」

 今まで掠れ声で何を言っているか分からなかった男が突然甲高い声でそう言いだした。直後、男は手に握っていた折り紙をムシャムシャと食べ始めた。

「やっぱりコイツはまずいな。松毬離れて!除霊しよう」

 飛燕はそう言ってウエストポーチから狐の折り紙を四つ取り出すと男の立っている方向に投げた。折り紙たちは瞬く間に動き出し、男へ飛び掛かった。

「たぁぁぁべぇぇぇぇるぅぅぅぅぅぅ!」

 男は突如として奇声を上げ松林の奥へと逃げて行った。折り紙の狐たちも男を追いかけて行く。松毬はサッカーボール程の大きさをした松ぼっくりのようなコロコロした妖怪を数体呼び出し、逃げた男を追うよう指示した。

「ボックルちゃん、追いかけて!」

 ボックルちゃんは松毬が生み出せる妖怪であり、彼女の指示で目標を追いかけることも戦うこともできる優れ者だ。

「松毬、僕らも行こう」

「はい」

 飛燕と松毬はボックルちゃん達の後に続いて男の追跡を始めた。少し追いかけるとすぐに男の背中が見えてきたので、飛燕は走りながらウエストポーチの中にあった呪符風車を右手に持った。

「これだけじゃ仕留められないとは思うけど、動きは止められるはず」

 風車を右手構えたまま、飛燕は凄まじい速さで逃げる男の前方に回り込んだ。

「止まれっ!」

 飛燕の投げた風車は見事に男の右目に命中したが、激痛を与えたことで更に奇声を上げた男は止まることなく飛燕に突っ込んだ。

「きえぁぁぁぁぁああ!!」

「うわっ!」

 男の力は想像以上に強く、飛燕はぶつかった衝撃で松林の奥にある少し開けた場所まで突き飛ばされた。腰に下げている壺が割れていないか心配になったが、見ると無事なようだ。

「旦那様!」

 松毬が飛燕の身を案じて叫ぶとボックルちゃん達が飛燕の周りへ集まってきた。

「ありがと、大丈夫」

例の男は相変わらず食べるとか食べていいか等と繰り返しているが、広場の中心辺りまで来るとそこで立ち止まった。飛燕たちは気になって男の居る場所へ目を向けると、思わず絶句した。

「おいおい・・・」

 そこにあったのは散らばった骨と大量の血痕だった。骨は鳥や小動物のものも見受けられるが、少し大きめのものや頭蓋骨も落ちている。男はそれの前で「食べるぅ」と繰り返し呟いていた。

「コイツに食べられたってことか、行方不明の子供達は・・・」

 その光景を見た飛燕は何とも言えない胸糞の悪さを感じていた。怒りと嫌悪が入り交じったような感情、それは恐らく松毬も感じているようで表情が歪んでいるのが見える。不意に男が飛燕の方へと顔を向けた。

「食べていい・・・?」

「・・・食えるもんなら食ってみろ」

 言うが早いか突進してきた男を飛燕は躱し、後ろに回り込んで予め手に持っていた木製の細長い矢を投げた。矢は見事に男の頭部へ命中したかと思うと、忽ち燃え上がり男を炎で包み込んだ。

「チェックメイトだ。呆気なかったな」

 炎の中で断末魔のような奇声を発している男は暫く経つと静かになり、軈て燃え切った炎と共に消滅した。仕事は終えたが、飛燕の心はどうもスッキリしていない。先程感じた胸糞の悪さは、目の前にある骨と血痕をみると蘇ってくる。

「あ~、どうするんだよこれ」

「旦那様がお気になさることではありません。被害に遭われた方々は残念ですが、もう戻ってこれないのですから・・・」

「まあ、それはそうだけど・・・今までも死んだ人は見てきたけど、なーんかこういう時ってスッキリしないよね。あーあ、父さんの遺言みたいだ」

 飛燕が何気なく口にした言葉に、松毬は一瞬躊躇してから苦笑して返した。

「旦那様、次のお仕事へ・・・」

「ああ、そうだったね。行こうか」

 飛燕はそう言うと溜め息を吐いてから公園のある方向へと歩き始めた。飛燕の父親、織川誠は飛燕が二十歳の時に病気で他界している。彼もまた邪鬼祓いであり、多くの邪鬼から人々を守ってきたのだ。

「俺はお前の本当の父親じゃない。本当は・・・」

病室のベッドで誠が最後に飛燕へ遺した言葉がこれだった。

「本当は何だったのか、僕の本当の親は誰なのか。あれから二年弱ぐらい経つけど、それが今でも心に支えてる」

 飛燕はポツリポツリと呟くように話した。松毬は隣を歩きながらそれを黙って聞いている。そうこうしているうちに防空壕方面へ飛ばした折り紙鳥のうち一羽が帰ってきた。藍色の鳥を模した折り紙は飛燕の頭上を二度回ると、再び同じ方向へゆっくりと戻って行った。

「他の三つはどうしたのでしょう」

「やられたっぽいな」

 折り紙鳥を追いかけて進むと、恐らく目的地であろう防空壕と思しき洞穴が見えてきた。そこまで来ると飛燕は飛んでいた折り紙に合図を出して自分の元まで戻し、右手の人差し指で軽く突いてからウエストポーチの中へ入れた。

「お疲れさん。さて、ここにはどんな化物が潜んでいるのでしょうか」

 飛燕の口調はいつも通りではあるが内心少し警戒している。足元に転がっていた松ぼっくりを手に取ると、穴の中へ目掛けて投げつけた。

「グウウゥ・・・」

「中に居るんだろ、ちょっと顔出してくれる?」

 洞穴から聞こえた唸り声に躊躇なく呼び掛けた飛燕だったが、喋っている間にもウエストポーチの中から風車を取り出して隙を見せないよう心掛ける。

「なんだ貴様、祓い屋か。先の紙も貴様が使役していたものか?」

 穴に潜む者は地に響くような低い声で飛燕の言葉に応じた。

「そうなんです。実はとある人からあなたを壺に封じて持ってこいと言われておりまして、問題があるようでしたら直ちにお詫び申し上げようと思っているのですが~」

 飛燕は何故か敬語で答えた。会話の所々で敬語を使ってしまうのは飛燕の癖である。

「ふん、面白い」

 その声と共に穴から姿を見せた者は頭に一本角を生やした褐色の蛇だった。大きさは大人のアオダイショウよりも一回り大きいほどのものである。その目は赤黒く光り、飛燕を睨み付けた。

「旦那様、土蛇というあやかしです。コイツはいいモノではありません」

 蛇の姿を見た松毬が早口で説明したが、飛燕自身もそれは睨まれたとき既に感じ取っていた。

「じゃあ、遠慮なく封印してもよろしいんだね」

「気を付けてください。危険な相手です」

 松毬が背負っていた刀を抜刀する。飛燕も数枚の呪符を上着のポケットに入れると、ウエストポーチの口を閉じた。

「行け!」

 飛燕は合図すると同時に飛躍し、土蛇の頭部へ風車を投げた。土蛇はそれをスルリと躱して上へ飛び跳ねたが、その下に松毬が入り込み勢いよく刀を薙いだ。土蛇の腹には浅い切り傷を負わせたが、この程度では怯まないようだ。

 続けて飛燕はポケットに忍ばせておいた木の矢を右手に持ち、それを投げつけた。矢は地面へと刺さり土蛇には掠りもしなかった。

「どこを狙っている!」

 土蛇は跳ねた勢いで頭から飛燕に飛び掛かったが、飛燕は近くに生えていた松の木の側面に足をつけるとそれを躱して土蛇の頭に一枚の呪符を張り付け、同じ場所へ手刀打ちを食らわせた。

「ぐっ!」

 土蛇は苦悶の声を上げて矢が刺さっている付近へ落下した。すると忽ち地面から数本の太い木の根が生え、土蛇の体を拘束した。

「クソ、体がぁ!」

「これで僕の勝ちかな。封印」

 飛燕は腰に携えていた壺の口を土蛇に向け、それの体をスウゥと煙の如く中へ吸い込んだ。土蛇が入ったのを確認すると、壺の蓋を閉じてその上に呪符を貼り付けた。

「ふぅ~、いん。ふぅ~のあとにいんを付けてふぅ~いんってね・・・はい、お疲れさんでした」

「お疲れ様でした」

 松毬は飛燕の駄洒落には触れなかった。本人も言った後に冷たいギャグであったと後悔した。

「さ、依頼人さんとこ寄って帰りますか」

「ちょっと待てよ」

 不意に声を掛けられて軽く動揺したが、飛燕はその方を振り向いた。そこに立っていたのはフードのようなものが付いた紺色の着物を身に纏う青年であった。青年はニヤリと笑い、飛燕の持っている小さな壺を指差した。

「それ、俺の獲物だったんだけどな~」

「誰だお前?コイツは僕が先に獲ったから僕のモノだ。依頼されてるんで譲れないね」

「そうか、なら力尽くで・・・みたいな?」

 そう言うと青年の目は黄色く光り、右手に力を集中させ始めた。翳された手のひらにはバチバチと弾ける電気の塊のようなものが作り出されている。

「旦那様、奴はあやかしの類です。人ではありません」

「わかった。僕に任せて」

 飛燕も構えの姿勢を取ると、その場で跳躍した。青年は電気の塊を手に抱え、飛び跳ねた飛燕に向かい突撃してきた。目の前まで来た青年を飛燕は上手く避け、ポケットに残っていた一枚の呪符を青年の左肩に貼り付けた。

「バーカ!これ投げれるんだよ!」

 青年は呪符を貼られたにも関わらず殆ど動じることなく、手にあった電気の玉を飛燕に投げつけた。飛燕は飛んできた玉に風車を突き刺し、その場で爆発させた。その衝撃で地面に尻餅をついたが、攻撃を直接受けることはなかった。

「そう来ると思って風車スタンバイさせときました。アンタ何者だ?」

「ふん、それはこっちの台詞でもある。お前こそ人間のくせに凄い動きをするなぁ、面白いよ」

「そりゃどうも、昔から運動はよくできたもんでね。体育の時間なんて周りに合わせてたけど、100メートル走は世界記録出せる自信あるよ。ま、人間は変わり者を嫌うから好んでそんなことはしないけどね」

 飛燕の言葉に青年は妙に納得したような表情を見せた。

「それは同感だ。人間ってのは異物を嫌う。でも、強い者には信頼を得ようとして集る。お前とは気が合いそうだ」

「おいおい、こいつはどうした?アンタ本当は何が目的だ」

 飛燕が青年に壺を見せながら訊ねると、彼はニヤリと笑みを浮かべた。

「いいや、その土蛇はくれてやるよ。なぁお前、妖怪には種類があるって知ってるか?」

「種類?」

「そう、例えばお前が使役しているその女みたいに、自然の力で元からあやかしとして生まれた神に一番近い存在。それが一つ目だ。二つ目は、悪霊などが現世に囚われる理由を無くしてもなお除霊されずに化けた者。三つ目は動物が長生きをして化けた者。そして四つ目は、俺のように人間の強い想いから生まれた者だ」

「何・・・人間からだと?」

 飛燕は一瞬耳を疑った。三つ目までは知っていたが、人間の感情から妖怪が生まれるという事例は初耳だったからである。

「当然、そんなことはごく稀にしかないことらしい。でも俺はちゃんとこうして生まれた。そのおかげで、お前みたいな面白いヤツとも遊べてる」

「お前は、本当に人間から・・・」

「まぁ、そういうことだから今後ともよろしく。また遊ぼうぜ」

 青年はそう言って立ち去った。

「結局何だったんだ、アイツ」

 飛燕の頭には疑問だけが残され、ただその場に立ち尽くしていた。

「旦那様、帰りましょうか」

「・・・そうだね、帰ろう」

 松毬に促され、松林の出口へ向けて歩き出した。何だかんだでスッキリしない一日になってしまった。赤く染まり始めた空に雲は見えないが、飛燕の心は曇り空のようにモヤモヤとしている。

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「アイツ、僕のことを敵じゃなくて遊び相手だと思ってたのかな。松毬は、人間の想いから妖怪が生まれるって話は知ってた?」

 歩きながら飛燕が訊ねると、松毬は首を横に振った。

「私も初めて聞きました。でも、有り得ないことでは無いと思います。私も何百年と生きてきましたが、世の中には理解が追い付かぬほど不思議なことが沢山ありますから」

「そうか・・・そういえば松毬って何歳なの?」

「秘密です」

 真顔でそう返された飛燕はしばらく黙り込むことしか出来なかった。無言のまま歩き続けていると、松林を抜けて細い道路に出た。

「依頼人さんの家はここからそう遠くないです。先程はデリカシーの無い発言をしてしまい申し訳ございませんでした」

「いえいえ、では依頼人様の家へ壺を届けに行きましょう」

 再び歩き始めた飛燕たちは、先程の奇妙な出来事も少しずつ忘れかけていた。春とはいえ夕方になると少々肌寒いが、それがまた心地よく感じて嫌なことを感じさせないのだ。

「ここだ」

 暫く歩を進めると立派な木造の御屋敷に辿り着き、表札には神威と表記されていた。門を通り玄関の前で呼び掛ける。

「ごめんください!」

 飛燕の声に返事は無かったが、少しすると三十代ぐらいの男が戸を開けて出てきた。

「ご苦労さん、そろそろ来る頃だと思っていたよ」

 男は飛燕の顔を見てニヤッと怪しく笑い、一つの茶封筒を差し出してきた。恐らく報酬であろう。飛燕は壺を渡してから茶封筒を受け取り、男の目をじっと見た。

「神威幻巳さん、どうして貴方ほどの邪鬼祓いが僕なんかに依頼を?しかも手紙でなんて」

 神威幻巳。飛燕の目の前にいるこの男は、邪鬼祓いとして名高い神威一門の現当主である。神威は軽く笑うと飛燕にこう言った。

「深く詮索はしないほうがいい。君の評判は耳にしていたんでね、頑張っているそうじゃないか」

「それはどうも。でも、貴方ならその土蛇ぐらい一捻りだったのでは?」

「フッフッ、君はもう仕事を終えた。依頼人にそこまで訊く必要はあるかい?」

 飛燕はその言葉に返せなかった。

「失礼しました・・・」

 不満げに別れを告げて屋敷の門を出ると、二人で帰路に着いた。

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   〇

 風呂へ入り一日の疲れを流した飛燕は、居間でテレビを点けながら折り紙で鳥を折っていた。一日に折る折り紙の数に決まりは無いが、こうしていると心が落ち着くのである。部屋へ松毬が入ってくると、飛燕は藍色の鳥たちに混じって置かれている緑色の折り紙で折った物を手に取った。

「松毬、はいこれプレゼント」

 飛燕が松毬へと差し出したのは折り紙の松だった。

「え、作って下さったんですか!」

「うん、緑の紙が余ってたもんで。たまにはこういうのもいいんじゃないかなと思って」

「とても嬉しいです!流石は旦那様、いい形の松ですね。可愛らしいです」

 松毬は手に持った折り紙の松を嬉しそうに眺めながら飛燕の隣に正座した。

「ありがとう。松毬をイメージして折ったから可愛くなったのかな」

「だ、だ、旦那様・・・?今、何と」

 飛燕の言葉に松毬は頬を赤らめる。こうして二人が並んでいるとまるで新婚の夫婦のようだ。

「ごめん、冗談です」

「・・・」

 松毬は予想もしていなかった発言に唖然とした。

「あ、松毬をイメージして折ったっていうのが冗談なだけで、松毬さんのことは可愛らしいと思ってますよ?そうやって顔赤くしちゃうところだったり優しいところだったり」

「よ、よく分からないことを言いますね。別に今更そんなこと言われても嬉しくないです」

「へへ、そういう所も僕は好きだな。ほら、式って主である人間に従ってて、あまり自分の気持ちを表に出すこと少ないでしょ。でも松毬と話してると、なんか式って言うより友達みたいな感じがしてさ。ま、物心付いた頃から一緒にいるもんね」

「そうですね~、私が式としてここへ来た時は旦那様、まだ小さかったですから」

 松毬は元々、織川誠の式であった。飛燕が二歳の頃に誠と契約し、この家へ来てからは式としての仕事以外に飛燕の世話もしていたのだ。

「誠さん、飛燕が妖怪見える子でよかった~なんて仰ってましたよ」

「あっはは、式に面倒見させられるからってことか。父さんらしいや・・・さ、そろそろ寝ようかなぁ」

 そう言うと飛燕は折り紙を片付け、欠伸をひとつした。

「おやすみなさい、旦那様」

 松毬は優しく微笑みながら言った。

「おやすみ、お疲れさんでした」

 今のような松毬との関係があるのは、誠のおかげなのかもしれない。誠も同じように松毬や他の式たちと接していた様子を、飛燕は小さい頃からずっと見てきた。血は繋がっていなくとも、織川誠は邪鬼祓いの飛燕を成長させてくれた唯一無二の父親である。飛燕はそんなことを思いながら床に就いた。

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