親戚のおばさんから聞いた話です。
おばさんの近所に中学三年生になるY君が住んでいた。
最寄り駅から数駅先にある私立の中学校に通っていた為、駅まで自転車に乗り、自転車は駅に直結している地下駐輪場に停めていたそうだ。
地下駐輪場の出入り口は三箇所。
細長いスロープが二箇所にエレベーターが一基設置してある。
A~Sまでのエリアに区分けされた駐輪スペースには、二段式の駐輪機がずらりと並んでいる。
空調管理もきちんとされており、夏場でもひんやりと涼しい。
利用料金は月極で2000円程度とリーズナブルで、通勤通学の時間帯は学生とサラリーマンで非常に混雑する。
Y君はいつものようにスロープを下り、地下駐輪場に向かう。
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「おはようございます!」
上下グレーのツナギを着て帽子を被った老人の元気な声が響く。
地下駐輪場内には常時五人の老人が常駐している。
月極エリアの担当者が二人、一時利用エリアの担当者が一人、新規契約や更新窓口のある事務所に二人の計五人。
いずれの老人も利用者に対しては必ず「おはようございます」と「おかえりなさい」の挨拶は欠かさない。
Y君も老人に対して返事をするのが日課になっていた。
その日の夕方。
部活で疲れきったY君はいつものように地下駐輪場に向かう。
「・・・・・・・・・・」
あれ?おかしいな?
いつもなら老人の「おかえりなさい」が聞こえてくるはずなのだが、地下駐輪場は静まり返っていた。
利用者も老人もいるのに、挨拶の声が聞こえてこない。
地下駐輪場を使い始めて三年目になるが、こんな事は今までに無かった。
考えても仕方ないと思ったY君は自転車を取りに向かう。
Y君の月極駐輪スペースの番号は【K-37】で二段式の駐輪機上段に駐輪している。
上段のレールをスライドさせ、自転車を通路に置き、バッグを自転車カゴに入れ、自転車の鍵を探す。
ん?無い?
毎朝、自転車の鍵はバッグの側面にあるポケットに入れているのだが、入っていない。
バッグをひっくり返して中身を全て出してみたが、それでも見つからなかった。
仕方なく歩いて帰ろうとした時、ふと視界に人影が入った。
Y君のいる場所から2本奥の通路、背中を向けている為、顔は分からないが、上下グレーのツナギを着た男が立っていた。
服装から判断するとここで働く老人の一人に違いなかった。
ただ、一箇所おかしな点に気付いた。
首長族のように首が異様に長い。
正面から見てみたい衝動に駆られたY君はその場でじっと老人が振り向かないかと待ち続けたが、いくら待っても動く気配が無い。
「こんばんは!」
何度も呼びかけてみたが返事は無い。
「おい!聞こえてるんだろ?!」
痺れを切らしたY君は老人のいる通路に向かった。
しかし、2本奥の通路に入った時、既に老人の姿は無かった。
きっと部活の疲れで幻覚でも見たんだろう。
そう思うことにして歩きで家に帰った。
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翌日の夕方。
自転車のスペアキーを手にY君は置きっぱなしになっている自転車を取りに地下駐輪場に向かった。
Y君は自転車の置かれている【K-37】の前で立ち尽くした。
自転車が無い。
二段式の駐輪機のレールには、針金で巻きつけるタイプのステッカーが貼られていた。
【登録更新手続きがされなかった為、仮保管として一次利用エリアに移動しました。】
毎年四月に年契約で更新していたので、登録更新されていないはずが無い。
Y君は一時利用エリアに向かい、自転車を捜した。
しかし、一時利用エリアにもY君の自転車は見当たらなかった。
「どうかしましたか?」
Y君が慌しく自転車を捜しているのに気が付いた駐輪場の老人が話しかけてきた。
事情を説明すると、事務所の老人を呼んできてくれた。
「【K-37】の自転車は確か、えっと、あったあった」
管理台帳を見ながら事務所の老人が指差した先には錆だらけでぼろぼろのママチャリが置いてあった。
Y君の自転車では無かった。
「はい、これ。差しっぱなしだったから預かっておいたよ」
事務所の老人が自転車の鍵を手渡してきたが、もちろんY君の自転車の鍵では無い。
「すみません。これ俺の自転車じゃないんですけど」
「え?でもこの自転車の登録シールは【K-37】だから、間違いないはずだよ」
ぼろぼろのママチャリには確かに【K-37】の登録シールが貼られていた。
普通ならここで自分の自転車では無い事を訴えるべきだったが、もしかしたら誰かの悪戯で、家に帰ったら自分の自転車があるかも知れない。
そう思ったY君は受け取った鍵をぼろぼろのママチャリに差し込み、足早に地下駐輪場の出入り口に向かった。
出入り口に差し掛かった時、ふとカーブミラーに目が行った。
自転車を押すY君の背後にぴったりと、上下グレーのツナギ着た男が背中を向けて立っている。
驚いたY君は勢い良く背後を振り返った。
しかし、誰もいなかった。
再びカーブミラーを見てみるも、映っているのはY君とぼろぼろのママチャリだけだった。
Y君はその時、気が付いた。
ツナギを着た男の首が、昨日よりも更に伸びていた。
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帰宅後、自宅アパートの駐輪場に停められた自転車を一つ一つ見てみるも、Y君の自転車は無かった。
母親に自転車について聞いてみたが、
「何でそんな他人のおんぼろ自転車に乗って帰ってくるのよ!ちゃんと自分の自転車見つけて来なさい!」
と、散々怒られただけで全く何も解決しなかった。
ツナギの男の話もしようかと一瞬考えたが、母親はそういうのは一切信じていない為、話すだけ無駄だと思ったY君はそれ以上何も言わなかった。
部活で疲れていたY君は、明日の朝起きてからどうするか考える事にした。
いつもより早く布団に入ったが、カーブミラーに映ったツナギの男の姿が頭から離れず、なかなか寝付けなかった。
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翌朝。
学校も休みで部活も無かった為、身支度を終えたY君はぼろぼろなママチャリを調べてみる事にした。
ママチャリは前後にカゴがついており、前後両方とも真っ黒なカゴカバーが取り付けられていた。
昨日はバッグをカゴカバーの上に乗せるかたちで帰宅したのだが、カゴカバーが相当汚れており、Y君のバッグには赤茶けた錆のような垢がびっしりとこびり付いていた。
マスクと軍手をはめたY君は恐る恐る前のカゴカバーを開けてみた。
中にはおそらく雨で濡れてぼろぼろになったであろうスーパーのチラシが数枚入っていただけだった。
後ろのカゴカバーも開けてみたが、何も入っていなかった。
Y君はぐるりとぼろぼろなママチャリの周りを一周してみた。
あれ?
昨日は気が付かなかったが【K-37】の登録シールの後ろに別のシールがほんの少しだけはみ出していた。
Y君は登録シールを剥がした。
登録シールの裏には【社-08】と書かれた真っ赤なシールが貼られていた。
月極の登録シールは銀色だった為、真っ赤なシールは見た事が無かった。
Y君は最後に前後のカゴカバーを取り外して逆さまにして振ってみた。
『キンッ』
前のカゴカバーから金属音がした。
カゴカバーの外側に小さなポケットが付いており、中には小銭と鍵が入っていた。
鍵はよく見かけるタイプだった為、家の鍵である事は容易に想像出来た。
面白くなってきたY君は、親友のA君を誘い、一緒に地下駐輪場に向かった。
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休日の駐輪場は平日と違い、人もまばらだった。
Y君とA君は真っ先に事務所に向かった。
登録更新の手続きをしている女性がいた為、その後ろに並んだ。
事務所内はいつも通り二人の老人が常駐している。
一人は女性の手続きを担当し、もう一人はその隣で管理台帳を見ながら空きスペースを探していた。
基本的に女性と子供は二段式駐輪機の上段に自転車を上げるのが困難であるという理由から、例外無く下段を割り当てられていた。
後ろでそんな会話を聞きながら、ふとY君がまた違和感に気が付いた。
事務所内には常に二人の老人が常駐しているはずだった。
しかし、今日はどうやら三人いるようだった。
事務所の奥にグレーのツナギの右脚部分がちらりと見えた。
気になったY君は女性の右後ろに移動し、事務所の奥を見た。
「おい…、Aちょっと見てみろよ、あれ…」
「ん?どうした?本棚がどうかした?」
Y君の指差す方向を見たA君は不思議そうな顔をする。
A君には見えていない事を知ったY君は自分にだけ見えている目の前の光景に驚愕した。
事務所の奥にある本棚の前、上下グレーのツナギを着た男が背中を向けて立っていた。
また首が伸びているのではとY君は心のどこかで思っていたが、予想は大きく外れた。
ツナギ男の首は背中側にだらりと垂れ下がり、垂れ下がった首の先にあるべきはずの頭が無かった。
頭の無いツナギ男は両腕を組むようなポーズのまま、立ち尽くしていた。
「どうされました?」
受付の老人の声にY君は驚き、ふいに現実に引き戻されたかのような錯覚に陥った。
目の前に並んでいた女性は既に登録を終えて立ち去っていた。
「すみません。昨日お世話になったYと申します」
Y君はぼろぼろのママチャリが自分のものでは無い事を訴え、【社-08】の真っ赤なシールについて尋ねてみた。
「あぁ、それは駐輪場の職員用登録シールですよ」
受付の老人に案内され、事務所の隣にある駐輪スペースを見せてもらうと、そこには真っ赤なシールが貼られた自転車が駐輪されていた。
「ほとんどの職員が自転車で通勤してましてね。【社-08】は誰だったかな。ちょっと待ってて下さいね」
『Tさん。受付までちょっと来てもらえますか』
受付の老人は場内アナウンスで月極エリアの担当者を呼び出した。
「【社-08】は半年前に辞めたFさんですよ。家もすぐ近くのマンションなので、私が後で自転車返しに行きますよ」
「すみません。俺の自転車がFさんの家にあるかも知れないので、一緒に行っても良いですか?」
月極エリアTさんのお昼休みに待ち合わせをし、Fさんの家に向かう事になった。
「それじゃあ、また後で…」
そこまで言いかけて、Y君は口を閉ざした。
事務所の奥、背中を向けていたツナギ男が正面を向いて立っていた。
ツナギ男は両腕を組んでいた訳では無かった。
両腕で自身の頭を抱えていた。
抱えられた頭の口元は腕で隠れて見えなかったが、無表情な目元はじっとY君を見続けていた。
その時、頭を抱えていた両腕がだらりと垂れ下がり、頭が落ちた。
床に落ちた頭はまるで意思を持っているかのようにごろごろと床を転がり、ピタリと止まった。
再び、Y君と目が合うとニヤリと不気味に微笑んだ。
それを見たY君は逃げるように地下駐輪場を後にした。
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正午。
A君は午後から別の用事があるらしく、Y君は月極エリアのTさんと二人でFさんのマンションに向かった。
Fさんの住むマンションは地下駐輪場から徒歩三分程の場所にあった。
八階建ての六階角部屋がFさんの部屋だった。
『ピンポーン。ピンポーン』
チャイムを鳴らすも返事は無い。
「Fさん?いるかい?」
Tさんが呼びかけるも返事は無かった。
「Fさん留守みたいだね。自転車の事は聞いておいてあげるから、また何か分かったら連絡しますよ」
Y君はぼろぼろのママチャリをマンション敷地内の駐輪場に停めておいた。
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帰り道、Tさんと別れたY君はポケットの中を探った。
そして、再びFさんの住むマンションへ向かった。
『ガチャ』
開いた。
あの鍵はやはりFさんの部屋鍵だった。
不法侵入だとは知りつつも、Y君はどうしてもFさんに会わなければならない気がしていた。
ドアを開けた瞬間、あまりの異臭に鼻がよじれそうになった。
もうこの時点で最悪の展開しか予想出来なかった。
『カチ。カチ』
玄関の壁にあるスイッチを押すも何の反応も無い。
電気は止められていた。
部屋の間取りは1LDKだろうか。
玄関の先にリビングがあり、その隣に和室があった。
リビングのカーテンを開けると、陽の光が室内を照らし出す。
リビングは荒れた様子も無く、とても綺麗に片付けられており、異臭の原因になるものは無かった。
Y君はリビングに隣接した襖をゆっくりと開けた。
襖を開けた途端、無数のハエが襖の隙間からY君を目掛けて飛んできた。
ハエを振り払いつつ、Y君は一気に襖を開け放った。
視界の先、天井からはだらりと一本のロープが垂れ下がり、先端には輪っかが作られていた。
床に目を落とすと、どす黒く変色した畳の上に異臭の原因を見つけた。
頭の無い遺体が横たわっていた。
首吊り自殺で長時間吊るされ続けた結果、身体の重さに耐え切れずに首の骨が折れ、骨無しで身体を支え続けた首の皮は異様なまでに伸びきっていた。
そして最後には腐敗して伸びきった首の皮が引きちぎれ、頭と身体は分断され、天井のロープから解放された。
あまりの光景と異臭にY君は気絶しそうになったが、Y君は遺体の手元に目が留まった。
「え?!なんで?!」
握り締められた右手から某キャラクターのストラップが見えた。
Y君が自転車の鍵に付けていたストラップと全く同じだった。
手の平の中に自転車の鍵が入っていると確信したが、取り返す気にはなれなかった。
「うわっ!臭い!Fさ~ん?大丈夫ですか?」
開けっ放しになっていたFさんの部屋に異変を感じ、マンション住人がFさんの部屋に入って来た。
Fさんの遺体を目の当たりにしたマンション住人はすぐさま警察に連絡した。
結局、マンション敷地内でY君の自転車は見つからなかった。
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数週間後。
「さっき、地下駐輪場から電話があって、Yの自転車見つかったってよ」
学校から帰宅したY君に母親がそう伝えると、
「え?本当に?!それじゃちょっと自転車取って来るよ。スペアキーどこだっけ?」
「ほら。そんな事だろうと思って、部屋から持ってきておいたよ」
「ありがとう。それじゃあ、ちょっと行って来るよ」
スペアキーを受け取ったY君は、再び駅前の地下駐輪場に向かった。
この会話が母親とY君の最期のやり取りとなった。
Y君は家を出た一時間後、交通事故で亡くなった。
トラックに撥ねられ、全身を強く打ち、後続車両に数十メートル引きずりまわされ、母親が再び再会した頃には原形を留めていなかった。
文字通り、肉の塊と化したY君は即死だった。
Y君の自転車のブレーキワイヤーが切断されており、ブレーキが効かなかったのが原因と見られている。
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事情聴取の際、Y君の母親は数週間前に自転車が無くなった時の事から、地下駐輪場から自転車が見つかったと電話が掛かってきた時の事まで、思い出せる限り詳細を伝えた。
それを聞いた警官は不思議そうな顔をした。
「すみません。事故当日の事をもう一度確認させていただけますか?」
「はい。地下駐輪場の【Fさん】という方から『Y君の自転車が見つかりましたので、お時間ある時に取りに来て下さい。延滞料金はサービスしておきます』と電話がありました。それでYに自転車を取りに行かせたら…こんな…こんな…」
母親は両手で顔を覆い、嗚咽の声を響かせた。
警官は地下駐輪場に勤務する職員全員から事情聴取済みだったが、誰一人として、Y君を知る人物はおらず、誰もY君の母親に電話も掛けていなかった。
母親と【Fさん】の通話記録を確認したところ、発信元は地下駐輪場では無かった。
【Fさん】の住んでいたマンションの部屋からだった。
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Y君の死後、A君が地下駐輪場に行った際、見た事の無い職員に話しかけられたそうだ。
「君も見えてるのかな?」
その職員は笑顔でA君の自転車をじっと見つめ続けていたそうだ。
A君はそれ以来、その地下駐輪場を使わなくなり、自転車にも乗らなくなった。
周囲にはY君と同じ目には遭いたくないと漏らしていたらしい。
どうか、自転車に乗る前はブレーキ確認を怠らないで下さい。
次に狙われるのはあなたかも知れません。
作者さとる
怖話アワード2013年5月受賞作品に選ばれました。
読んで下さった方々、ありがとうございました。