知人から聞いた話です。
知人は自転車を運転中、ブレーキトラブルが原因で接触事故を起こし、右脚を複雑骨折し、一ヶ月入院した。
入院先のK病院は20を超える診療科を備え、地方でも比較的大きな病院に分類される。
知人が入院中、隣の408号室にDさんが入院してきた。
Dさんは七三分で中肉中背、猫背で気が弱そうな男性だった。
入院に至るまでの経緯が特殊で、看護師と仲の良かった他の入院患者から噂があっという間に広がった。
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Dさんが初めてK病院の外来に訪れた時の事。
「背中が痒くて痛いんです」
症状を伝えながら、ずっとTシャツの上から背中を掻いていた。
Dさんに背中を向けてもらい、医師がTシャツを捲ると、背中には大きい絆創膏が貼られていた。
「痒い。痛いです」
絆創膏をゆっくりと剥がすと、その下には白い軟膏が塗りたぐられていた。
医師が白い軟膏について訊ねてみた。
「あまりに痒いので、家にあった痒み止めを塗ってました。今日も持ってきてます」
そう言うとDさんはバッグから痒み止めを取り出した。
薬局に行けば誰もが見た事のある、市販品でも名の知れた商品だった。
医師は背中の軟膏を拭き取りはじめた。
痒みの元があるであろう背中の皮膚が一向に見えてこず、周囲は赤黒く腫れ上がり、中央はクレーター状に凹み、白い軟膏で埋め尽くされていた。
医師は更に白い軟膏を拭き取ると、何かが見えてきた。
白い軟膏の所々から黒い点が現れた。
医師は黒い点々の正体が徐々に見え始めると絶句した。
ピンセットで黒い点々をつまみ、ゆっくりと取り出す。
昆虫の脚だった。
ダンゴムシが出てきた。
医師の隣に立っていた看護師も、その異様な光景に小さな悲鳴を上げた。
Dさんの背中からは次々とダンゴムシの死骸が出てきた。
その数、十数匹にも及んだ。
鋭利な刃物で切られたであろう背中の傷口は直径四センチ程、中にはびっしりとダンゴムシが詰まっていた。
何故、ダンゴムシが背中に入っていたのか、Dさんに訊ねて見るも、本人も驚いた様子でいつの間にこうなったのかは分からないとの事だった。
その後、Dさんは縫合手術を行い、背中の傷口を塞いだ。
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縫合手術から一週間後。
抜糸の為にDさんは再びK病院を訪れた。
「すみません。痒いんです。背中が。痒いし痛いんです」
医師がDさんの背中を見ると、初診の時と同様に大きな絆創膏が貼られていた。
絆創膏を剥がすと、また白い軟膏が塗られていた。
白い軟膏を拭き取り終えると、縫合手術の痕が見えた。
「先生。痒いです。もぞもぞするんです」
そう言いながら背中を掻こうとするDさんを制止すると、医師は異変に気が付いた。
Dさんの背中、縫合した傷口のある皮膚がかすかに動いている。
それに、傷口が前よりも広がっており、K病院では使用していない粗末な真っ黒い糸で再縫合されていた。
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抜糸後。
抜糸を担当した医師を含め、その場にいた全員が驚愕した。
背中の傷口は塞がっていなかった。
それどころか、ぽっかりと空いた傷口の中には、本来そこにあってはならないものがあった。
ダンゴムシだ。
生きたダンゴムシが、Dさんの背中の傷口から外に這い出て来た。
それも一匹や二匹では無かった。
Dさんも全く身に覚えが無いとの事だった。
体内のダンゴムシを全て取り除き、再縫合手術を行い、背中の傷口を塞いだ。
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再縫合手術の翌々日。
抜糸前にも関わらず、DさんがK病院を訪れた。
「眠れないんです。一人暮らしなんですけど、誰もいないはずなのに、寝ようとすると誰かが背中を触るんです」
一昨日から一睡もしていないらしく、酷くやつれた顔で今にも倒れそうなDさんは、当日即入院する事となった。
点滴を打ちながら病院のベッドで久々の眠りについたDさんだったが、表情は険しかった。
「やめろ!来るな!」
幻覚でも見ているのだろうか。
時々、目の前の誰かを振り払うかのように両腕を激しく動かす姿は、誰が見ても異様だった。
また、独り身で家族もいなかったDさんは、同じ病室の他の入院患者にお見舞いが来る度、寂しそうな表情を見せていた。
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抜糸の前日。
ナースコールで一人の看護師がDさんの入院する408号室へ向かった。
「トイレに行っても良いですか」
Dさんはそう言うと、ベッドから起き上がり、病室から出て行った。
トイレはDさんの病室を出て右手に進み、角にあるナースステーションの先にある。
看護師はDさんをトイレの前まで見送った後、再びナースステーションへと戻っていった。
それから三十分後、Dさんが戻ってくる気配が無い為、気になった看護師がトイレへと向かったが、誰もいなかった。
トイレからDさんの病室に戻るには、ナースステーションの前を通らなければならず、病室に戻る時に気が付くはずだったが、誰もDさんが病室に戻る姿を見ていなかった。
ちょうど、見回りの時間だった為、看護師はDさんの病室に向かった。
Dさんの病室は四人部屋で、Dさんのベッドは入り口から見て左奥なのだが、Dさんは居なかった。
それどころか、同じ病室の入院患者が全員、忽然と姿を消していた。
二時間前の見回りの際は確かに全員居たのに、いつの間に病室から抜け出したのか検討もつかなかった。
とにかく早く探さなければならず、夜勤の看護師総出で各階を探す事になった。
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探し始めて数分後。
悲鳴と共に大きな物音がした。
物音がした方に向かうと、四階の特別個室前に人だかりが出来ており、一人の看護師が病室の入り口前で倒れていた。
特別個室中は異様な光景が広がっていた。
中央に置かれたベッドの上に、うつ伏せになっているDさんの背中は血まみれで、本来であれば真っ白なベッドのシーツも真っ赤に染まっていた。
その周りを囲うようにDさんと同じ病室の入院患者が三人立っており、全員緑色の手術衣に身を包み、それぞれ手には様々な手術器具を握っていた。
駆けつけた警備員と看護師に取り押さえられた三人は、焦点が定まらない眼差しで、口から泡を吹き、意味不明な言葉をぶつぶつと呟いていた。
Dさんは血まみれの特別個室の状況から誰もが死んでいると思っていたが、命に別状は無かった。
ただ、再縫合した傷口を何者かに抜糸され、傷口から大量の生きたダンゴムシが再び詰め込まれた状態だったそうだ。
408号室の入院患者はDさんを含む全員が別の病室に移されたらしく、その後、元408号室の入院患者を見たものは誰もいない。
【精神病棟に移された】
【退院して別の病院に入院した】
【集団自殺した】
など、色々囁かれているが、真相は不明だ。
知人も騒ぎがあった翌日に408号室を覗いて見たが、既に誰もいなかったらしい。
色々な看護師に何があったか尋ねても返って来る言葉は同じだった。
「患者様のプライバシーに関する事はお教えできません」
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ここから先の内容は、特別個室前で倒れていた看護師のHさんが意識を取り戻した後に話していた内容を人づてに聞いた話だが、あまりにも現実離れしている為、誰も信じていない。
知人と私を除いて。
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夜中の二時過ぎ、Hさんが見回りをしていると、人の話す声が聞こえた。
声がする方へと向かうと、特別個室のドアの隙間からうっすらと明かりが洩れていた。
気になったHさんはドアの隙間から中を覗き込んだ。
中央に置かれたベッドの上に、一人がうつ伏せになっており、その周りを囲うように手術衣を着た三人と、白衣を身にまとった一人がいた。
手術衣を着た三人のうち、一人は懐中電灯でDさんの背中を明るく照らし、残りの二人は手術器具を白衣の医師に手渡している。
白衣の医師はハサミのようなもので、Dさんの縫合手術の痕が残る背中を、切り開き始めた。
白衣に血が飛び散り、一通り切り開くと、更に鋭利な刃物、おそらくメスのようなもので、切り開いた背中の内側を更に切り開く。
その後、切り口を大きく開いた状態を維持する為か、切り開いた背中の肉をホッチキスのようなものでパチンと留めた。
手術衣を着た一人がタオルで背中の止血を繰り返したが、血が止まることは無かった。
次に、白衣の医師が白衣の両ポケットに手を突っ込んだ。
突っ込んだポケットから黒い何かが溢れ出た。
生き物、それも小さい虫であることは確かであったが、それが何かまでは見えなかった。
両方のポケットから再び手を出すと、手のひらには大量の黒い何かがもぞもぞと蠢き、ぼとぼとと床に落ちた。
白衣の医師は手のひらをDさんの背中の傷口に押し当てた。
出血が止まっていないからか、黒い何かは背中の傷口の中になかなか入らない。
白衣の医師は黒い何かを指で一つ一つDさんの背中の傷口に押し込む。
目の前の光景に吐き気を覚えたHさんは、その場で嘔吐してしまった。
白衣の医師がHさんに気が付き、特別個室の入り口に向かって歩き始めた。
Hさんは逃げようとしたが、腰が抜けてしまいその場に崩れ落ちた。
近づいてきた白衣の医師がHさんの前まで来ると、しゃがみ込んだ。
Hさんの見たことの無い医師だった。
「どうなされましたか。大丈夫ですか」
白衣の医師が低めの篭った声で、笑みを浮かべながらHさんの目を見つめながら言った。
「大丈夫です」
そう言おうとした瞬間、Hさんは絶句した。
目の前の白衣の医師の眼球、黒目のあるべき箇所が空洞になっており、中から真っ黒い虫、ダンゴムシがぞろぞろと溢れ出ていた。
ダンゴムシが眼球を這いずり回っているからか、白目の中に黒目が複数あるようにも見えた。
『グチャ』
驚いたHさんが手を床に手を付くと、嫌な音がした。
大量のダンゴムシが潰れ、Hさんの手のひらに貼りついていた。
Hさんの記憶はそこで途切れた。
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Hさんの話では、特別個室にはDさんを含めた五人がいた事になるが、実際には四人しかいなかった。
しかし、Hさん発見時、手のひらには確かに潰れたダンゴムシの死骸が無数に貼りついていたそうだ。
Hさんは夜勤が続き、疲労が溜まった結果、幻覚を見たのだろうと一週間ほど休養を取らされた。
当日の特別個室前の通路に設置されていた防犯カメラの映像にも、真夜中に特別個室へ出入りする白衣の医師は映っていなかった。
映っていたのは地面に這いつくばりながら手足を大きく広げ、人間とは思えない動きで移動する408号室の患者だけだった。
今となっては白衣の医師が何者だったのかは、知る術は無い。
皆さんも突然身体が痒くなった時は気をつけて下さい。
体内で黒い虫が蠢いているかも知れません。
作者さとる