世の中は、ガラケーというものからスマホというものに世代交代しつつある。
いきなりスマホに変えてもすぐには使いこなせないだろうと、一定期間、ガラケーとの併用をすることにしてみた。
いわゆる二台持ちだ。
スマホを手に入れて数日は、操作が全くといっていいほどわからず、見事に翻弄された。
なるほど、選択は正しかったようである、いきなりスマホ一本にしなくてよかった。
しばらくして操作自体には慣れてきた頃、人間の持つ順応性が生む余裕というやつなのだろうか、ガラケーではしないようなことをしてみようと思った。
つまり、ガラケーとスマホで役割を分担させようと考えたのだ。
せっかくの二台持ちで同じ使い方などもったいない。
私は、ガラケーの頃からいっちょまえにSNSというものに登録したりしていたのだが、なかなか相性の合う人はいないのかほとんど登録しただけ状態になっていたことを思い出した。
そして、どうせならスマホでは普段とは違った人物になりきって振る舞ってみようと考えたのである。
寂しい頭が一人歩きした案は意外に楽しく、普段ならばあまり書かないような言葉と表現で新たなプロフィールを作った。
とはいえ全く真逆の性格にしてしまうと後々使いこなせないためある程度は元の自分に沿わせた内容だ。
すっかりなりきり行為が楽しくなって、時間をかけてようやく完成した人物像には、初めに作ったプロフィールの名前を逆から読んだ名前にした。
どうせ話し相手など多くは来ないだろうから、構わないだろうと。
事実、それから数日は運営からの連絡以外にメールは来なかったのだが。
プロフィールを作った満足感もそろそろ薄れてきた頃、珍しくガラケーが鳴った。
どうやらメールを受信したらしい。
開いてみると件のSNSにメールを受信したとの知らせだった。
珍しいこともあるものだと赴いてみると、なんと話し相手になってくれないかという内容だった。
ほぼ初めてに近い連絡に完全に舞い上がった私はいそいそと返信を送った。
送ったそばから、返信を待つ。
たった一通だが、それでも誰かから話しかけてもらうというのは嬉しいものだ。
それから、日に何通か、その相手とメールを交わすようになっていった。
あまり多くはない言葉数から少しずつ知る情報はとても新鮮であり、また、私と似通ったところもあるのか共通の話題には話に花が咲いたりもした。
相手もどうやら最近スマホを購入したらしく、その扱いに苦心しているとのこと。
その練習がてら、話し相手になってほしいとのこと。
私は素直に嬉しく、誰かと話せる喜びを噛みしめる日々を過ごしていた。
それとほぼ同時期に、スマホの方でもメールを受信するようになっていった。
やはりあのプロフィールが功を奏したのだろうか、似たような性格の人物からのメールが届くようになると、話も膨らませやすく、元来から話すことがあまり得意ではなかった私もいつしかメールというものが楽しく感じるようになっていた。
仕事に行く前、仕事の合間、昼休み、帰宅途中、帰宅後、一日の中であいた時間のほとんどを携帯を見つめて過ごすようになった。
メールを往復させるようになればなんのことはない、あんなに鳴らなかった私の携帯が嘘のように、ひっきりなしに着信を知らせるようになった。
ガラケーで送信すればスマホが鳴って、スマホで送信を完了すればほぼ同時にまたガラケーが受信する。
二台を交互に、ひたすら文字を打った。
しかしそれが苦痛ということはひとつもなく、これまで話したいと思ってもその相手さえいなかった私にすればこんなにも人と言葉を交わせるのは幸せに思えたし、何より、共通の話題を持った似通った性格の相手との会話ともなれば苦痛どころか本当に楽しかった。
今も、ちょうどガラケーとスマホのメリットやデメリットについての返答をガラケーから送ったところだ。
相手はなんと返してくるだろう、これまでの会話からすれば、ガラケー派と答えるだろうか。
考えるより早く、片手に持ったスマホが鳴った。
返信が早いのも話していて嬉しいところだ。
スマホに着信したメールを開く。
あぁ、やっぱりガラケー派だった。
私もそうなのだと慣れた手つきで返信を打つ。
早く返信がほしい、次はガラケーが鳴るだろうか。
わくわくしながらガラケーのメールを送信する。
程なくして、スマホが着信を知らせた。
作者退会会員