昔の話、と言っても今から10年位前の実話です。
妻と付き合い始めて一年位だったでしょうか。当時、岬巡りが自分達の中で流行っていまして、北海道内の岬を休みがあれば遠い所まで足を運んでいました。
ただ北海道は札幌から最北端の宗谷岬と、東の果て知床までは、まとまった連休でもなければ行く気になれず、やっときたゴールデンウイークで「北の国からの」吾郎さんの家の富良野、旭川経由で最北端を目指す事になりました。
初日は吾郎さんの家見学とチーズ工場の近くのレストランで夕食を済ませ一日を優雅に過ごし、次の日に一気に旭川を抜け宗谷岬に行く予定でした。
当時はカーナビのついてない車での移動だったので、地図片手にドライブを楽しんでいました。
地図を見ると旭川から稚内までの途中にまだ行ったことのない湖を発見し、寄り道好きな自分達はそこに立ち寄る事にしました。
その湖の名前は朱鞠内湖(シュマリナイコ)
かなりユックリ走っていた為、その湖周辺につく頃には、辺りは夕日に染まっていて、金色に輝く湖を想像していました。
もう忘れましたが何かの像か慰霊塔のある場所に車を停め、取り敢えず使い捨てカメラで記念写真を撮りました。そこは湖に行く道はなく、草木は生い茂っていたのですが、なんとか掻き分ければ入れそうだったので、少し強引に湖畔に近寄りました。
思った通り雲ひとつ無く、夕方の太陽に照らされた湖面はキラキラと輝き綺麗でした。
でも、なぜか湖も湖の周りも全てセピア色に見えるのです。湖はとても綺麗なのに嫌な空気がして、落ち着かない。何故かここにいたらいけないと思ったのです。
妻がまだ草木を掻き分けてこちらに近づこうとしてるのを止めて、車に戻りました。妻には上手く説明出来ず、ただ「なんか良くない感じがする」とだけ伝えその場を後にしました。
その後ずっと空気が重く、周りの空間に違和感を感じながらも稚内に到着。
疲れもあったので駅の近くでカニ飯弁当を買ってすぐ、ラブホテルに入りました。
そこは特に内装が凝ってるわけでもなく普通の部屋でした。照明は蛍光色で薄暗かった事を覚えています。
入室して直ぐに小窓が開いていたので閉めました。窓下に付いてるレバーを捻り押して開けるタイプです。多分換気の為に開けておいたのだろうなと、その時は気にも留めませんでした。
買ってきた弁当を妻より先に食べ終わったので、一人でお風呂に入っていると、凄い勢いで妻が服を着たまま風呂に入ってきたのです。怯えている妻にどうしたのか確認すると、弁当を食べ終わった直後に、先程閉めた筈の小窓が勢いよく開いたと言うのです。上記でも述べたように、レバーを捻らなければ開かないタイプの窓が勝手に開く事など、考えられません。
妻の怯えように、身体も拭かず例の窓を見に行くと、全開に開いていました。妻をあまり怖がらせないように、「レバーの捻りが甘くて気圧の問題で開いたんだよ」と訳のわからない言い訳をし、今度は確認するよにしっかりとレバーを捻り風呂に戻りました。妻はまだ怖かったのか今度は一緒に風呂に入りました。暫らくして一人先に風呂から上がると、今度は照明が消えているのです。
ここを出ようとも思ったのですが、他の部屋もホテルも満室状態、時刻は10時を回っていたし、車中泊は五月の北海道はまだ寒く危険、燃料わずかで田舎のスタンドは閉まっている。八方塞がり…ここに居座るしか選択肢がなかった。
妻が風呂から上がる前に照明をつけ、平静を装いベットの上で妻を待つ事に。
部屋の中が静か過ぎて気を紛らわす為、テレビでも観ようとリモコンを手に取り電源ボタンを押しました。
ここがラブホだと忘れていて、突然テレビからは女性のいやらしい声が大音量で流れ始め、その音にかなりビックリしてチャンネルを変えようと再びリモコンを操作しようとした時です。先程閉めた窓がまた勢い良く「バンッ‼︎」っと音を立て開いたのです。一瞬思考が停止し、窓を凝視する事しか出来ませんでした。少し間を置いて、今度は閉まったり開いたりと繰り返したのです。
流石にこんな事は初めてで、恐怖で手がガクガク震えてしまい窓から目が離せずにいると、その光景を見ていたのか後ろから妻の悲鳴、その悲鳴でやっと窓から目が離せ、慌てて妻を連れそのホテルから出ました。
なんとか寒い中車で一夜を過ごし、スタンドが開店したと同時に燃料を補給、気分は最悪でしたが一応、ここまで来たのだからと宗谷岬に行き帰路につきました。
ほとんど宗谷岬の事は覚えていません。
帰りは、海沿いの一番早いルートにしたのですが最悪でした。
途中から強風、豪雨、高波と三拍子が揃ってしまい、慎重に運転するも見通しの悪い視界で樹木が片道を塞ぐ形で倒れてる事に気づくのが遅れ、衝突。
衝突してお互いの無事を確認しあった時に、二人で確かに聞こえたんです。大勢の男達の声が。
「もうくるな…」
他にも何か言ってる声が聞こえたのですが、大勢が一度に発言するような感じで、解りませんでした。
衝突はしたのですが、車はなんとか走る事が出来たので、帰ることが出来ました。
暫らくたってから、撮り溜めした写真を現像して見たんですが…写ってました。
朱鞠内湖で撮った写真に沢山の顔が…。
朱鞠内湖は戦争只中に作られた日本最大だった人造湖です。
冬はマイナス40度にもなるこの地で
の作業環境は、日本人のタコ部屋労働のみならず、朝鮮人、中国人に対するいわゆる強制連行ともいわれる動員も行われており、極めて劣悪であった。現在までに200名以上の犠牲者が判明しています。
多分もっと犠牲者はいるでしょう。
作者欲求不満
実際の体験談なので落ちはありません。
幼稚な文章なので読みづらいです。
最後はこの体験を思い出し、気になりWikipediaで調べた内容を記載しました。