私の記憶には無い
アパートに着いた旦那
鼻歌を歌いながら
エレベーターに乗り込んだ。
旦那には見えっこないだろうが
私ももちろん乗る。
目的地に着いたことを知らせる
チンッという乾いた音が鳴り
扉が開かれる....
その開かれた扉の向こうには
1人の女性が立っていた。
いや、それだけなら
往々に有り得る光景ではあるのだが
彼女は扉の中央に
まるで出る者を遮るように立っていた。
メイクや髪型、服装は気合いが入りまくっていたが
薄ら笑いを浮かべているのに
目は笑っておらず旦那を凝視している。
気持ちがわるい。
旦那の背中ごしに見た
その異様な光景に目を見張る。
やはり彼女は私の記憶にはない。
いや、気合いが入りすぎたメイク
特にアイメイクはパンダさながらで
既に素顔は想像もできないが。
私が目を見張る中
旦那は「ひっ!」という叫び声をあげて
振り返り、私をすり抜けていく。
私は旦那の後方上部にいた訳だから
旦那の予想外の行動により
意図せず旦那の前方に浮かぶ形となった。
そうなってから
やっと気付いた。
気合い十分にめかし込んだ彼女の手には
似合わない出刃包丁が握られていたのだから。
さらに言えば、出刃包丁は汚れてこそいないが
微かに湾曲しており、
僅かに先端が欠けていた。
また、寝不足なのだろうか?
目は充血していた。血走っている。
死者の私がいうのも気が引けるが
不気味で関わりたくない....
一体、彼女は旦那とどういう関係なのだろうか?
いや、むしろ、ただ出くわしただけで
全くの他人であるということも考えらるだろう。
彼女はゆっくりと真っ直ぐに歩き
エレベーターに乗り込み、私達に背をむける形で
1階のボタンを押した。
長い無言の中、ゆっくり扉が閉まり始める。
数秒後に階下に降りていく感覚で
ハッと気付いた私は旦那を振り返る。
彼女とは正反対の隅にピッタリ張り付き
ガタガタと身体 を震わせ、目線は定まらない。
蚊の鳴くような声で
「ごめんなさい、ごめんなさい」と呟いている。
知り合い、か。
一方の彼女は背を向けたまま微動だにしない。
が、こちらを向いてないにも関わらず
視線を感じ、気付いた。
ミラー越しに、旦那を凝視していたのだ。
相変わらずのうすら笑いを浮かべながら..
ゾクッと悪寒を感じる。
一体何が起きているのだろう?
ますます訳がわからない。
エレベーターに乗っている時間なんて
長くても2分程度?だろうが異様に長く感じた。
こういうの、ゲシュタルト崩壊..じゃなくて
えぇと、なんていうんだっけ..
無駄に逃避してしまい
一瞬だけ死者であることを忘れた事実に気づく。
すると突然、他人事に思えて
恐怖感も消え失せた。
そうだ、死んだ私には
これからどうなったって関係ないじゃないか..
どうせ、なにも出来ないんだから..
1階に着くと
彼女はおもむろに旦那を強引に引っ張り出した。
旦那は変わらず「ごめんなさい」を繰り返し
微かな抵抗もしていたが
簡単に彼女の力に負けて引っ張りだされた。
旦那がこのアパートに来たとき
どちらかというと嬉しそうにしていた。
私は正直、浮気相手と会うものだとばかり思っていたのだが..
来たときと出るとき..時間にして5分も経っていないのに旦那の変わりようといったら、目も当てられない程だ。一体彼女は誰だろう?
旦那と彼女に一体何が起きたのだろう?
私は見ることしか出来ないけど
この事態
ゆっくり拝見させてもらいましょう。
私は、ほくそ笑みながら
無意識に呟いていた。
「真相を全て知るまで
成仏出来そうにないなぁ」
と。
作者わたみん