僕らはまず、若田さんの元彼の身元を調べてみた。
宇野慎二、25才。コンビニでアルバイトをしているそうだ。人からの評判は悪くない。むしろいいくらいだ。道端で会うと気持ちのいい挨拶をしてくれる、人当たりもよい、おまけにスタイル抜群の二枚目。絵に描いたようなパーフェクト人間だ。
「すごいいい人じゃないですか。そんな人が、なんでストーカーなんか…。」
「いや、まだ彼がストーカーだと決まった訳ではない。本人とコンタクトを取る必要がある。」
僕とましろは月の間で、資料の束をまとめながら話をしていた。
「湊君、五十嵐君。そろそろ店に出てきてください。」
マスターの声と足音が聞こえて、僕らは二人、いや二匹して飛び上がった。何せマスターには二匹で捜査している事は秘密なのだ、ましろを勝手に捜査に借りたのがバレれば大目玉をくらうに決まっている。
「ま、ましろ!座布団に化けろ!」
「えっ、あっ、はい!」
ましろクルッと宙返りすると、僕の部屋のものと同じ座布団に化けた。ぼくは急いでその上に座った。「キュウッ…!」とか聞こえた気がするが、気にしない。
ちょうどその時、マスターが僕の部屋に顔を出した。
「五十嵐君が見当たらないのですが…。見ていませんか?」
「さ、さぁ~?全っ然知りませんよ~?」
下でキューキュー言いながら身悶えする座布団を押さえつけながら、答える。
「ト、トイレでも行ったんじゃないですかね?」
マスターは怪訝そうな顔をしたが、
「…そうですか。それならいいのですが。」
と、店に戻っていった。それを確認して、僕はそっと座布団から降りた。真っ白な尻尾が生えたそれは、ピクリとも動かない。
「…ましろ?」
返事はない。
「…生きてるか?」
まあ、妖怪だからこんな事じゃ死なないんだけど。僕は水差しを手にとり、座布団に水をかけた。
「キャウン!」
奇声を発して、白狐の姿に戻ったましろ。
「な、何するんですか!お花畑と川が見えましたよ!」
「あはは~、ごめんごめん。」
僕は笑って誤魔化して、頬を膨らますましろに着替えを促した。
「ほら、さっさと着替えしないとマスターにどやされるよ。」
「分かってますぅ!」
なんか最近、ましろが可愛い。
*
「湊君、君にお客様です。」
店に出ると、マスターからそう言われた。
「僕に?ああ、もしかして!」
僕は急いでカウンターに出た。並ぶ顔の中に、よく見知った顔を見つける。やっぱり。
「猫間さん!」
彼はくりっとした瞳をしばたたかせると、嬉しそうに目を細めた。
「お久しぶりですにゃあ~、禄郎君。」
彼の名は猫間卓郎、情報屋を生業とする男である。彼もまたマスターと同じく、僕の正体を知っている。事件の捜査時は、よくお世話になる。
「大分化けるのが上手くなったようだにゃあ。」
ロックグラスを片手に、こちらを眺める猫間さん。もうお気付きだと思うが、彼も人間ではない。何百年もの歳月を生きた猫又である。黒のハチワレ柄で、今は普通の猫のふりをして、ある小学生の女の子の家でクロと呼ばれて可愛がられている。
「何かいい情報ありました?」
僕が聞くと、彼は懐から鍵を取り出した。
「にゃんだと思う?」
「え?」
何だろう…。
「すみません、分かりません。」
すると猫間さんはさも愉快そうに笑って、言った。
「すっごいお宝だよぉ!にゃんと、宇野の部屋の鍵!」
「えぇっ!宇野の部屋!?」
猫間さんは僕に手を出すよう促した。
「ちょ、ちょっと待ってください!いくら容疑者だからって、勝手に部屋に入るのはちょっと…。」
「にゃあ~に言っとるか!今宇野は行方不明だ。」
「え…?」
*
猫間さんによると、宇野は突然勤務先のコンビニに来なくなり、不審に思った店長が彼の自宅を訪ねたらいなかった。そんな事が何度も続き、とうとう捜索願いを出したのだという。
「そういやまだコンビニに聞き込みしてなかったっけ。」
そんな僕らの凡ミスで、事件が滞っていたのだった。
「じゃあ宇野にコンタクトなんかとれないじゃないですか!」
ましろは肩を落として、資料の束を机に置いた。
「…でも宇野の部屋の鍵が手に入ったんだ、少しは手掛かりが掴めるだろう。明日早速行ってみよう。」
「えっ、明日!?準備も何もしてないのに?」
「早いとこ解決して、ゆっくり休みをとるの!」
「でも…。いいんですかねぇ…。マスターにも言ってないのに。」
その日はそれで推理を終えた。
*
次の日、僕は早速宇野の部屋に足を運んだ。マスターには隠れて、ましろと一緒に。
「お邪魔しまー…うっ!?」
彼の部屋に足を踏み入れた瞬間、強烈な妖気を感じた。
「何なんだ、この妖気は…?」
「…尻尾が出そうになりました。」
宇野は普通の人間のはずだ。猫間さんもそう言っていた。だが、この妖気は部屋中に蔓延してしまっている。長い間ここにいたら、僕もましろもどうにかなってしまいそうだ。
「何か手掛かりはないかな…と。」
部屋自体はこざっぱりしていて、とても男の独り暮らしには見えない。
「…お。」
若田さんとの写真を見つけた。手にとって眺めてみる。二人ともとても幸せそうだ。
「こんなに幸せそうなのに。なんでこんな事になったのかな?」
呟いて、写真を元の位置に戻した。
「…何か目眩してきたな。ましろ、大丈夫か?」
「結構しんどいかもです…。」
「そうか。じゃあ一旦休憩だ。」
この部屋に蔓延する妖気のせいだろうか、僕も目が霞んできた。僕らが一旦部屋を出ようとした、その時。
「うぅぅ…。」
どこからともなく、唸り声が聞こえた。
「宇野慎二かっ!?」
咄嗟に名を呼び、辺りを見回す。と、一気に妖気か強まった。
「っ…!?」
「湊さん…!」
どうやら、本体のお出ましのようだ。
「うぅ…しょうこおおお」
台所から強い気配を感じる。足音を立てないよう注意しながら台所へ向かう。
だが、どういう事だ?宇野は人間だったはずだ。何故こんな強大な妖気を持っているんだ?
…まあいいや、考えるのは後だ。ここで彼を待ち伏せして、出てきたところを不意討ちだ。
「よくも…よくもおれをすてたなああ……。」
恨みのこもった、低く唸るようなおぞましい声だ。合間に、何かを引きずるような音が聞こえる。
台所の角から、何かが見えた。あれは…何だ?爬虫類の口先のように見えるが。
「おれをこんなすがたにしやがってええ…。ゆるさねえ、ゆるさねえからなあああ…!」
…まただ。「こんな姿」って何なんだろう?気になるところだが、そろそろ僕も限界になってきた。
僕は勢いよく台所に飛び込み、言った。
「宇野!大人しく降参しろ!さもないと……っ!?」
そこで僕が目にした物は、どす黒い障気に包まれた巨大な白いワニだった。
「湊さん、どうしたんですか!?…うわっ!?」
その迫力に、ましろが腰を抜かす。
「ぐぉぉ……!」
そいつは一声唸ると、太く長い尾で辺りを凪ぎ払った。それがまともにましろに命中する。
「キャイン!」
ましろは白狐に戻り、玄関の方まで吹き飛ばされた。
「くっ…!ま、ましろ…!」
妖気の風で、少しよろめく。そのスキを突かれ、僕は彼の尾の攻撃に薙ぎ倒されてしまった。
「痛てて……。」
素早く体制を立て直し、
「お前は宇野慎二なのか?」
聞いてみたが、ワニは聞く耳持たずだった。
たが、先ほどの声は数日前に聞いた留守電の声によく似ていた。
「これは…ちょっと手強いぞ。」
ワニは意外に素早く移動し、僕に強烈な体当たりを食らわせてくる。妖気によるダメージと、体当たりによるダメージとで、大分弱ってしまった。
「…何なんだ、お前は…。」
自分の妖力はそうとう弱っている。人間の姿を上手く保てずに、だんだん変化が解けてきていた。
半獣化した腕の鉤爪で、宇野と思われるワニに必死で抵抗する。だが、それでは焼け石に水だった。
ーもう駄目だ、やられる!ー
覚悟を決めた、その時。
「そこまでです」
聞き覚えのある声。そして上等な革靴の足音。
僕は玄関を見た。ましろを抱いた、スレンダーな男性が立っていた。
「土足で失礼。宇野慎二様、でいらっしゃいますね?」
彼は、白ワニに向かって恭しく頭を下げた。
「この度はうちの者が、大変なご無礼を。」
ゆっくりと上げたその顔は、見慣れたポーカーフェイスだった。
「マスター…!」
僕は安心して、そのまま気を失った。
作者狛狼
黒狐白狐シリーズ第三弾です。今回は大分話が進んだように思います。マスター好きさん(いないと思いますが)にはちょっと「おっ」と思って頂けたでしょうか?次回、事件の核心に迫っていきます。誤字・脱字等あれば教えてくださると嬉しいです。