「……。」
…ん、ここは?僕はどうなったんだ?
「お目覚めですか?」
「あ、マスター。」
目を覚ますと、そこはマスターの部屋だった。そうだ、宇野の部屋を調べに行って、そのまま…。
…てかましろの事バレた!ヤバイ!
そんな僕の様子を見て悟ったのか、マスターはふっと微笑して言った。
「五十嵐君の事は後です。彼なら無事ですから、ご心配なく。」
「そう、良かった…。」
マスターはちらと部屋の隅に目をやると、
「とりあえず紹介します。こちらへどうぞ。」
小さく手招きした。誰かいるのか?
「はあ。すみません。」
申し訳なさそうに出てきたのは、何と二足歩行の白ワニだった!
「うわっ、宇野ぉ!?」
僕は咄嗟に身構えた。それをマスターが制す。
「大丈夫です。彼はもう襲ってきたりしません。」
僕は、うなだれた宇野とマスターの顔を見比べた。
「すみません、オレが何かしたようで…。」
白ワニは姿と釣り合わない二枚目声で言うと、床に腰を下ろした。
…何か可愛い。
「下水道の白ワニの話を知っていますか?」
マスターが口を開く。
「ペットとして飼われていたワニが捨てられて、日の光の当たらない下水道で真っ白く育ったものです。」
ほー…。そういやホワイトアスパラガスなんかも地下で育てるもんな。って今関係ないか。
「勿論、下水道には獲物になるような生き物はいません。だから、彼らは地上から獲物を捕っていきます。」
「その獲物って…。」
僕は背筋を冷たいものが伝うのを感じた。
「はい。お察しの通り、人間です。」
マスターは薄く笑みを浮かべ、こちらへと視線を送った。
マスターがたまにするこの表情、男の僕でもドキッとしてしまう。宇野をこっそり横目で見ると、短い前足で長い口先を押さえていた。
…やっぱり可愛い。いや、そんな趣味はないよ?素直に、ワニ可愛いと思っただけ。
「人間に捨てられた哀れなワニ。ワニだけとは限りません、捨てられた動物達の怨念が、彼女に捨てられた哀れな男に宿って捨てた相手を狙った…。そう考えるのはちょっと突飛過ぎますかね?」
なるほど…。
「さて…。ここからは君の仕事ですよ、湊君。」
「え?」
「元々君の管轄でしょう。彼と若田さんをどうするかを解決するのが君の役割です。」
マスターは立ち上がると、
「私は五十嵐君の様子を見てきます。それでは。」
軽く頭を下げて部屋を出ていった。
「あ、ちょっとマスター!」
僕と宇野は、二人部屋に残された。
「………。」
「………。」
話題に困る…。僕はまだバーテンとしては未熟だから、お客様との話題でもたまに詰まっちゃうんだよなあ。
「えっと…。い、いい天気ですね。」
「雨降ってますけど」
「……。」
「……。」
「…あ、何か飲みます?」
「この手じゃグラス持てません」
「……。」
「……。」
気まずすぎる…。
「…あの、」
突然宇野が声をかけてきた。
「はい?」
「祥子は、祥子は元気なんですか?」
「え?」
彼は腕を擦りながら言った。
「ほら、オレこんなんなっちゃったじゃないですか。さっき周防さんから聞いたんですけど、祥子にストーカーまがいのことしてたみたいで。あ、それはご存知ですよね。」
「は、はい。」
「オレ、祥子に手出ししてませんでしたか?怪我をさせるとか。」
「ああ、それなら大丈夫ですよ。電話回線を使っての被害の事は聞いてますけど、直接的な被害は聞いてません。」
彼は心の底から安心した様子で胸を撫で下ろした。
「そうですか…それなら良かった。」
「はい。」
彼は本当に若田さんの事が好きだったらしい。少し見ていれば分かる。
「でも、オレはどうしよう?この姿のままじゃ普通の生活は出来ないし、何より祥子に誤解されたままだし…。」
「そうでしたね…。」
うーん。何かいいアイデアはないかな…?
「若田さんにペットとして紹介して差し上げましょうか?」
「あー、それなら祥子とずっと一緒にいられるしねー…ってバカ野郎っ!!」
遠慮のないツッコミ(しかもノリツッコミ)、頂きました。
「確か捨てられた動物達の怨念があなたに宿ったとか言ってましたね、マスター。」
「そういえばそんな事言ってましたね。」
宇野は何かを考えるような仕草をして、
「…あ、オレの体からその怨念とかいうやつ取っちゃえばいいんじゃないですか?」
「簡単に言うなよっ!どんだけ大変な事だと思ってんですかっ!そんなんやるくらいだったら最初からワニのまんま若田さんの前に出した方がいいですよっ!!」
…ん、ワニのまんま若田さんの前に出す…?宇野の体から怨念を取る…?
「ああーっ!!」
「な、何ですか急に大声出して…。」
僕は宇野に向かって親指を突き出し、片目を瞑った。
「来ました、本日のオススメカクテル!」
*
「…あの、本当なんですか?事件が解決したって。」
次の日、僕は店に若田さんを呼び出した。
「本当ですとも。事件の犯人は、確かにお客様の元彼氏の宇野慎二様でいらっしゃいました。」
僕は事件の真相を洗いざらい彼女に話した。彼女は俯いて、
「…そうでしたか。」
と、残念そうに言った。
「それで、彼は今どうしてるんですか?」
「はい。実は今この店にいらっしゃいます。」
「えっ…。」
彼女は動揺しているようだった。そりゃそうだろう、今まで自分をストーカーしていた相手が同じ店にいるというのだから。
「彼はお客様もう一度会って、どうしても謝りたいと言っておりました。」
彼女は僕から目を逸らした。
「若田さん、彼とお会いになる気はございますか?」
流れる沈黙。ここが正念場だ。
緊張が僕の体を支配して、胸の鼓動が煩く聞こえる。
「…分かりました。」
ようやく彼女が口を開いた。僕は心からほっとした。ここまできてしまえばもうこっちのもんだ。
僕は彼女に向かって微笑みかけ、言った。
「それでは約束をひとつ。」
「…何ですか?」
「これからご案内する部屋で何が起ころうと、決して驚かないでください。それは全て、真実なのでございますから。」
彼女は一瞬躊躇いを見せたが、力強く頷いた。
「それではご案内します。こちらへどうぞ。」
僕は彼女に手を差しのべ、マスターの真似をして薄く笑った。
*
「こちら『月の間』でございます。どうぞごゆっくりお過ごしください。」
若田さんは小さく会釈して、月の間に入った。
「宇野慎二様をお連れします。少々お待ちください。」
僕は別室に待機している宇野を呼んだ。
「宇野さん、若田さんいらっしゃいましたよ。さ、早く。」
「で、でもこんな姿で出ていって大丈夫かなあ。怖がられちゃいませんかね?」
「大丈夫ですって、ほら!」
尻込みする宇野の前足を引っ張り、月の間に放り込む。
「わっ…。」
畳に倒れ込んだ宇野。それを呆然と見つめる若田さん。一瞬の間を置いて、
「きゃああああー!!ワ、ワニぃぃぃー!?」
若田さん大混乱。でもそれは計算のうち。
「若田さん!何が起ころうと必ずそれを受け止める約束です。」
「え、ええ、そうね、そうね…。」
彼女は何度か深呼吸をし、またこちらへ目を向けた。
「…で、このワニは一体…?」
「それは本人、いや本ワニから聞いてください。」
ばつが悪そうに二本足で立っている白ワニに、彼女は恐る恐る声をかけた。
「あのう…。どちら様ですか?」
白ワニはゆっくりと口を開いた。
「…オ、オレだよ。オレ。」
オレオレ詐欺か。…ってツッコミ入れてる場合じゃなかった。
若田さんはその声を聞いてハッとした表情をした。
「…慎二君?」
宇野は満面に笑みをたたえて頷いた。といっても、ワニだから笑っているのかただ口を開けているだけなのかよく分からないが。
「…ごめんな、酷い事したよな。」
宇野はがっくりと項垂れて言った。若田さんはううん、と首を振って、
「こっちこそ、急にあんな事言ってごめん。」
と、宇野を見上げた。
「実はね、あれからよく考えてみたの。そしたら、私にはやっぱりあなたしかいないなって…。」
「え?」
これには僕も驚いた。
「だから、さ。私の事許してくれないかな?」
宇野は激しく頷いた。
「も、勿論!お互いに許そ!」
その瞬間、宇野の体をまばゆい光が包んだ。
『恨み辛みが消えていく…。なんと心地の良い事か。』
そんな声が聞こえた気がした。
光がおさまると、今まで白ワニのいた場所には、真っ白なスーツのすらりとした背の高いイケメンが立っていた。
は、話には聞いていたが、ここまでイケメンだったとは…!負けた。
「慎二君!」
若田さんが宇野に抱きつく。
「祥子…!」
それを強く抱き締める宇野。やれやれ、一件落着だ。
「あ、あの…。」
宇野が小声で僕を呼んだ。何だ?
「ん、何ですか、宇野さん?」
「ちょっと、お願いがあるんですけど…。」
*
数日後ー
夜も深まってきた頃、店のドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ…あ、若田さんに宇野さん!」
二人はにっこりと笑って頭を下げた。
「すっかり仲直りされて、こちらとしても嬉しい限りでございます。」
二人をカウンター席に座らせ、僕らはしばらくアルコールを挟んでの雑談をした。
さらに夜がふけ、客も二人以外いなくなった頃。宇野が用を足しに席を発った。
「すっかり話し込んじゃったわね。そろそろおいとましようかしら?」
「祥子さん。」
僕は彼女に声をかけた。
「何ですか?」
「お帰りになる前に、もう一品サービスさせて頂きたいのですが。」
彼女は、アルコールのせいかかすかに潤んだ瞳で笑った。
「あら。湊さんて気が利くのね。」
僕はいいえ、と首を振り、
「僕ではありません、彼ですよ。」
ど、カウンターの奥を指し示した。
「あれ…慎二?」
そこにいたのは、僕らと同じバーテンの制服に身を包んだ宇野だった。
「若田祥子さん、ですね。」
彼はおどけた口調で言い、カウンターへと歩み寄った。
「僕のオリジナル・カクテルをどうぞ。」
そして手に持ったワイングラスを、若田さんの前に置いた。
それを見た若田さんの頬が、みるみるうちに赤くなる。
「こ、これって…!」
ワイングラスに入っていたのは、シンプルな銀のリングだった。
「召し上がって頂けますか?」
宇野の問いに、若田さんは満面の笑みで応えた。
作者狛狼
ストーカー編完結です。今回は怖い要素が全くと言っていいほどないです。それでもいい方向けですね…。次回作はもっとホラー色入れてがんばります!