彼女の名前は若田祥子、23才。市内のケーキショップで働いている。
「このバーの事はどこで?」
「噂話好きの友人から聞きました」
彼女は辺りの目を気にしながらも答えた。
「雪月花っていうバーがあるって…。表向きは普通のバーなんだけど、実は極秘の事件を解決してくれる、探偵をやってるって。」
そう。ここ「Bar・雪月花」は、裏で探偵業を行っているのだ。
「そうでしたか…。それでは、事件の内容をお話しください。ここでは憚られるようでしたら、裏に部屋がございます。」
彼女は頷いて、
「それじゃあお言葉に甘えて、そこでお話しします。」
と、弱々しく言った。事件で弱ってしまっているのだろうか?
「それでは、こちらへどうぞ。」
僕は彼女の先に立って、店の奥に入った。
*
「どうぞ。こちらが『月の間』でございます。」
ここには合計3つの部屋があり、それぞれ雪の間、月の間、花の間と名付けられている。私生活では僕らの部屋だ。ちなみに雪の間がましろの部屋で、月は僕。花はマスターが使っている。
彼女は遠慮がちに部屋に入ると、僕の指し示した座布団に座った。
僕はその向かいに座り、事情説明を促した。
「あなたの身に、どんな事が起きているんです?」
「はい。一言で言うと、最近ストーカーがいるみたいなんです。」
「ほう…?」
なるほど…。人間系の事件か。
「私が職場で働いていると、どこからともなく視線を感じるんです。」
「心当たりは?」
「私の元彼です」
彼女は少し俯いて言った。
「私、先月その彼と別れたんです。原因は性格の不一致っていうか…。彼はまだやり直せる、って言ってたんですけど、私が強引に切ってしまったんです。」
ふうん…。
「それから彼と話はしていないのですか?」
「何度か電話はかかってきましたが…。出てないんです。あと家の電話にも留守電が入っていました。」
留守電か。
「その留守電はまだ残っていますか?」
「はい。一応残しておきました。」
僕は週末に彼女の家に行く事を約束し、彼女を見送った。
*
「こんにちは。Bar・雪月花の者です。」
「お待ちしていました。」
その週の日曜日、僕は約束通り彼女の家を訪ねた。
「問題の留守電というのは…?」
彼女は黙って、玄関に置かれた電話機を指差した。
「聞かせていただいても?」
彼女は頷いた。僕は受話器に耳を当て、留守電ボタンを押した。
「メッセージヲ再生シマス」
機械的な音声が僕の頭の中に響く。
「祥子、俺達まだやり直せるって!もう一度、最初からさ…。」
一件目のメッセージ。よくある内容である。
「頼む、電話に出てくれ!このメッセージを聞いたら連絡をくれ!本当にお前が好きなんだ、頼む…。」
二件目のメッセージ。口調から相当返事を欲しがっている事が分かる。
「祥子ぉ、どうして出てくれないんだよぉ…?お前に会いたくて仕方ない、もうどうにかなりそうだぁ…。」
三件目のメッセージ。この辺りから大分タガが外れてきているのだろうか、妙に間延びした話し方だ。
「祥子、お前のせいだ、お前のせいで俺はこんな姿にいぃぃ…。しょうこぉぉ…ゆるさねえぇ……。」
四件目のメッセージ。こんな姿?意味が分からない。
「しょうこぉ、すきだぁ、すきなんだよぉぉ…!あいしてるうぅぅぅ」
五件目のメッセージ。もう完全に狂っている。メッセージの最後の方などは、唸り声のようになってしまっていて聞き取れない。
これ以降に録音されたメッセージは、その唸り声のような音ばかりで参考にはならなかった。
「昨日も留守電が入っていました。最後に録音されているメッセージがそうです。」
なるほど。ちょっと聞いてみよう。
「ヴぅゥゥおォォぅぅぅ」
その彼氏だかの声なのか?はたまたただのノイズか?仮に彼氏の声として、果たして人間にこんな声が出せるのか?これは人間というより、動物の鳴き声に近い。
「ふむ…。」
「…一体何なんでしょう…?」
頭を抱えた僕に、彼女は心配げに聞く。
「…現段階では何とも言えませんね。もう少し手掛かりがないと。」
「そうですか…。」
俯く彼女の肩を叩いて、
「でも、必ずこの事件の真相は解き明かしてみせますから。Bar・雪月花の名を汚さない為にも、ね。」
僕は彼女に向かって、軽く片目を瞑った。
*
「…という訳なんだよ、マスター!大口叩いちゃったけど、なーんも分かんない!!ど~しよ~!?」
雪月花に帰って、僕はマスターに泣きついていた。
「そんな事言われても…。私は別件で忙しいですから、あまり君の為に時間が取れないのです。」
マスターは困ったような顔をして、僕の頭を撫でた。
「耳と尻尾が出ています。そのまま店に出ないでくださいね。」
「クゥーン。」
マスターに叱られ、犬みたいに耳を垂れて自室に戻る。畳に寝転がって変化を解いた。
「あー、久々の難事件だなぁ!考えただけで疲れちゃったよ。」
しばらく尻尾の毛繕いをしたり、自分で自分の肉球をいじったりしていたら、ある考えが頭に浮かんだ。早速それを実行に移すべく、僕は雪の間に向かった。
「ましろ!いるか?」
声をかけてしばらくすると、眠そうな白狐が出てきた。
「クォン…。」
ましろはひとつあくびをすると、
「なんです、人が折角いい夢見てたのに。」
と、不機嫌そうに言った。
「はは、悪い悪い。ちょっと頼みがあってさ。てか人じゃないだろ。」
僕はおどけて尻尾を振り、ましろの部屋に入った。
まだ来たばかりであるせいか、部屋はとても綺麗だった。
「マスターから聞いてるとは思うけど、ここはただのバーじゃないんだ。」
「ああ、裏で探偵業やってるっていうあれですか。」
そうそう、と僕は頷き、
「僕、今それで事件を1つ抱えてるんだけどさ。探偵デビューする気、ない?」
ましろと組めば、何とかなる。直感的に感じたのだ。
「え、でも周防さんに、君はまだ未熟だから人間の姿をとって普通に働くところから始めなさい、って言われたんですけど。」
戸惑うましろ。そりゃそうだ。僕だって同じ立場だったら同じ反応をするだろう。
「でも、君自身はどうなの?」
「え?」
「探偵、やってみたいと思わないの?」
「…。」
ましろは黙り込んでしまった。
「…湊さん。」
「何だい?」
ましろは僕の目を覗き込んで、言った。
「湊さんは、人間が憎くないんですか?」
「え?」
急な質問に、いささかたじろいだ。
「僕ら妖狐の居場所を奪ったのは人間なんですよ。都合のいい時はお狐様々で、邪魔になれば簡単に壊す…。」
ましろは唇を噛んで続ける。
「いいように利用されて、腹立ちませんか?事件だって、人間の間で起きてる事でしょ。それだったら…」
「ましろ君」
僕は彼の言葉を遮った。
「何ですか?」
「確かに、僕らの居場所を奪ったのは人間だ。それに間違いはない。」
「だったらどうして…」
「最後まで聞くんだ!…それじゃあ、最初に僕らに居場所、社をくれたのは?」
ましろは少し目を逸らした。
「人間…です。」
「そうだ。じゃあ、人間に居場所を取られた僕らを助けてくれたのは?」
「…人間…です…。」
「そうだろ?」
つまりだ、と僕は尻尾をピンと立てた。
「こうやって、お互い助け合いながら生きていく。そう考えないと、やっていけないんじゃないかな?」
本当は僕も、最初は人間が憎かった。ここに飲みに来て、気楽に酔っている人間が憎らしかった。だから人の事言えないんだけど…。
「人間に楽しく生きる邪魔をされたからって、人間が楽しく生きる邪魔をするのはいけないと思う。」
ちょっと照れ臭かった。
「…そうですね。」
ましろは顔を上げた。その瞳は、希望に溢れて輝いて、本当に綺麗だった。
もう、最初に会った頃のような冷たさはなかった。
「湊さん、僕も探偵やります!それで沢山人助けします!」
「よし、その意気だ!」
よーし、黒狐白狐、調査開始だ。
作者狛狼
黒狐白狐シリーズ第二弾です。やっと事件の方に入ってきました。まだまだ未熟なもので、誤字・脱字等あるかもしれませんが、その時は優しく教えて下さると嬉しいです。相変わらず低い文章力ですが、読んでくださると幸いです。