長編8
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BO9

咲耶姫(サクヤヒメ)満開の桜並木をひたすら歩いて行く。

気紛れな一陣の風が長い髪に触れ、ほんのりとした甘い香りを乗せてくる。

地味だった中学生活に別れを告げ、あたしの新しい青春一頁が今始まった。

家から少し遠いけれど、念願の新設校へ進学することができた。

幸い直ぐに気の合う友達もできた。

これからは楽しい高校生活をエンジョイしよう。

朝早く学校に登校すると、1年1組の廊下に学年50位までの入試結果順位表が貼り出されている。

あたしは自分の名前がないか必死に目で追った。

「なっちゃん」

遠くから、あたしの名前を呼ぶ声がして振り向く。

友達の風花(ふうか)だ。

風花が走り寄ってきて、あたしと肩を並べて呟く。

「この1位の子、凄くない?500点満点だなんて」

「う、うん。そうだね」

あたしは相槌を打った。

1位 不知火 駿(しらぬい・しゅん)

どこかで聞いた名前だったが、その時はまだ思い出せなかった。

「そういえば、この子、人と話してるところ見たことないんだけど」

風花が宙を仰ぎながら、あたしに問いかけた。

「優等生なんて皆そういうものよ」

咄嗟に、あたしはそう答えた。

「だよね。ところで、なっちゃん昨日のニュース見た?川から女の子の遺体が見つかったっていうの」

「見てないけど」

「犯人まだ捕まってないんだって。犯人この辺に居るかもしれないから怖いよね。あっ、1限目のチャイム鳴った。じゃあ、またね」

風花とあたしは慌てて教室へ滑り込む。

その日は授業を受け何事なく過ぎ去った。

もうすぐピアノの発表会。

勉強にピアノのレッスン。

ちょっと忙しくなってきた。

最近変に感じることがある。

誰かに後ろから見られている、そんな視線を感じてしまう。

実際後ろを振り返っても誰もいないけれど。

あたしがよく息抜きとして使っている場所がある。

学校の図書室、一角にある『ホラー小説コーナー』

こんな風変わりなコーナーを利用するのは、学校中探してもあたししかいないので、あたし専用の特等席になっている。

いつものように棚から小説を取ろうとした時だ。

床に薄汚れた古い手帳が落ちているのが目に入った。

あたしは、こっそりセーラー服の胸ポケットに手帳を押し込み、家に持ち帰った。

手帳には何が書いてあるのかしら。

興味本位で手帳の中を覗き込む。

最初のページをめくった。

何か異常とも思えるほど、赤鉛筆の赤で一面を埋めつくされた文書だ。

斜め右肩上がりの幼稚で歪(いびつ)な字。

まるで子供が書いた落書きのように……

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ぼくの中に、もう一人のぼくがいます。

BO9(ビー・オー・ナイン)。

ぼくは、そう名付けました。

最初に彼と出会ったのは、ぼくがまだ小学校へ上がる前の子供だった時の事で。

ぼくは家(うち)の縁側に腰掛け、ぼんやり外を眺めていました。

小さなアリの大群がムラサキアゲハを運んで行きます。ムラサキアゲハの羽一枚はもぎ取られ、もう一枚の羽には辛うじて繋がっている胴体が小刻みに震えているのが見てとれました。

ぼくは飽きる事無く恍惚(こうこつ)と、この光景を見つめていました。

静かに流れていたぼくの血潮が波打っているのがわかりました。

「どうだ、美しいだろう?」

彼は、ぼくの耳元で身体中が蕩(とろ)けそうになるくらいの甘美な声で、そう囁いたのです。

それから暫く、彼はぼくの奥に閉じ籠ったまま姿を見せる事がありませんでした。ぼくも気に留める事がありませんでした。

時間がその事を忘れさせ、心の奥深い箪笥(たんす)の引き出しの中にしまい込んでいったのです。

小学校へ上がった頃、よく近所のはるちゃんが家へ遊びに来ました。はるちゃんは二つ年下の女の子です。ぼくの行く場所ならどこでも後からついて来ました。

家のチョット離れた場所に大きな川が流れています。ぼくは川の水に膝まで浸かりながらメダカを獲っていました。

その時いつもついてくるはずのはるちゃんが来ません。

「川へ入っちゃだめなんだよ。ママがいつも言ってたもん」

はるちゃんが川の土手で叫んでいるのが聞こえてきました。

「大丈夫だよ。ほらね、沈まないよ。はるちゃん、こっちへおいでよ」

ぼくの声に誘われて、はるちゃんが恐る恐る近づいてきました。

ぼくのすぐ横まではるちゃんが来た時、両手で掬(すく)った中のメダカを見せてあげました。

はるちゃんは大きな目をさらに見開いて、嬉しそうに見ていました。

その後、彼女の手のひらに移そうとした時でした。

「あっ、お魚が……」

はるちゃんの小さな指の間からメダカが落ちて行きました。

はるちゃんは慌ててメダカを拾おうとしています。

その瞬間、表面がツルツルした丸い石に足をとられてしまって、はるちゃんが川の中に沈んでゆきました。

余りに急な出来事に、ぼくの身体は硬直し身動きできません。

水面(みなも)からは大小たくさんのあぶくが浮かんできます。

漸(ようや)く身体が動いた時、ぼくは川に潜っていました。

川底から『しじょう はる』と平仮名で書かれた、はるちゃんの名札が目に入りました。

ぼくは、はるちゃんの顔を覗きこみました。

はるちゃんの口からは、もうあぶくがでていません。

はるちゃんは大きな目でこっちを見ています。

それがまるで美しいお人形のようでした。

「ほら、美しいだろう?」

BO9……。

ぼくの身体の中にある歯車が「カチッ」と音をたてたのがわかりました。

「悲しくないかい?」

彼は、そう優しく語りかけてきました。

「ううん、悲しくなんかないよ。だって、はるちゃんは直ぐに動きだすんだ。電動仕掛けのオモチャのように身体のどこかスイッチを押せば動くからいいのさ」

ところが、はるちゃんはそれっきり動くことがありませんでした。

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気がつくと、あたしは身を乗り出して手帳の中味を読んでいた。

文章は、そこで終わっている。

ページをめくったが空白が続くばかり。

暫くして、あたしは手を止めた。

また文字が書いてあった。

筆跡が変わっている。

今までの文字とは裏腹に定規であてたような几帳面で綺麗な字だった。

何かに吸い寄せられるように、また続きを読み始めた。

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今のぼくは、まるで蝉の脱殻のようです。

ぼくの本体は、どこか遠いところに行ってしまって今ここには無い様な状態なのです。

BO9……。

彼と出会った充実した日々が忘れられない。

身体中の細胞が躍動するような感覚を取り戻したい。

学校の帰り道、狭い路地を歩いている時でした。

目の前を見知らぬ小さな女の子が近づいてきました。

真っ赤な夕陽を浴びて綺麗な絵画を思わせる光景でした。

丸ごと持ち帰りたい。

内心ぼくは、そう思ったのです。

「お嬢ちゃん、美味しい苺ケーキあげるよ。ちょっと家へ寄って行かない?」

ぼくは女の子に声をかけました。

「いりません。知らない人には、ついて行っちゃだめだと先生が言ってた」

女の子は怪訝(けげん)そうな顔をして足早に、ぼくの目の前を通り過ぎて行きました。

せっかく見つけた『宝物』を失いたくはなかった。

頭の中が真っ白になりました。

次の瞬間、ぼくは女の子の首を締めていました。

女の子は直ぐに動かなくなりました。

「楽しいだろ?」

BO9……。

胸の昂(たか)まりを抑えることができません。

ぼくは生まれきっての殺人鬼なのでしょうか?

生き物が死に直面した時、一瞬魅せる表情に見惚れてしまうのです。

女の子をおんぶして家に持ち帰りました。誰か知らない人が見ても兄妹としか見えないでしょう。それから家へ帰るのが楽しみになりました。

BO9とぼく、女の子の三人でよくお喋りしました。もっとも、女の子は専(もっぱ)ら聞き役専門でしたけれど。

一週間を過ぎた頃、女の子の綺麗な髪の毛は抜け落ち皮膚が剥がれ、強烈な異臭が鼻を突きました。

『宝物』が『ガラクタ』へと変貌した瞬間でした。

ぼくは女の子を川に捨ててきました。

ぼくは、次の『宝物』を見つけました。

それはぼくが遠い昔失ったもの、はるちゃんの面影を持った少女でした。

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手帳の手記(しゅき)は、そこで終わっていた。

次の日、学校へ行った。

学校に到着し、教室へ入る。

自分の机の前に立ち、制服のポケットを弄(まさぐ)る。

「あっ、手帳忘れた」

やばい、うっかり声を出してしまった。

その時、背後から視線を感じ振り返った。

今あたしは音楽室でピアノを弾いている。

一人の男子生徒が入って来て、声をかけてきた。

「やあ、元気かい?」

「あら、あたしに挨拶するなんて珍しいわね、不知火君」

「そうでもないさ」

「あたしに何か、ご用かしら?」

「いや、別に」

「手帳なら、ここには無いわよ」

「いったい、何の事だい?」

「白(しら)を切っても無駄よ。さっき、あたしが“手帳忘れた”って言った時、普段何にも興味を示さないはずのあなたが振り向いたでしょ。だから、あたしはあなたが犯人なんだと確信したわ」

「……」

「それとも、あたしを殺しに来たのかしら?」

「君の行動は把握していたよ。ぼくの唯一の失敗は、手帳を落としたことなんだ。しかし、それも君を殺した後取り戻せば何の問題もないよ。さて、君はどんな表情を見せてくれるのかな?」

不知火の手があたしの首を締めあげた。

「ゴホッ。ビー……」

「ん?」

「オー……」

「最後の断末魔の叫びかい?」

一瞬、不知火の手が緩む。

あたしは、あらん限りの声を振り絞った。

「BO9はもういない、BO9はもういない、BO9はもういない。

BO9は幻なんだ、BO9は幻なんだ、BO9は幻なんだ」

不知火は、あたしの声を聞くや否や大きく項垂(うなだ)れ蹲(うずくま)ってしまった。

あたかも、それは生気を失った腑抜けのように。

あたしの通報によって駆けつけた警官により、不知火は取り押さえられた。

逮捕の決め手となったのは、手帳の内容と不知火のワイシャツに付着した被害者女の子の怨念とも言うべきほんの僅かな唾液だった。

後から聞いた警察官の話によれば、取調べ中ずっと「BO9、BO9」と呟いていたという。

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ピアノ発表会の日が訪れた。

あたしは今『カノン』の軽快なリズムに乗せてピアノを弾いている。

彼は、この先も生涯BO9と向き合ってゆくことでしょう。

はる……、これで良かったのね。

ふと昔を思い出した。

「皆様、パッヘルベル『カノン』を演奏された四条 奈津(しじょう・なつ)さんに温かい拍手をお願い致します」

ピアノの演奏を終えたところで、場内にアナウンスが流れる。

会場の至るところから割れんばかりの拍手が湧き起こった。

ちょうどその時だ。

いったい、いつ入ったのかしら。

今まで居なかったはずなのに。

はると同じくらいの年齢の女の子が拍手している、まだ覚束(おぼつか)ない手つきで懸命に。

まるで時間が止まったようだった。

ああ、はる……。

一筋の涙が頬をつたう。

その時あたしは、こみあげてくる感情を抑えることができなかった。

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不知火くんなんて珍しい名前がピンと来ないっていうのと、身体が蕩けそうな甘美な声を気に留めないあたりが不自然さを感じてしまいました。
次回に期待しています。

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