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やあロビンミッシェルだ。
この話も実話だが現在進行形の少し洒落になってない話だ。
まあ信じるも信じないも読者諸君に委ねるがひとまず聞いて貰いたい…
…
…
あと数分で日付が変わろうかという時刻に翔吾から電話があったのは今からもう三年も前になる。
会社から近いというだけの単純な理由で古い五階建てのマンションに引っ越したばかりだった彼は酷く怯えていた。
「 聞こえる… 泣き声… ロビンにも聞こえんだろ?‥怖えよ… 」
今にも泣き出しそうな声で訴える彼からはいつもの明るさは完全に消えていた。
どれどれと受話器越しに耳を澄ませてみたが何も聞こえて来ない。
だが異常な程にビビっている翔吾が少し心配になった為、夜も遅かったのだが仕方なく彼の部屋へと向かう事にした。
…
…
引っ越しを手伝った時は昼間だったのでなんとも思わなかったのだが、夜改めて見ると街灯が少ないせいかやけに不気味なマンションだった。
チン…
「 えっと、たしか503号室だったかな?」
ベルを押そうとした時、音もなく隣室のドアが開いた。
すると中から身長の低い…150cm無いだろうか? 赤ん坊を抱いた三十代前後の女がフラリと出てきた。
一瞬こちらを見たので軽く会釈をしたが、彼女は無言で手摺りに近寄ると下をジッと覗きだした。
「 ふん、気持ち悪りい女… 」
血が通っていないのではないかと思う程の白い顔に一瞬違和感を感じたのだが、それ以上に気になったのは春だというのに厚手のロングコートを羽織っている事だった。
不審に思いながらもベルを鳴らして翔吾を待つ事にした。
ピンポーーン ♪
横目で女を確認すると、まだ手摺りから階下を覗き込んでいる。
ガチャ!!
虚ろな目でドアの隙間から顔を覗かせた翔吾は、今後ろにいる女と同じくらい真っ白だった。
「 おい翔吾、お前顔色ヤバくねぇか?」
「 おー!やっと来てくれたんかロビン待ってたよ! ささ、早く入ってくれ!」
ドアを閉める時不意に寒気が走り、もう一度後ろを振り返ってみた。
誰もいない…
「 やべっ、飛び降りたか?! 」
焦った俺は慌てて手摺りに駆け寄り下を覗いてみたが、人の姿は無く、見えるのは黒いマンホールと手入れのされていない植え込みだけだった。
「うわー、なんじゃ今の!?もしかして人間じゃなかったんか?」
女の事を翔吾に話すと、引っ張るように俺を部屋へと引き入れた。
「 ヤバい!ヤバい!隣から聞こえる… ほら赤ちゃんの泣き声…! 赤ちゃんだよ赤ちゃん! 何でロビンには聞こえねんだよ!!」
翔吾が五月蝿く喚くので、仕方なく声が聞こえるというその壁に耳を当ててみた… が、やはり俺には何にも聞こえない。
しかし暫くすると…
…ゴ… ゴツン…ゴツン…
何かを壁に打ち付けるような音が微かに聞こえてきた。
そして更に耳を澄ましていると、『ヴヴヴヴヴヴヴヴ 』という呻き声に似た低く押し殺した様な声も聞こえ始めた。
それは壁のすぐ向こう… 薄いベニア板一枚隔てたぐらいの距離から聞こえている様子だった。
「 き、聞こえる… ガキじゃねえけど声がすんぞ!!」
「 だろ? 大家が言うには隣はずっと空室の筈なんだよ!しかもここ鉄筋で壁分厚いからこんな声が聞こえるのはおかしいんだ!」
先ほどの気持ち悪りい女といい、この不気味な唸り声。
「 こいつは調べねぇとな…ひひ… 」
この時俺の好奇心と闘争本能に火が着いてしまった。
隣室のベルを何度も鳴らしてみたが返事はない。
無理やりこじ開けようとしたが鍵が頑丈で開かなかった。
マンションの下にも降りて中庭をくまなく確認したが、やはりあの女の姿は無く、しいて怪しい物といえば先程上からも確認した黒いマンホールの蓋があるだけだった。
その時俺は確信していた。
隣室の504号室は間違いなくお化け物件だと。
嫌がる翔吾を連れて慎重に手すりを伝い、隣室のベランダへと移動した。
窓越しに部屋の中を懐中電灯で照らしてみると、ガラーンとしており確かに人が住んでいる気配は全くない。
ダメ元でドアに手をかけてみるとラッキーにも鍵はかかっておらず中へと入る事が出来た。
埃っぽいその部屋には古い鏡台だけが残されていて、それ以外には家具という家具は見当たらなかった。
とりあえず携帯で写真を三枚程撮った所でそれに気付いた。
壁中にビッシリと貼りつけられた無数の白い紙、紙、紙、
「 わー、お札のプラネタリウムや〜♪♪ 」
場を和まそうと繰り出した俺の渾身のギャグは見事に滑り、翔吾を見ると恐怖でヘナヘナと座りこんでしまっている。
「 フン、情けない奴め…」
よく見ると鏡台にも沢山お札が貼られていた。
「 こいつが怪しいな… 」
俺は何故かこの時閉められた鏡台を開けないといけないという使命感に似た感情が湧いてきて、観音開きのそれを開けてしまった。
『 ぎいいいいいいい 』
錆び付いたような軋む音と共に異様に綺麗な鏡が姿を見せた。
俺の両手は自分の意識を他所にガタガタと震えている。
それが全開に開いた瞬間、右の鏡に映っていた。
赤子を抱えた女。
「 で、出た! 」
振り返って懐中電灯で照らすも何もいない。
しかしもう一度鏡を見ると確かにそこに映っている。
ユラユラと佇む茶色のロングコートを着た女…
鏡越しによくよく見てみると、その女の体の縦半分は壁にめり込んでおり、抱いている赤ん坊もミイラのように干からびた色をしていて、なぜそれが赤ん坊だと思ったのかが不思議なぐらいの只の茶色い塊にしか見えなかった。
『 あっあっあっあっあっ 』
顔は伏せていてよく見えないが、間違い無く女は笑っていた。
女は一頻り笑った後、伏せていた頭をゆっくりと持ち上げだした。
「 や、やめろ! やめてくれ、見たくねぇ! 」
危険信号どころでは無い、この女の顔を見る事に俺の体の細胞全てが拒絶していた。
『 あっあっあっあっあっあっ 』
そして完全に上げきったその白い顔には一切の皮膚は付いておらず、洒落にならない髑髏(シャレコウベ)そのものだった。
「 が、骸骨!ぎゃっほい!」
流石の俺も慌てて鏡を閉じ、翔吾の襟首を引っ掴んで玄関のドアを蹴破り外へと飛び出した。
聞き間違いではない、鏡台の窓を閉める瞬間確かに聞こえた。
女の狂ったような高笑いが…
…
中々上がって来ないエレベーターのボタンに高○名人レベルの連射を浴びせている最中、何を血迷ったのか突然翔吾が俺の手を振り払い、先程のあの部屋へと向かって走り出した。
「 た、助けなきゃ!助けなきゃ!助けなきゃ!」
「 お、おい!待て翔吾! 」
玄関に入った所でようやく追いつき、暴れる翔吾を羽交い締めにしているとガタガタと部屋の中から物凄い音が聞こえてきた。
『 …助けて… 出してぇ… 助けて… 出してぇ… 』
次の瞬間、
shake
『ガターーんっ!!!』
と鏡台の倒れる音がして、部屋の中はシーンと静まり返った。
暫くの沈黙…
『 れた… 』
『 でれた… 』
『 デラレタ…デラレタ…デラレタ…デラレタ…デラレタ…デラレタ…デラレタ…デラレタ…デラレタ… 』
ペタ… ペタ… ズルズル… ペタ… ペタ… ズルズル…
何かを引きづるような乾いた音と足音が、暗い部屋から玄関まで響いて来た。
玄関から射す渡り廊下の微弱な電灯の明かりが、ボンヤリとその部屋を照らしている。
ペタ…ズルズル… ズルズル… ペタ… ペタ… ズルズル…
暗闇から伸びてきた白い手がドア枠を掴んだ。
ミシ…
続いて床に着きそうな程に長いザンバラ髪を揺らしながら、あの二度と見たくない顔がゆっくりと覗いた。
ミシ… ミシ…
今にも前のめりに転んでしまいそうな程に腰を屈めた女は、コートの裾と左手に掴んだモノを廊下に擦らせながら時折顔を持ち上げて此方を確認している。
空洞の様にポッカリと空いた両目。
『 あっあっあっあっあっ 』
…ミシ…ズルズル… ミシ…ズル…
「 く、来るなよ、こっち来んじゃねぇよ!」
左手で引き摺っているモノ…
それはさっきまで大事に抱えていた赤ん坊だった。
『 …あっあっあっ…あかちゃん… あた…しの…あかちゃん… あっあっ… 』
女はそれを持ち上げて、此方に差し出すように近づけてくる。
茶色くなった塊。
それはかろうじて人型をしているが、有るべき筈の頭の部分が欠けていた。
次の瞬間、人型のその塊はボロボロと砕け、女の手からこぼれ落ちていった。
『 …あか…ちゃん… わた…しの…あっあっあっあっあっ… 』
意識が飛びそうな程の恐怖。
日常で起こる筈の無い戦慄。
部屋の奥から『 ドッキリ大成功!!』のプラカードを持った龍が飛び出して来るのではないかという淡い期待。
色々な回想が数秒の短い時間の中でグルグルと頭を駆け巡った。
「 あーーーー!! 」
突然の翔吾の叫び声で俺は我に還った。
「 やべ! にげんぞ!! 」
目の焦点が合っていない翔吾に往復ビンタを浴びせると、ようやく彼も正気を取り戻したので俺達は振り返る事無く必死でその場から逃げ出した。
…
…
なんとか俺の部屋まで辿りつき、暫くして落ち着いてきた俺達は先程撮った携帯の写真を確認してみる事にした。
そこには全く撮った覚えのない物が映っていた。
一枚目は霧がかった赤い鳥居。
二枚目は古い井戸のような穴。
そして三枚目には何故か俺と翔吾を後ろから撮影した写真… あの部屋に侵入し鏡台を開けてしまった瞬間が写っていた。
しかも、俺の後ろで座り込んでいる翔吾の体には肘から上だけの白い無数の手がありとあらゆる場所に纏わりついており、よく見るとその全ての手には『 梵字 』のような物が浮き出していた。
それを見た翔吾は泡を噴いて気を失ってしまった。
…
…
翌日、翔吾を彼の実家へと送り届けたのだが、放心状態というか全く感情がなく魂の抜けてしまったような目をしていた。
もちろん両親に事情を説明したが、あまり信用されていないようで「病院に連れて行く」とだけ言っていた。
それから数日後、翔吾は行方不明になった。
まぁ結果から言うと翔吾は死んじまった。
電車に飛び込んじまったんだ。
遺体は損傷が酷く、もう二度と奴の顔を見る事は出来なかった。
葬式の最中に「 お前のせいだ!」と翔吾の親父からボコボコに殴られたがそんな事は大した事では無かった。
喪服で出来た列の後ろにある葬儀場の窓硝子に、赤子を抱いた茶色いロングコートの女が映っていた事の方が正直言ってキツかったからだ。
だがもしこの女に取り憑かれて殺されたとしてもそれは仕方の無い事だ。
自分の責任、つまらない好奇心が招いた結果だ。
変に関わっちまったのがいけなかったんだ。
俺は取り返しの付かない過ちを犯してしまった。
翔吾、ごめんな…
…
暫く経ってから分かった事だが、マンションの中庭にあったマンホールの下は古い井戸で、中から身元不明の白骨化した骨が二体発見されていたそうだ… 但し、頭の骨を除いてだ。
これは俺の推測だが、頭の骨、頭蓋骨の行方は503号室と504号室の間、壁の中にあるのではないかと思っている。
確信は無いがそう思う… しかしもう関わり合うのは御免なので調べる気は全くないが。
あの女は今も虎視眈々と俺を狙っているだろう…
今日も俺は鏡を見ずに過ごさねばならない。
【了】
作者ロビンM