「夜九時まで学校に残っていると、この世のモノではないモノに会う。」
俺が入学した高校にはそんな話があった。誰かがおもしろ半分で広めた単なる噂話かと思ったが、そうではないようだ。
nextpage
wallpaper:204
俺の名前は滝涼介(たきりょうすけ)。ついさっき高校生になったばかりだ。初めて体験入学に参加したときからこの学校に惚れ込み、受験に向けて懸命に勉強してきた。そして、やっと、入学出来たというのに……。
なんだ、コイツは!!
異様に細長く浅黒い身体をくねらせ、目をギョロリと動かしながら、こちらへ向かってすごい勢いで走ってくる。これが、「この世のモノではないモノ」なのか!?全く、こんな事になるなんて。九時過ぎまで学校探検をしていたのは間違いだった。
俺は掛けていた眼鏡を外してポケットに突っ込むと、ヤツの方に向き直った。右足を前に出し、腰を落とす。いつでも殴りかかれるように構えた。
ヤツが目前まで迫る。
「はぁっ!」
俺は渾身の力でパンチを繰り出した。
ドゴッ!
もう一撃っ!
「何してるの?」
突然、後ろから声が聞こえた。女の子の声だ。俺もヤツも声の聞こえた方を振り返る。
そこには、一人の女生徒。
ヤツは女生徒に向かって突進する。
「危な——」
「えい!」
女生徒が掛け声と共に両手を前に突き出すと、ヤツは急停止し、くるりと向きを変えて走り去った。
俺は、ただ突っ立っていることしか出来なかった。女生徒は、今のは忘れた方が良い、とだけ言うと去って行った。
nextpage
wallpaper:70
翌日。俺はそれとなく昨日の女生徒を探した。いや、探すまでもなかった。俺の隣の席だったのだ。
彼女は田舎者のような風貌だが、特に変わったところはなかった。垂れた目に丸い鼻、輪郭も体つきも丸っこく、モデルのような可愛いさはない。しかし、三つ編みのおさげ髪は手入れが行き届いており、制服の着こなしも清楚、それと小動物のような愛らしさがある。
俺は昼休みになってから彼女に話しかけてみることにした。向こうも昨日の出来事と俺を覚えていたようだ。彼女は小声で話した。
「やっぱ、気になる?昨日のこと。」
俺は頷く。彼女はしばらくの後、こう言った。
「じゃあ、放課後、わたしのうちに来て。わたしの名前は寺岡凛音(てらおかりんね)。よろしくね。」
wallpaper:741
放課後、俺は寺岡さんの家に行くことになった。
「あれ自体はどうでもいいの。ただ、あれがどこから出てきたかが問題なのよ。」
寺岡さんが説明してくれる。
「この学校、なんか、ちがう世界とつながってるみたいなの。ああいうのが出ても追い出してけばいいんだけど、それじゃあ、ほんとの解決にはならないのよ。でも、あれが出てきた穴を消せれば、もう出てこないから。それで、わたしの弟、連れてこようと思って。」
寺岡さんの弟か。俺は、おにぎり頭で目を細めて笑う少年をイメージした。
住宅街の中を歩いてしばらくすると、白い壁の家の前で寺岡さんは止まった。表札には確かに「寺岡」とある。二階建ての家で、玄関フードの中にポスト型の新聞受けがある。珍しくない家だ。不思議な力を持つ姉弟が住んでいるとは想像出来ない。
寺岡さんに促されて中に入る。
さて、いよいよ弟君とご対面だ。彼は中学二年生だが、今日はまだ春休みで学校には行かなかったらしい。
「せっちゃん!ちょっといいー?」
はーいと返事しながら二階から降りてきた人物を見て、俺はぎょっとした。もう、学校のオバケなんて霞んでしまうほど。
中二男子とは思えないほど華奢な身体に、透き通るような白い肌。目鼻立ちははっきりしていて、大きな潤んだ瞳は長いまつ毛に彩られている。加えて長めの艶やかな黒髪。この人物は、本当に隣に立つ少女の弟なのか、いや、そもそも、男か!?これ!?
アホ面を晒して固まった俺に、寺岡さんは弟を紹介してくれた。
「この子が弟の刹那(せつな)。その手のものを封印したり、消しちゃうことも出来るの。せっちゃん、この人、姉ちゃんのクラスメイトで、滝涼介くん。」
刹那君はニヤニヤしている。俺は辛うじて口をきいた。
「て、寺岡さん、弟って、」
「ボク?男だよ。こう見えてもね。ってかさ、寺岡さんじゃ分かりにくいね。姉ちゃんは凛音、ボクは刹那でいいよ。」
nextpage
天地がひっくり返る程の衝撃から立ち直れない俺を尻目に、二人は学校で起こった出来事について話し始めた。
「……というわけで、多分そこに穴が開いてるから、せっちゃん、消せる?」
「余裕っしょ。それよか、どうやって姉ちゃんの学校にボクが入るかが問題だよ。」
二人は沈黙する。俺は発言した。
「こういうのはどうだろう。」
nextpage
作戦はこうだ。まず刹那が俺の制服を着て、凛音と共に学校に入る。俺は学校の裏に廻って待機。九時になるまで上手く先生や用務員をかわし、時間になったら刹那が一階男子トイレの窓を開け、俺はそこから校舎に侵入する。実のところ凛音と刹那だけで十分なのだそうだが、それでも俺を連れて行ってくれた。理由は、俺が既にこの問題に関わり合いを持っていることと、化け物に一発食らわせた腕を見込まれたためだった。
wallpaper:204
九時を過ぎた。予定より少し遅れたが、男子トイレの窓が開けられた。校舎に入る。
夜の校舎というものは、実際、不気味である。静まり返った空間に俺達の足音だけが響く。窓からの僅かな光でなんとか歩くことが出来るが、廊下の奥の方は闇に侵食されている。
俺がヤツに出会った場所まで来た。ここは理科室の前だ。こちらは北側なので、月明かりすら届かない。非常灯の光だけが、この辺りの壁や掲示物、さらには俺達を、病人のように青白く浮かび上がらせた。
その場にじっと佇んでいると、廊下の奥——昨日、ヤツが来た場所から、ただならぬ気配を感じた。モヤモヤした煙のような、且つ、吸い込まれそうなほどしっかりとした力を持った「何か」だ。
二人も感じ取ったようだ。互いに顔を見合わせ、すぐそこにある脅威に立ち向かおうとしている。
……来る!
そう思ったときには、既に「何か」は俺の目の前にいた。
防御の構えをとる。
ズガンッ!!
そいつの攻撃を受け、俺は後方へぶっ飛ばされた。衝撃で眼鏡が外れる。
なんとか起き上がり、体制を整える。
ヤツは執拗に攻撃を仕掛けてくる。昨日のものとは格が違う。遥かに強い。
全てかわし、左足を軸に、右足で思いっきり蹴り上げる。
命中!
ヤツがよろける。そこに凛音が、ガラスの膜のような結界を張った。
ヤツが結界の中で暴れ、膜がしなる。その度、凛音は苦しそうに顔を歪め、懸命に耐えている。
このままでは凛音は……早く仕留めなければ!
突如、刹那が
「はあ!」
と叫び、辺りに鋭い光が走る。
閃光はヤツの体を貫き、
バシン……
消滅させた。
nextpage
化け物は退治したが、禍々しい気配は消えなかった。やはり、異世界に繋がる穴とやらを消さなければ、この不愉快な空気は変わらないらしい。
化け物が来た方へ歩みを進める。一歩踏み出すごとに、空気が重くのしかかって来る。鉛のような空気の塊が俺達を拒む一方、うかうかしていると引きずり込まれるような錯覚を覚える。凛音が結界で軽減させなければ進めないところだ。
段々と重力が増していく。ようやく異世界との境目まで到達した頃には、俺達は既に疲弊していた。
だが、少しでも早く境目を発見出来て良かった。でなければ、さっきの化け物を上回る強敵を相手にせねばならないところだった。
狭い隙間をこじ開けるように触手状の腕を這わせ、どす黒い体表には複数の目玉がブツブツと泡立っている。気持ち悪く、どこか間の抜けたような見かけだ。だが、一目見ただけでも、かなりの力を持っていることが分かる。それほどまでに禍々しい気を放っていた。
まず、俺がコイツを向こうの世界へ無理矢理に押し込めた。まだ完全に出て来てはいなかったので、容易なことだった。
凛音が穴の周囲に結界を張り、刹那が全力で爆破する。
不快な気配は消え去り、この周辺には清浄な静けさが戻った。
寺岡姉弟によって、見事、事件は解決したのだった。
ところが……。
nextpage
wallpaper:737
翌日の放課後。また話があるとかで、再び寺岡家へ。二階の刹那の部屋に連れ込まれると、俺は二人から尋問を受けた。
「昨日といい、一昨日といい、どうしてアレを殴れるの?」
「滝センパイ、普通じゃないっしょ。」
「滝くん、ひょっとして、」
「センパイ、まさか、」
二人の猛攻は凄まじかった。昨日の化け物など比べものにならない。
「ああ、そうさ。」
どうにでもなれ。
「俺は人間ではない。」
nextpage
こうして俺は寺岡姉弟と出会い、憧れだった人間としての平穏な生活は泡と消えた。
作者隅漣
初投稿です。
お見苦しい点も数多くございますが、最後まで見てくれた方にお礼を申し上げます。
あと、背景画像を使わせていただいたので、それに対するお礼とお断りを。作者さん、ありがとうございます。勝手に使ってしまい、すみません。