それは小学4年生の頃、父が例のごとく出張で出払っていた晩のことです。
深夜、階下からなにやら聞きなれない音に気付いて目が覚めました。
柱時計は午前2時を指していたと思います。ジュージュー、と何かが煮詰められているような音でした。
私は「ダイエット中の母さんが何か炒めてるんだな」と、覗き見するつもりで足音を殺しながら階段を下りて行きました。
母はよくこんな夜中に食事をとっていることがあって、妹とよく「フライパンの音がするよ」とからかっていたのです。
しかし、本当に調理している音を聞いたのはこの時が初めてでした。
階段を降りてすぐ右が台所なので、手すりにつかまって少しだけ顔を覗かせると、奥にたたずんでいたのはやっぱり母でした。
明かりもつけずにフライパンを動かすので、時折コンロの青が母の顔を不気味に浮き上がらせます。不思議とにおいはしませんでした。
私は一寸ぞっとしました。暗がりで調理するなんて、そんなに見られたくない料理って一体なんだろう。
その時、タクシーか何かが近くを通ったらしく、エンジン音と共に強烈なハロゲンライトの光が窓から差し込んで、台所を照らし出しました。
それは一瞬のことでしたが、母の化粧っ気のない顔からフライパンの中身まで、台所の隅々がはっきりと見えました。
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私は、えづくのをこらえなければなりませんでした。
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「それ」は、母が今まで作ったどんな料理にも似ていませんでした。
細長くつやのない「それ」は、見つめれば見つめるほど食欲とは正反対の感情しかこみあげないのです。『白髪』としかたとえようのない外見でした。
泡を立てる茶色い液体の中で、染まりもせずただゆらゆらうごめく『白髪』を、母は真顔で煮詰めています。
左手には必要ないだろうに包丁が、手の甲に青筋が浮くほど固く握られています。
そして一番私が嫌悪感を覚えたのは、どう考えても料理に必要ないはずの脱臭スプレーでした。
母は時折スプレーをつかんでは、周囲にぷしっ、ぷしっと噴射します。
鼻の奥から脳の裏側まで刺すような臭さがわずかに上がったのを感じました。
もうそこまででした。私は呼吸することも忘れて、足音を殺せるぎりぎりの速さで階段を駆け上がると、自室のドアを閉め切って何度も深呼吸し、それから頭まで布団をかぶってさっき見たことを必死に忘れようとしました。
とにかく、気持ち悪くて気色悪くて仕方がありませんでした。父の出張中、母が毎晩こんなことをやっているなんて考えたくもなかった。妹にさえこんなこと、冗談交じりでも話せるはずがありません。
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そのときです。私はふと、幼いころの不気味な思い出が脳裏に浮かんでしまったのです。それは今一番思い出したくなかった光景でした。夢だったのだと言い聞かせていた記憶でした。とうとうこらえきれず、私は布団の中で激しくおう吐してしまいました。
それは、やはり父が出張しているときのことで、今でも夢だと信じたいのですが、母はまだ6か月だった妹に「おいしいから食べようね」と言ってひたすら白く長いものを食べさせていたのです。
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あれから月日がたち、私の母も一昨年亡くなりました。母が何を作っていたのか、本当に妹はあれを食べさせられていたのか、とうとう確認する機会は無くなりました。その方がいいのかもしれません。父は軽度の認知症で老人ホームと自宅を行ったり来たりしています。
ただ、時折気になるのが、たまに「怖い思いさせただろう・・・ああいう人だから・・・すまんなあ」と言うような独り言を、父が繰り返すことです。あまり深く考えないことにしています。
作者Toru Matsuoka
母が同級生の方から聞いた話です。歩いてすぐご近所の方と知った時は「こんな身近にも怪談の種は転がっているのだなあ」と妙な関心を覚えました。ちなみにその当時住んでいた家は現在ショッピングモールになっているとか(笑)