sound:21
この物語は事実であり、登場する人物や団体は全て実在のものです。
まさか…
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music:1
1984年 6月3日 午後5時30分
「お〜い、そろそろ時間だぞ!今日はもう終おうや!」
男の声が倉庫に響き渡る。
ここはケンタッキー州ルイビルにある製薬会社ユニーダ。
製薬会社とは言っても小さな会社で、従業員はたったの3人しかいない。うち1人は先週入ったばかりの新人。
「バート、今日は先にアガってくれ、俺はまだ新人に教える事があるんでな」
しゃがれた声で話す小太りの男はフランク。創業当時から会社に勤めるベテラン社員だ。
「そうか、なら先に帰るが戸締りは忘れるなよ」
社長を務めるバートは真面目な性格で、遅刻や仕事のミスにうるさい男。進んで残業しようという人間にさえ容赦無く注意を促す。
「分かってるよ。俺はこの20年1度だって忘れた事はないさ」
慣れたものだ。バートの容赦無い言葉も、フランクには日常なのだろう。
「任せた、じゃあまた来週」
そう言い残し、帰りかけたバートがクルッと踵を返す。
「そうだ、明日は建国記念日だ!フランク!お前の家で恒例のBBQだよな?」
「来れないのか?」
「断られても行くさ!明日は何があっても責任取らんぞ!」
「嫁も楽しみにしてるよ、また明日!」
今度こそ帰るかと思われたバートが新人の肩を叩いた。
「おいフレディ、俺がいないからって変なモノに俺の名前を付けるなよ」
先週入ったばかりの新人フレディは若い。バートとフランクの半分ほどの年齢だろうか…
今時の若者らしい恰好をしているが、中身は大人しい内気な青年だ。
「そ、そんなこと…」
「冗談だよ、冗談!もっと肩の力を抜け!ハハハッ!」
とフレディの肩を勢いよく叩くとバートは帰って行った。
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「面白い男だろ?あれで小うるさい性格じゃなけりゃ最高さ」
フランクが肩を竦めながら言うとフレディは苦笑いを返した。叩かれた肩が赤い。
「よし、それじゃ時間もないし倉庫を案内しながら仕事の説明だ」
フランクはホルマリン漬けにされた目玉や内臓の並ぶ棚を歩きながら説明を始めた。
ユニーダ製薬会社は、病院で使用する薬品や劇薬などを扱う製薬会社とは違い、取り扱う製品は大学病院や学校などで使用する骨格標本や解剖用のサンプルがメインだ。
なので倉庫内は見たこともないような気味の悪いモノがズラリと並んでいる。
「これなんかどうだ?半割りの犬の剥製だ。大学病院からの注文が多いが、普段の生活じゃまずお目にかかれんぞ」
そう言い指差した棚の上には、真っ二つにされた犬の剥製が木の台座に固定されていた。どうやって保存されているのだろう。内臓はキレイに両断されながらも新鮮さを失っていないように見える。
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「次は最も注文の多い、骨格標本の梱包を教えるぞ」
フランクは1枚の伝票を持ってくると説明を始めた。性別と書かれた欄にはアルファベットが1つだけ書いてある。
「Mってmanの事?それじゃあFは…」
「半分正解だが、少し違うな。MはMale=男、FはFemale=女だ」
なるほどと思い伝票を見ると、性別の後ろにPTの文字。
「ねぇ、フランク。PTって何だい?」
「ふむ、これはPerfect Teeth=完璧な歯って意味だ。骨格標本は口を閉じれん。歯が命なんだよ」
確かに歯が欠けた骨格標本は見栄えが悪い。完璧な歯を持つ骨格標本は人気が高いのだろう。そして価格も…。
しかしここで取り扱う骨格標本はレプリカではなく、本物の人体骨格だ。完璧な歯をしたまま死ぬ人間がどれだけいるのだろう。
どこかの国では完璧な歯の死体を作る工場でもあるのだろうか?そんなバカな事を考えてしまうほどPTな骨格標本は大量に仕入れられている。
「フレディ、ぼけっとしてないで箱に詰めるぞ!ほら、お前は彼女の足を持つんだ。嫁入り前の大事な身体だから慎重にな」
この標本は女だったのか。骨だけになれば美人もブスもない。それどころか性別だって分からない。俺もいつかはこんな姿になるのか…人も動物も入り混じった死体だらけの倉庫内の残業は気が滅入ると見えて、普段は考えもしない事が頭を過る。
それを掻き消すように緩衝材を上から流し込み、女の骨を完全に隠した。
「よ〜し、バッチリだ。なかなか物覚えがイイな。これならすぐに幹部入りだ!」
ガハハと豪快に笑うこのオヤジには、そういうナイーブさは備わっていないらしいが…いや、彼も仕事を始めた当初は同じだったかも知れない。長い時間の中で徐々に失っていったのだろう。
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「最後にお前を紹介しておきたい人がいるんでな。付いて来い」
フランクはニヤリと笑うと歩き始めた。
おかしい…この会社には社長のバートに、前を歩くフランク、そして俺の3人しかいないはずだ。それにフランクのあの顔…いつもニヤニヤした男だが今回はヤケに意味深な顔…なんだか嫌な予感がする。
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フランクの足が止まった。それはこの会社の中でも一際厚い扉の前だった。開閉用のハンドルに掛けられたダイヤル式の錠前から厳重さが伝わる。この扉の奥には何があるというのだろう…。
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フランクが錠前のロックを外し重い扉を引いた。冷たい空気がフレディの肌を通り抜ける。どうやらここは冷凍庫らしい。
「早く入れ!冷気が漏れちまう!」
急かされて庫内に入ると、中は精肉工場のような作りになっていた。高い天井からは2本のフックを向かい合わせた見慣れない形状の器具が何本もぶら下がっている。
何を吊るす為にあんな形状をしているのだろう?並ぶフックを目で追うと、その先に答えがあった。
「ちゃんと挨拶しろよ」
フランクの声はフレディの耳には届かなかった。
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sound:19
ビニールが被せられてはいるが、はっきりと分かる…人間の死体だ。
向かい合わせた2本のフックが両耳に掛けられ、天井から吊るされているソレは紛れもなく男の死体。
髪の毛など全身の体毛が無いこと以外は目立った外傷もなく、まるで眠っているかのように見える。
つい数日前までは自分たちと同じように普通の生活を送っていたのかも知れない。そんな人間が今はここで半割りの犬や昆虫の標本と同じように、製品としてフックで吊るされている。
骨格標本では感じられなかった、リアルな死が目の前に…。
庫内の寒さのせいではない言いようのない寒気がフレディを襲った。シンプルすぎるほどリアルな死を、受け入れるだけの器量なんて若いフレディは持ち合わせていなかった。
「い、いつも1人だけなの?」
何体もストックされた状態で、この庫内の作業は嫌だ。振り絞った精一杯だった。
「まぁ、多くて2体か。コイツは骨格標本とは違って鮮度が命だからな!ハハハッ!」
またもフランクの冗談はフレディの耳には届かなかった…。
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music:1
倉庫内の説明をひと通り終え事務所に戻ると、フランクは伝票の処理に取り掛かる。
まだ作業を覚えていないフレディには退屈な時間が流れる。欧米人は残業をしない。なんて誰が言い始めたんだろう…時計の針は午後6時半を回っていた。
「ねぇ、フランク」
退屈の限界。このままデスクに座りっぱなしなんて気が滅入る。何か刺激が欲しい。
「フランクはここでずっと働いてるんだろ?この気味の悪いモノに囲まれてさ」
短い返事はあったがフランクの手は作業を止めようとはしない。
「じゃあさ、フランクが見た今までで1番気味悪いモノって何?」
ピタッと手が止まる。フランクはフレディを見つめるとニヤリと笑い話し始めた。
「実は、とっておきの恐ろしいモノを見たよ」
小さな声だった。もう会社には俺たち2人しか残っていないのに、何か重大な隠し事でも語るかのように低いトーンでフランクは続ける。
「ナイト・オブ・ザ・リビングデッドって映画は観たか?」
去年の事だったか…仲良しグループと暇つぶしに観に行ったホラー映画だ。
「あの死人が蘇って人を食べるってヤツかい?」
フランクはコクリと頷くと意味深な笑みを浮かべると、一段と低いトーンで
「あの映画は実話なんだよ」
フレディは笑ってしまった。だって馬鹿馬鹿しすぎる。蘇った死人が生きた人間も食い世界を支配する。それが事実ならニュースになってアメリカ中が、いや世界中がパニックになる。
しかし、フランクは真面目な顔で自分の胸に手を当てると、神に誓って真実だ。
と話を続けた。
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music:3
「これはもう十数年も前の話さ…」
当時、アメリカ軍は新しい兵器の開発に夢中だった。ダロウ製薬と協力し様々な科学兵器、生物兵器が作られた。その中の1つ「トライオキシン245」と名付けられた薬品の実験中に事件は起きる。もともとは麻薬に似た成分でそのガスを吸引すると神経が麻痺する類のものだったらしいが、薬品の一部が軍の死体安置所に流れ込むと、ガスを浴びた死体が跳ねたのだという。
なんとかその場は収めたものの、口の軽い兵士の1人から映画関係者に話が漏れた。こんな美味しいネタを映画にしない手はない。早速映画は作られたが、それに勘付いた軍は配給会社に圧力をかけた。事実通り映画を流せば告発する。内容の一部を変更し、全てはフィクションとして告知するように。と…。話のリアリティに思わず唾を飲み込んだ。そんな…バカな話あるワケが…
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sound:32
ジリリリリリリリンッ!!
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突然の電話の音にビクついて机のものを散乱させるフレディを横目に、フランクは受話器を上げる。
「はい、ユニーダ製薬です。あぁ、君か。もうすぐ帰るよ。ご飯を温めておいてくれ。あぁ、じゃあな。愛してるよ」
どうやらフランクの奥さんらしい人からの電話だった。毎日こんなやり取りをしているのだろうか?いい歳なのに愛妻家なんだな。そんな事を考えているうちに、話に引き込まれた頭は冷静さを取り戻す。
そしてフレディに1つの疑問が浮かぶ。
「ちょっと待てよ。何でアメリカ軍でもダロウ製薬の関係者でもないフランクが、そんな事を知ってるんだ?」
問い詰めフレディに対してフランクは全く怯まず、話を続けた。
「それが軍のヘマなところさ…」
再開発のためダロウ製薬に送り返されるはずだった「トライオキシン245」だったが、その中の一便だけが手違いで、このユニーダ製薬に送られてきた。
そんな馬鹿な…と言い掛けた所でフランクが口を開いた。
「見たいか?」
「ほんとに?」
ニヤリと笑い頷くと、フランクは下を指差した。地下だ。
自分の知らない世界への好奇心を若者は抑えることができない。
勢いよく立ち上がると地下室へ向かった。
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「三段目が腐ってるから気をつけろ」
あまり使われていない場所なのだろうか。古い木造の階段を降りると、ジメッとした独特の雰囲気がからだにまとわりつく。
ついさっきまで元気だったはずのフレディの勢いは、この地下の湿気と暗さに吸い込まれてしまった。
小さな電球をつけるとフランクは地下室の隅を指差した。
「アレだよ…」
よく見ると何かがある。黒…いや、濃い緑色だろうか?錆と埃によって色の識別も難しくなったソレは、大きな金属性のタルのようだった。
近づいてみるとタルの横にはこう書かれている。
(緊急時はここへ連絡◯◯◯ー△△△ー◯◯◯アメリカ陸軍)
どうやら本当に軍のモノらしい。
キィキィキィ…耳触りな音を立てながらフランクがタルの蓋らしき部分にあるバルブを回すと、重い音を立てて蓋が開いた。
恐る恐る覗き込むと、蓋の下はもう一枚ガラスの蓋がされており中は真っ暗で見えない。
するとフランクが洗浄スプレーをガラスに吹き付け、近くにあったタオルでガラスの面を磨き終えるとライトでタルの中を照らした。
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「なんだこりゃ!ひでぇ!!」
中には半分ミイラ化した死体が入っていた。薬品の影響によるものか、経年によるものか、体は薄黒く変色し体毛はほとんど残っておらず、逆に完璧なまでに残された歯だけが白く異様な光を放っている。
「これが動いてたの?」
「と、いう話だ」
今は目をつぶり眠ったようにタルに収まるこの死体が急に動き出し、人の肉を求め歩き回る姿を想像すると、無防備にも目の前に立っている自分に不安を感じた。
「これ、壊れて中身が漏れたりしないよね?」
フランクは目を見開くと
「軍が作った特別製だぞ!そんな心配いらんさ」
ガハハと笑い、豪快にタルの横っ腹を叩いた。その時だった。
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music:6
ブシューーーーーッ!!
フランクの叩いたタルの横っ腹に穴が空き、中からガスが勢いよく噴き出す。
逃げる余裕など無かった。噴き出したガスを吸った2人は、あっという間に体の自由を奪う。これが軍の作り出した兵器。目を開けるどころか、まともに呼吸もできない。なんだか頭も溶けるようだ…誰か助けて…ティナ…迎えに…ダメだ…もう何も…考え…られな…い…
意識を失う2人を横目に、タルから漏れ出したガスは無情にも階段を登り、排気口を伝い会社中へと拡がっていった。
作者魔ゐんど-2
古い古いホラー映画です。大好きな作品なので自分なりに活字に起こしたい。そんな夢を細々と叶えております。本編と違った言い回しや、場面の移り方がありますが、こういう解釈も有りかもと思って楽しんで頂けたら幸いです。