中編7
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禁断のイタズラ

俺の人生は……と振り返ってみると。

これと言って特質の無い事に改めて気づく。

それなりの両親のもとに生まれ、

何不自由なくというのはさすがに嘘になるが

その年代なの子供ならだれでも持ちうるであろう

悩みや不安、希望や悦びでもって彩られる俺の子供時代は

幸せだったと思う。

特に人生の試練などというものを経験することなく

大学まで卒業し就職、それなりの企業に入社すると

そこ底が何となく人生のいくつかあるゴールの一つ

いや、休憩所の一つのように感じた

せっかくなのでマラソンに例えるなら

今までの部分は前半部分でしかない

これからもこなさなくてはならない人生の課題はいくつも存在する

それをなんとなく唯々長い、永延とつづく一本道の様に俺は感じていた

こう振り返ると

何となく人生に飽きたというか

あまりに平凡な人生に刺激を求めているように

感じる人もいるかもしれないが

実際そうではない

人生、生きているだけで

それなりの刺激は受けて生きるものだ

初めて小学校に上がる時の不安

初めて後輩・先輩という立場が明確する中学での部活動

恋愛はもうそれ自体が刺激的なものの代名詞だ

進路で悩まない人はほぼいないだろうし

何らかの入試・試験を受けた人ならその合否に関わらず興奮を味わった筈だ

特質の無い人生=刺激的でないつまらない人生

とは限らない、

普通の人生……それもそれなり豊かなものの筈だ

結婚した時もそうだ

大学時代から付き合っていた彼女とけじめをつけた

自分や相手の親に挨拶したり

結婚式や新婚旅行やら刺激的なことに溢れている

そしてそれはそれをした事をある者にとっては

そうあるべき、至ってよくある平凡な出来事なのかもしれないが

それでも人生を彩るに足る十分な出来事であった

俺には一つだけ生きて行く上で矜持があった

嬉しい事、辛い事どっちもこの先待ち構えているだろうが

出来るだけ楽しく生きる事……生きようとする事

楽しく生きるためには少なくとも楽しく生きようとする意志が無くてはならない

俺は自分だけでなく、彼女もそう生きれるよう全力を尽くすと誓った

やがて、俺には初めての扶養家族が1人増え

更にそれを機に妻が仕事を辞めたのでさらにもう一人増えた

プレッシャーとは感じない

いたって普通で平凡だ、だが楽しい

楽しもうと意識しているからだし、実に楽しい

そんな生活が数年続いたある日

それは突然訪れた

俺は急に胸痛に襲われ意識を失った

気づくと俺は集中治療室に居た

幸いなことにあの時それに気付いた妻が

素早く対応し一命を取り留めたらしい

医者によると俺の心臓は何らかの疾患を抱えており

通常の人の10%ぐらいしか機能しなくなってるのだという

原因は不明だという

長い闘病生活が始まった

俺は人生を楽しもうとする事

つまり希望だけは絶対に捨てなかった

備えというものはしておくもので

俺は社会保健、厚生年金、保険会社にも加入していたので

経済的な面での苦労は当分回避できていた

しかし治療は遅々として進まなかった

検査に次ぐ検査

俺の年齢を加味すると動脈硬化による通常の心筋梗塞等

というのは考えにくく

またそうでない事は検査結果からも明らかであった

原因の特定が難しい心臓疾患

俺ぐらいの年齢で心臓にトラブルを抱える人の中には

結構ある事らしい

入院して数か月たったころ、娘が幼稚園を卒園した

そしてその次の月には、小学校へ入学した

俺はどちらの式にも参加することが出来なかった

妻と娘が見舞いに来てくれたときに

その時の様子を録画したビデオを見せてくれた

当然それを見れたことは嬉しく

もう少しで涙を見せるところだった

すっかり細った腕で娘を抱き寄せ頭をなでながら

「どんどん、お姉さんになるな」

声をかけた

その時の妻の顔が一瞬曇ったように見えた

そういえば全体的な印象から大分やつれた様にも感じる

今はそれほど困ってないだろうが

今後、養育費はますます多くなるだろうし

俺の世話や日々の生活も父親がいないと言うだけで

かなりの無理を強いているはずだ

ましてや、俺の病状はまだどうなるか分らない

何とか悪化はしていないが、未だ根本的な原因は分らない

次発作が起きたらその時はもう諦めなくてはならないかもしれない

妻は今、毎日を楽しんで生きているのだろうか?

俺は彼女に誓ったことを全うできているだろうか?

今から数か月前、吉報が一つあった

ついに病気の原因が判ったのだ

今まで空欄だった俺の病名に難しい名前が着いた

その時はまだ詳しく聞いてなかったが

内科的な治療により心臓が回復することもあり得るとの事

医者からは家族にも説明したいというので

次に妻が見舞いに来るときに詳しい説明を聞くことになった

病理の根源が判明したという事もあり

俺はずいぶん気楽な気持ちになった

その余裕があの悪趣味な発想を俺にもたらせた

少々言い訳をさせてもらえれば

おそらくここ数か月、心から笑ってないであろう妻を

少しでも笑わせようとして考えたことであることは

間違いないと言い切れる

方法が非常に悪かったことは反省すべき点であるが

その方法がもたらした結果については誰が悪いというわけではない

呼吸補助器というものが有る

心機能の低下によってもたらされる心不全

その治療に役に立つ医療器具だ

酸素マスクのような形をしているが

似て非なるものだ

心臓に出来るだけ負担をかけないように

呼吸のリズムや量を補助するものだ

夜寝るときになどに装着すると効果があるとされている

妻が見舞いに来るちょっと前に

俺は特に理由もなくその呼吸補助器を付けた

理由はその方が重傷に見えるからだ

寝るときに使用するためにそれは常にベッド脇に置かれている

そして目をつむり静かにベッド上に横なった

やがて時間になり、妻が病室にやってきた

妻には病理の原因が判明した事については何も言っていない

ただ医者から話があるとしか言っていない

俺は物音に気づきゆっくりと目を開ける

そして妻の姿を認めると

震えながら力なく手を上げようとした

妻もその手を握ろうと手を出したその瞬間

「……!!」

俺は声にならない悲鳴を上げ

胸のあたりを掻き毟った

内臓の病気をした人なら分るだろう

内臓の痛みというのはどうしようもない

何せ幹部に手が届かないので痛みの紛らわしようがないのだ

ただ体の表面を掻き毟るしかない

俺は苦悶の表情を浮かべ

呼吸もままならない

そんなふりをした

そう、かなり悪趣味なドッキリである

気を付ける点が一つあった

ナースコールだ

これで看護師を呼ばれてしまったら大変なことになる

妻よりも先に確保しなくてはならない

準備は万端だ

それは妻よりも俺の方がより近い位置に置いてある

俺がそれを握りしめながら苦しむため

ナースコールを押そうにも押せない

妻は困り果て助けを求めるため

病室の外へ行こうとする

正にその時がネタばらしの瞬間である

これが俺の思い描いたストーリーだった

とにかく俺は力なくそのナースコールの確保行うべく

手を伸ばした

しかし、思った以上に妻の反応は早かった

俺の手がナースコールのコードにかかるよりも前に

ひったくるようにそれを妻は拾い上げた

そして次の瞬間俺は凍りついた

妻は何もしなかったのだ

特に慌てる風もなく

苦しむふりをする俺を無表情に見下ろしている

それはまるで何かを待っているかのようだ

なにを……?

俺はそのシチュエーションに我慢できなくなり

ナースコールのコードを無理やり引っ張った

恐らくその力強さは妻の想像を超えていたのだろう

ナースコールは妻の手をすり抜け俺の元に来た

すかさずボタンを押すと俺は気を失うふりをした

やがて看護師が慌てて部屋にやって来た

「旦那が……旦那が……!!」

そう泣き叫ぶ妻の声が聞こえる

やがて医者がやってきて

心電図を見たり点滴の調整を行ったりしたが

俺にとっては他人事だった

どうせ狂言なのだから何もわかることなどない筈だ

こうして俺のドッキリは一部の病院関係者を驚かして終わった

それから数か月後

現在に至るわけだが

病理が分ってからは目を見張るほどの速さで俺は回復し

もちろんそれは健常者とは比べるまでもないほどではないのだが

通常の日常生活が送れるれるほどに回復した

明日退院である

結局あの時妻が何を考えていたかは知る由もない

先の見えない俺の看病をし続けるぐらいなら

とっとと死んでもらって保険金を貰った方が幾分ましだ

解りやすく言うとそう考えたんだろうか?

あれ以後も妻は至って普通である

俺もあの時の事は記憶になかったことにしている

そうこうしていく内にそれは記憶から薄れ

思い出すことも無くなるだろう

それでいいと俺は思っている

何故ならその方が楽しいからだ

楽しみたいのなら楽しみたいと意識する事が重要なのだ

やっと念願の家庭に戻れる

当然今まで通りという訳にはいかないだろう

生活や働くという事にそれなりの制限はつくだろう

しかし、やっとこれで家族の役に立てるようになるのだ

よし!明日からまた頑張ろう!!

Concrete
コメント怖い
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ネタバレ注意
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これは、なかなか...切ない...
いたたまれないっす。

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「楽しく生きる」という自分の信念を壊さない為の自己防衛ですね。その信念に縛られてこれからも生きるのは辛そうです

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全てを忘れて楽しく生きる……、
例え現実に起こった事で有っても、
当事者たちが忘れてしまえば無かったも同じ、
一つの真理なのかもしれませんね。

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