その店は廃ビルが立ち並ぶエリアにあった
なにせ違法営業だろうから勿論看板など立ってるわけない
不要な人には分らない様に、必要な人がやっと見つけれるぐらいで丁度どいいのだろう
私はその店があるという廃ビルに入った
店は電話で店主に聞いた通りのフロアにあった
私は店主らしき50代半ばぐらいの男にそのフロアの一室に通された
応接室……と言うにはあまりにも汚く埃だらけである
「で、お嬢ちゃんはどうして欲しいんだい?」
「電話でも言ったでしょ、全身ハードロイド化して」
「何故大手のクリニックに行かないんだい?」
「行ったら断られたから」
「何故?」
「保険証、戸籍抄本、住民票その他ありとあらゆる身分証が無いから」
「うちはそういうお客さんも珍しくないよ」
「知ってるわだから来たんじゃない。ねぇ、これって私が私であることを証明できないって事?」
「違うな、社会が君の存在を認めてないって事だよ」
「ふ~ん、どうでもいいけど処置してくれるんでしょ?」
「ああ、するよ。するけどどうしてそれら用意できなかった背景を聞かせてくれ」
「お金じゃ解決できない?」
「お金の問題じゃない、この間も同業者がそれと知らずに広域暴力団の構成員を処置したら、その本人に殺されちまった」
「話してもいいけど、長くなるわよ」
「いいよ、命には変えられない」
◇◇ 追憶2(3歳) ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
物心ついた時には、私は山奥の森の中で父親との二人暮らしをしていた
「ねぇ、パパ」
「どうした?那由多」
那由多……それが私につけられた固有名詞、他人とを識別する記号
「どうして、うちにはママが居ないの?」
「……ママはね、那由多が生まれてすぐ死んじゃったからだよ」
「死ぬってどういう事?」
「個体が自発的かつ連続的で微分可能な変化を止めることだよ」
「……??」
「写真ならあるよ、見たいかい?」
幼い日の私は、父のその言葉をどのように理解をして受け取ったのかは忘れてしまったけど、その写真に写る母の姿が美しかったのは記憶に残った
生活に必要なライフラインは山奥にありながらすべて揃っており、電気、ガス、上下水道、電話、ネット回線全て使える上に律儀に月一で支払伝票が届く
それ以外に必要な生活必需品はが有れば、父がネットから最寄りのスーパーに注文し、早ければ当日、遅くとも翌日までには宅配業者が届けに来てくれる
不便な場所を無理矢理に便利にして生活しているようだった
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ほぉ、そりゃ中々に特殊な環境だね」
店主は少し感心したような顔をした
「ええ、そうかもね。でも少なくともその当時、私は特殊とは思わなかった」
「幼かったから?」
「いえ、比較対象が無かったから」
「なるほど、でも分らないな。なんでそんな生活をしたのか?そしてとどうして維持出来たか?」
◇◇ 追憶3(8歳) ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ねぇ、パパ」
「どうした?那由多」
宅配業者が帰った後、届けられた品を片づけようとする父に話しかけた
「あの人はどっから来るの?」
「山を下りたところにある街から来るんだよ」
「街って何?」
「人々がそれぞれ得意な分野もって、人がやるべきことを代わりにやってあげることで、お互いに助け合って生きて行く人たちが集まって生活するところだよ」
「なんで自分で全部やらないの?」
「人は生きるためにやらなきゃいけない事が多すぎるんだ、だから自分の得意分野で人の面倒見る代わりに自分の面倒を見てもらうんだ、めんどくさい事、手間のかかる事は全てそれらが得意な人に押し付けるんだ。そうでないとあっという間におばぁちゃんになっちゃうよ」
「じゃぁなんで私たちはそこから離れて暮らしているの?」
「それはね、お父さんが得意な分野は、お父さんを含めて少しの人にしかできないからだよ。それは貴重かつ優秀な人材って事なんだ、優秀な人は多少無理を言っても生きて行けるんだよ」
父はこの時、街というよりは人間社会の縮図を説明したかったのかもしれない
もっとも私は「なぜこの生活が可能か?」ではなく「なぜこの生活が必要か?」を聞いたつもりだったのだが、上手くはぐらかされたのだろうか?
父はとある分野の世界的な研究者らしく、時々、小奇麗な格好をした人たちが街からやってくる。
そんな時、父は私に家からちょっと離れるように言い、出来るだけ外部の人と接触させないようしていた
おかげで、私はほとんど父以外の人と喋る事なく育った。
私が父以外の人間を見たのは、この父への訪問客と宅配業者ぐらいである
私と外の世界を繋ぐものは、ネットを通しての情報のみである
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「やっぱり分らないな、結局どうしてそんな生活送ってたんだい?」
「順番があるのよ、ちゃんと説明するわ」
「でもこのペースだと随分先になりそうだ」
「長くなるって最初に言ったでしょ」
「そうだな……悪かった続けてくれ」
◇◇ 追憶4(12歳) ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ねぇお父さん」
「なんだい?那由多」
私はいつもの様に自分に与えられた端末から、気ままにネットの情報を見ながら父に聞いた
「ハードロイディズムって何?」
「アンドロイドは分るかい?」
「古い携帯電話のシステム環境?」
「確かに昔、そんな名前のシステム環境はあったけど、お父さんが言いたいのはそれじゃないんだ、元来はロボット工学の進歩の途中で出来た言葉で、出来るだけ生体部品を使って作ったロボットまたはその部品の事だよ」
「なんでそんなことしたの?」
「当時はロボットがどんだけ人間に近づけるかが目標の一つだったからだよ」
「そんなの意味がわからない、だってロボットの方が人間より優秀じゃない。ロボットを人間に近づけるなんんてメリットがないわ」
「当時はロボットの性能があまり良くなかったんだ、それに頭の古いカタブツで能無しなクズどもには、いずれロボットの方が人間より優秀になるって受け入れられなかったんだよ」
「それでハードロイディズムって?」
「アンドロイドの逆を目指す事だよ」
「より機械らしいロボットや部品を目指して作るって事?」
「ごめん、お父さんの言葉が足らなかったね。全くの逆ならそれが正しいんだけど、ちょっと違うんだ。人間からできるだけ生態部品を失くして機械化する事を目指す事だよ」
ピンポーン
その時、当時人間からロボットに変わったばかりの宅配業者がやってきて、私と父の会話を止めた
これは後で知った事だが『ハードロイディズム』は父が提唱した概念で、当時その学会の権威たちを怒らせた、そして父は中央に居られなくなったのだという
皮肉なことに、その時の権威たちはハードロイディズムに沿った技術の進歩の恩恵を受け長生きしており、その当時はまだ権威に居座り続けていた
それは父を訪ねてそこに来る数少ない人の一人がこっそり私に教えてくれたことだ
確かにそこでの生活を始めた理由はそうなのかもしれない、ではなぜそれを維持し続けなくてはならなかったのだろう?その権威たちは当時も父が中央には戻れない程怒っていたのだろうか?
そして私が外の人間と接触するのを父が嫌がるのは何故なのか?その時は分らなかった
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ちょっとまって……君のお父さんって結構有名人なのかい?」
「さぁ?意識したことないけど、その道ではそうなのかもね」
「あれ?でもおかしいな。君のお父さんがもし○○助教授だとしたら……」
「なに?」
「いや何でもない、気にしないで続けてくれ」
そういうと店主はは自分の端末を取り出し操作し始めた、私は構わず話をつづけた
◇◇ 追憶5(16歳) ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ねぇお父さん」
「なんだい?那由多」
私は充分に間を開け、呼吸を一つ深くし覚悟を決めて言葉をつづけた
「私、全身ハードロイド化したい!」
「何だって!?」
当時、全身ハードロイド化する技術は確立されており、脳と脳髄以外はすべて機械部品という人が軒並み増えていた
「お願い」
「那由多、君はま16だ。元々はこの技術は医療の最終手段として生まれたことは分るな」
「分ってる!でもそんなの既に形骸化してるじゃない!!これを見てよ!!」
私は最新のファッション雑誌を父に投げつけた
彫刻芸術の様な完璧な肢体をした、多種多様なハードロイドのカタログが載っていた
私は自分の胸に手を置きながら捲し立てた
「見てよ、私はこんなにブサイク!こんなんじゃ……こんなんじゃ……」
「こんなんじゃ、何だと言うんだ?……!!」
その瞬間、父は私がなにを言おうとしたのか気付いたらしい
「……ねぇお父さん、なんで私達はこんな生活しているの?なんで私は森の外や街に言ったり、お父さん以外の人と話しちゃいけないの?」
「いいか那由多、世の中には知らなくてもいい事ってのはたくさんある。しかしそれでも知りたいっていう気持ちもわかる、父さんはこれでも研究者だしお前はその娘だ。だが、お前はまだ16だ。それを受け入れるにはまだ早すぎる、せめて二十歳になるまで待ってくれないか?それからハードロイド化についてももう一度考えて欲しい」
「なにを?」
「その体はお父さんとお母さんの精子と卵子の細胞分裂の果てに出来ている、その体を捨てるってことは、那由多、お前は自身の本質を捨てることになるんだぞ?」
「それはおかしいわ。全身ハードロイド化しても脳と脳髄は残る。私の意識と記憶は残り続ける」
「那由多、今お前が自分自身だと思っているその意識や記憶は、すべてはその体を使って得た情報で形作られた。違うか?今、お前がお前だと言っている意識と記憶はその体だからこそ、そのような形になっている。脳なんてただの演算機とメモリに過ぎない、すべてはその体がデバイスとなってその情報を演算機に送ったから、那由多はの今那由多になってるんだ。それを失くすってことはお前は自身の本質の喪失にもつながるって事だぞ」
「そんなの詭弁だわ。人は全く変わらずに生きて行くなんてで不可能よ。お父さんも昔、個体が変化する事が生きることだって言ったじゃない」
「それは違う、個体が『自発的かつ連続的で微分可能な変化』をする事が生きるって事だ。全身ハードロイド化する事は果たして『自発的かつ連続的で微分可能な変化』だと思うかい?」
「確かに体の変化は連続ではないかもしれない、でも意識や記憶はあくまで『自発的かつ連続的で微分可能な変化』じゃない?そしてそれが私の本質じゃないの?」
「意識や記憶が本質であることは認めるが、体も本質だよ。例えば、羊と狼の体を入れ替えたと考えてご覧。体が狼なった元羊はすぐに羊を襲う事はないかもしれない、でも狼の体は草食という生活を受け入れられるだろうか。体が羊になった元狼はもっと悲惨だ、貧弱になり果てた自分の牙と爪を見ても狩りをしようと思うだろうか?体はそれだけその個体の本質と密接に結びついている」
「そんなに言うなら…なぜお父さんはハードロイディズムなんて提唱したのよ!」
その時珍しく父は、言葉を詰まらせた。
「……最初に言ったろ?この技術は元は医療の最終手段だったんだ」
結局その日私は大人しく引き下がった。
父の言う事に納得したわけではないが、考えてみたら父の庇護を離れ得ることなど結局できない私に、父の意見に逆らえる権利など始めからないのだ
それまで私は完全に社会から隔絶して生きてきた、今更一人でなんて何もできない
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ふ~ん、君のお父さんは何を隠してたんだろうね?」
「だから、順を追って話すって言ってるでしょ」
「あー、すまんすまん。『なぜそのような生活を続けてたか?』じゃなくて、『何故君に全身ハードロイド化をさせたくなかったのか?』ってことについてなんだけど」
「どういうこと?」
「君を通したお父さんの印象しか俺には判断材料はないけど、反対したのはもっと裏の理由があるように思えるよ」
「……確かに、そんな気もするわ。貴方、中々鋭いのね」
「ま、とにかく続きを聞かせてくれ」
◇◇ 追憶6(19歳) ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ねぇお父さん」
「なんだい?那由多」
私は出来るだけ自分の感情を押し殺して、父に話しかけた
「お母さんてどんな人だった?」
「前に写真見せたろ?とてもきれいな人だったよ、那由多もどんどんお母さんに似てきている」
「ふ~ん、でどんな出会いだったの?」
「そりゃあれだよ……えっとぉ、もうサイト名は忘れちゃったけど初めはネット上のチャットで会ったんだ。それで意気投合して……そ、そして父さんがで、デートに誘ったんだ」
お父さんはしどろもどろに答えた。
「ふーん、初デートはどうしたの?」
「え……?その当時はやっていた映画を見に行ったんだよ、タイトルなんだっけかな?何とかと雪の女王とか言ってたような……」
始めは怒り満ち溢れていた私の感情も、その父の思った以上に情けない態度を見ると怒りよりも悲しい気持ちが湧いてきた。
「お父さんごめんなさい」
私は自分の端末をお父さんに見せた、そこには昔一度だけ見た母親の写真が写っていた。
ある日、私は父の隙をついて、父の書斎から母の写真を探し出し自端末に取り込むと、顔認識のオプション付きで画像検索をかけたのだ。
結果は直ぐに出た、検索されたページは卵子バンクのサイトだった。
私は卵子バンクで買われた卵子から生まれ、その当時医療で実用され始めた人工子宮によって細胞分裂を繰り返し生まれてきたのだ。
「お父さん……正直に答えて。私の事をどう思っているの?」
「も、もちろん愛してるよ、この世で一番お前を愛している」
「嘘でしょ?本当は私を恥だと思ってるんでしょ?」
「恥?」
「私は自分が卵子バンクを利用してでしか子供を残せない、甲斐性のない男だという証拠そのものだもんね」
「それは違う!!確かにそんな気持ちが全くなかったわけではないが、あの日……お前と初めて出会ったあの日から父さんはお前をずっと愛している!!」
「嘘よ!!」
ついに私も大きな声を出してしまった、一度、おさまったはずの怒りが噴火の様にふきだした
「ネット上から役所の住民票取り寄せ機能を使ってみたわ!住基ネットのID登録どころか住民票も戸籍もなかった!なんで出生届ださなかったの?やっぱり恥ずかしかったからでしょ!」
「それは……だから、今度お前が二十歳になったらちゃんと話すと」
「もううんざり!私はもうお父さんの操り人形にはならない!」
そして私は山を飛び出した
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「なるほどね」
「街に出てからはびっくりする事だらけだったわ、みんな法律が許す16才以上になったら、全身ハードロイド化するのは当たり前になっているのね」
「まぁ、そうだね」
「ネットから知識の上では知ってたけど驚いたわ、街に出てる人たちが本当に綺麗でカッコいい人ばかりで」
「はは、最新モデルのハードロイドや、高級ブランドとコラボしたバージョンのハードロイドはやっぱりモテるね」
「そして、彼らの醜い姿の私を見る目……少なくともこの街で生きて行くにはハードロイド化は不可欠よ」
「確かにそうかもしれないね。まぁ醜美の感覚は人それぞれだけど、ハードロイド化してないのは目立つかもね。で、どうやってここの事は?」
「この電話帳に入ってたから……」
私は携帯端末を店主に見せた
「これは?」
「父の携帯端末よ」
「家出してからの生活はすべてこれに頼ったわけだ、財布機能を使えばものも買える」
「ええ」
「ちょっと貸して」
「いいわよ、変な事しないでね」
私は何の躊躇もなしに店主にその携帯電話を渡した。
「この電話帳リストから、なぜこの店をえらんだの?」
「知り合いなんて誰もいないから誰でも良かったのだけれど、『玩具修理屋』って名前が気に入ったわ。私は父にとってまさに玩具だったから」
そういうと店主は手慣れた感じで携帯端末を操作しメモを取ると携帯を私に返した
次に自分の端末を持ち出しメモを見比べながら何かしら入力し始めた
「ああ、なるほど!!」
暫くして店主は大きな声を上げた
「どうしたの?」
「ああ、すまんすまん」
店主は端末から目を離し、私の顔をじっと見つめ口を開いた
「ところで君……気づいていたかい?今日は君の誕生日なんだよ」
「え?まぁ気づいてたけど、それが?っていうかなんで知ってるの?」
「君のお父さんは言ってたね、君が二十歳になったら全て話すって」
「ええ」
「代わりに俺が教えてあげようか?」
私は何だか嫌な予感がした
「え?」
「だから君のお父さんの代わりに君の秘密教えてあげようか?」
「なんで、貴方がそれを知ってるの?」
「もちろんそれを含めて説明するつもりだけど……お父さんが言ってた通り、世の中知らなくてもいい事ってのたくさんあるよ。知ることが幸せとは限らない」
「是非知りたいわ」
「そう言うと思ったよ、ある意味これは運命、必然だったのかもしれないな」
◇◇ 追憶1(0歳) ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の営業はもう辞めようとした時、一本の電話がかかってきた
「もしもし」
「あまり時間がないので手短に聞くが『玩具修理屋』という名前のはこの店の事ですよね?」
「あの……この店の事はなんで……」
「時間がないと言いましたよね、それとも『玩具修理屋』ではないのですか?」
「いえ、そうですが……」
「今近くまで来ているので、事情はその場で話すしますからとりあえず店は開けといてくれませんか?」
「わかりました。それで御用件は?」
「貴方の所のラボを少し借りたいのです、そして貴方自身の腕も」
それだけ言うと電話は切れた
それから数分もしないうちに外で車があわただしく止まる音がする気弱そうな男がが一人駆け込んできた
男は懐に嬰児を抱えていた
男の娘らしかった、男は手短に事情を話した
自宅で娘を抱っこであやしている時に不注意から落とし、頭部を強打てしまったらしい
嬰児は口から泡を吐き、眼球が相関性のない方向に向いている
俺は嬰児を受け取るとラボの手術台に置き、一応胸に耳を当ててみた
微かに嬰児の体温は感じるが……これはもう明らかに
「だめですよ、残念ながらこの子はもうすでに……手遅れです」
「いや、まだ間に合います!いや間に合わせます!確かに個体としてはそうかもしれない、でもこの子の体中の細胞の大半はまだ生きています」
「あんた何を言って……」
俺は振り返ってその男に言葉をかけようと思ったが途中で言葉を飲んだ。
その男は全体的には気弱そうなのだが、狂気が混じったようなその眼に少なからず私は圧倒された
「とにかく本当に手遅れになる前にこの子に血液循環装置を繋いでください。早くしないと各種臓器が使い物にならなくなってしまう」
「分りましたよ、とりあえずやりますよ。で、あんたはどうする?」
「開頭の準備をします」
この時俺はこの男は完璧に狂っていると確信した。
しかし不思議とその言動は理知的な考察や知識に基づいているような気がした。
血液循環装置を繋げたころには、男は嬰児の頭を綺麗に剃り上げ、開頭する箇所の目印が付け終わっていた。
「開頭ドリルは2つありますか?」
「ある、一つは別の部屋からは持ってきて消毒しなくちゃいけないが」
「一つ貸してください」
俺はドリルを男に渡すとあわただしくもう一個のドリルが置いてある部屋に急いだ
戻ってくると男は頭頂部の皮膚の切開は終わっており、大理石のような白い頭蓋骨にドリルを押しあて、今まさに穴をあけようとしていた
「貴方も手伝ってください」
そういうと男は何の躊躇もなく、ドリルを作動させた。
『キュィイイイイイイン』と言う独特の甲高い擦過音がラボに響き渡る
俺も持ってきたドリルを使って穴を開けはじめた
全部で計6か所穴をあけると、医療用の電ノコを使い6ッ箇所をハニカム上に繋ぎ、丁寧に頭蓋骨を外した
剥き出しにされた脳膜は血液でパンパンに膨れ上がっていた
典型的な脳挫傷による症状と血液循環装置により血圧が保たれ、頭に血が溜まっているようだ
男が脳膜を丁寧に裂くと、おぞましい量の血液が流れだした
「輸血用の血液は、十分足りてますか?」
「これでいいか?」
俺は血液保存用の冷蔵庫を開け見せた
それをも見ると男はそれまでの丁寧さからは考えられない程の乱暴さで、脳を掻きだした
開頭された頭部からは、白や黄色や赤色をしたゼリー状のものやら、生卵のカラザを想像させるようなぐにゅぐにゅしたものが溢れ出し、嬰児の体は各所で痙攣し暴れ狂った、男は構わず作業を続ける
それはまるで子供がプリンを最後の一欠けまで惜しんでスプーンで掻き毟る様子を想像させ……俺は思わずその場で嘔吐した
「あんた一体どうするつもりなんだ!」
俺は止まぬ嘔吐感の元、嗚咽混じりに叫んだ
男は黙って懐からビニール袋を取り出した、おそらくビニール袋内部は清潔が保たれているのだろう、中には小型のチップのようなもがありその周囲には無数にミミズのような繊維が生えていた
「なんだそれは?」
「脳内デバイスです。脳の機能をエミュレートし神経へ信号の入出力を行うものですね」
「まさか、ひょっとしてそれを……脳のハードロイド化は法律で認められてない!」
「ええ、認められていませんね。しかし、それは倫理観からです、技術的には可能です。そもそもこの『玩具修理屋』という店はこういう事をやりたい人を受け入れるために在るんじゃないのですか?」
「たしかにそうだが、法律を抜きに考えても脳をハード的な部品と交換したら、この子はもう以前のこの子とは違うものになってしまうんじゃないか?それはあんたの望むところなのか?」
「法律がそれを倫理的に規制している根拠は、自己同一性の喪失に繋がるからですが、この子はまだ生後3日にも至っていません。当然意識や自我の発現もまだ認められません、つまりこの子の脳はこの真っさらの脳内ディバイスとほぼ同なのです。であるならこのデバイス装置と入れ替えたところでこの子の個体としての連続性は途切れません。つまりこの子の本質は失われない!!」
男の最後の一言は、自分自身を納得させるようにも聞こえた
「で、この子はどうなる?そうやって無理矢理生かして、どう育てるつもりだ?」
「もちろん通常の社会の中では生きられないでしょう、戸籍や住民票に登録したら児童相談所の監視対象になり、いずれ社会の明るみに出てこの子は見世物として生きて行かなくてはならなくなる。私は今とある事情から世間から隔絶した生活を送っています。その環境で育てるしかないでしょう」
「それはこの子にとって幸せなのか?」
「ではこのまま死なせてやれと?」
「わからない……」
「貴方は何も背負わなくていい、貴方は私にとってきっかけに過ぎません」
男はその後黙々と丸二日間作業を続けた、奇跡的に回復を始めた嬰児が安定状態に戻るまで3週間うちで預かったが、その後は男は何事も無かったように連れ帰った
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ちょっと待って、今の話は一体何?」
「その携帯電話の番号ね、この店の顧客名簿にあったんだよ。その客がうちに来た時の話さ」
「ちょっと待ってよ。それじゃまるで……」
私は混乱し少し眩暈を感じた……しかし、これも私の頭部に埋め込まれたというその脳内デバイスが作り出している幻想によるものだというのか?
「疑ってるのかい?」
「そう言うわけじゃないけど……」
私が何か言おうとするのをさえぎって、店主は自分の端末を私に差しだした
「一昔前までは、CTスキャンを取るってのは結構大変だったらしいね、でも科学の進歩はありがたいね。この部屋のドアの枠が実は検査器具の一部になっていてそこを通ったものをスキャンすることが出来るのさ。勿論君のもすでに取らせてもらった、今見てもらってるのがそれを3D化した画像さ」
私はその端末に目を落とした、明らかに私と思えるシルエット、そしてその頭部と思われる場所には……
「で、どうする?」
「え……?どうするって?」
「全身ハードロイド化は」
「……」
未だ店主の話した内容に混乱している私には、ただ黙っているしかなかった。
「君がそれをするってことは、君の生体部分はもう脳髄や神経の切れ端しか残らないよ?」
「……」
「でも、君が言う通り、人間の本質は中身……つまり、意識や記憶だと信じ切れるのならやってもいいんじゃないかな?」
「……」
「ただ、それだと見た目というか物理的には君と言う存在は完全にロボットになっちゃうね、それはそれで君は何らかの本質を喪失する様な気がするね、どうする?」
店主はほぼ自失している私から端末を奪いかえすように、奪い返した。そして思い出したかのように口を開き
「あ、そうそう。言い忘れてたけど……誕生日おめでとう」
と言った。
作者園長
例によって投稿内に出てくる業界用語っぽい言葉は、私の誤認や造語である可能性があります。詳しく聞かれても何にも答えられませんのでよろしくお願いします。
で、この話SFホラーってことで書いてますけど、皆さんならどうします?
もし自分の子供の脳に障害があることがわかり、しかもそれを機械部品で代用可能だった場合
それしますか?また、その子供にはどのタイミングでそのことをどのように話しますか?