此れは僕が高校1年生の時の話だ。
季節は春先。
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・・・・・・・・・。
春だ。
放課後、何時もの如く机に突っ伏しながら、ふとそう思った。
窓の外の夕暮れ空に棚引く薄雲が、光の反射で紫掛かって見える。
・・・あれ、何だっけ。こう言う描写、何処かで聞いたな・・・何だっけ・・・どっかの小説だったかな・・・・・・。
・・・・・・・・・嗚呼、そうだ。
《清少納言》の《枕草子》だ。
どっかの小説どころか日本一有名なエッセイだった。
と言うか、よく考えて見ればあれは朝の描写ではないか。
真相に辿り着いたと思った途端に其の真相自体が勘違いと気付く・・・。
何やら、諸行無常的な何かを感じざるを得ない。
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・・・・・・・・・
さて、唐突だが先日、木葉さんが拗ねた。
そして、今も現在進行形で拗ねている。
拗ねていると言っても、別に何がどうと言う訳でも無く、単に木葉さんが《拗ねました宣言》をしただけで、日常に何も支障は無い。
宣言の後で数回電話をしたのだが、其の時も普通に話をしてくれた。
・・・・・・電話の最後に
「一応、まだ拗ねています。」
と自己申告をしてくる事を除けば。
しかも、其の自己申告が妙にハッキリとした口調なのだ。
・・・普通に話している時は花粉症で酷い事になっているのに。
妙に怖い。
木葉さんは、一体何時になったら拗ねるのを止めてくれるのだろう。
春休みまで後一週間を切った。
そろそろ《枕草子》だの《諸行無常》だのと現実からランナウェイし続けるのも限界だ。
僕は突っ伏した机に額をぶつけながら、大きな溜め息を吐いた。
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・・・・・・・・・。
ピロロロロロピロロロロロ
下校中、鞄の中から着信音が聞こえた。
鞄を覗いて見てみると、発信者は《木葉さん》となっている。
僕は急いで電話に出た。
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・・・・・・・・・。
「・・・・・・もしもし?」
「今晩ば。ゴン“ゾメ君・・・ックシュッッ。」
相変わらず花粉症が酷い。
「今晩は。花粉症、辛そうですね。」
「御気遣い“、ありがどうございまず。・・ヘックシュッッ・・・・ブシュッ。」
「・・・・・・・・・。」
何を・・・言えば良いのだろう。
此処で《何の御用ですか。》と聞くのも、状況が状況なだけに気不味い。
・・・取り敢えず、木葉さんが話し始めるのを待とう。
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木葉さん「・・・・・・。」
僕「・・・・・。」
木葉さん「・・・・・・。」
僕「・・・・・・・・・。」
木葉さん「・・・。」
僕「・・・・・・・・・。」
木葉さん「・・・・・・・・・・・・。」
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「・・・・・・何の御用ですか?」
待てませんでした☆
対人スキルがそろそろ底を割りそうな僕に、気不味い沈黙を耐え切る力等有るべくも無い。
「・・・・・・・・・兄さん?」
僕が促しても、木葉さんは話を始めない。
電話の向こう側では、時折、木葉さんが鼻を啜り、嚔をする音が聞こえるのみである。
僕は《何か言ってはいけない事を言ってしまったか》と内心焦りながら、木葉さんが話し始めるのを待った。
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・・・・・・・・・。
「頼みがあるんでず。」
黙り込み始めてから約二分後、木葉さん漸くは話を始めた。
「仕事の手伝いをして頂けませんか?」
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・・・・・・・・・。
運転をしている木葉さんが、大きな欠伸をした。
「・・・大丈夫ですか?」
「平気ですよ。ちゃんと安全運転はしていますから。」
今は春休み前夜・・・つまり、終業式の日。
時刻は午後の十時。
僕は、何時の間にか花粉症が治っていた木葉さんの仕事の手伝いをする為に、仕事を依頼された家へと向かっていた。
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「今回って、どんな仕事をするんですか?」
木葉さんに聞いてみた。
手伝いをする約束はしたものの、僕は其の仕事の内容を把握していない。
電話の時に聞いておくべきだったとも思うが、今となっては仕方無い。
「私も説明をしようと思ったんですけどね。説明する前にコンソメ君が承諾してしまったので、タイミングが分からなくなってしまって。ごめんなさい。」
頬を掻きながら木葉さんが頷いた。
「依頼自体は、先週・・・ほら、私がコンソメ君に電話した日の前日に来たんです。」
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・・・・・・・・・。
依頼の電話が掛かって来たのは、其の日の午前二時頃でした。
私が電話に出ると、女性の声で
「助けてください!!」
と頼まれまして。
かなりの大声で。
私は直感的に《此れ私の専門分野と違う》と思ったのですが・・・。
何せ、相手が電話の向こうでかなり取り乱していて、話の通じる状態ではなかったので、一応話を聞いて落ち着いて貰おうと思ったんです。
其の後、彼女が言った事を簡単に纏めると
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・最近、義理の父母と同居を始めた。
・父母の家が可笑しい。
・天井裏に何かが居る。
・動物にしては明らかに大きい。
・声の様な物も聞こえる。
・けど実害は無い。
・・・のだそうで。
其処から色々と詳しい事を聞いて、結果的に彼女の家に何かが憑いているらしい事が分かったんです。
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・・・・・・・・・。
「多分使えると思うんですよね。」
「御守りに?!」
「はい。予想通りならば。」
しれっと頷かれてしまったが・・・・・・。
其れって詰まり、化け物を御守りの材料にするって事なのだが・・・・・・。
其れはもう御守りと言えるのだろうか。
何だか漫画の様な感じになってきた。
「あ、そうそう。コンソメ君は弟設定で行くので、名前を変えねばなりませんね。」
「え?」
「我が家の風習に従って、本名とは違う仮の名前を付けるんです。貴方は私の弟ですから、《木芽》ですね。」
「え、じゃあ木葉さんのも・・・・・・。」
「はい。本名は《木葉》ではありません。」
衝撃の事実が発覚してしまった。
「えっと・・・本名は・・・。」
「祖父意外知りません。」
また衝撃の事実が発覚した。
「其れって木葉さん、自分の本名を・・・。」
「知らないんです。・・・・・・あ、でも戸籍上は一応《木葉》になっている筈ですよ。幾つかの名前を順番で使っているんです。」
和風ファンタジーだ。和風ファンタジーの世界だ。
僕は呆気に取られて、
「ほへぇぇ・・・・・・」
と間の抜けた溜め息を吐いた。
車は未だ走り続けている。
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・・・・・・・・・。
「と、言う訳で到着しました!海っっ!!」
「イェイッッ☆・・・・・・って、何で海?!」
正確には港だが。
「材料を集める為の材料を調達します。」
「材料を集める為の材料?」
「はい。今夜一晩掛けて集めます。」
木葉さんが、大きな蛸壺を取り出した。
「此れを使います。」
「蛸壺?」
「罠として使うんです。」
いきなり、蛸壺を海へと投げ飛ばす。
「うわっ?!」
蛸壺はかなり沖の方へと飛び、ボチャッと大きな音を立てて沈んだ。
「コンソメ君改め木芽は、車の中で春休みの宿題して寝てなさい。私は明日の準備をしていますから。」
「宿題、半分以上もう終わってます。」
いや寧ろ、殆ど全部と言っても差し支えない位である。
「じゃあ寝なさい。トランクに毛布が入っていますから。あまり夜更かしすると、成長ホルモンが出て来なくなりますよ。」
キッパリと言われてしまった。
「・・・・・・はい。」
僕は渋々と頷いて、ショボショボと車に戻った。
「御休み、木芽。・・・どうしても眠れなかったら、電話を掛けて来ても構いませんから。外には出ないで下さいね。」
海からの生温い風が頬を・・・・・・いや、身体中を撫でた。
「お休みなさい!」
僕は急に恐ろしくなり、急いで車のドアを閉めた。
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・・・・・・・・・。
ドアを閉めたは良いが、暗い車内は予想を遥かに越えて怖かった。
ライトを点けたいのだけど、バッテリーが上がるのが恐ろしい。
他人の車だし・・・。
しかも、助手席に座ってしまったので毛布を取りに行く事すら出来ない。
寄せては返す波の音が聞こえる。
しかし、目の前のフロントガラスからは、海は見えない。高い堤防が目の前に聳えているからだ。
海は此の堤防から間反対に位置する。
なので、当然の如く木葉さんの姿は此処から見えない。
街灯に蒼白く照らされた車内は、僕の予想を遥かに越えて怖かった。もう一度言う。怖かった。
なので、僕はプライドをかなぐり捨て、早々に木葉さんに電話をしたのである。
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・・・・・・・・・。
電話での会話。
「あ、もしもし?」
「・・・木葉さん?」
「はい、そうですよー。」
「・・・・・・。」
「コンソメ君。」
「はい。」
木葉さんが、電話の向こうでクスリと笑った。
「・・・もう、怖くなっちゃったんですか?」
「・・・・・・・・・・・・。」
丸っきり其の通りなのだが、素直に認めるのも何だか癪だ。
僕は黙って黙って頷いた。・・・まぁ、木葉さんには見えてないだろうけど。
「あ、今、頷きましたね?」
見えてた。凄く恥ずかしい。
「見えてましたか。」
「はい。」
「・・・夜の海は余り好きでは無いんです。」
「どうしてですか?」
「昼間もそう何ですけど、夜の海って、何かが居そうな気がしません?」
「幽霊が、ですか?」
木葉さんに聞かれ、僕は暫く考えた後に、小さく頭を振った。
「其れもそうですけど・・・もっとこう、直感的に《怖い》んです。」
「成る程。・・・・・・と言う事は、未だ眠れませんね?」
「はい。仕事の邪魔をしてしまって、ごめんなさい。」
電話の向こうから、また笑い声が聞こえた。
「構いませんよ。正直な所、私も少し怖いんです。こうして話して居れば・・・・・・すみません。掛かりました。また電話します。」
プツリ、といきなり電話が切られた。
磯臭い匂いが何処からか漂って来る。
塩気と苦味を帯びた、独特な風だ。
窓は全て閉め切っているのだが・・・・・・。
鼻を動かして匂いの元を探ったが、よく分からない。
「何だ此れ・・・・・・。」
例えようの無い悪寒が背中を這い上がる。
何時の間にか、波の音が消えていた。
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・・・・・・・・・。
怖い物を見てしまわない様に、ひたすら目を閉じて耐えていると、何処からか、タプン、タプンと言う音が聞こえて来た。
水の入ったペットボトルを揺らす様な・・・。
磯の匂いが強くなった。
タプン
一段と大きな音が鳴り響く。
其のタプン、タプンと言う音は、其れを最後にして、鳴り止んだ。
少しだけ安堵して深呼吸をすると、また磯臭い空気が肺の中に入って・・・・・・・・・あれ?
入って来ない。
匂いが消えている。
耳を澄ますと、波の音が聞こえる。
全てが、元に戻っていた。
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ピロロロロピロロロロ♪
電話が鳴った。
急いで携帯電話を取り出す。
見ると、木葉さんからの電話だった。
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「木葉さん?!」
「あ、コンソメ君?さっきは急に切ってしまって御免なさい。」
「さっき・・・・・・!」
木葉さんが、小さく溜め息を吐いた。
「嗚呼、やっぱり車の中でも分かりましたか。」
「え?」
「大丈夫です。危険な物ではありませんから。もう仕事は終わりましたし、何かが起こる事も無いでしょう。」
「・・・・・・さっきの、木葉さんがやったんですか?」
「そう・・・ですね。厳密には違いますが、そうとも言えるでしょう。」
「・・・・・・どう言う事ですか?」
「材料を集める為の材料の、最後の反抗です。」
「最後の反抗・・・・・・。」
「ええ。」
僕が、木葉さんに捕らえられた物が果たして何なのかを考えていると、電話の向こうで、木葉さんが見透かした様に笑った。
「明日、見せますよ。其れより、コンソメ君。」
「はい?」
「未だ、眠れそうにないですか?」
僕は頷きながら言った。
「はい。」
「そうですか。其れは良かった。・・・・・・もし、良ければ、話し相手になって頂けませんか?眠くなったら寝て結構ですから。」
「良いですけど・・・車には戻って来ないんですか?」
「ええ。夜が明ける迄は。」
「そう何ですか・・・・・・。」
「コンソメ君も、出て来ないでくださいね。一度出ると朝迄車には戻れませんから。」
「はい。・・・・・・あ、一寸待っててください。」
僕は靴を脱ぎ、飲み物を置く台を乗り越え、後部座席へと侵入した。
・・・行儀も悪いし、他人の車なので余りしたくはなかったのだが、状況が状況なので良しとする。
後部座席からトランクを覗く。
毛布が二枚。枕は・・・要らない。
お菓子と飲み物と・・・・・・あ、膝掛けも有る。
荷物を纏め、バッグに詰める。
・・・・・・・・・良し!
僕は大きく頷き、車のドアを開けた。
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・・・・・・・・・。
木葉さんは、港の端に簡易椅子を置き、其処に座っていた。
ドアが開いた音で気付いたのか、驚いた様な顔で此方を見る。
「コンソメ君?!」
僕は黙って毛布の一枚を渡し、隣に簡易椅子をもう一つ並べた。
毛布を受け取りながらも、木葉さんが厳しい顔で言う。
「出ちゃ駄目って言ったじゃないですか!」
「車に戻らなきゃ良いんでしょう?」
椅子に腰掛け、毛布を羽織る。
「のり姉仕込みを嘗めないでください。徹夜何て余裕です。大体、兄さんをこんな所に置いて眠れる程、僕は神経が図太くないですしね。」
・・・・・・うん。こうして真正面から見れば、夜の海も中々悪くない。
怖い事には変わりないけど、生き物が棲息しているのが分かる。
主に其処らへんをゾワゾワしているフナムシとか。
ムッとしている木葉さんに言う。
「兄さんこそ、此の季節にそんな格好で徹夜何て馬鹿みたいですよ。」
木葉さんがそっぽを向いたまま答える。
「私は大丈夫です。大人ですから。」
「そう言う慢心が一番危険何です。」
「弟の癖に生意気ですね。」
「ヘタレの癖に兄貴風を吹かさないでください。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
お互いに海の方を向いて黙る。
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暫く黙っていると、木葉さんがクスクスと笑い出した。
「何笑ってんですか。もう。」
「何か可笑しくて・・・・・・。」
「何も可笑しくないですよ。」
苦しそうになりながら笑っている木葉さんを見ていたら、僕まで何だか楽しくなって来た。
「兄さんのモヤシ。」
「誰がモヤシだ青ピクミン。」
其れから暫く、僕達は笑っていた。
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・・・・・・・・・。
二人で一頻り笑うと、木葉さんがさっきの蛸壺を取り出して見せた。
「此れ、中を見てみてください。」
恐る恐る覗き込む。
中には、
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黄土色の塊に、ゼリー状の物体が絡み付いた何かが、ゆらゆらと漂っていた。
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・・・・・・・・・。
「何ですか此れ。」
崩れた水まんじゅうの様な見た目をしているが・・・・・・。
「海月・・・・・・?」
「いいえ。」
木葉さんが頭を横に振る。
「水まんじゅう・・・?」
「いいえ。まさか。」
「じゃあ、此れは・・・・・・?」
黄土色水まんじゅう(仮)は、浮かんだり沈んだりを繰り返しながら、静かに揺れていた。
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・・・・・・・・・。
「此の港、実は自殺の名所みたい何です。」
「え?」
唐突に、木葉さんが話を始めた。
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・・・・・・・・・。
毎年結構なペースで人が亡くなっています。
こんな極普通の港なのに、死亡人数では有名な自殺スポットを遥かに上回っているんです。
此の港の何処がそんなに自殺志願者を引き寄せているのか・・・。
・・・・・・あ、大丈夫ですよ。
今は割かし少ない時期ですので。多分居ませんよ。多分。
・・・・・・・・・え?
嗚呼、《此れが何か》ですか。
そうですね・・・。
《何なのか》と言うのは、私にも分からないんです。
只、人死にが多い海には、此れが出るんです。
そして、此れが出ると此れを手に入れると、其の日の漁は決まって大漁となります。
コンソメ君は先程、此れを、《海月か》と問いましたね。
・・・案外遠くはないのかも知れません。
海で死んだ者の魂が海月となる・・・何て話も有りますから。
まぁ、此れが《死者の魂なのか》と聞かれると困るのですが・・・ね。
何せ、何も分かっていないんです。
人が死ぬから此れが出るのか、此れが出るから人が引き寄せられるのか・・・。
其れすら全く不明なのです。
分かっているのは・・・そうですね。
名前位の物でしょうか・・・・・・・・・?
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・・・・・・・・・。
そう言うと木葉さんは、長い指で其の黄土色水まんじゅう(仮)を指差した。
「此れは、《フナダマ》です。」
「・・・・・・フナダマ?」
聞き返すと、壺の中を見ながら答える。
「船越栄一郎のフナに、親玉のダマです。」
「見たままの名前ですね。」
「・・・・・・ええ。そうですね。」
ゆっくりと瞬きをして、木葉さんが顔を上げた。
カタン、と蛸壺に蓋がされた。
いや・・・蛸壺?
「蛸壺じゃ・・・・・・ない?」
「バレてしまいましたか。実はそう何です。」
素焼きに見えた壺には、よく見ると釉薬が掛けられていた。
縁の広がっていないラグビーボール型の壺。
此れは・・・・・・・・・。
「骨壺、ですよ。」
木葉さんがスルリと壺を撫でた。
そして、コツン、と縁の部分を指で弾く。
「改造して蛸壺風にしたんです。」
「此れを使うと、よく取れるんですよ。」
「えー・・・・・・。」
思わず引いてしまっている僕に、木葉さんは困った様に笑い掛けた。
「嫌ですねぇ。まさか、使用済みではありませんよ。新品のピカピカです。形以外は只の壺と変わりませんよ。」
其れはそうかも知れないが・・・。
何だか、そう言う問題ではない気がする。
「其れより、何だか小腹が空きませんか?」
あ、悩んでいる間に話を逸らされた。
「此れ、持って来てたんです。」
木葉さんがチキンラーメンの袋と小鍋を取り出した。
よく見ると、足元には何やら怪しげな道具に混じってカセットコンロが置いてある。
「卵と葱も有ります!」
鍋を傾けると、其処には卵が二個とパック入りの刻み葱が入っていた。
木葉さんのドヤ顔・・・・・・。貴重だ。
「・・・もしかして、僕が此処に来る事、見越してました?」
「朝御飯に作ろうと思っていたんです。」
「其れって、今食べちゃって良いんですか?」
僕がそう言うと、木葉さんはニッコリと笑った。
「《明日は明日の風が吹く》ですよ。」
「成る程・・・・・・。」
「ほら、作りましょう。・・・・・・・・・あ。」
木葉さんの表情が一気に絶望に満ちる。
オーバーな表現かと思われるかも知れないが、本当に絶望に満ちている。満ち満ちている。
ミッチミチである。
「・・・どうかしました?」
僕が恐る恐る聞くと、今にも泣き出しそうな顔で、木葉さんは答えた。
「水、車内に忘れましたーーーー」
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・・・・・・・・・。
木葉さんがわたわたと慌てている。
「えっと・・・どうしましょう。水、水・・・。海水では駄目でしょうか・・・・・・。」
「兄さん、此の港、自殺の名所何ですよね?流石に人間の出汁は嫌ですよ。と言うか塩辛くて食べられないと思います。」
「じゃあ・・・えっと・・・・・・あ、鞄にアクエリ○スが」
「そんなスポーティーなチキンラーメン、食べたくないですよ。」
「じゃあ、じゃあ・・・・・・・・・あ、フナムシ。」
「待って。兄さん何言ってんの?酔ってる?酔ってるよね?」
「え、あ、酔ってない、です。・・・・・・ええと。海水が駄目で、アクエリアスが駄目で、フナムシも駄目で・・・・・・。」
木葉さんが両手で頭をかかえた。
「えっと、と、言う事は・・・。やっぱりフナムシしか・・・・・・。」
「兄さん酔ってますね?確実に酔ってますね??」
よく見ると、簡易椅子の影にチューハイの空き缶が幾つか置いてある。
「・・・・・・明日も運転しなくてはならないのですし、其処までは飲んでませんよ。」
「はいはい。・・・・・・はい、此れ飲んでください。」
僕は紙コップに水を注ぎ、木葉さんへと差し出した。
「あ、有り難う御座います。」
「いえいえ。」
木葉さんが水を一気に飲み干す。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・コンソメ君?」
「はい。」
「此れは?」
「水ですね。」
「車に積んであった奴ですか?」
「はい。此方に来る時に持って来ました。」
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「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・・・・コンソメ君。」
「はい。」
「其れ、もう少しだけ早く言えませんでした?」
「面白かったので、つい。」
「面白かったんですか?」
「ラーメン食べたいです。」
「話を逸らされた気がしますよ?」
「気の所為ですよ。」
「んー・・・・・・?」
悩んでいる木葉さんから鍋とラーメン、其の他諸々を受け取り、ラーメンを作る。
・・・まぁ、作ると言ってもお湯を沸かして其処に麺と卵投入して葱乗せるだけなのだが。
「出来ましたー。」
「おお?」
悩み続けていた木葉さんが、驚いた様に顔を上げた。
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・・・・・・・・・。
誰も居ない港に、ズルズルと麺を啜る音が響いている。
チキンラーメン旨し。
「チキンラーメンって、こんなに美味しかったかな・・・・・・。」
思わず呟いた。
「夜中に食べるからこそ、此処まで美味しいんですよ。」
木葉さんが卵の黄身を潰しながら言う。
「昼間に食べても余り美味しく感じませんからね。」
木葉さんは、また一口麺を啜って小さく息を吐いた。
「・・・と言うか木葉さん、チキンラーメンとか食べるんですね。僕としては其処が一番意外です。」
昼間に台所で独りチキンラーメンを作成している木葉さん・・・・・・。
中々にシュールな光景だ。
普段が何かこう・・・不思議な感じの人なので、生活感の有るシーンは何だか面白い気がする。
「・・・今は実質、独り暮らしの様な物ですから。服装や掃除は人に見られますから其れなりに頑張っているのですけど、食事は結構適当になってしまって。」
「成る程。ちゃんと野菜食べてます?」
「バランスは考えています。調理方法は適当ですけどね。」
木葉さんが器を地面に置いた。
どうやらもう食べ終わったらしい。
「一応、健康的な食生活を心掛けてますよ。」
「こんな夜中にラーメン食べて、健康も何も無いでしょうに。」
「まぁ、そう何ですけどねー。」
大きく背伸びをして、木葉さんが言う。
「良いんですよ。偶には。其れに・・・」
「・・・其れに?」
木葉さんの目がスッと細められた。
「《食べる》と言う行為は、生きる事に直結しているのですから。」
そして、指をゆっくりと持ち上げ、暗い海原の一点を指差す。
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指の先には、虚ろな表情をした男性が浮かんでいた。
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・・・・・・・・・。
「・・・・・・うわ。何あれ。」
「ふむぅ・・・。」
横を見ると、木葉さんが平然と居眠りを始めている。
「何してるんですか兄さん。」
「食べたら眠くなる。真理ですよね。」
「緊張感の欠片も有りませんね。」
「だって眠いんですもん。コンソメ君も隣に居ますし。」
僕はユサユサと木葉さんを揺すった。
「起きてください。怖いじゃないですか。」
「コンソメ君も眠ってしまえば怖くないですよ。」
身体を二つ折りにしてガードをする木葉さん。
「何時ものヘタレ具合は何処にやってしまったんですか。」
「仕事中ですからね。」
「怖いです。起きてくださいってば。」
僕は二つ折りにされた背中に伸し掛かり、全力で木葉さんを起こそうとした。
「止めてください。苦しいじゃないですか。」
「なら起きてください。」
「彼等は何もして来ません。怖がる事何て、何一つ無いですよ。」
「え?《彼等》?」
僕は海の方を見た。
浮かぶ頭が、一気に増えていた。
「うわっっっ!!!」
「怖くないんですって。」
大声で目が覚めたのか、木葉さんがゆっくりと其の身を起こした。
海には、浮かびながらゆらゆらと揺れている頭達。
木葉さんは其れを見て、ゆっくりと瞬きをする。
「彼等は、良くも悪くも、何も出来ないんです。」
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・・・・・・・・・。
「私が夜に此処へ来ると・・・いえ、私でなくとも構いません。誰彼が夜に此処へ来ると、彼等は海面から顔を出すんです。そして、何をする訳でもなく、日が昇る迄揺れながら浮かぶ。・・・コンソメ君。」
「はい?」
薄い笑いを浮かべながら、木葉さんがすぐ傍の海を指差す。
「大丈夫ですよ。本当に怖くないんです。」
淡々とした声だった。
僕は、其の言い方が却って恐ろしく思えた。
「・・・・・・・・・ごめんなさい。」
僕は、はっきりと《嫌です》と言うのも怖かったので、何が申し訳無いのか曖昧なまま、頭を下げた。
「・・・・・・。」
木葉さんは僕の謝罪には応えず、毛布を丁寧に畳み、其れを簡易椅子の背凭れに掛けて立ち上がった。
鞄から何かを取り出す。
あれは・・・・・・紙、だろうか。
「其処まで怯えるコンソメ君も、珍しいですね。・・・・・・と、すれば。」
紙を持った手を海上へと伸ばす。
街灯の光の所為か、伸ばされた手は何だか作り物めいて見えた。
「別に何の恨みも有りませんが、消えて貰いましょうか。」
懐からライターを出し、紙に火を着けた。
紙が一瞬にして燃え上がり、フワリとした灰に変わる。
灰がゆっくりと海へと落ちて行き・・・・・・。
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灰がすっかり海に消えた時、浮かぶ頭達はすっかり消えてしまっていた。
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・・・・・・・・・。
「・・・・・・・え?」
「はい、もう消えました。」
木葉さんが此方を向いて、ニコリ、と笑う。
静かな水面。
消える・・・・・・消された?
あの人達は、僕の所為で消された?
背中を、さっきとは違う悪寒が這い上がった。
「消えたって・・・其れって・・・・・・?!」
「あ、居なくなった訳ではありませんよ?少し退いて貰っただけです。」
木葉さんは更に艶然と微笑む。
「此れでもう、怖くないでしょう?」
「でも、彼等は何も・・・・・・!」
「何も?」
木葉さんが笑顔を保ったままで首を傾げた。
「だって、彼等はコンソメ君を怖がらせたじゃないですか。」
身体中の肌が粟立つのを感じる。
「私が怖いんですか?」
少しずつ木葉さんが此方に近付いて来る。
僕は頷く事も首を左右に振る事も出来ずに、木葉さんから目を逸らした。
「幽霊が出れば幽霊を恐れ、其れを私が追い払えば私を恐れる。・・・難儀な人ですねぇ。コンソメ君は。」
木葉さんの声に嘲りの色が混じる。
「ごめんなさい。」
「謝って欲しい訳ではないんですが・・・。」
僕の直ぐ上から声がした。
顔を上げると、木葉さんが直ぐ傍に居た。
「只・・・・・・ねぇ?」
強く右肩を掴まれた。
「何か、勘違いをしていませんか?」
木葉さんは未だ笑顔で、今まで僕が見た事の無い程怖い顔をしていた。
「ごめんなさい・・・・・・。」
「話聞いてました?謝って欲しい訳ではないんですよ?」
更に強く肩を掴まれる。
また謝ってしまいそうになり、出掛かった息を飲み込んだ。
視界が滲む。
こんな事で泣く何て最低だとは思うけど、どうすれば良いのか分からない。
怖い。
木葉さんが怖い。
表面張力で盛り上がっていた涙が、崩れて左頬を伝った。
「嗚呼・・・泣いちゃいましたか。仕方無いですね・・・・・・。」
木葉さんが空いていた右手を上げるのが分かる。
僕は強く目を瞑った。
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・・・・・・・・・。
ポフン
頭に来た衝撃は、予想より遥かに軽い物だった。
「・・・・・・え?」
見上げると、木葉さんが何時もの顔に戻っていた。
「少しやり過ぎでしたね。怖かったですか?」
「え。・・・え?」
「コンソメ君、怖がり過ぎですよ。私がコンソメ君を殴る筈無いでしょう?」
クスクスと笑う木葉さん。
「面白かったですよ。コンソメ君。」
「・・・・・・嘘、だったんですか?」
「違いますよ。本当の事です。・・・・・・はい、此れ。」
タオルを渡された。
慌てて目元を拭う。
「ありがとうございます。」
「コンソメ君。」
「はい?」
優しげに笑いながら、木葉さんは言う。
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「彼等とて、《人》ですよ。もう生き物としては《人》ではないのですけど、確かに彼等は《人》何です。」
そして、意味がわかりませんよね、と頭を掻いた。
「本当に、怖がる事は無いんです。だから、余り怯えないでください。」
僕は小さく頷いた。
「・・・・・・あ、ほら。」
木葉さんが水面を指差す。
居なくなっていた筈の頭が一つ、何時の間にか復活していた。
「怖くない、ですよ。」
「・・・・・・・・・はい。」
僕は浮かぶ頭を見て、ゆっくりと深呼吸をした。
朝は、まだまだ遠い様だ。
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・・・・・・・・・。
椅子に座って夜明けを待っていると、ふと思い出した様に木葉さんが言った。
「あ、あと、私も怖くないですからね?怯えないでくださいね?」
「・・・・・・・・・。」
「何で無反応何ですか!」
「兄さんは正直少し怖いです。」
「何故に?!」
木葉さんが隣で頭を抱える。
僕は毛布に顔を埋め、こっそりと笑った。
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*続く
作者紺野-2
どうも。紺野です。
前後編になってしまいました・・・・・・。
次回もずっと兄のターンです。
話はまだまだ続きます。
宜しければ、お付き合いください。