「ごめん、もう無理」
徳子は冷たく言い放つと男に背を向けた。男は唇を噛んで悲しげに眼を伏せた。
「僕は誰よりも君を大切にしてきたつもりだったんだけどな」
「だから、そういう独り善がりの自己満足が嫌なの。分かる?」
苛立たしさを隠さない冷淡な物言いに、男は開きかけた口を閉じた。
他にオトコが出来たのかもしれないが、それを糾弾した所で結果は変わるまい。
徳子はフンと鼻から短く息を吐いて、忌々しげに眉根を寄せている。
何を言っても彼女の気持ちは変わりそうになかった。
男は潔く諦め、「分かった」とだけ答えた。
灼熱の季節が過ぎ、男と女の間には終わらない冬が訪れた。
◇◇◇◇◇
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半年も過ぎた頃、徳子の元に冷凍の宅配便が送られてきた。
徳子は送り状の差出人を見て首を傾げた。
「●▽■高原牧場のおいしいお肉・試食モニター係」とある。
身に覚えがない。送りつけ商法というものだろうか。
とりあえず中身を確認すると、真空パックされたブロック肉、パテ、ソーセージなどと一緒に手紙が入っている。
どうやら、この高原牧場とやらが自分のところで加工した食肉を売り出すのに、まずはモニターとして試食し、アンケートに答えて欲しいという趣旨のものだった。
一切の料金はかからないとあるが、何故、自分が選ばれたのだろうと訝しむ。
しかし、徳子はたびたび通販やオンラインショッピングを利用していた事を思い出した。
個人情報保護が云々…などと言っても、名簿業者が暗躍する通販業界では利用者の情報など裸同然だろう。だからなのか、知らない会社からDMが届く事もしょっちゅうだ。
過去にオンラインで、お取り寄せグルメなるものを注文した事もあった徳子は、今回もその筋から抽出されたのだろうと決めつけ、タダで貰えるものなら貰っておこうという意地汚さも手伝って、肉を冷蔵庫にしまいこんだ。
食べた後に返送するアンケートも簡単なものだった。
何より、徳子は肉が大好物だった。
デートの時でも食事はしょっちゅう「焼き肉がいい!」とねだった。
だから、この試食モニターに選ばれたのも、徳子にとってはまさに棚ボタのような幸運だった。
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徳子は早速、届いた肉を調理する事にした。まずは「羊ハツ(ホール)」と記されたものから。
羊の心臓肉丸ごとというものらしい。
焼肉屋で牛ハツは食べた事があるが、羊は初めてだ。肉は脂身のない赤身で、弾力がある。
自然に恵まれた高原のハーブを食べて育ちました、などという触れ込みでなかなか美味そうに思える。心臓肉というだけあって見た目は血管のような筋も多く生々しいが、要は筋肉部分だ。
しかも、よく動く筋肉部分は美味しいというのが定説。鰈のエンガワ然り、牛のホホ肉然り。
きっとこれも旨いに違いないと徳子は決めつけて、鼻歌交じりで赤黒い肉塊に包丁を入れた。
スライスして塩胡椒してグリル。すこしコリコリしているが、砂肝ほど固くない。加熱した後もほどよい弾力があるが、噛みしめるとちょっと独特の風味がある。
羊と言えばラムとマトンぐらいしか食べた事がないので、初めて食べるそれが肉として旨いのかどうか判断しかねる。
それでも徳子は、不味いとは思わないまま、その握りこぶしより少し大きい程度の肉塊を、ぺろりと食べ尽くした。
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次の日は、テリーヌ型に入ったパテを食べてみた。
淡いピンク色がかったボローニャ・ソーセージのような見た目。そのまま食べても、軽くソテーしてもいいらしい。
ややこってりしていて、少し生臭いような、ちょっとクセのある風味。焼いてからレモンと黒胡椒で食べると美味かった。
さらに次の日には赤身のブロック肉を調理する事にした。
ステーキや焼き肉に向いていると書かれていたので、さっそく焼き肉用にスライスして、家庭用ホットプレートで1人焼肉としゃれ込んだ。
かなりの分量だったが、焼き肉好きの徳子はこれもすべて平らげた。
食感は牛モモか豚モモに近いように思うが、それよりはやや硬く筋張っている。そして、やはり独特のクセがあった。
しかし徳子はここまで来るともう、その風味にも慣れてしまっていた。慣れると美味しいとさえ思えた。
4日目はソーセージを食べた。
かなり太目の粗挽きソーセージとやらで、薄い皮の内側に、粗い肉の破片が混ざっているのが透けて見えた。
ボイルしてもソテーしても…という事で、徳子は軽く茹でて粒マスタードを添えて食べてみた。皮がかなり硬いというか、歯ごたえがある。
豚か羊の腸を使ったものが一般的だが、最近はコラーゲンから作った人工的な皮に詰めたものもあるらしい。
これは一体、何の腸を使っているのだろうと徳子は訝しんだ。
それでも肉の味自体は不味くなく、少し独特の風味とクセがあるのは変わらないが、歯ごたえがあって、それなりに旨かった。
4種類の肉を4日に内にきれいさっぱりと食べ尽くしてしまい、徳子はアンケートを送り返した。
何かしらの連絡なり謝礼なりでもあるかと思ったが、電話一本かかってこなかった。
徳子は不審に思いながらも、販売企画が立ち消えにでもなったのだろうと考え、深くは追及しなかった。
◇◇◇◇◇
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ある日、徳子の友人が訪ねてきた。
ジャンクフードや缶ビールが詰まったコンビニ袋と、一本のDVDを携えている。
「すっごいDVD見つけたんだよー、アングラ系の鉄板実話!一緒に見よ!」
徳子は少し呆れたように苦笑いしつつ、友人を部屋に上げる。
この友人・勝美は生粋のホラー好きで、特に実話を謳ったものとか、ドキュメンタリー風のホラーに目がない。アングラで出回っている怪しげなスナッフ・ムービーは、何度見せられたか分からない。
本物の殺人場面を撮影したと言われるスナッフ映画は、良く出来た物も多いが、殆どは作り物、偽物だ。
しかし、勝美は何度「ハズレ」に騙されていても、懲りずにどこからともなく新作を探し出してくる。
座卓の上にツマミ類を広げ、缶ビールの栓をプシュッと開けると、勝美が満を持した様子で再生ボタンを押した。
その映画は、著作権に関する警告だの新作予告だのといった前置きはまるでなく、いきなり始まった。
タイトルバックもない。ハンディカメラで撮られた主観映像で、ざらざらと粗い画面に所々ノイズが入ったり、手ブレしている。
カメラワークといい照明といい素人丸出しで、人物がカメラの前を横切ったり、見切れていたりして、とにかく見づらい映像だった。
もちろん効果音やBGMなどもなく、音声は現場の雑音をそのまま拾っているだけだ。
しかし勝美に言わせると、そういう雑で素人丸出しの映像の方が、リアリティがあって怖いのだという。
徳子はもともと実話と銘打ったホラーに懐疑的な事もあって、勝美ほど熱心に映像を見ていなかった。
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映像は、どこか廃工場のような湿っぽい場所で、男が頭に黒い布袋をかぶせられ、手足を拘束されて椅子に座らされていた。
そこへ小太りでスキンヘッドの男が現れた。薄いランニングシャツから出た肩や腕に刺青が見える。
日本のヤクザのような艶やかな彫物ではなく、黒一色でゴシック調の紋章のような絵が、肩から腕を覆っている。おそらく背中にも背負っているのだろう。
刺青男は、椅子の男の手首と足首に電極を付け、スイッチを入れた。
その途端、男の体が大きく跳ねるように痙攣し、ぐったりと首を垂れた。
アメリカ映画の電気椅子による処刑シーンで見るような一場面だ。画面の中の男は死んだように見えたが、まだ胸がかすかに上下していて、息をしているようだった。
刺青男は男のぐったりとした体を無造作に引きずっていき、足首に縄を巻いて男を逆さ吊りにした。そして、何の躊躇もない慣れた手つきで、男の首を掻き切った。
逆さに吊られた男の首から鮮血が一瞬だけシュッと噴き出し、その後はドロリと溢れ続けた。暗赤色の血は、作り物にしてもリアルだった。
多分、動物の血でも使っているんだろうな…と徳子は思った。まさに、家畜が屠殺される場面のようだ。
しかし、勝美は「これは“アタリ”かも」と弾むような声で目を輝かせていた。
屠殺された男は袋をかぶせられたままで顔も分からない。
次第に男の首から流れる血が少なくなっていくと、刺青男は、その被害者を台の上に転がし、仰向けに寝かせた。
診療台だか手術台だかに見える台の上で、刺青男は被害者の着ている服を裾から襟首まで一気に切り裂き、その体を露わにした。
その瞬間、徳子は見るともなしに見ていた映像に目を剥いた。
「ちょ…っ、ごめん、今のところもう一回いい?」
勝美が怪訝な顔をしながらも映像を戻す。
男の胸が露わになる場面で、徳子は映像を一時停止させて食い入るように見つめた。
「どうしたの?」
勝美の質問には答えず、徳子は狼狽を隠しきれない様子で画面を凝視している。
画面の中の男の胸には、大きな痣があった。
徳子は、別れた男の体を思い出していた。
男の胸にも痣があった。痣と言っても生まれつきのものではなく、子供の頃に火傷を負い、その痕が色素沈着を起こして痣のように残っているのだと男は説明していた。
成長するにつれて痣の形も変化していって、見様によってはハート型に見える痕が、胸の真ん中に大きく張り付いていた。
あの胸に何度、顔を埋めただろうか。
あの胸の下で何度、快楽に喘いだだろうか。
画面の中の男の胸には、見覚えのあるハート型の痣がくっきりと浮かんでいた。
改めて注意深く観察してみると、体格や身体的特徴など何から何まで別れた男に酷似している事に気付いた。
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刺青男は、ゴム製の前掛けを着け、メスを持って男の胸を喉元から鳩尾まで一息に切り開いた。
開胸器を使って切開した部分を広げると、メスを持った手を胸腔内に潜り込ませる。
そして、しばらくもぞもぞと動かしていたかと思うと、胸から肉の塊を取り出した。
血管らしい管を垂れさがらせ、ぽたぽたと血が滴っている。
「うわ…これって心臓?」
勝美は、徳子の心中も知らず、グロテスクな映像をただ楽しんでいる。
徳子も一見すると夢中で見入っているようだったが、内心では疑惑と不安と動揺が入り乱れて混乱していた。
頭の中が目まぐるしく動いて、もしかしてと思う傍からすぐに有り得ないと打ち消す。
刺青男は、取り出した心臓らしい肉塊を、水栓の下に持って行って蛇口をひねった。
勢いよく流れる水の下で、血管を取り除き、内部に溜まった血を絞り、何度も水に晒して丁寧に洗う。
最後に、何か白っぽい溶液の中に放り込むと、刺青男は次に医療用電鋸を取り出した。
男の頭を覆っていた袋の天辺を切り裂くと、頭頂部分だけを剥き出しにする。
それから大まかに髪を剃り落とし、頭皮を切開して頭蓋骨を露出させると、接合部を中心に頭蓋骨をお椀のように丸く切り取った。
ピンク色の脳髄が露出する。
刺青男はそこへ無造作に手を突っ込み、下に受けたボウルの中に脳髄を掻き出し始めた。
さすがの勝美も「うげっ」と眉をひそめた。徳子はもう直視するのも恐ろしかった。
横目で窺い見ると、開頭された男の顔は布袋で隠れていたが、額から眉のあたりまでが見えていて、それはやはり、あの男に似ていた。
太ももが大腿骨ごと断ち切られ、骨から筋肉が削ぎ落とされる。
その次に、刺青男は、開いた男の腹から細長い管のような物を引っ張り出した。
つられて大腸らしい管まで腹腔から溢れてきたが、刺青男は真ん中の細い管だけを丁寧に引っ張り出し、途中で切り離した。
腸管の内容物をすべて扱き出して、何度も水洗いした後、またしても白い溶液に浸ける。
そして、刺青男は、さきほど掻き出した脳髄を、様々なスパイスらしい粒、生卵、小麦粉の様な白い粉、ハーブの葉などと一緒にミキサーに入れ撹拌する。
そして、灰ピンク色のドロリとしたペースト状になった脳髄をテリーヌ型に流し入れ、しゅんしゅんと湯気を上げている蒸し器に放り込む。
脳髄の処理をやっつけると、刺青男は別の機械の前に立ち、男の体から削いだ筋肉や臓物の破片に、脳髄の時と同じく様々な混ぜ物を加えてミンサーに放り込み、スイッチを入れた。
男の体の一部だった肉片は、ひき肉状になって腸詰器からひり出され、それはそのまま真っ白に洗われた小腸の管に詰められていく。
刺青男は慣れた手つきで詰めては捻り、詰めては捻りを繰り返した。
よく、肉屋の店先にぶら下がっている、数珠つなぎになったソーセージと同じような塊が、刺青男の指先からゴロリゴロリと生み出されていった。
それを金属の棒に並べ掛けて、扉のついたドラム缶のような物の中に入れる。
缶の底では木の破片らしい物が燻って煙を上げていた。
「何これ? なんかいきなりお料理番組みたいになっちゃってんだけど?」
勝美は、拍子抜けしたような顔で、半ば苦笑いを浮かべながら徳子を振り返った。
徳子は真っ青になっていた。
心臓。赤身肉。パテ。ソーセージ。どこかで見た覚えのあるラインナップ。
まさかまさかまさか。いいえ、いいえ、違う。そんなワケない。あり得ない。
刺青男は、それぞれの“加工”が出来上がるまでの間、解体された男の無残な遺骸を片付け始めた。
耳から上を失くし、ぽっかりと空洞を晒す頭部、観音開きになった大胸筋、腹腔から溢れて垂れ下がる大腸、太ももから切断された片脚。
刺青男は、解体台のキャスターを動かし、大きな鉄の扉の前に押し進んだ。
扉を開けると地獄のような炎が轟々と燃え盛っていた。刺青男は台を傾けて、そのまま男の遺骸を焼却炉の中に放り込んだ。
その時、男の顔を覆っていた袋がずれて、一瞬だが男の顔が見えた。
それは、徳子の記憶にまだ新しい、あの別れた男に違いなかった。
この刺青男が何者なのか、どうして彼がこんな事になったのか、想像もつかないし、想像したくない。
しかし、画面の中の無残な遺骸があの彼だという事は、徳子の中で確実になった。
それから、刺青男は、蒸し上がったパテ、燻製された腸詰、血抜きされた心臓と大腿筋を、袋に入れてシュリンカーを作動させた。
袋の中の空気が抜かれて真空パックになったそれぞれの肉塊に、刺青男は何かのラベルをペタリペタリと貼り付けていく。
「何してんの、あれ」
勝美が怪訝そうに目を細めて画面に近寄る。徳子もつられて画面を見ると、カメラが動いてラベル部分がクローズアップされた。
「●▽■高原牧場」
その直後に映像は途切れ、エンドロールも何もなく、いきなり暗転した。
「何これ。最後イミわかんない。ねえ、これって」
勝美は肩透かしを食らったような顔で首を傾げ、意見を求めて徳子を振り返った。
徳子は青ざめた顔をして手の平で口を覆っていた。
そして喉元を大きく波打たせて「うえっ」と嗚咽したと思うと、口元を覆い、こけつまろびつしながらトイレに駆け込んだ。
徳子は便器に顔を突っ込むようにしてしたたかに吐いた。
心配した勝美がトイレの外から声を掛けても、吐き続けた。
胃の内容物がすべて出切っても、涙と鼻汁で顔をぐしゃぐしゃにしながら、吐き続けた。
作者退会会員
グロい話ですみません…。
加工場面は想像です。
料理好きなので、本当に調理するならこうかなあ…と想像しながら書きました。もちろん、自分で食べる気は1ミリもありませんが。
想像なので、医学的ツッコミはご容赦ください(笑)