娘が死んだ。自殺だった。
私のたった一人の可愛い娘。自慢の娘。
誰よりも何よりも愛していた。
だけど、娘は学校でイジメを受けて、耐えきれずに死を選んだ。
何度も学校に相談したけど、学校は役立たずだった。
首謀者である3人の女生徒たちは、親がみな地元の名士らしく、
学校も日和見を決め込んで、娘を見捨てたのだ。
学校の対応にも腹が立つけど、何より私はこの3人を許さない。
絶対に、絶対に許さない。
復讐してやる。
あの子たちのこれからの人生、暗い影となって一生つきまとってやる。
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私は毎日、彼女らの後ろをつけ回した。私の顔は知っているはず。
自殺に追い込んだ子の親が、恨みがましい目でいつも付きまとってきたら、どんな気持ちがするかしら。
最初は私の事が分からなかったみたい。
だけど、いつも3人の外出時には尾行してやって、物陰からじっと睨みつけていたら、
その内、一人が気付いて、3人とも私を認めるに至った。
ふふふ、怯えてる、怯えてる。
いい気味。自殺した子の親がストーカーしてくるんですもの。不気味でしょうね。
逃げたって無駄よ。どこに逃げても私にはすぐに分かる。
3人が別々の道に別れると、毎日一人ずつ、尾行してやった。
先回りして玄関の植え込みの陰からじっと睨んでやったり、夜は窓の外に立って驚かせてやった。
家人に見咎められた事は一度もない。子供だけを上手く怖がらせて、さっと姿を消す。
あの子たちの怯える顔を見ると、少しは気が晴れる。
ささやかな復讐だけど、私にはこれが精一杯。
本当は殺してやりたいほど憎いけど、さすがにそれは実行が難しい。
捕まって犯罪者になるのはごめんだわ。あの子たちこそ犯罪者よね。
直接は手を下さずに、あの子たちを追い詰めてやる。
あの子たちがノイローゼになるまで付きまとって、自滅するのを笑って見てやるわ。
このぐらいでも生易しいものだ。
私の可愛い娘は、苦しみ抜いて、自ら死んだのだ。あの子らのせいで。
ああ、何故あの時、気付いてやれなかったのだろう。
何故あの時、助けてやれなかったのだろう。
自責の念がずっとこびりついている。
学校もあの子らも憎いけど、一番憎いのは本当は自分。
だから余計に苦しい。
だからこんな虚しい復讐にしがみついている。
私はもう狂ってしまっているのかもしれない。
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今日も私はあの子たちの後を付ける。
時おり姿を隠して安心させたら、先回りした物陰からいきなり姿を現して無言で睨む。
彼女らは一度も私に話しかけてこない。
私の姿を見ると、ただ怯えて、黙って、見ないフリをしてやり過ごすだけ。
少しは罪悪感でも感じてるのかしら。
だけど謝る気はないのね。
ふん、あの怯えようったら。被害者面が腹立たしいわ。
あの子らも、親や周囲に言いつけたらしいけど、どうも誰も本気にしないみたい。
そりゃあそうよね。だって私はイイ年の大人だもの。まさか、そんな真似をするなんて信じないでしょう。
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昨日はトイレの上から覗き込んでやった。
じっと、黙ったまま、睨みつけてやった。
悲鳴を上げて逃げていく。大袈裟だこと。
他人の事は平気で踏みにじるくせに、自分の事だと大騒ぎするのね。
今日はロッカーの陰から。無言で、恨みを込めた目で。
明日はベッドの下にでも潜んでいてやろうかしら。
あははははは。あの怖がりようったら。いい気味。
夜も昼も関係なく、私は彼女らの周りに出没してやった。
出来るだけ恨みがましい顔をして、無言であの子たちを睨みつけてやる。
私の姿を見つけると悲鳴を上げて半泣きになって、周囲の人間たちに訴えている。
だけど私はその前にさっと姿を隠すから、あの子たち以外、誰にも見られた事はない。
だから、あの子たちの言い分を信じる者はいない。
もっと苦しめ。もっと怖がれ。
娘の哀しみを、私の苦しさを、思い知れ。
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だけど、いつまでもこのパターンじゃ私の心が晴れなくなってきた。
そろそろ、はっきりと決着をつけないと。
私は彼女らを学校に呼び出した。学校に来なさい、と。
今まで散々怖がらせてやったから、私には逆らえないみたい。
彼女らは揃ってふらふらと教室に入ってきた。
娘が手首を切った教室で、報いを受けさせる。
たとえ、あの子たちを死なせる結果になろうとも構わない。
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「私の娘を返して」
「お前たちこそ死ねばよかったのよ」
「呪ってやる」
「恨んでやる」
「許さない」
私は思いつく限りの恨みの言葉を吐きながら、怒りを目一杯ぶつけた。
一言でも謝ってくれたら。
娘のために泣いて、悔いてくれれば。
だけど、彼女らはただ教室の隅に身を寄せ合って、自分のために泣いているだけだ。
許さない。
怒り、苦しみ、恨み…それらが私の全身を包んで爆ぜ、
熱い炎のように燃え上がって、空気をも震わせるようだった。
3人は抱き合って悲鳴を上げ、泣き叫んだ。
逃げようとしたけど、教室のドアも窓も開かないようにした。
逃がすものか。
怯えろ。悔やめ。自分たちがした事を。
そして今こそ報いを――死ね。死んでしまえ。
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その時、教室のドアがいきなりガラッと開いた。
「お母さん! やめて!」
私の娘、日南子が必死の形相で飛び込んできた。
「…お前、死んだんじゃ…どうして」
「違う!あたしは生きてるの! 死んだのはお母さんなんだよ!」
その時、頭の中で何かが鮮明に浮かび上がった。
これまでずっと靄がかかってハッキリ見えなかったものが、急に鮮明になった。
娘が教室で手首を切って病院に運ばれたと連絡を受けた、あの日の午後。
私は大急ぎで車を走らせて病院へ向かった。
途中の交差点で信号の変わり目だったのを焦って突っ込んで…目の前に迫るダンプカーの正面。
そこから記憶がない。
「確かにあたし、ここで手首切った。辛くて、苦しくて、逃げたくて。
だけど、すぐに用務員さんに見つけてもらって、救急車で病院に運ばれて」
日南子は左手を掲げて見せた。手首の付け根に痛々しい縫合痕があった。
「ごめん、ごめんなさい、お母さん」
日南子が泣きじゃくりながら近づいてきた。
リアルな存在感。そこにいる。私の日南子。
「あたしずっと、お母さんに謝りたかった。あたしのせいで…あたしが自殺なんかしようとしたせいで」
泣きじゃくる私の日南子。小さな頃から変わらない泣き顔。
抱きしめたい。この腕にあの子を、もう一度。
手を伸ばしたけど、私の手は日南子の体をすり抜けた。
そこにいるのに、触れなかった。
日南子は手の甲で涙をグッと拭って、私に携帯の写真を突き出して見せた。
「見て、お母さん。あたし、もう大学生になったんだよ。大学で友達いっぱい出来たの。毎日楽しいの」
携帯の小さな画面の中で、制服姿ではない大人びた日南子が笑っていた。
大勢の、同年代の子たちとピースなんかしながら、楽しそうに笑っていた。
日南子の隣にいる男の子が日南子の肩を抱いていた。優しそうな男の子。幸せそうに笑う日南子。
「もう絶対に自分から死のうなんてしない。もう何があっても逃げない。
だからお母さんも、もうやめて。もういいの。お母さん、あたし、もう大丈夫。もう大丈夫だから」
私の日南子。私の愛しい娘。
今、目の前で泣きながら微笑んでいる。
涙で濡れる頬を手の平で包んだ。
触れないけど、温もりが伝わってきた。
幸せなのね。
笑っているのね。
生きているのね。
◇◇◇◇◇
夕陽が完全に沈み、空がオレンジ色から紺色のグラデーションに飲まれようとしている時だった。
西の方角から眩い金色の光が差し込み、教室を満たした。
その光に包み込まれた母親の姿が、少しずつ薄れていく。
「お母さん!」
慈愛に満ちた微笑みを浮かべたまま光の中で薄れゆく母親の姿に、日南子は手を伸ばした。
「お母さん!あたし、ごめ…っ、ごめんなさ…」
涙を流し、嗚咽に言葉を詰まらせながら、なおも日南子は叫んだ。
「ありがと、お母さん…お母さ…」
窓から差し込んだ光は、西の方角に向かって吸い込まれるように消えていった。
同時に母親の姿も消えた。
教室の中が暗くなって、片隅で固唾を飲んで震えていた3人の娘らが、抱き合ったままいきなり泣き出した。幼い子供が癇癪を起したように、顔をぐしゃぐしゃに歪めて、わあわあと泣いた。
「ご、ごめ…ごめん、ごめんね、あたしたち…」
「日南子ぉ…ごめん…ごめんなさ…ひっ…」
言葉にならないほど泣きじゃくりながら、3人は日南子に駆け寄り、何度も何度も“ごめん”と繰り返した。
「もう…いいよ」
そう言って、縋りつく3人を両腕で包み込み、静かに微笑む日南子の表情は、菩薩のそれであった。
作者退会会員
毎回いつも救いのない話とか、胸クソ悪い結末が多いので、
今回は無理やりハッピーエンドにしてみました。
…が、やはり慣れない事はするもんじゃないですね(笑)。
なんか、こっ恥ずかしい…orz
何はさておき、いじめは絶対にダメですね。
だけど、被害者も自殺という方法を選ばないで欲しいです。
ダメ元で誰かに相談してみて欲しい。
助けてくれる人が絶対にいるはずだと思うのです。
いじめ自殺のニュースは本当に辛い。