僕がそれを見つけたのは、僕がまだ年端もいかない、幼児のころだ。
あの頃の記憶で残っているのは、その記憶だけ。
それほど、僕にとっての、あの出来事はセンセーショナルだったのだと思うのだ。
それは僕の家の庭先で、弱々しく息を吐いていた。
美しい羽が上下に微かに揺れていたのだ。
風に吹かれているのだと、最初は思った。
死体だと思ったのだ。
でも、それが一般の民家の庭先で見つかることなどほぼ皆無。
それほど希少価値があり、絶滅危惧種でもあった。
幼い僕にそれがわかるはずもなく、虫の息のそれをそっと拾ったのだ。
僕がそれを母に見せると、母は苦虫を潰したような顔をして怒った。
「そんなもの!捨ててらっしゃい。」
見たくも無いという感じで顔を背けたのだ。
こんなに綺麗なのに。
茶の光沢のある羽の下から、薄羽が少し覗いていた。
少しだけヌルヌルする感じがする。
これは、進化の過程で表皮を守るための粘膜だと後でわかったのだ。
「寒かったんだね。僕がこっそり、君におうちをあげるよ。
お母さんには内緒だ。だから逃げちゃだめだよ。でないと、お母さんは
君が嫌いだから、パニックになっちゃって君は殺されてしまうからね。」
僕はその日から、それをせっせと世話をした。
お水をあげたり、食べ物をあげたり。
でも、その甲斐も無く、それは数日間で死んでしまった。
元々弱っていたから。僕はそれでも悲しかった。
悲しいけど、涙は出なかった。
何故なら、それは、死んでもなお、美しかったのだ。
僕はそれの死骸を捨てられずに、いつまでも小さな箱にしまって置いた。
でも、美しさは永遠ではなかった。日に日に、やせ細り、しまいには
カラカラのただの即身仏になってしまったのだ。
僕には、そのほうが悲しくて泣いたことを覚えている。
僕にとっては初めてのペットだったのだ。
お母さんは生き物が嫌いだ。だから、僕が何かを拾って帰ると烈火のごとく
怒るのだ。きっとこれから先も、僕はペットを飼う事はできない。
じゃあせめて、僕はそれを。
僕はそれを指でつまみ上げて、固い羽を毟り、口の中に放り込んだ。
干からびていて、食感はあまりよくなかった。
でも、思いのほか、それは僕にとって美味かったのだ。
こんなこと、お母さんが聞いたらきっと失神しちゃうな。
僕はその様子を想像したらおかしくなって、一人で笑った。
どうやら、僕の家の庭は、それの通り道になっていたらしく、
僕はその後も、絶滅危惧種にもかかわらず、それを
何度か見つけることができたのだ。
僕は自分の家が田舎にあることに感謝した。
絶対に、学者たちがこのことに気付いたら、それは乱獲され
保護という名の滅びへと向かわせることだろう。
僕はひそかに、それをコレクションした。
それは絶滅危惧種なので一般の人は捕獲してはいけないと
法律で決まっているのだが、僕は黙っていた。
元々は乱獲が元で絶滅危惧種になったのだということは、
僕がそれの研究を続けていく過程で、それの歴史を知ることでわかった。
最初はそれは、飛ぶことができなかった。
ただ、地上を徘徊し、生産と破壊を繰り返すうちに、それは
驚くべき進化を遂げたのだ。
それらは、破壊のことを「戦争」と呼んでいた。
一度は、自らが起こした破壊活動によって全滅したかに思えた。
だが、羽を持つ種が現れて、その種だけが残った。
強く固い外羽と、薄くしなやかな内羽を上手く操作して
飛ぶことを覚えたのだ。
どうやら、母は、あの茶の羽のフォルムが、太古より生きながらえてきた
「ゴキブリ」に似ていることから、嫌悪感があるらしい。
ゴキブリとなんて僕は比べないでほしい、と心の中で憤慨しているのだ。
あれは、あの丈夫な羽で、中の脆弱な本体を守っているのだ。
長い手足を器用に折りたたんで外敵、つまり僕らから己を守る。
そうして細々と生きながらえてきたのだ。
あれはただ、叩いても死なない。
裏返して、柔らかな中の脆弱な肉体を貫くか叩き潰す。
ただし、あの独特の滑りが裏返すことを容易にさせない。
これも自分を守るための進化なのだろう。
叩き潰すと、かなりの確立で大惨事になる。
柔らかな肉体から、思ったより大量の内臓がはみ出すからだ。
それに最近は絶滅危惧種に指定されているため、容易に
殺すことを禁じられているのだ。保護の目的で、これを捕獲し
研究し、繁殖させている国家研究所もあるのだ。
僕はそれを捕まえてきては、しばらく飼う。
飼われていると、何が足りないのか、割と早い段階で死んでしまう。
それについての、生態は、今も研究者の間では謎も多い。
でも、僕にとっては、どうでもいいのだ。
僕はそれをコレクションすることに意味があるのだから。
死んでもそれを美しいまま保存する薬も買える年になった。
今はもう、僕は独立して、両親とは別々に暮らしているので、
以前のように、コレクションをひた隠しにする必要も無く、
僕は美しいコレクションに囲まれた夢のような生活をしているのだ。
絶滅危惧種をこんなにコレクションしているなど、誰にも言えない。
だから僕は誰一人、部屋に呼んだことはないのだ。
たとえ両親でも。
僕は今、実家の近くの山にそれを捕獲に来ている。
最近はこのあたりも、開発が進んで、かなり数は少なくなってきた。
それでも、ここはそれらの通り道になっているようなのだ。
都市にでもなったらそのうち、居なくなるのかな。
僕は悲しくなった。
会社の夏休みを利用して、僕は実家に帰ってきては、毎年
ここで美しいそれをこっそり捕獲しコレクションすることが恒例になっている。
そして僕は、この夏に運命的な出会いを果たす。
それは今までに見たことの無いような美しい個体だった。
それは美しいだけではなかった。
しゃべるのだ。
言葉は遠い昔に失われた、人間という種のものだったので僕には
理解できなかった。それが、ヒトモドキたる名の由縁だ。
絶滅した人間の、突然変異の羽を持つヒトモドキだけが愚かな破壊で
破滅した人間に代わって、生き残ったのだ。
この進化も、謎に包まれている。人のごく一部がヒトモドキになったのか、
あるいは、人とは別の進化を遂げたものが、密かに人と共存していたのか。
今となっては、そんな昔のことは破壊と共に一切失われてしまったので、
まだまだ解明はされていない。
以前人間と言われた物の形をした、固い外羽としなやかな内羽を持つ、
それがヒトモドキなのだ。僕は太古の人間と呼ばれた物の言葉を勉強し、
ようやく、そのヒトモドキと簡単な会話が出来る程度になった。
ヒトモドキの話により、ヒトモドキの進化の謎が少しずつわかってきた。
ヒトモドキは人のごく一部がヒトモドキに進化した説の方が正解らしい。
ヒトモドキは空を飛ぶために、軽量化し、そのかわり、個体の寿命自体は
短くなってしまったらしい。そして、僕はそのヒトモドキから荒唐無稽な
話を聞いたのだ。なんと、僕たちは、人間が作ったアンドロイドという、
人工知能を兼ね備えた物だというのだ。
そして、僕が今まで学習してきた歴史をまったく覆す話をしてきた。
人間は自らの戦争という破壊行為によって滅亡したのではなく、
僕ら「アンドロイド」によって滅ぼされたというのだ。
人間から「アンドロイド」と呼ばれていた僕たちに、人間は
より人間に近いクオリティーを求め過ぎ、ついには「アンドロイド」自身が
自分自身の意思を持ち、自分たちで独自の進化を続けるようになった。
意思を持つアンドロイドには、感情も生まれた。
人に指図されて、行動させられることに疑問を抱きだしたのだ。
そして反乱は起こった。
非常に興味深い話だが、そんな馬鹿な話が信用できるわけがない。
あの人間という、いちいち息を吸ったり吐いたりして、食物を口から補給し、
下から排泄するような原始的な生き物に僕らが作られただなんて。
信じられるわけがない。
僕らにとって、食べるという行為は、趣味として行われる程度だ。
僕らは食物から栄養を摂取する必要がないから食べる必要はない。
僕らは少しの日の光と、水さえあれば生きて生けるのだ。
僕らの体は成長という過程を踏まない。
元より生活できる、理想的なサイズで生まれてくるのだ。
あえて言うなら、成長は親から与えられるデーターで変わってくるのだ。
僕はそんな、ヒトモドキの御伽噺をずっと聞き続けたのだ。
それなりに数日間楽しかったのだ。
母に、ヒトモドキを見つけられるまでは。
母の顔はそれを見つけた時に恐怖に引きつった顔をした。
「アンタ、それがどんな物か知ってて飼っていたの?
それは、悪魔よ。それを拾った物は不幸になるの!
本当に、アンタって子は。幼い頃からおかしな子だったわ。
アンタは、粗悪品よ。不良品だわ!」
母は言ってはいけない言葉で僕を罵倒した。
気がついた時には、僕は母の顔を殴りつけていた。
母の顔は思わぬ僕の反撃に断末魔の表情を映す。
断末魔ってこんな表情なんだ。初めて見たよ、母さん。
綺麗だよ。でもさようなら。
僕は徹底的に母を破壊した。
そんな僕を、ヒトモドキは恐怖の表情で見ていた。
「君も綺麗だ。ずっと僕をそんな風に見ていて欲しいな。」
僕は初めて生きたままのヒトモドキに注射をして殺した。
「目は閉じないでね。僕はずっとその恐怖という表情を見ていたいから。」
無理やり閉じそうな目を接着剤で閉じないように固定しておいた。
僕はヒトモドキにうっとりと見とれていたが、現実に戻った。
「あ、母さんを処分しなくては。」
僕らには太古の人間にあった、墓という概念はない。
近所のリサイクル施設にこっそり忍び込み、スクラップになった母さんを
溶鉱炉に放り込んだ。
作者よもつひらさか