「やだ、お父さん、カラスなんて拾ってきて!」
玄関を開けたお母さんが悲鳴に似た声をあげた。私もびっくりして、玄関まで出てきたのだ。
奇行が目立つお父さんのことだから、あり得ると思った。
「違うよ。」と真っ黒な鳥を両手で掴んでニヤニヤと笑っているお父さんが立っていた。
「キュー!」
カアではなく、甲高い声でその鳥は鳴いた。よく見ると、くちばしは鮮やかなオレンジ色だ。
ホッペの一部が黄色い。
「九官鳥?」
私が後ろから言うとお母さんが振り向いて、そうなの?という顔をした。
「玄関先でウロウロしてた。怪我をしているようだ。」
お父さんはその日のうちに、九官鳥が住むに十分な鳥かごを買ってきた。
もうかなり大きくなっている成鳥なので、私ははっきり言って、あまり歓迎しなかった。
どうせなら、ヒナから飼いたい。でも、かわいそうだから仕方ないか。
一応、お父さんがデジカメで撮ってポスターを作製して、人が集まりそうなところ、公民館やスーパーなどの掲示板に貼ってもらい、飼い主を探すことにした。
飼い主が見つかるまでは、とりあえずうちで保護することになった。
どこかで飼われていたことには間違いない。その九官鳥の名前は「キューちゃん」。自分からそう名乗ったのだ。カゴに入れてすぐは警戒してたのだけど、慣れてくると「キューちゃん、キューちゃん」とおしゃべりするようになった。最初は私も、かわいくないと思っていたのだけど、おしゃべりをするようになって、だんだんと情が移ってきてかわいいと思うようになった。
「キューちゃん、キューちゃん。お風呂、沸いた?」
「ピーンポーン。」
キューちゃんは今まで飼われていた家で覚えた言葉や、チャイムの音まで真似た。
おそらく以前飼われていたおうちでは、キューちゃんは玄関の辺りで飼われていて、その玄関の近くにはお風呂があったにちがいない。キューちゃんは日に日にいろんな言葉をしゃべるようになった。
うちでも言葉、覚えてくれないかなぁ。私も、キューちゃんに言葉を覚えさせようと、毎日新しい言葉を話しかけたけど、一向に覚えてくれなかった。やっぱり本当の飼い主じゃないからかなあ。私は、そんなことをぼんやりと考えながら、キューちゃんを眺めていた。キューちゃんはしゃべる前に必ず、小首をかしげる。キューちゃんは覗き込む私に、小首をかしげて声を発した。
「殺すぞ!」
私はびっくりして、体がビクンと動いた。え?聞き間違いよね?すると、またキューちゃんは小首をかしげた。
「殺すぞ!このやろう!何やってんだ!」
ぞっとするような低い声だった。
聞き間違いじゃない。
今まで聞いたこともない声。自分の名前を呼ぶ時や、他の声とは明らかに違う。男性の低い声。
私が驚いて固まっていると、キューちゃんは今度は甲高い声でキィーッ!と鳴いた。
「やめてー、やめてー!キャー!」
今度は女性の甲高い悲鳴。
「死ね!」
男性の怒鳴り声。
「許してー!許してー!お願いー!ぎゃあああああ!」
女性の悲鳴。
キューちゃんは、今までのかわいさと打って変わって、恐ろしい言葉を吐いたのだ。
なにこれ。私はすごく怖くなった。
慣れてきたキューちゃんは、さまざまな暴言を吐くようになり、正直私もお母さんも怖くなった。
「こりゃ、前の家で覚えたんだな。」
お父さんもそう言うと、考え込んでしまった。
飼い主がこの言葉を吐いていたのだとすれば、飼い主はかなりのサイコパスだ。
そして、それに家族は苦しめられていることは容易に想像できる。
お父さんは今まで情報を収集していたポスターを全て剥がした。
それからもキューちゃんの暴言は続き、私達家族はキューちゃんをどうしようかと考えあぐねていた。
そして、お父さんはどこかに引き取ってもらうべく、いろんな所に連絡しているようだ。
そしてなんとか、キューちゃんを引き取ってくれる所が見つかった。
市内のミニ動物園がキューちゃんを引き取ってくれるという。
私達家族はほっとした。もうあの暴言を聞かされずに済むのだ。
私達は、迷い九官鳥を保護しているが、飼い切れなくなったという理由でキューちゃんを引き取ってもらうことにして、キューちゃんの暴言の事は黙って園の人にキューちゃんを引き渡したので、正直少し後ろめたさはあった。だが、たぶん引き取ったほうも意味を理解してくれると思う。
キューちゃんを手放した次の日、私が学校から帰って一人で留守番をしていると、来客があった。
誰だろうとインターホンのカメラを見た。
「こんにちは。内山かおりの父親です。」
カオちゃんのお父さん?
内山かおりというのは、私のクラスメイトでこの1ヶ月くらい学校を休んでいる。
カオちゃんは、かわいらしくて大人しい女の子で、私はよく一緒に遊んでいた。
カオちゃんのお父さんは一度だけ見たことがある。カオちゃんとはよく遊んだのだけど、カオちゃんちに行ったのは、カオちゃんが風邪をひいて休んだ時に、届け物をした時だけだ。カオちゃんちに遊びに行ってもいい?と言うとカオちゃんはいつも、「お父さんが寝ているから」とやんわりと断ってきた。たぶん、夜中のお仕事なのだろう。届け物をしたとき、「いつもかおりと遊んでくれてありがとうね。」とニコニコして届け物を受け取ってくれた。優しそうなお父さん。なんとなく、おぼろげながら顔を思い出した。
「はい。」
私はいつも親が居ない時は居留守を使って出ないのだけど、カオちゃんの近況も知りたいので、ドアを開けた。
「こんにちは。かおりに頼まれて、借りてた本を返しにきたんだよ。」
カオちゃんのお父さんはそう言いながら玄関に入ってきて、私に本を渡してきた。
「私、カオちゃんに本なんて貸してませんけど?」
そう言った。全く見覚えの無い、漫画本だった。
「あれ?そうなの?かおり、勘違いしてたのかなぁ?」
お父さんはそう言い、考えるように首を捻った。
「かおりの勘違いかもね。ごめんね。ところで、スーパーで九官鳥を保護したってチラシを見たんだけど、あれ、うちの九官鳥なんだ。保護してくれてありがとうね。引き取りにきたよ。」
私は、カオちゃんのお父さんがそう言ったので、キューちゃんの暴言を思い出して、心臓が跳ね上がった。
ま、まさか。あの暴言は。
「あ、あの。キューちゃんはもううちにはいません。」
私は震える声で言った。その様子を見て、カオちゃんのお父さんの笑顔が引きつった。
「え?じゃあどこにいるの?」
「動物園に・・・引き取ってもらいました。」
私がそう言うと、カオちゃんのお父さんから、さっと笑顔が消えた。
「困るなあ。人のうちのペットを勝手にそういうことをされちゃあ。」
そう言いながら、後ろ手でカチンと鍵を閉めた。
私の中で、危険を知らせるアラームが鳴り響いている。
「うちの九官鳥、何か言ってなかった?」
そう言われて、私は咄嗟に嘘をついた。
「べ、別に、何も。」
すると、カオちゃんのお父さんの顔が怖い顔に豹変した。
「嘘付け、コノヤロウ。聞いたんだろ?えっ?」
低い声でそうすごまれて、私は後ろに退いた。
「殺すぞ。」
キューちゃんにそっくりな、あの低い声だ。
私は脱兎のごとく走って逃げた。
焦った時ってなんでこうなのか。勝手口から逃げればよかったのに、私は二階の自室に逃げ込んで鍵をかけた。
「開けなさい。おじさん、何もしないから。あの九官鳥を処分しなくちゃならないんだよ。どこの動物園に預けたの?お嬢ちゃんが、九官鳥の言ったことを言わないって約束してくれればいいから。ね、開けなさい?開けて?
開けろ!」
扉がドンッと大きな音を立てた。たぶん、扉を蹴ったのだ。
怖い。助けて、誰か!
「アキ?居るの?」
玄関からお母さんの声がした。階段を上がってくる音がする。
お母さん!助けて!でも、来ちゃダメ!
「あなた!誰なの?キャー!やめっ・・・・!」
お母さんの悲鳴が扉のすぐ外でした。ドタバタと激しい音がして、お母さんが苦しそうに呻いている。
お母さんを助けなきゃ!でも、私が出たところで返り討ちにあうだけ!
二階から外に叫ぼうか?でも、そんなことをしている間にも、お母さんが!
私は、意を決して鍵を外し、思いっきりドアを開けた。
すると、ドアがドンッと音を立てて、おじさんを突き飛ばした。その拍子にお母さんの首にかけられていた手が緩んだ。お母さんは、苦しそうに蹲って咳き込んだ。
「このガキャ!」
おじさんが私に飛びかかろうとした。私は姿勢を低くしてその手を逃れた。
おじさんはバランスを崩して、階段の上から真っ逆さまに下まで落ちていった。
お母さんと私は、恐る恐る下を見た。おじさんは動かなくなった。
「け、警察っ!」
お母さんは震える手で、スマホをポケットから取り出した。
震える指でお母さんがスマホを操作していると、いきなりおじさんが飛び起きて、階段を駆け上がってきた。
私とお母さんは驚いた。
「逃げて!アキ!」
お母さんはそう叫ぶと、私を突き飛ばし、階段の段差を利用して、おじさんが迫ってきた間合いを見計らって、顎に強烈なキックをお見舞いした。おじさんは派手に頭から階段を落ちていった。今度こそ、おじさんはピクリとも動かなかった。
お母さん、強い!お母さんは、先程とは比べ物にならないほど力強く見えた。
そして、110番に電話した。
その日、私を打ちのめす真実を知った。
カオちゃんの家から、変わり果てたカオちゃんのお母さんとカオちゃんが見つかった。
死後1ヶ月とのことだった。病気というのは嘘で、カオちゃんのお父さんが暴力をふるってお母さんとカオちゃんを死なせてしまったことをニュースで知った。カオちゃんのお父さんは、うちのお母さんの一撃で階段から落ちて頭を強打して意識不明の重体。警察から事情を聞かれたけど、正当防衛として仕方ないことだった。
カオちゃんは、おとなしくていい子で、恥ずかしがりやで、いつも着替える時は隠れて着替えた。女の子同士なのにと不思議に思っていたけど、たぶんあれは体の傷を見られたくなかったからなんだろう。たぶん日常的に虐待を受けていたのだ。私はカオちゃんの力になれなかった自分の無力さが辛かった。カオちゃんのお父さんは、二重人格者のようだ。外ではすごく社交的でいい人に見えたのに。
「こんなことを言うのは不謹慎なんだけど、なんだって九官鳥を連れ戻そうとしたのかな、あいつは。連れ戻そうとしなければ、発覚しなかったことだろう。」
「さあ?殺人者でサイコパスの心理なんて、私達にわかるわけないじゃない。」
お母さんがそう言うとお父さんはそうだな、と言った。
「しかし、お前達が無事で何よりだ。アキ、今度から知ってる人でも、ドアを簡単に開けちゃだめだぞ?いいね。」
言われなくたって、そうしますよ。
私達はそれからしばらくして、家族でキューちゃんの引き取られた動物園に行った。
キューちゃんは相変わらず、来園した人たちに暴言を吐いていた。
私達家族は、言いようの無い切なさを感じた。
それからしばらくして、園からキューちゃんは居なくなった。
園の話では、逃げられたとのことだけど、本当のところはわからない。
「殺すぞ!」
突然、空から降ってきた言葉に私は驚いて振り向いた。
電線にはオレンジのくちばしを大きくあけた真っ黒な翼のキューちゃんがとまっていた。
キューちゃんはこれからも呪詛の言葉を撒き散らしながら大空を羽ばたくのだろうか。
私はそれを思うと、胸が苦しくなった。
作者よもつひらさか