ピロロロロロ、ピロロロロロ、
無機質な着信音が、部屋中に鳴り響いている。
僕はのそのそと掛け布団から這い出し、充電器ごと携帯電話を手繰り寄せた。
ゴトン
携帯電話が充電器の元を離れ、床に落ちる。
「・・・・・・親離れ。」
寝惚けた頭で呟いたが、自分にも意味不明だ。何故《親離れ》という単語が頭に浮かんだのだろう。
電子音はまだ鳴っている。
僕はベッドから身を乗り出し、携帯電話を取ろうとした。
ドスッ
僕もベッドの元を離れ、床に落ちた。
「・・・・・・・・・うぅ。」
寝起きだ。
痛い、と意思表示をする程の知性は無い。
次いでに言うならば、立ち上がり、ベッドへと戻る程の気力も無い。
電子音はまだ鳴っている。
もう、鳴り始めて随分と経っているはずだが、一向に切れる気配が無い。
携帯電話と僕を強制的に親離れさせ、冷たい床に叩き付けた張本人だと言うのに、何と厚かましい奴だ。僕はまだ布団の中に居たかった。
「ううぅ・・・・・・。」
唸ってみても、電子音はお構い無しで鳴り続けている。
頭では《此方が親離れしようが唸ろうが、電話掛けてる相手が察する訳が無いだろうエスパーじゃないんだから馬鹿じゃないのか本当に》という事にも薄々感付いていたのだが、其れを理解した上でも腹が立つ。
然し、流石に此れ以上スルーを決め込むのも駄目だろう。急ぎの連絡なのかも知れないし。
僕はもう一度小さく唸り、電話に出た。
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「・・・・・・もしもし。」
「何だ。・・・随分と遅いから、居ないのかと思ったよ。」
電話を掛けていた相手は、兄だった。
「寝ていたんですよ。」
兄ならば遠慮は要らない。不快感を顕にして不平を言う。
「着信音で、叩き起こされたんです。」
「そうか。其れはすまなかった。」
兄は思いの外あっさりと謝罪をした。
そして、少しだけ説教染みた口調で続けた。
「然し、もう十一時だよ。幾ら冬休みとはいえ、何時までも寝ているのもどうだろう。学生の特権とも言えるし、気持ちは解るけどね。」
説教染みた・・・というか、説教だな。此れは。
僕は溜め息を吐いた。
説明は面倒臭いが、だらしないと思われるのも心外だ。仕方無い。
「一昨日、昨日とクリスマスだったでしょう?」
「そうだったのか。すっかり忘れていた。」
「そうだったんですよ。世間は大賑わいでした。」
「・・・・・・嗚呼。パーティーではしゃぎ過ぎて疲れてるのか。」
「違いますよ。はしゃいでいたのは一人だけ。僕は其の人に振り回されて、散々な目に遭いました。」
「・・・うん。察した。其れは大変だったね。」
「分かって頂けましたか。」
「君も毎年難儀な事だ。・・・・・・電話、また掛け直そうか?」
「いえ。どうせ起きてしまいましたから。話が終わってから、改めて寝直します。」
「そうか。悪いね。去年は・・・川に入って風邪を引いたと聞いたが、今年は?」
「海に入って死にかけました。」
「お疲れ様。」
「どうも。・・・・・・で、何の御用ですか。」
「うん。もう、話し始めてしまって良いのかな。」
「ええ・・・・・・あ、少し待ってください。」
どうせ布団へは戻らないのだから、と炬燵のスイッチを入れる。暫く待ち、首まで潜り込んだ。
「どうぞ。」
まだ暖まっていない。寧ろ炬燵布団が冷たい。
僕は寒さ紛らわす為、モソモソと炬燵の中で身動ぎをした。
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私の家の近所に、ミハラ、と言うお婆さんが住んでいた。数字の三に、原っぱの原。
娘夫婦と同居していて、三人暮らしだった。
面倒見の良い人でね。
子供の頃、よく御世話になっていたよ。
ほら、父は仕事が忙しかったし、私も子供だったから。食事の用意が面倒で、ついつい即席の物ばかり食べてしまってね。
其れを見かねた三原さんが、食事の時は私を三原家に連れて行ってくれたんだ。
料理は三原さんが作っていたんだけど・・・。
玉子焼きが美味しくてね。
いや、単に子供だったから、他のおかずが魅力的に見えなかっただけかも知れないが・・・・・・。
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三原さんの玉子焼きは、普通の其れとは少し違かった。甘辛く照り焼きにしてあるんだ。玉子焼き本体は薄味でね。
小さい頃、「甘い玉子焼きじゃ御飯が食べられない」と言ったら、考えてくれた物なんだ。
三原さんは《照り焼き玉子》と呼んでいた。
始めて食べた時、美味しい美味しいと言っていたら、毎食出て来る様になったよ。でも、飽きる事は無かったな。
自分で作ってみようともしたんだけど、玉子焼き自体ボロボロで、その上醤油だけで照り焼きにしようとしたから、しょっぱいわ焦げるわ照りが出ないわで物凄い代物になってしまったんだ。まぁ、小学生の時の話だから、仕方無いと言えば、仕方無いのかも知れないが。
・・・あ、今は流石に作れるよ。
けど、やっぱり完璧に再現するのは無理だろうな。身体に染み付いた味だから、忘れる事は無いだろうけどね。
中学を卒業してから、友人も増えたし、妙に申し訳無く思えてしまって、疎遠になっていたが・・・其れでも、きっと、忘れる事は無い。
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其処まで話すと、兄は黙ってしまった。
焦らしている訳でも無いらしく、少しだけ荒い呼吸の音だけが聞こえて来る。
僕は、彼が何を言いたいのか分かった。
「御亡くなりになられたんですか。」
「・・・・・・うん。」
兄が弱々しい声で応える。
「四日前に。」
「其れは・・・御愁傷様でした。」
「通夜は一昨日、葬式は昨日だった。」
だから、クリスマスを忘れていたのか。
「良い式だった。故人が良い人だったからだろうね。」
兄は言う。
「末期の癌だったんだ。認知症にもなっていたから、発見が遅れてしまった。」
「認知症も、随分と進行してから判ったんだ。」
「可笑しいと思う所は有った。気付いてたんだ。本人に任せたりせず、嫌がってでも何でも、ちゃんと病院に連れて行けばよかった。」
一種の懺悔なのだろう。兄は滔々と後悔を語った。
「孫同然の扱いを受けて置きながら、何も出来なかった。沢山の恩が有ったのに、何一つ返せなかった・・・・・・。」
電話の向こうで、ザーザーとノイズが走った。兄が深呼吸でもしたのだろう。
「式の間も現実感が無くてね。火葬場で骨になったのを見た時、始めて泣けた。」
「火葬に・・・・・・立ち会えたんですか。」
「うん。本当なら親族だけなのだろうが・・・夫妻が、私は子供の様な物だから、と。」
大きく鼻を啜る音。
「遺影がね、私と一緒に撮った物を使っていたんだよ。顔の部分をアップにしててね。」
ヒック、としゃくり上げる様な音も、聞こえる。
「其れがまた、楽しそうなんだ。ニコニコ笑ってるんだ。だからか、余計に悲しく思えなくてね。」
「こんな仕事だし、親が死んでも泣けないだろうと思っていたんだけどなあ。」
僕はどう返答すれば良いのか分からなくなって、一言
「そうですか。」
と呟いた。
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「玉子焼きがね、置いて有ったんだよ。」
「え?」
唐突に言われたので、生返事を返してしまった。
「玉子焼き?」
「嗚呼。今朝、台所のテーブルの上に。まだ温かかった。」
「自分で・・・・・・」
「夢遊病患者じゃ有るまいし。」
「なら・・・。」
「さっきも言っただろう。身体に染み付いた味だと。間違える筈も無い。婆ちゃんの味だった。」
「食べたんですか。」
「冷ましてしまうのは勿体無いからね。其れに、丁度やる気が出なかったんだ。」
「《黄泉戸喫》じゃないですか!!」
「作ったのは我が家の台所らしい。フライパンが洗ってあった。材料も冷蔵庫から卵が減っていた。大丈夫だよ。」
「・・・・・・え―。」
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「時に、弟よ。」
「何。」
「玉子焼きは好きかな?」
「・・・・・・残りを押し付ける積もりですね?」
「いいや。置いて有った分は食べてしまった。」
「じゃあ」
「自分で作りました☆」
「何故に?!」
「レシピが皿の下に有ったんだ。」
「レシピ?」
「玉子焼きのだよ。残して置いてくれたんだろう。《醤油だけじゃしょっぱいから、此のタレを使いなさい》だってさ。小学生の頃の事を今更蒸し返すなんて、本当に趣味が悪いね。で、何だか懐かしくなって、作ってみたんだ。」
「自分で食べたらどうでしょう。」
「痛風が怖い。」
「・・・・・・二十代ですよね?」
「若い頃だからこそ、健康は大事だよ。」
「其れはそうでしょうけど・・・。」
「良いから来なさい。婆ちゃん特製の玉子焼きだ。多分気に入ると思うよ。作り方を教えたあげよう。荒んだ心を癒すアニマルセラピー付きだよ。モッフモフだよ。」
「・・・・・・考えて置きます。」
「じゃあ、待ってるからね。」
「はいはい。」
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バスの中で、妙な御婦人に会った。
「はい、此れ。渡して頂戴。」
大量の《プチゼリーのメロン味》だった。
正直一寸アレな人かと思った。
「きっと喜ぶわ。大好物だから。」
穏やかそうな人だったが、怖かった。
「ど、どうも・・・・・・。」
取り敢えず受け取ってはみたが、怖い。
押し返そうとも思ったが、異常な程のゴリ押しに負けた。
怖い。何此の人。
僕は少しだけ怯えながらバスに揺られていた。
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此の後、兄がレジ袋に入れられた大量のゼリーを見て大泣きをするのだが、兄の名誉の為、今回は此処で筆を置こう。
作者紺野-2
どうも、今野です。
本来、書こうと思っていた話と違う話になってしまいました。
玉子焼き、美味しかったです。お弁当のスタメン入りが決定しました。
最早怖い話でも何でも無いですね。