二年程前の話。
私は運送業の仕事をしており、関西から東北地方へと荷物を運んでいた。
運び先はとある製薬会社だ。
工場周辺は紅葉に染められていた。
自然を感じない自宅とは違う、私の好きな場所である。
この近くに旅館がある。
ほぼ運送業者のみが利用している。
素泊まりで格安だ。
何といっても自然を一望できる露天風呂。
これこそが私の最大の楽しみだ。
本館と旧館があるが、旧館の方はほぼ使われていなかった。
旅館で一泊してまた関西に戻る。
ほぼ毎日のことだ。
今日も仕事を終え、早速旅館に向かう。
着くや否や、女将に衝撃的な事を言われた。
本館が満室でして、旧館の方になりますが宜しいですか?
団体客がいるようで、初めて満室の本館を見た。
仕方なく旧館に泊まる事に。
いざ入ると、使われていないのが良くわかる。
埃の匂いが鼻を刺す。
今にも潰れそうな木造で、歩く度に床が音を立てている。
今夜旧館に泊まるのは私だけだそうだ。
少し威圧感があったが、やむを得ない。
「本日は大変申し訳ございません。
薄汚いお部屋ではございますが、どうぞごゆっくりお寛ぎ下さい。
何か困ったことがございましたら何なりとお申し付けください。
フロントの電話番号は201でございます。」
いつもとは違う非常に丁寧な接客だった。
近くのコンビニにメシと酒を買いに行った。
旅館に帰れば知り合いの同業者の奴等と盛り上がるのだが、今日は俺一人。
呑むとおしゃべりになる俺は相手が欲しかった。
201をコールした。
「あっ、女将さん。もし暇だったら俺の話し相手になってくれない?」
「はい、畏まりました。」
すぐに来てくれた。
「ごめんなさいね、忙しい時に。」
「いえいえ、本館の方は任せておりますので。」
「しかし、素泊まりの旅館に団体客が来るんですね。」
「はい、とても珍しいです。」
熱心に話を聞いてくれた。
やはりキャリアのある女将は違う。
自分の話ばかりしても何なので、女将にも質問をしてみた。
「女将さんはもう何年になるんですか。」
「二十歳からおりますので、四十五年になりますね。」
「へぇ、長いですね。」
「はい、その間に様々な出来事がございました。」
「聞かせてくださいよ。」
「こちらの旅館はご存じのとおり、創業当時から運送業者のお客様に大変お世話になっております。
お食事はご用意しておりませんが、次の日すっきりした気持ちで仕事に打ち込めるということで御贔屓いただいておりました。
感謝のお言葉、御褒めのお言葉、たくさん頂きました。
従業員もそんな暖かいお客様のために全身全霊をかけて御世話をさせていただきました。
そんなある日、こちらの旧館が火事になってしまったんです。
実は以前、旧館も鉄筋だったのです。
お客様の非難を最優先に従業員は消火器を持ち、非常口を御案内しました。
残念ながら数名の従業員が犠牲になりましたが、お客様は無傷で避難していただくことができました。」
「あぁ、そんなことがあったんですかぁ。」
「当然旅館は創業できなくなりました。
これをきっかけに大量に従業員が辞めてしまいまして、継続してこの旅館で働くことはできないと思われました。
しかし、いつもお越し頂いている運送業者の皆様がこの旧館を立ててくださったのです。
この旅館を終わらせるわけにはいかないと、汗水たらして頑張って下さいました。
残った従業員でお茶をご用意したり、簡単なお料理をお出ししました。
恩返しはこの旅館が再建してからでいいからと言ってくださいました。
再び創業を開始した後もたくさんのお客様に来ていただきました。
見た目は古くて汚い旧館ですが、旅館とお客様の絆を目に見える形にしたものなのです。
ですから、女将となった私が守り、お客様に喜んでいただく努力を続けるべきなのです。」
「・・・いいお話ですね。」
「楽しんでいただけましたか?」
「はい、この旅館がますます好きになりました。」
「旧館の老朽化が進み、こちらにお客様をお招きすることができなくなりましたので、新しく本館を建てたのです。」
「それでも旧館はそのまま残しておきたいということなんですね?」
「さようでございます。」
「いや~、暖かいお話を聞いて眠くなってしまいました。付き合ってくれてありがとうございました。」
「私も非常に楽しかったです。御布団の御用意をしましょうね。」
布団の敷き方も丁寧で、客を大切にしたいという気持ちが大いに伝わって来た。
「それではこれで失礼致します。」
「はい、どうもありがとうございました。」
酒と女将の話で心身ともに暖められた私は目を瞑ると同時に眠った。
・・・。
朝日が眩しい。
六時だった。
「は~ぁ、よく寝た。」
女将に挨拶しようとフロントに出向いた。
しかし、見当たらない。
本館の方に居るのかと、本館の従業員に訪ねた。
「はい?旧館に居らっしゃったのですか?」
「はい。女将さんはどちらですか?」
「・・・、少々お待ちを。」
何やら気が動転しているようだった。
奥から女将が出てきた。
しかし、私が昨日会った女将とは違う。
「お客様、旧館にお泊りになったのですか?」
「そうですよ。」
「あちらは老朽化しているので、立ち入り禁止になっております。」
「いや、女将に言われたんですよ。本館が満室だから旧館になりますって。」
「私が?そんなこと申し上げておりません。」
「あなたではなくもう一人の女将さんです。」
「当旅館の女将は私一人ですが。」
「え?昨日チェックインした時に女将さんにご案内してもらったんですよ?」
「失礼ですが、御名前は?」
「東田健二です。」
女将がいったん奥にはけた。
どういうことだろう。
程無くして戻ってくるなり、「お客様は昨日チェックインされておりません。」
「そんな馬鹿な・・・。昨日本館は団体客で満室だったでしょう?」
「当旅館は団体でのご利用はできません。素泊まりになりますから。」
全てを否定された。
「警察に連絡してみましょうか。不審者が紛れ込んでいるかもしれません。」
「本当に女将さんはあなた一人ですか?」
「もちろんです。」
「そうですか・・・。」
一旦落ち着きたかった。
近くの椅子に腰かけ、辺りを何となく見回した。
歴代の女将の写真が飛び込んできた。
この写真というのは女将になってすぐに撮影するそうだ。
どの女将もまだ若い顔をしていた。
その中に昨日会った女将にほんの少しだけ似ているような写真があった。
もしや・・・、と思ったが、そんなことがあるわけない。
ちなみに、旧館が火事にあったことは事実であり、利用客がこれを再築したことも従業員に確認したところ本当だった。
昨日会った素敵な女将さん。
ありがとう、また会えたらお話しましょうね。
作者大日本異端怪談師-3
ほっこり系です。
癒されたい方はどうぞ。