はじめてのおつかい・上編の続きです。
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・・・・・・・・・。
話し掛けて来た女性は、僕の持っている包みを指差した。
「紫の風呂敷。貴方がそうでしょう?此処に若い人は滅多に来ないもの。お兄さんから連絡を受けているの。」
女性は、茶色のワンピースに明るい色の上着を羽織っていて、髪を緩くカールさせていた。年齢は、大体、五十代から六十代辺りに見える。
僕の名前や兄を知っていたということは、彼女が今回の客なのだろうか。
「・・・こんにちは。」
先ずは、頭を下げ、挨拶をする。
次は依頼主の確認。
「今回は、当店の御利用、有り難う御座います。兄の代理として参りました、弟の木芽と申します。依頼主の石見様・・・でしょうか?」
僕が尋ねると、彼女は何故だか知らないが可笑しそうに笑い始めた。
「・・・ええ、はいはい。そうですよ。私も石見。でも、依頼したのは私じゃないの。」
「203号室の石見様、と伺っております。」
「そうそう。夫なのよ。」
成る程、依頼者本人ではなく、石見婦人、という訳か。
そうすると、彼女が、また愉快そうに笑う。
何がそんなに可笑しいというのだろう。
僕が不思議に思っていると、石見婦人は改めて此方を向き、にこりと笑った。
「お兄さんから聞いた話でね、私達、勝手に貴方をもっと小さな子と勘違いしていたの。」
木葉さん・・・。僕へのメモでは飽き足らず、客にまで・・・。
「夫なんて《こんな遅くに小さな子供が来るのは心配だ。道に迷ってるのかも知れない。お前、捜してこい。》なんて言ってたのよ。」
「はぁ、そうだったんですか・・・。」
「ええ。・・・まぁ、立ち話も何だから付いて来て。夫にも顔を見せてあげてちょうだい。荷物も直で渡して欲しいし・・・。」
先に立って歩き始めた石見婦人。
僕は一言「はい。」と返事をして其の後を歩いた。
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・・・・・・・・・。
病室に入ると、病院特有の臭いが鼻を突いた。
ベッドに腰掛けている男性が、カーテン越しにぼんやりとした人影だけが透けて見える。恐らく彼が、石見さんなのだろう。
「こんにちは。木芽と言います。本日は兄の代理で宅配に来ました。」
「君が木芽君か。初めまして。私が今回依頼させて貰った石見です。」
挨拶に返された声は、予想を遥かに越えて若々しかった。
予想からすると、三十代・・・いや、下手をしたら二十代前後に思える。
此れが俗に言う《歳の差婚》という奴だろうか。
いや、早とちりをしてはいけない。相手の姿は見えないのだ。
烏瓜さんみたいに、実年齢と声がミスマッチなだけかも知れない。
・・・どちらにせよ、下衆の勘繰りか。
「約束の品を持って参りました。此れをお渡しして、受取書にサインか判子を御願いしたいのですが。」
僕の声に反応し、人影が揺れる。石見さんは頷いたようだった。
「ああ。荷物は其処へ。顔は見せられないから、受け取り書の印鑑は妻に押してもらってください。」
石見婦人が僕の方を向き、にこりと笑いながら手を出す。
「・・・御願いします。」
「はいはい。任せてね。」
僕が受取書を取り出して渡すと、石見婦人はサラサラと其の紙に名前を書いた。
「はい、どうぞ。」
「有り難う御座います。」
帰って来た受取書を折り畳み、仕舞う。
風呂敷包みはサイドテーブルの上へ。
「其れでは、僕は此れで失礼させて・・・」
「あら、待って。」
引き留めたのは、石見婦人だった。
「色々と用意してたの。宜しければ召し上がって行って。」
応接セットの机の上に、菓子やジュースが置かれていた。
アンパ○マングミにア○ロチョコレート、色とりどりの飴、飲み物は葡萄ジュース。
「・・・・・・。」
「ごめんなさいね、小さい子が来るって勘違いしてたものだから、こんなものばかりで。さ、どうぞ。」
木葉さん、僕のことをどう説明してたんだろう。
・・・いや、其処は今は問題ではない。
《食べ物・飲み物を勧められても断ること》
《物を貰って来ないこと》
蛍光ペンで書かれていた項目が、頭に甦る。
僕は慌てて、右手を左右にブンブンと振った。
「あの、いえ・・・僕は・・・・・・。」
「あ、そうよね。やっぱり嫌よね、こんな子供っぽい物ばかりじゃ。待ってて。売店で何か買ってくるから。」
「いや、あの・・・申し訳無いですけど!」
「いいのよ。若いんだから遠慮なんかしないで。ちょっと行ってくるわ。主人とでも話していて。あ、もちろん其処の物も食べてていいのよ。」
「ああああ・・・・・・。」
話し終える前に、石見婦人は病室から出て行ってしまった。僕は閉じられたドアを前に、呆然と立ち尽くした。
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・・・・・・・・・。
話せと言われても、何を話せばいいのか分からない。大体、相手は姿も見せていないのだ。
「・・・・・・えーと・・・。」
困っていると、突然、カーテンの向こうから声が聞こえた。
「警戒なさっていますね。無理も無い。姿を見せられれば良いのだけど、怖がられてしまうだろうからね。」
「・・・怖がられて?」
人影が足を組み、顎に手を充てる。
「眼球がね、無いんです。」
「眼球が、ですか。」
「そう。両方ともね。」
そうして彼は「見てみるかい」と、急に砕けた口調で言って、笑った。
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・・・・・・・・・。
「抑、目というのは脳の一部なんだ。」
「脳が出っ張って頭蓋骨からはみ出た・・・というのが、分かり易いかな。」
「だからね、胎児なんかは最初は目が無い。脳が作られてから、其れが出っ張って伸びて、眼球になるんだ。」
「脳が外界に直に接している訳だから、それは勿論、目に課された役割というのは大きい。」
「物を認識するにしても、人間は其の目という器官に80パーセント以上頼っている。」
「だからね、目は大切にしなさい。目を駄目にすることは脳を駄目にすることなんだからね。」
「脳が駄目になると、人間は成長が止まる。斯く言う私もね、目が駄目になってから成長が止まってしまった。」
「此れは、自分で触った感触でしかないんだけどね、皺が増えないんだ。」
「どうやらね、老化が止まってしまったらしい。本当なら、とっくに死んでても可笑しくない年齢なのだけど。何時までも死ねない。」
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・・・・・・・・・。
一方的に話をされていたが、石見さんがスッと話すのを止めた。
暫しの沈黙。
そして、一言、ポツリと呟いた。
「逃げるなら今だよ。食べさせられたら、戻れなくなるからね。」
戻れなく・・・・・・?
「ヨモツヘグイ、だ。君の目が明るい内に行くといい。暗くなったら、見えるようになってしまう。」
僕はハッとしてカーテンの向こうを見た。
石見さんは、もう何も言わなかった。
「本日は御利用、有り難う御座いました。」
一礼し、扉の方へと向かう。
扉を潜り、閉めようと振り向いた瞬間、カーテンが開いているのが見えた。
眼球が真っ黒な孔になっている青年が、がらんどうの目で此方を見ていた。
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・・・・・・・・・。
エレベーターで彼女と鉢合わせしないよう、態々階段を選んだ。
転げるよう二段飛ばしで降りて行く。
一階に着くと、今度はロビーへ。
人通りは、やっぱり全くと言っていい程に無かった。
売店は玄関の直ぐ横だ。
急いで駆け抜けよう。
玄関の重い扉を抉じ開けると、辺りはすっかり暗くなっていた。
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・・・・・・・・・。
shake
突然強い力で腕を掴まれた。
「あらやだ、もう帰っちゃうの?」
石見婦人だった。
「・・・・・・っ!!」
「和菓子と御茶にしたの。ちゃんとした和菓子屋さんから卸してる品だから、美味しいわよ。食べて行きなさいな。」
ギリギリと食い込む指を振り払おうとしながら、必死に言い訳をする。
「・・・しょ、所用を思い出しまして、本当、御心遣いは嬉しいんですけど・・・。」
「いいじゃないの。本当に美味しいのよ。食べないと後悔するわ。」
「いえ、本当、早く帰らないと電車の関係で・・・。えっと、兄に叱られてしまいますし・・・」
「お兄さんに?」
婦人が少しだけ手の力を緩める。
よし、此れならいける!!
「ええ!本当に変な所ばっかり厳しくてー!!」
「そうなの・・・・・・。」
「本当そうなんですよ!!」
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「なら、帰らなければいいじゃない。」
「え?」
そっちの方向に話を進めますか。
ギョッとして逃げようとすると、改めて腕を掴まれる。
しまった。
もっと距離をとっておけば・・・
「美味しいのよ。和菓子。食べて行きなさいな。ね?食べるでしょう?食べないと駄目だわ。食べましょうよ。ね?」
太陽が沈みきろうとしていた。
辺りはもう暗い。目の前の彼女の顔すら定かではない。
目も口も只の暗い孔に見えて・・・・・・
「は、離してください!!」
無理矢理に腕を振り解いた。
バス停にバスはまだ来ない。
待っていては駄目だ。逃げなくちゃ。
僕は、来た時にバスが通った道を必死に思い出しながら、走り出した。
途中で服の裾を掴まれたが、無理矢理引き剥がして逃げた。
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・・・・・・・・・。
人間、全力を出せば案外どうにかなるもので、暫く走っていると駅に着いた。
二、三回道を間違え、追い付かれるかも知れないと焦ったが、石見婦人は追っては来なかった。
案外、道を間違えたのが上手く撹乱になったのかも知れない。
駅の中は明るく、ガラスのカウンター越しに居る駅員さんが、心強かった。
駅のホームに行くと、もう電車が来ている。
僕は慌てて、電車に乗り込んだ。
嗚呼、そういえば、今は何時なのだろう。
携帯電話を取り出そうと鞄を開こうとして・・・
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気付いた。
ポケットから何かドロリとした物が出て、テラテラと光っている。
甘辛い匂い。ふにょふにょとした感触。
剥き出しの、みたらし団子だった。
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・・・・・・・・・。
《物を貰って来ないこと》
頭の中に過るメモの項目。
電車から降りてゴミ箱に・・・・・・
だが、その時、電車のドアはもう閉まろうとしていた。
僕は慌てて、串に刺された団子をホームへと投げ捨てた。
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・・・・・・・・・。
駅に着き、木葉家に帰る。
足はもうクタクタだったが、全力で走る。
家が見えた。
木葉さんが、門の前に立っている。元気になったのか。
此方を向いて、微かに笑い、手を振っている。
僕は其の姿を見て、なんだか異常に安心して、思い切り泣きながら、兄の元へと駆け寄った。
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・・・・・・・・・。
次の日が休みだったので、木葉さんの家に泊まることにした。
万が一のことも考えて、である。
家に上がろうとすると、木葉さんが僕の服を摘まみ、申し訳無さそうに言った。
「此れはもう、着れませんね。無論弁償はしますが、・・・申し訳無いです。」
みたらし団子のタレが、まだ服に付いているのだろう。そう思って服の裾を見た。
付いていたのは団子のタレではなく、何だか赤茶色い液体で、悪くなった魚のような、生臭くてすえた、嫌な匂いがした。
何の液体か深く考えない内に、木葉さんに持って行かれてしまった。
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・・・・・・・・・。
次の日、目覚めると午後の十二時を過ぎていた。
足の痛みが酷い。どうやら筋肉痛になってしまったらしい。
起きると、木葉さんが僕を見ていた。
「御早う。気分はどうですか。」
「お陰様で・・・。」
布団から身を起こすと、兄がコップに入った水を手渡しながら言った。
「○○駅で、発見されたのだそうです。」
「・・・・・・○○駅。」
昨日の、団子を捨てたあの駅だ。
「発見って、みたらし団子が・・・ですか?」
「いいえ。みたらし団子ではないです。でも、貴方が捨てた物ですよ。」
僕が捨てた物・・・。
「アレは、みたらし団子じゃなかったんですね。」
そう言うと、木葉さんは何故かクスクスと笑う。
「さあ、どうでしょうね。」
僕は続けて質問した。
「あれは一体、なんだったんですか?」
木葉さんはもう一度笑うと、今度は嫌に真面目な顔になった。
「・・・知らない方が良いですよ。きっと。」
そしてゆっくりと微笑む。
僕の頭の中に、がらんどうの眼孔がやけにチラついた。あれは、あの団子は・・・もしかして。
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「よかったですね。持ち帰ったり食べたりしてしまわなくて。」
兄の一言に、僕は大きく頷いた。
作者紺野-2
皆さん、地震の被害は大丈夫だったでしょうか?
今回はとても広い範囲で揺れたみたいですね。
このはなし、タイトルはアレですけど、結構怖かったんですよ。