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妙な緊張感を保った夕食の後、居間に集まった皆で話をすることになった。
そのさなかも正座しようとじたばたしている白いのに、呆れる私と納得できないと口を真一文字に結ぶ荒瀬さん。彼の眼は、白いのと私とを往ったり来たりして、何かを問おうとしているのが分かる。
奇妙、だとは、自分でも分かっている。
こんな不思議な存在が傍に居て、驚いても、恐怖を感じていない。おかしい、と思う。どうしてかと言われても、それが分からない。
「えみ」
嬉しそうな声で名を呼ばれる。これが、何なのかは、どうあがいても分からない様な気がしてきてしまう。いや、分かりたくないのかもしれない。
分かってしまうのが、恐ろしい。
未知が解明されることが、怖い。
「それじゃ、まず。私が八塚の名字を捨てることになったわけから、話しましょうか」
埒が明かない、と思ったのだろう。荒瀬さんはそう言い置いて、話し始めた。
「私には、妹がいました。妹は幼い頃から、行儀を学ぶために本家の屋敷に出入りしていました。彼女が15歳になるころでしょうか。……とある娘さんが、20歳という若さで亡くなりました。そしてその年のうちに行われたのが、白菊の儀です」
白菊の儀は、八塚の姫を決めるための行事。
その参加条件は、三つ。一つ、女性であること。一つ、20歳以下であること。そして、絶対に、八塚の名字を持っていること。
そして儀式の決まり事として、白菊を模したものを身につけることになっている。そして、儀式が始まれば、誰も外に出てはいけないし、誰も中に入ってはいけない。誰かが外に出ると、儀式は失敗するし、途中で入った者は死ぬとされている。
儀式の内容は、私が見た光景そのものだった。
四角い箱の中に、小さな壺。壺の中にあるものを手に入れた少女が、姫となる。
手に入れる、というのは、手に触れればいいという訳ではない。他の誰もが、触れないようにする。つまり。
「壺の中のものを食べた少女が、姫となるのです」
ぽかん、と口を開けた私に、白いのが困ったような顔をした。
「食べる?」
「流石に、胃を切り裂いて取り出すなんてことは、滅多に起きないということで」
「起きたことあるんですか?」
「……今よりもっと貧困の激しかった時代には、あったそうですよ。八塚家の名字を持つことが原則故に、貧しい家の子もいたようですから」
あの、指の様にしか見えなかったものを、食べる。
その想像に自分でぞっとして、そして思わず白い何かの方をちらりと見てしまう。膝を抱えると姿勢が安定するのか、ゆらゆらと揺れている何かの、その指先。一応、10本揃っている。
「妹も、儀式に参加しました。八塚の姫になることは、八塚家の血筋にある限り、誉れとされています。皆から姫君として傅かれ、贅沢な暮しを送ることが出来る。……20歳になれば死ぬ、と言うことは、伝えられないままですが」
「でも、分かるんじゃ? 死んじゃうなんて、そんな大きなこと、隠せると思えない」
私が尋ねると、母さんが首を横に振る。
「娘が八塚の姫に選ばれ、そして亡くなった後。家族は、八塚家から徹底的に縁を切られるの。名字を変えられ、住む場所も移され、八塚の屋敷に入ることは許されない。奇妙な話なのだけど、八塚の名字を変えると、何故か八塚家とは関わらなくなるみたいなの。……八塚家の方から、関わらない限りはね」
「じゃあ、今日の、あの子たちは」
儀式の様子が、脳裏をよぎる。
「……母さんも、一度だけ、儀式に参加したわ。今でも覚えている。あの箱が開けられた時、なんでか分からないけれど、あの箱の中身が欲しくて欲しくて、たまらなくなったの」
「箱の中身が?」
「そうよ。儀式が終われば、あの時に箱の中身を誰かが手に入れたら、自分していたことに気がついて、体が震えたわ」
遠い目をした母さんが、どことなく恐ろしい。
簡単だ。私は、あの箱の中身を見ても、欲しいと思わなかった。それは私が、八塚という名字ではないからだろうか。それとも、それとももっと別の理由があるのだろうか。
「私の妹も、同じだったようです。箱の中身が欲しくてたまらなくなり、誰にも取られたくないから飲みこんだ、と。……そして妹は八塚の姫と成り、20歳で死に、私たち家族は八塚の名字を返して荒瀬と名乗ることと成ったのです」
すうっ、と荒瀬さんの目が細まる。その視線は、私の横。白い何かを、じっと見つめている。
「妹の死を知って、私たち家族はもちろん慌てました。しかし、八塚家から返されたのは、遺骨と遺品。……ええ、その時、ようやく分かったんです。八塚の姫は、姫と言う名の、体の良い贄なのだと」
八塚の姫。
荒瀬さんが『贄』と言った通り、その存在がある限り、八塚家は何かしらの成功を収めると言う。それは経済的なものであったり、政治的なものであったり、とにかく様々だ。どんな状況であれ、八塚の姫が家に居る限り、八塚家は安定して成長し続ける。
だから八塚の姫は、八塚家にかけてはならない存在。
例え、彼女達が、20歳で死ぬとしても。
「……八塚の姫のことを、私は調べようとしました。しかし、調べても、分かったのは極僅か。そんな折です。先代当主から、娘の家族をかくまってくれないかと、連絡がきました」
それがつまり、私達と言うことだ。
「しきたり、を漢字で書くと、どう書くと思いますか?」
「え?」
急に荒木さんが口を開き、私は首を傾げる。父さんが返す。
「確か、仕事の仕に、来るでは?」
「ええ、そのとおり。仕来たり、つまりは慣習。私の研究テーマは、それでしてな」
なるほど、と思った。荒瀬さんが、荒木さんと同じ分野を研究している理由だ。
荒瀬さんはきっと、他にも似たようなことが無いか、探そうとしたんだ。八塚の姫として、どう言う訳か命を落とした妹の為。長年続けられた、八塚家の因習の、その理由を知ろうとしたんだ。
「子孫繁栄を願い、そして財産が増えることを祈り、続けられる風習は様々あります。しかし……人が死ぬという事実があるにもかかわらず、この現代まで続く風習は珍しい。荒瀬君にこの話を聞いて、私はとても驚いた。そして、興味が沸いた」
嬉しそうに言う荒木さんは、研究者の顔だ。
「だから、貴女の話には、興味があるんですよ」
母さんは分かっているとばかりに、頷く。
「いままでの話以外に私が知るのは、八塚の姫になるために必要な、箱の中身の話です」
「あの箱には、何が入っていたの?」
私が尋ねると、荒瀬さんが身を乗り出した。
「君は、あの箱の中を見たのか」
「あ、はい。でも……母さん、母の話の様に、中身がどうしても欲しいとは感じなかったんです。それどころか、儀式の異様さに驚いてしまったくらいで」
「そうか。……それで、箱の中身は?」
儀式の場面を思い出す様にして、言う。
「箱の中には、小さな壺。壺の中には、その。白くて、細長い、なんか指みたいなものが入ってたんです。部屋中の女の子が、それを奪い合っていました」
母さんも同じものを見たことがあるらしい。荒木さんと荒瀬さんの視線を受けて、母さんが頷く。
「ええ、そうなんです。……白い指状のもの。私の時も、同じものが入っていました」
白い指状のもの。
ゆっくりと息を吸って、母さんは言う。
「あれは、とある存在の、指だと言います」
その時だ。私の横の白いのが、急に表情を無くした。
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私の名前をたまに呼んで、嬉しそうににこにこ笑っていたその顔が、全くの無表情になる。何も考えていないような、その様子。かくん、と機械みたいに顔の向きを変え、母の方を見る。
「私は、本家の血を引く娘です。例え5番目の娘でも、いずれ白菊の儀を取り仕切る機会があるかもしれない。そういうこともあって、母から教えられました」
箱の中のもの。
それはまさしく、指なのだと言う。
「その指は、例え姫となる少女が飲みこんだとしても、彼女が死んだ後には箱の中に戻っているものです。何時頃の先祖が手に入れたのかは定かではありませんが、とにかく指であることは確かです」
「人の指、なのですか?」
「いいえ」
母が首を横に振る。白い何かが、ぼそりと言った。
「むし」
え、と思わず、私は何かの方を見る。その行動に、荒木さんが怪訝そうな表情を浮かべた。
「母曰く、その指は、“蟲”の指だそうです」
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「蟲、ですか」
八塚の蟲。
そう呼ばれる、とある存在が居ると、母は語った。
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その蟲が、何時から八塚家に関わっているのか。どうして関わることになったのか。そのあたりのことは、はっきりと分かってはいない。というのも、八塚家が興った頃から、蟲は八塚家に関わっていたのだそうだ。
歴史が古いほど、情報は曖昧になる。そして伝えなければ、情報は失われていく。母さんも八塚の蟲が、どうして八塚家と関わりを持ったのかは、よく知らないという。
「蟲の指は、言わば目印です。その指を持つ少女に蟲は憑き、少女が20歳を迎えると同時にその命を得る代わりに、少女が20歳になるまで何不自由なく暮らせるように周囲に影響を及ぼすとされています」
「なるほど。それが、八塚家の幸運に繋がる、と」
荒木さんが言うと、母さんは頷いた。
「儀式の最中、意味のある言葉を発してはならないとされます。これに関しては……理由は母も教えてくれませんでした。儀式中の出入りを禁じるのは、結界を破らないようにするためです。蟲の指が、壺の中、儀式中の座敷の中、そして少女の腹の中という三か所を廻り続けるために……」
「そうして、蟲を、八塚に留めている訳ですか」
腕組みをした荒瀬さんが、じっと、白いのを見つめる。白いのはぴたっと姿勢を止めたまま、母さんの方を見ている。
「ええ。……そして、白い指を手に入れ、八塚の姫と成った少女たちのすぐそばには、常にある存在がつき従います」
私の心臓が、どきり、と跳ねた。
なんとなく、予想がついてしまっていた。
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でも私は、指を持っていない。指を持っていない、から、だから。
その一縷の望みに、縋っていた。
「全身が白い、謎の青年」
儚く潰えた望み。けれど、母さんは話を続ける。
「言葉を発することは無く、ただただ少女の傍に居続けるだけ。立つこと、座ることなど、基本的な動作は全て真似しますが、それ以外にすることはありません」
「えっ?」
驚いて声を上げると、母さんが私を不思議そうに見る。
「どうしたの?」
「えっ、あ、あの。本当に、喋らないの?」
母さんは私の質問に疑問を抱いてはいるようだが、それを言わずに頷き返してくれた。
「私は実際に見たことが無いけれど……。前に、八塚の姫だった子は、そう言っていたし、おばあちゃんから教えられたのもそう言う内容だったわ」
「……そうなんだ」
呆然としながら呟くと、白い何かが私を見ていることに気がついた。心配そうな、不安そうな、そんな下がり気味の口元。
「えみ?」
明らかに、言葉を発する、それ。その上、正座に失敗してびちびちぐだぐだ。
そんな私の反応に、母さんの顔がこわばっていく。
「恵美……ねえ。あなた、何を、みているの?」
答えるのは、本当に、とてつもなく、難しい質問。でも、正直に言うほかないだろう。
「今日、屋敷に行って、トイレに行こうとしたの。母さんがおばあちゃんと話しているあの間にね。そしたら、人気の無い座敷に迷い込んで、そしたら……声をかけられたの」
「誰に? 姉さん? 春姉さんでしょ? ねえ」
「春江さん、よりも前。白くて、真っ白くて、目が痛いくらいに白い男の人……男の人でいいのかな。分からないけれど、なんとか人の形だってことは分かるそれに、出会ったの」
私の返事は、母さんにとって最悪のしろものだったろう。
「どういうこと!? 儀式の前でしょう!!」
取り乱して立ち上がる母さんを、父さんがそっと抱き寄せた。落ちつけるはずもないだろう母さんに、父さんが言う。
「良く考えなさい」
「そんな、だって!」
「儀式の前だと自分でも言っただろう? 儀式も受けていない、指も手に入れていない。そして、声をかけられた。ほら、いくつも違うところがあるじゃないか!」
父さんの言葉に大きく目を見開き、きょろきょろとせわしなくあたりを見回して、母さんは力が抜けたように座り込む。私は、ただ、母さんの方をじっと見ていた。
ああ、そうか。
納得した、という感慨と共に、母さんを見つめていた。
「じゃあ、それは、恵美は、何を、みているの?」
それは私も知りたいけれど、答えはなんとなくわかっている。
きっと、本当に、これは、八塚の蟲。ただし、目印の指も持たずに結界を破った私と、一緒外に出てきてしまった存在。
「ねぇ」
それは、私からの初めての問いかけ。
白く端正な顔一面に、笑みが広がる。
「えみ」
嬉しそうに。本当にうれしそうに、それは笑う。
「あなたは、何?」
私のその問いかけに、それはくふくふと、変な笑い声を洩らす。楽しそうに、幸せそうに。
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「むし」
簡素な答え。
「わたし、は。えみの、むし」
自慢する幼子の様な、その声。
「ゆびは、なくなった」
ばっ、と目の前に開かれた両手。ああ、確かに、右の小指が消えている。気のせいじゃなかった。
「だから、わたしは、えみのむし」
その声が聞こえていたのだろう。荒瀬さんが渋い、渋い顔をして、額に手を当てる。
「そうだったのか」
渋い顔をした彼は、言う。
「妹がしでかしたことが、どうも全部の理由のようです」
今は亡き、荒瀬さんの妹。かつての、八塚の姫。
私に話しかけられて上機嫌の、“蟲”。押し黙る両親に、興味に目を煌めかせる荒木さん。
そんな奇妙な空気が、部屋中に広がっていくのであった。
つづく
作者六角
どもう。
あと、一つか、二つくらいでしょうか。
怖い、というより、異形を傍に置いてなお、日常を求めるすれ違いの話の様な。そうじゃないような。