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木葉が両親のことを《お父さん》《お母さん》と呼ぶのは、此れが初めてな気がした。少なくとも俺の前では。
何処か何時より幼く見える表情。
ほんの少しだけ間延びした、舌足らずな言い方で、もう一度呟く。
「お父さん、お母さん。」
そんな木葉を見ているのが何故だか辛くなった俺は、何となく彼から目を逸らした。
灯りを持った人影達は、相変わらずノロノロと近付いて来ていた。
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ぼんやりと海を見ていると、唐突に木葉が俺の顔を覗き混んできた。
「・・・・・・えっ何?」
「判りますか?」
パチパチと瞬きをしながら尋ねられた。
判るって・・・何が?
俺が聞き返そうとすると、木葉の方が先に口を開いた。
「僕の両親。」
「両親?」
判る筈が無い。会ったことどころか、見たことすら無いのだから。
困惑しながら、そう答えようとすると、また木葉が俺より先に言った。
「僕には、灯りとぼんやりとした影しか見えないんです。何れが両親か今一判らなくって・・・。」
・・・そうだった。こいつ、見えはするけどハッキリとは見えないんだった。
けど、俺にも正直な所、一人一人の顔の違いなんて分からない。
「其れともあの中には、お父さんもお母さんも居ないんでしょうか。」
俄に泣きそうな声を出す木葉。
言えない。とてもじゃないけど言えない。
咄嗟に嘘を吐いた。
「多分、あの右端のがお前の母親。で、其の隣のヒョロヒョロしたのが父親・・・だと思う。見た目で判断しただけだから、本当にそうかは分からないけど。」
「そうですか。」
「多分、お前は母親似なんだと思う。」
「・・・はい。」
ホッとしたように溜め息を吐き、木葉が笑う。
こいつの表情がこんなにコロコロと変わるのは、初めて見た気がした。
人影達が、あと十数メートル程の地点まで近付いていた。横に広がって、波に押し流されるようにして進んでいる。
表情は依然として分からない。
髪はべったりと身体に張り付いている。
肌が白を通り越して灰色っぽくなっているのが分かった。
不気味な光景だった。
「逃げましょうか。」
俺の手を掴み、木葉がポツリと言った。
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砂浜を走り抜け、コンクリート舗装された道路を辿って旅館に戻る。
人影達は特に追って来なかったが、なんだか楽しくて、其れでいて恐ろしくて、俺達は旅館に着くまでずっと走った。
木葉の手は俺より暖かく、さっきまで死人みたいに思っていたのが嘘みたいだった。
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旅館に戻ると、部屋に布団が敷かれていた。
俺達が出ている間に夕飯の膳を片付け、テーブルを退かし、敷いておいてくれたらしい。
隣で木葉が、ふあああ、と大きな欠伸をした。
「・・・眠いな。風呂、明日の朝でいいか。」
俺が言うと、もう一度小さく欠伸をしながらコクコクと頷く。
まだ寝るのには大分早い時間だが・・・。あんな物を見た後に出歩く気は起きなかった。
もそもそと窓側の布団に潜り込む。
布団はシーツがピンとしていて、少しだけ居心地が悪い。
「・・・あ、寝る前に少しだけ。」
突然木葉が小走りでベランダへと駆け寄り、ガラス戸を開けた。そして、用意されていたスリッパに足を通し、部屋の外へ。
「海が見えますよ。」
此方を向いて手招きをされ、俺も渋々とベランダへと出た。
「ほら。」
木葉が指を指した先に、さっきまで居た砂浜が見える。
「まだ居ますね。」
オレンジ色の小さな光が幾つも蠢いていた。
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部屋の中に戻って改めて布団に潜り、電気を消し、寝ようとすると、また木葉が邪魔をしてきた。
「真白君。」
「・・・ん?」
寝返りを打って木葉の方を向いたが、肝心の木葉がそっぽを向いていて、表情が読めない。
「ありがとうございました。」
「いや、俺は来たくて来ただけだし、旅館の代金払って貰っちゃったし、礼を言うのは寧ろ此方って言うか・・・」
「違いますよ。」
木葉の輪郭がふるふると揺れた。どうやら笑っているらしい。
一頻り揺れ終わると、ゆっくりと眠そうな声で話し始める。
「・・・両親のことを思い出すのは、止めていたんです。悲しくなるから。」
「でも、真白君と逢って、色んな人に逢って、色んなことをして・・・其の内、思い出してもあんまり悲しくなくなって・・・。多分、楽しいことがあんまり多いから、嫌な記憶がだんだん消えて行ってるんだと思います。」
「今はもう、懐かしくは思うけど、辛くなることはありません。」
「・・・其れを嬉しく思うと同時に、少しだけ怖かったんです。何時か、本当に両親のことを忘れちゃうんじゃないかって。」
「辛くなるから、悲しくなるからって、今まで録に覚えていようともしなかった。写真だってまともに見なかったんです。 」
「忘れるのだって当たり前ですよね。其れで、不安に任せて慌てて両親に会いに来たんです。・・・其れだって、真白君が居なくちゃ勇気が出せなかった。馬鹿みたいでしょう?」
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木葉は其処で言葉を切った。
向こう側を向いているので、どんな顔をしているのか分からない。
「・・・木葉?」
暫く待ったが、もう何も言わなかった。
俺は仕方無しに口を開く。
「悲しくなくなったのは、忘れたからじゃねえよ。お前の中で、両親のことを良い思い出に変えられたからだ。木葉は何も怖がることないし、不安になることもないよ。・・・・・・多分。」
木葉はやっぱり、何も言わなかった。
案外、もう寝てしまっているのかも知れない。
聞いていなかったのなら、明日、ちゃんと伝えよう。
そんなことを考えながら、俺は眠りに着いた。
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磯の臭いがして目が覚めた。
目を開くと、辺りはまだ暗い。
ベランダの窓が開いていた。
あの臭いは、海の風が吹き込んで来たのだろう。
ちゃんと閉めて鍵も掛けた筈なのに・・・。
・・・・・・まぁいいか。上からも下からも、泥棒の入ってこれる階数じゃないし。
俺はもう一度目を閉じた。
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射し込む日差しに瞬きをしながら起き上がる。
さっき起きてから、大体何時間くらいが経過したんだろう。と言うか、今は何時だ・・・。
時計を確認すると、まだ六時半だった。
「・・・あれ?」
ベランダの窓が閉まっている。
近付いて確認をすると、鍵は開いていた。
其れでも、開いていた引き戸が独りでに閉まるとは考え難い。前に起きた時には確かに窓本体も開いていたのだが・・・。
俺は不思議に思いながらも、まだ眠っている木葉を起こそうと振り返った。
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木葉の枕元に、小さな山が二つ、出来ていた。
山の一つは、様々な種類の貝殻を積んで出来た山だった。もう一つは、色とりどりの丸い石・・・いや、此れは石じゃない。
「ガラスだ・・・。」
海の中で波に揺られる内に丸くなったガラス。偶に浜辺とかに打ち上がっているアレだ。
確か、シーグラスとか言ったか・・・。
「どうかしましたか・・・?」
木葉が目元を擦りながら起きてきた。
「木葉、其れ・・・。」
「えっ?」
二つの小山を見て、木葉は大きく目を見開いた。
「・・・・・・此れ。」
小さく呟きながら、何かをそっと手に取る。
見ると其れは、ボロボロで塗装の剥がれたミニカーだった。
瞬きを繰り返しながら、ミニカーを見詰める木葉。
其の目からは軈て、ポタリと涙が落ちた。
暫くの間、木葉は静かに泣いていた。
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「帰ったら、一緒に写真を見てくれませんか。」
木葉が言った。
「思い出したいんです、両親のこと。辛くても何時か、良い思い出に変えられるように。ずっとずっと、覚えていられるように。」
あのミニカーが何なのかも、貝殻とシーグラスの山が出来ていた理由も、木葉は言わなかった。
けれど、何となく分かった気がするのだ。
俺は大きく頷いた。
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彼は、今でも偶にあの浜辺を訪れているらしい。
そして帰ってくると必ず、何時も通りの仏頂面をしながら俺ーーーーーいや、私の所にシーグラスや貝殻を御裾分けに来るのだ。
其れが何となく、嬉しかったりする。
作者紺野
どうも。紺野です。
長い間お付き合い頂きました皆様、本当にありがとうございました。兄達の話は此れで一旦お仕舞いです。
次から変態の話を書きます。
容赦なく気持ち悪い話を書きます。
ハートウォーミングな展開なんて有ると思わないでくださいね。
宜しければ、お付き合いください。