蝉の声と、猛烈な日差しが僕を起こす。
不快な目覚めとは裏腹に、窓からは抜けるような青い空とソフトクリームのような雲が僕の目を捉えた。
僕らをワクワクさせてくれる、夏休み初日という、魔法の言葉。
僕の家は海辺に建ち、南の窓を開ければ、風が磯の香りを運んでくれる。
この香りを嗅ぐと、僕はもう、居ても立ってもいられなくなり、すぐにでも浜辺に駆け出したい気分になるのだ。
だが、そこに至るまでは、長い長い道のりを経なければならない。
ラジオ体操を適当にやり、リーダーにカードに印鑑をついてもらう。
朝ごはんを食べる。
母ちゃんが、宿題をやるまでは、絶対に外出を許してくれないので、とりあえずワークだけは済ませる。たった、1時間ちょっとで終わるこの行程ですらもどかしいほど、夏休みというものは、いくら時間があっても足りないはずなのだ。
そろそろ、テツヤが僕を迎えに来るはずだ。
テツヤは、学校では禁じられているモリをたずさえてやってくる。
海のさかなをモリで突くためだ。
僕は、残酷なので、モリを使ったことはない。
テツヤの家はお父さんが漁師なので、そういった道具が倉庫に行けばすぐに持ち出せるのだ。
もちろん、テツヤの家の人には、内緒だ。
「かーずーやーくーん。あーそぼ。」
玄関先でテツヤの声がした。まるで計ったように正確なやつだな。
まあ、それもそうか。
僕は、いつものように、海パンを穿いた上にTシャツを羽織り、母ちゃんに声を掛ける。
「いってきまーす。」
テツヤは年中海に居るので、肌の色が真っ黒だ。
さらに、目が大きく、まるで影にぽっかり目だけが浮いたように見える。
きょろきょろとした意思を持った目が、僕に向かって話し掛けてくる。
「今日は大物を狙うぞ。めちゃくちゃ魚が居る場所、見つけたんだ。」
これから始まる楽しい時間に思いを馳せ、わくわくしているテツヤを羨ましく思った。
僕の夏休みも楽しいはずだった。
いや、確かに楽しいのだ。
僕はこれから、海で泳ぎ、テツヤは大物をゲットし、僕らはきっとその魚でにわかバーベキューをこの浜辺でするのだ。
そして、家に帰ってからは、昼飯を食ったあとに、ショウタの家の離れの部屋で、クーラーをガンガンに効かせて、ゲーム機で遊ぶ。
そして、明日は、大好きな親戚のお兄ちゃんが帰郷してくるので、僕はそのお兄ちゃんと一日中遊ぶことができる。お兄ちゃんを僕は独り占めできるのだ。
お兄ちゃんは、いろんなことを知っている。地元のどこでカブトムシが獲れるのかとか、釣りの仕掛けのこととか。お兄ちゃんは、車が運転できるので、たまに叔父さんの車で、遊園地に連れて行ってくれたりする。
お盆には、家族で避暑地へ旅行もするはずだ。
川遊び、キャンプ、花火、夏祭り。
夏休みには、楽しみの全てが凝縮されているはずだ。
きっと間違いなく、これからの約40日間は楽しいのだ。
それなのに僕がこんなにも、浮かないのには理由がある。
その理由は、壁に掛かっているカレンダーに記されている。
「2015年 7月20日」
夏休み初日。
僕は、四度目の2015年7月20日を迎えた。
僕の人生は小学4年生の夏休みでずっと止まっている。
2年目は、カレンダーが間違っているのだと思った。
母ちゃんはうっかり物だから、去年のカレンダーを間違えてかけてると思ったのだ。
夏休みが終わるまで、全く気にしなかった。
ところが、新学期を向かえると、4月に5年生になったはずの僕は、4年生に逆戻りしていて、クラスメイトも4年生のクラスメイトに戻り、担任の先生も4年生のままだった。
僕は一生懸命、その異常を訴えたのだが、母ちゃんには何寝ボケてんのと一蹴され、担任の先生を困らせただけだった。
年度替りには、一応5年生に進級するので、どうやら原点は7月20日、夏休みの初日のようだ。
夏休み前までは、5年生のクラスメイトと一緒に過ごしているからだ。
二学期に入る前の登校日に、5年生の教室に入って、上級生に変な顔をされた。
僕が戸惑い、廊下をうろうろしていると、4年生の時の担任が
「何をしてるの?早く教室に入りなさい。」
と僕を、教室まで連れて行ったのだ。
今では慣れたもので、僕は自ら4年生の元の教室、元の自分の席に座る。
僕はいつまで4年生で居なければならないのだろう。
そもそも原因がわからない。
確かに2015年の夏は最高に楽しい夏だった。
今までの僕の人生の中で最高の夏休み。
だけど、それも毎年同じなのであれば、その度合いは薄くなる。
夏休みが終わる前に、終わらないでと願ったことが原因か。
僕は夏休みの終わりに、願いを叶えてくれると有名な小さな祠にお願いしたのだ。
今となっては、悔やんでも悔やみきれない。
僕にだって、未来はあるはずだ。
このまま小学生のままだなんて、いやだ。
僕も大人になって、夢を叶えたい。
そもそも、夢ってなんなんだ?
でも、大人になれないのは嫌だ。
僕はいつもの夏とは違う行動を取っていた。
あの祠に向かい、僕の4年生の夏休みを終わらせてと願ったのだ。
その日、夢を見た。
夢の中で、辺りは焼け野原だった。
そこらじゅうに焼けた家屋が広がり、道の向こうからおじいさんが歩いてきた。
服は焼け焦げてボロボロだ。
「なんで、来た。」
おじいさんは僕に向かってそう言った。
「なんで来たって?」
僕はおじいさんに問いかけた。
「この世は、もうお終いだ。折角お前をあの最高の夏休みに閉じ込めたというのに。
わざわざ、なんで終わらせたいというのだ。」
僕はわけがわからなかった。
「これがお前の未来だ。憲法第九条の改正が可決したのが2015年7月。あれから数十年後、少子高齢化が進み、世界はあらゆる場所で戦争が勃発。徴兵制度により、年配者から徴兵が行われるようになった。フルアーマーの装備をつけられてな。いわゆる厄介払いと、世論を反映しての結論だ。お前にこんな未来を見せたくなかったのに。」
僕を閉じ込めたのは、未来の僕なの?
僕はそこで目が醒めた。
そうだったのか。
僕は、今、ここにとどまるべきか、悩んでいる。
作者よもつひらさか