この話は、関西のとある雑居ビルの一階を借りて、カウンターだけのラーメン屋を営んでいた時の話だ。
そこは15坪の広さで、建物の形は二等辺三角形。尚且つ国道に面しており、なだらかなカーブの内側に建っていた。
「こういうカーブの内側ってのは悪い物が溜まり易いですから、あんまり良くないですよ。あとこの建物の形もダメっす!この角の所に溜まり易いんですよ…」と、どこで聞いたのか、ドヤ顔でうんちくを並べる霊能者気取りの龍。
前に入っていた中華屋が出た状態のままだったので改装費に目を剥いたが、駅から近いのと、家賃の安さに一発契約。いつも閃きと勢いだけで物事を決める俺の悪い癖だ。
改装中に「なんかこの建物の空気重たくないですか?絶対ここ何人か人死んでますよ兄貴!」と、建物を舐める様に見回す霊能者気取りの龍。
「今から店始めようって時に、ケチ付けんじゃねえよ馬鹿!」俺は龍を無視して桜咲く春の季節に満を持して、豚骨ラーメン「めちゃ旨屋」を開店した。
滑り出し上々、俺の読みはバッチリ当たり大繁盛。なんと半年で借金の七割程を返し終えた。
まぁ唐揚げ用油で手を大火傷したり、客のヤクザが暴れて訴訟問題になったりと多少のトラブルなんかは有ったものの、忙しさは全く衰えず、毎日がアッと言う間に過ぎ去って行き、気付けば季節は冬。後二日で年を越そうかという年の瀬まで来ていた。
深夜二時半、閉店まで後三十分。この時間帯は暇な為、店には俺一人で立っていた。少し早いが客もいないし早めに閉めるかと、暖簾を下ろし、厨房以外の全ての明かりを落とした。
さあ、片付けを始めようかと厨房に戻った所で、ブィーンと自動ドアの開く音がした。「ようこそ!いらっさいまーせー!!」と、カウンターから客席を見ると不思議な事に誰もいない。自動ドアも開いていない。よく考えて見ると自動ドアの電源は切っているので、手動でしか開かない筈だ。
念のため、客席の電気を付けて店内を隈無く見渡す。
やはり誰もいない。
「気のせいか」ともう一度客席の明かりを落とした。
するといた。
給水機の横に黒いスーツ姿の男。頭は禿げ上がり、だいぶご年配に見える。
「あれ?よ、ようこそ!いらっさいまーせー!!」
おじさんは俺の声に全く反応する事なく、虚ろな目でトイレの方角を見ている。トイレに何かあるのかとそちらを見たが、これといって何もない。ふともう一度おじさんに目を移すと、今いた筈のおじさんは跡形も無く消えていた。
手探りでもう一度電気を付ける。
いない。
電気を消す。
いる!禿げた猫背のおじさん。
電気をつける。
いない。
消す。
いる。
つける。
いない。
消す。
いる。
つける。
いない。
消す。
いる。
つける。
いない…いや、い、いる!!!
しかもおじさんは給水機の隣りでは無く、一瞬にしてトイレの前まで移動していた。
「い、いらっさいまーせー!お客様、よろしければカウンター席の方へどうぞー!」
「……… 」
しかしおじさんは黙ったままトイレの扉の前に立ちつくしている。よく見るとその首には太いロープの様なものが巻きついていた。
おじさんはゆっくりと天井を見上げ、
「わたしは、ここで死んだんですよ…」と、力なく呟いた。
「お、お客様?」
「わたしはね、震災で全てを失ったんです。仕事、家族、家… チワワのマロン。…なんだかもう、生きてるのが嫌になっちゃいましてね…なんでわたしだけ生かしたんだと神を呪いましたよ…ふふふ」
ぽとん
天井から落ちてきた子ネズミが、おじさんのハゲ頭に着地。「ちゅう!」と慌てて逃げ出した。しかしおじさんは少しも動揺する事なく頭をワシャワシャと摩る。
俺は頭の中を無理矢理整理して、こう言った。
「た、確かにあの震災は一瞬にして多くの物を破壊し、多くの命を奪いましたよね。今は街も綺麗になってあの凄惨な爪跡は殆ど残っていません。しかし僕もあの震災で多くの友人を亡くしました。お気持ちお察しします…」
ぽとん
兄弟だろうか?二匹目の子ネズミがおじさんのハゲ頭に落ちて来た。しかし一匹目とは違い、子ネズミはおじさんのハゲ頭をペロリペロリと舐め始めた。頭皮に付いた角質、もしくは油でも舐めているのだろうか?
俺は言った。
「僕はあの当時まだ小学生でしたが、あの朝に起こった衝撃は未だ昨日の事の様に覚えています、あれ程恐ろしい揺れは多分、体験した人間にしか分からないとは思います。が、しかし絶対に風化させてはいけないと常々考えています。今の若い青年達はあの地震を知りませんが、亡くなっていった方達の為にも、生かされた僕達が教訓としてしっかりと今の世代に伝えて行かなければいけないと思います。」
見ると、いつの間にかおじさんの頭の上には五匹の子ネズミ達が、所狭しと蠢いていた。
「…大将の言う通りです。わたしは弱い人間だ。」そう言うと、おじさんはまた天井を見上げた。
「わたしはね、この建物の屋上で首を吊ったんですよ…これでね…ふふふ」
おじさんは笑いながら首に巻きついたロープを掴み、俺の方へと差し出してきた。そのロープの先には少し大きめのネズミが二匹ぶら下がっている。この子達の両親だろうか?
「自殺した人間はあの世には行けないんですかね…二十年経った今でもわたしはここから抜け出せず、家族にもマロンにも会えないでいる。もう早く成仏していい加減上に上がりたいんですがね、それも叶わない、わたしは一体どうしたらいいんですかねぇ…うううううう」
おじさんはそう言うと、ボロボロと涙を流しながら首に食い込んだロープを両手で掴み、グイグイと引っ張り始めた。その反動で親ネズミはクルクルと宙を舞い、物凄い身体能力でおじさんのハゲ頭に無事着地した。
「そうでしたか…そんな事が…あの、力になれるか分かりませんが、僕の妹に夏美という不思議な力を持った子がいます。多分、そういった類にも詳しいと思うので、今晩にでも話してみます。」
「ほ、本当ですか…?ありがとうございます…」
おじさんの顔は紫色に変色し、首のロープは先程よりも更にキツく締まっている。いち、にい、さん…し…いつの間にかおじさんの頭の上では七匹のねずみ達が三角形のピラミッド型を造っていた。見事なバランス感覚と、一片の崩れも無い見事な正三角形だ。
「あ、ふふふこれですか?」おじさんは目だけをぐるりと動かして、ねずみ達を見上げた。
「いや二十年もこんな所にいると、こいつらと仲良くなっちゃいましてね…ふふふ、この子達はドブねずみなんですがよく見ると可愛い顔をしているんですよ。ほらよく見てください…」
おじさんは一番上でバランスを取っている小さな子ねずみを一匹手に乗せると、まるで我が子にするように優しく、とても優しく頬擦りを始めた。
心なしか、ねずみは少し迷惑そうだ。
ぶいーん!
その時、自動ドアが開きあの男が店に入ってきた。「兄貴ー!もう店終わりでしょ?これから呑みにいきましょーよ!」嘘つき霊媒師の龍だった。
「おい龍、お前この人が視えてるか?」そう言ってトイレを指さすと、龍は物凄い悲鳴をあげた。
「う、うわーーー!!!ね、ね、ねずみが!ねずみが宙に浮いてるやん!なんやこれ!うぎゃぎゃーーーー!!!!」
龍は店を飛び出して行った。
おじさんが見えていないのか、やはりあいつは偽物だった。まぁ始めから分かっていた事だが…
俺は気をとり直して、おじさんと向き合った。
「明日のこの時間、この建物の屋上で会いましょう。妹と参ります。大丈夫!あいつならきっとあなたの願いを叶えてくれる筈です。早く家族に会えるといいですね…」
そう言うと、おじさんは嬉しそうな表情を浮かべて頭を下げた。
「ありがとう」
そしておじさんはフウと姿を消した。
その瞬間、すかさずその足元に「強力プロ仕様 粘着ねずみ捕りシート」を五枚並べた。足場を失い、ゆっくりと落ちてくるピラミッド型のねずみ家族。
べちゃり
ちゅう!ちゅう!
一網打尽。
断末魔を上げる家族。
すかさずシートを丸め、神戸市指定有料可燃ごみ袋に放り込み、ポリバケツに蓋をした。おじさんのお陰で日頃から悩みの種だったねずみ被害を、年を越す事なく一気に解決する事に成功した。
「ありがとうおじさん」
さあ、呑みに行くか…ん?
なんかおじさんと約束した様な気がするが…まあいい、明日考えようか。
後片付けを終わらせてシャッターを閉め、空を見上げた。キンと冷え切った空気が身を引き締める。明日から年明け三日まで店は休業だ。ゆっくりと身体を休めよう。
そして龍の車に乗り込む刹那、視線を感じて屋上を見上げた。黒い影、手摺に手を掛けた何者かがこちらをジッと見降ろしている。こんな時間に誰かな?あそこには関係者しか上れない筈だが…
少し気になったが寒さには勝てず、俺はいそいそと車に乗り込んだ。
【了】
後日談
年明け出勤した際に、トイレの前に散乱していた大量の抜け毛を見ておじさんとの約束を思い出した俺は、慌てて夏美に事情を説明し、店まで視に来てもらった。
しかし、もう既におじさんの気配はどこにも無かった。夏美が言うにはねずみ家族の死により、完全にこの世への未練が断ち切れたおじさんは、無事成仏出来たのではないかと言う事だった。
良かった。
今頃、亡くした家族達と、チワワのマロンと、ねずみ家族に囲まれて、幸せな「あの世ライフ」を満喫している事を、唯々祈るばかりだ…
作者ロビンⓂ︎
ちゅうちゅう…ひ…