これはナンパした女の家に泊まった夜の出来事だ。
まあお互い若かった事もありノリと勢いだけで押し掛けたんだが、後に自分の行動をこんなに後悔した事は余りない。
クラブで会った時は明るく元気な感じの女の子だったのに、マンションに着いた辺りから徐々に口数が減り笑わなくなった。
緊張しているのかそれとも本当は俺を部屋へ上げるのが嫌なのか?
「なんだったら帰ろうか?」と聞くと「嫌!帰らないで」と腕を組んでくる。
※お前らパンツは履いておけ!
じゃあまあいいかと部屋へ上げて貰い、とりあえず買って来た缶ビールで乾杯をした。
部屋の感じは女の一人暮らしの割には飾りっ気もなく、必要最低限の家具があるだけで生活感を余り感じさせない部屋だった。
「今日は泊まっていく?」ビールをこくりと一口飲んだ後、彼女は蚊の泣く様な声でそう囁いた。
「お、おう、明日は休みだしお前がいいんだったら泊まらせて貰おうかな?」そう返事をすると彼女は無言で部屋を出て行った。
多分、風呂場に行ったのだろう。蛇口を捻り浴槽に水が溜まる音が微かに聞こえてくる。
しかし何故か俺は一人残されたリビングで妙な不安感に襲われていた。何か胸騒ぎというか言葉には出来ない変な感情が込み上げて来る。
普通ならこんな可愛らしい女と出逢ったその日に一晩を過ごせるなんて大喜びしないといけないシチュエーションだろう。それにさっき龍がお持ち帰りして行った厚化粧のデブに比べればこの娘はかなりの上玉だ。
しかし上手くは言えないがここ数分の彼女の仕草と態度に、もしかしたら手を出してはいけない女に手を出してしまっているのではないかという後悔の念と、不安感が頭を過ぎって仕方がないのだ。
俺はこの言い知れない不安な気持ちと、自分の性欲を天秤に掛けていた。
帰るなら今だ。
このまま朝を迎えれば俺は取り返しの付かない事をしてしまうかも知れない。後悔は先に立たない。思えば俺は今まで数え切れない程の後悔を背負って生きて来た。また俺はやっちまうのか?いいのか俺?このままこの胸騒ぎを無視してこの娘とやっちまっていいのか?本当にいいのか俺?
「お風呂溜まったら先に入ってね」
突然、背後から声を掛けられて俺の心臓は三秒間停止した。
彼女は座っている俺の首元に顔を近づけて来て数回キスをした。そして肩越しから両手を回し抱きついてくる。
「私、男の人家に上げるの初めて。ロビン君が第一号かも…」
左手に持った缶ビールに力が入る。
何故か俺の身体全体に鳥肌が浮き上がる。喜ぶべき状況下でこの冷や汗、高鳴る心拍数。理由は俺本人にも分からない。「お、おう!」と返事をし、なんとか平静を装うが後ろを振り向く勇気が出ない。
「ふふ、照れてんの?かーあい♪」彼女はもう一度俺の頬に軽くキスをするとスタスタと部屋を出て行った。
俺はビールの残りを一気に飲み干して煙草に火を着けた。
落ち着かない。なんだかこの部屋は妙に落ち着かない。もう一度ぐるりと部屋を見渡す。すると壁にはEXILEタカヒロのポスターが貼ってあり、その横に一枚の写真が画鋲で貼り付けられていた。
気になったのでその写真に近づき覗き込むと老人夫婦と思しき人物が写っていた。どこかの写真館で撮られたのか水色の風景をバックに二人共綺麗な身なりで笑顔を作っている。
「それはね、去年亡くなった私のお爺ちゃんとお婆ちゃんなの」
突然、背後から声を掛けられ俺の心臓は六秒間停止した。
「実は私、小さい時に両親亡くしちゃってお爺ちゃん達に育てて貰ったの。でも今思えば二人共私に沢山の愛情を注いでくれてとっても大切に育ててくれたわ。本当に本当に大好きだったの」
聞いてもいないのに彼女は更に続ける。
「でもね、突然二人共死んじゃったの殺されたの!私が会社から帰って来たら何者かに首を絞められて水の張った浴槽に沈められて殺されてたのよ!お婆ちゃんなんて身体をズタズタに斬り刻まれてた。まだ犯人は捕まっていない、お金は盗まれてないから通り魔か愉快犯じゃないかって警察は言ってたけど…ほんと信じられないわ!うわあああ!!」
そういうと彼女は後ろから俺の首に手を回して来て鼻をすすりながら泣き出した。するとまた俺の全身に鳥肌が立ち心拍数が上がった。
怖い。
そして彼女は耳元で静かにこう言った。
「浴槽、水溜まったわよ…」
それは今まで泣いていたとは思えない程に低く、野太い声だった。
…
…
結局、欲望には勝てなかった。
いい知れぬ恐怖にかられながらも彼女の積極性に負け、俺達は男と女の関係になってしまった。
時間は二時を少し回っている。彼女は俺の手の中でスースーと寝息を立てて夢でも見ているのか時折むにゃむにゃと口を動かしている。
「はあ、そういう事だったのか…」
赤いスタンドライトがボンヤリと部屋を照らす。部屋に来た時のあの不安感はもう既に幾らか消えていた。
実は、彼女の部屋に来た時俺は見てしまっていたのだ。彼女がもたれかかっていたベランダの窓の外からこちらを覗く二つの顔。
それは紛れも無くあの写真に写っていた彼女の祖父母。二人共物悲しい顔で硝子に張り付き、俺に帰れと言わんばかりにくしゃくしゃに顔を歪めていた。
俺は彼女の話を聞いた時、てっきり彼女が二人を殺したんじゃないかと疑っていた。殺した理由なんて分からないがあの二人の彼女を見る目に怨みの様な物を感じたからだ。
『…カ…エレ… 』
その一言だけが鮮明に聞こえて来た。てっきりサイコパスな彼女の祖父母が俺の身の安全を考え警告して来たんだとそう考えたのだ。しかし違った…
浴槽に浸かりながらふと天井を見た時、またあの二人の顔が浮かんでいて俺にこう言ったんだ。
『…あのコは…ええコじゃ…あのコはワルうない…あのコは…生まれながらに…してこういうイキかた…を背負う…ウンめい…に…あった…のジャ…あのコを…責めん…でや…って…くレ… 』
正直、その時はその言葉の意味が全く分からなかった。だが少なくとも彼女は二人に恨まれてはいない。彼女が殺したのではないとそう感じた。
考えれてみればこの若さで天涯孤独の身となってしまった可哀想な彼女。妙に情が湧いてしまったのか俺は彼女を急に身近に感じてしまい、結局その後彼女を抱いてしまったのだ。
そして彼女を抱いた時に全ての意味を悟る事になった。
彼女の名前は慎吾。
俺が抱いたのは男だったのだ。
いい知れぬ不安感の意味、それがこれだったのかと悟った時には既に慎吾が俺の上に乗っていた。
俺も少なからず抵抗を試みたが、とんでもない馬鹿力の慎吾には到底及ぶ事は無く、俺は俺の中の何かを一つだけ確実に失ってフィニッシュとなった訳だ。
今思えば婆さん達の言いたかった事もなんと無く繋がる気がする。赤く照らされた天井を見ながら俺の頬を一筋の光る物が伝っていった。
「明日、龍になんて説明しよう…」
人生山あり谷あり数秒先も不確かな世の中、何が待ち受けているかなんて誰にも予想なんてできない。今この星のどこかで俺と同じ気持ちの奴が一体何人いる事だろう。八十億の人口だ、俺以外にも必ずどこかに存在するという理由で無理矢理自分を納得させながら俺は涙を拭く事も無く、きつく目を閉じた。
「…ねえ…」
「……… 」
「…さっき私が言った事信じてる?貴方だけには本当の事教えてあげるね。殺したのは…私よ…何度言っても女になる事を許さなかったあの二人が邪魔だったのよ…特にあの婆ばあがね…ふふふ…ふふふ…ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
その瞬間、俺の心臓は十八秒間停止した。
「…お、おまえ何いって… 」
恐る恐る目を開けると、気持ち良さそうにスースーと寝息を立てながら眠る彼女…いや、彼の寝顔があった。
【了】
作者ロビンⓂ︎