深夜に舎弟の龍から電話が鳴った。
仕事での相談事があるので今からここへ来るとの事。相談事を持ち込むのならばビールを二本買ってこいと強く命じて、電話を切った。
さてと…。部屋を見渡す。
隠さないといけない物が沢山あるな。
ピンポーン
早いタイミングで鳴った呼び鈴に急かされ。慌てて残りを片していると玄関の方でガンガンと激しくドアを蹴る音がした。
「はっ?テメー何してんだよ」
ガンガン ガンガン
「だから蹴んなや!」
頭に血が昇り、大量のエロDVDを手にしたままで玄関へ走った。
ガンガンガンガンガン
「くおらー!ひつこいのオンどれ!ドア蹴んなっちゅうとるんが聞こえんのかボケがあああ」
頭に血がのぼるとついつい関西弁が出てしまう俺だが、近所迷惑もかえりみずにドアを蹴り続けるマナーのない龍をシバき上げてやろうとドアを開けた。
「………!」
誰もいない。
そんなはずが無いと通路まで顔を出して左右を確認してみたが、やはり誰もいない。通路には猫の子一匹いない。
よく考えてみると龍の電話を切ってからまだほんの二分くらいしか経っていない。コンビニで酒を買う時間を計算に入れたらこんな短時間でここまで来る事は考えられないのだ。
念の為にう一度廊下を見渡す。いない。
「ちっ!なんだイタズラかよ」
俺の頭に最初に浮かんだ人物(犯人)は、二つ隣りの部屋に住む暗い女だった。その女は部屋で俺が騒ぐ度に、いちいち苦情を言ってくる。
前なんてちょっと通路で小便をしただけで警察を呼んだほどの神経質な女だ。多分、犯人は奴に違いない。日頃の恨みがある筈だしあの女ならやりかねない。てか、奴しかいない。
「ちっ!」
俺はこの手の陰気でしょうもないイタズラが大嫌いだ。もしこれが本当にあいつの仕業だと解ったら、ロビン様は女だからって絶対に容赦はしない。たらふく飲んで食ってあいつの部屋の前で「酒臭い小便」を垂れ流してやるか!…ひ…
ドアを閉めて、さあ掃除の続きでもと思った瞬間…
ガンガン ガンガンガンガン
思わず仰け反り悲鳴を上げそうになった。あり得ない間隔でまたドアが叩かれたからだ。
廊下に人が隠れる場所なんてどこにもない。俺は確かに何度も左右を確認してからドアを閉めた。ここは三階、手摺の向こうに人が立てるスペースはないし、もしあの女が部屋から飛び出してきたとしても早すぎる。
「お、おいちょっと待て!龍か?龍なのかおい!?」
ガンガン!ガンガン
ドアを蹴る音は一向に止まない。これはもう生きてる人間の為せる技じゃ無い。馬鹿な俺でもそれぐらいはわかる。
暫くどうするか考えていたが、蹴られるドアの音を聞いていたら、恐怖よりも怒りが込み上げてきた。
「おい、いい加減に止めろし!俺が一体何をしたってんだよ!」
俺は玄関に置いていた金属バットを手に掴むと、腹を決めてドアを思いきり開け放った。
キョロキョロと左右を確認する。
誰もいない。
見ると三つ隣りのドアが少しだけ開いていてその隙間から人の頭が見える。確かあそこは浪人中の小池さんの部屋だ。俺の怒鳴り声に驚いて覗いているのだろう。
こないだ見た時は勉強のし過ぎかゲッソリと窶れていて瓶底眼鏡が曇っていた。多分毎日カップラーメンばかり食べているので栄養が偏っているのだろう。今にも死にそうなくらい顔色が悪かった。
俺はなんか小池さんに無性に申し訳無い気持ちになり、軽く頭を下げた。そしてもう一度左右を確認する。やはり誰もいな…
ん?
ちょっと待てよ…
ふと、この状況で有りがちなパターンが頭を過る。映画やアニメなんかだと、左右を確認して誰もいないという事は、もしかしたら「上」にいるのかも知れない…
俺の頭の上に…ドアノブを掴む手に力が入り、汗が滲む。
一瞬で全神経が上に持っていかれる。
ぴたん
「何の音だ?」だが見れない。もし本当に何かいたらどうする?殺されるかも知れない。
ぴたん
それはまるで濡れた衣服か何かが壁に張り付く様な音だ。
ぴたん
「ふふ…」
その微かな笑い声を聞いた途端、俺は弾かれる様に思いきりドアを閉めていた。そして震える手でチェーンを掛けると、そのままの状態でドアを背に固まってしまう。
ここに引っ越して来て半年になるがこんな事は初めてだ。噂で、この建物のどこかの部屋が事故物件だとは聞いた事があるが、それがまさか俺の部屋だとでもいうのだろうか?
事故物件に至った内容は、確か母親の帰りを待っていた子供が呼び鈴を母親の物だと勘違いしてドアを開けた結果、そこには精神に異常をきたしたホームレスが立っており、引き摺り出されて出刃庖丁で腹を滅多刺しにされたという惨事。
ピンポーン
その音に危うく心臓が止まりそうになった。玄関で聞くとやたらとボリュームが大きく感じる。
「だ、誰だ!?」もうさすがに扉を開けるほどの根性は無いので、恐々とドアスコープを覗いてみる。
レンズには誰かの右肩から肘辺りまでの腕が映っていた。太さからして多分男性の物だろう。
「りゅ…龍か?」
そう問うが、返事は無い。
もう一度覗くと、やはり何者かの右腕が見える。
「おい…龍なんだったら返事しろ」
すると俺の声に反応したのか右腕がゆっくりと動きだし、その手には出刃庖丁が握られている事が分かった。
男はその刃先をレンズにコチコチと当てながら、真っ黒に落ち窪んだ両目でこちらを覗き込んで来た。
ピンポーン
この男が押したのか、また呼び鈴が鳴った。
するとそこで、不思議な事が起こった。誰もいないはずの奥のリビングから「はーい、ちょっと待ってねー」という声がしたのだ。それはやたらに高い声だった。
ピンポーン
「お母さん、待ってて今開けるから」
リビングから子供の背丈をした何かがパタパタと走って来た。そして俺なんて居ないかの様に、簡単に俺をすり抜けたその子は、いそいそとドアチェーンを外そうとしている。
「ば、馬鹿やめろ。開けるんじゃねぇ!それはお前の母ちゃんじゃねぇ!開けたらダメだ、殺されんぞ!」
思わずそう叫んで少年の手を掴んだ。
少年が不思議そうな顔をしながら俺の方を見る。その目も外にいるホームレスと同じく落ち窪んだ黒い目をしていた。この少年も明らかにこの世の者で無い事は分かったが、もういまさら後に引く訳にもいかない。
「そこは開けるんじゃねぇぞ!外にいるのは知らないおじさんだ、絶対に開けちゃダメだぞ分かったな?」
少年は不意に少しだけ目線をずらせ、俺の背後を見た。
すると背後に強烈な視線を感じて、無条件に全身が栗立つのを感じた。
首筋に生暖かい吐息が触れる。背後にも間違いなく何かがいる。おそらくは、目の前の姿見にそれが写っているはずだ。見てはいけない!見てはいけない!と思いながらも、俺の意思に反してゆっくりと視線を上げてしまう…
「………!!!」
鏡に写る俺の右肩の上には、紫色の顔をした女の顔があった。真一文字に口を閉じてとても苦しそうだ。両方の眼球なんて今にも飛び出してしまいそうなくらいにひん剥いている。
少年はその顔に手を差し伸べながら、確かにこう言った。
「お母さんおかえりなさい」
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…
…
気が付くと龍が心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。俺は龍の呼んだ救急車で近くの総合病院に来ていた。
話を聞くと、龍が来た時には俺は、耳から血を流して玄関で倒れていたらしい。
事実俺は右耳の後ろを5針も縫う程の大怪我をしていたが、それがまるで刃物でスパッと切られた様な鋭利な傷跡だった。だが幸いにもバックリと開いてはいたものの見た目よりも傷は浅く、大量出血には至らなかった。
俺が見た体験を龍に一通り説明すると、なぜか今回の事件にやたらと詳しい龍が教えてくれた。
犯人の男は少年を殺した後すぐにマンションから飛び降りて死亡。少年の母親は事件後、玄関のドアの上にロープを括り付けて首を吊ったらしい。あの紫色の顔をした母親は、せめて息子が死んだ場所で一緒に死にたかったのだろうか?どちらにしろ関係のない俺からしてみれば、はた迷惑な話だ。
考えてみればやたらと事故物件に遭遇する俺だが、実は俺、未だにこの部屋に住み続けている。理由は家賃が破格なのと利便性がパーフェクトだからだ。幸いあの一件以来、部屋で不可解な体験をした事はない。
まぁ無いとは言っても、時折夜中に呼び鈴が鳴ったり、カチカチとドアをノックする音はする。今のところ実害はないのでそのまま無視を決め込んで放置しているが、一体いつになったら、あの仲良し親子は成仏してくれるのか。
ピンポーン
まただ…
もちろん出る気は無い。
【了】
作者ロビンⓂ︎