ばぁちゃんは、とても不思議な感覚の持ち主でした。
能や歌舞伎、人形浄瑠璃、狂言などの古典芸能を好み、
宝塚歌劇団も好きで、
たまに私を連れて、そういったものを観劇に行く人でした。
その帰りに、必ず、
古いを知るのは、大切なことだから
と、忘れたらいけないよと、少し小さな声で私につぶやいて聞かせました。
その声が、呟き方が、仕草が、なぜかおまじないのようにも感じられ、
また、私とばぁちゃんの2人だけの秘密にも感じられ、とても嬉しくて、今でもばぁちゃんのことを思い出す時には、1番に出てくる思い出の中のばぁちゃんの姿です。
ばぁちゃんは、私のことをそれはそれは大切に大きくしてくれました。怒られたりもしましたが、何をするにもまず、
にゃにゃみが1番!
外孫内孫関係なしに…
歳など関係なしに…
私ははっきり言ってばぁちゃんのお気に入りの孫でした。
かたや、妹は…、
とてもばぁちゃんに嫌われていました。
だからと言って、世話をしないと言う事ではありません。運動会などは、私と変わりなく大きなお重に用意した数々の巻き寿司やおかずを用意してくれましたし、テストで頑張ったと持って帰って来たら、それが何点だろうと頑張ったねと褒めていました。
その一方で、
あの子はガサツで仕方が無い。
怒ったすぐ後同じことをする。
怒るとすぐに走って逃げる。
と言ったことを理由にあげ、
あの子は、どうしようも無いと言って、
手の焼ける困った孫だと感じているのだと当時の幼い私にも見て取れました。
実際、私から見ても、妹はおてんばを通り越し、やり過ぎなほどイタズラをする子でした。
いわば、我が家のトラブルメーカー…。
ですので、何処か買い物に行けば、
必ず迷子になります。迷子センターに引き取りに行った瞬間から、親の手を振り払い何処かに走り出そうとします。
進まぬ買い物に両親はイライラし出します。目当てのおもちゃを見つけた時は、床に寝そべって、靴も脱ぎ捨て、パンツ丸見えで大声で泣き散らします。
何度、鬼の形相の父親が、肩に担いで歩く姿を見たか知れません。
ばぁちゃんは、盆栽も趣味だったのですが、それを一番端からことごとく蹴り飛ばし、ばぁちゃんに家の柱にくくりつけられてたこともあります。
そんな妹も、歳が大きくなるに連れ、徐々にイタズラも止んで来て、
小学校に上がる頃には、少々元気の有り余ったお転婆ちゃんくらいに落ち着いていました。
その頃、ばぁちゃんはと言うと、
体調を崩しており、自分の家で養生していました。
私達家族と違う家に住んで、両親が共働きなので毎日通ってくれていたのですが、少し体調が戻るまで、うちに来れなくなったのです。
春休みだったと思います。
学校も休み、宿題が特にあるわけでも無い私と妹は、ばあちゃんの様子見がてら帰省していた叔母の子供のお世話のため、ばあちゃんの家に呼ばれました。
一週間に一度、父親に連れらればあちゃんの家に行って顔を見ていましたが、しばらくばあちゃんのそばで生活出来ることが嬉しくて、また、叔母の連れて来ていたいとこもとても可愛くて、私は機嫌良くばあちゃんの家での生活を過ごしていました。
ばあちゃんも体調はそこそこに良くなっているようで、
『1学期が始まったら、また、にゃにゃみの家のお留守番しに行けるからね。』と、言ってくれて、
やったぁ!と喜び、春だったので、山菜摘みに行く約束や、花見に行く約束などをして過ごしていました。
何日かたったお昼に、
ばぁちゃんが玄関先に植えてある『金のなる木』に寒さよけでかけていたビニール袋を外すというので、私も手伝うと一緒に外に出ました。
ビニールを外して、少し痛んだ葉を切り取ったり、肥料を蒔いてやったりしてるところに、妹がひょこっとやって来たのです。
珍しいなぁ、土いじりや植物の世話を邪魔臭がって、普段は近寄っても来ないのにと、妹をちらっと見て、『金のなる木』に目を戻した瞬間、ダーっ!と走って妹が私の真横に来たかと思うと、私の耳の横すぐから、シャキッとハサミの開く音がして、
私が見ていた辺りの枝を、
バチん!
…と、断ち切りばさみで切り落としたのです。
結構な太さの、たくさんの五円玉をあしらった枝が、ばさっと、私の足元に落ちて来ました。
とっさの出来事に、某然とする私とばぁちゃん。
妹はそんな私達を見て、けらけらと笑い出しました。
びっくりした?すごい顔〜!
あはははははははは!
私は悲しくなって、泣き出しました。
と、同時にばぁちゃんが、
バチーッ!と、
妹を殴りました。
妹は、何よ!と睨みつけ、切り落とした枝をハサミで切りつけバラバラにし、外れた五円玉を拾うと表に向かって投げつけました。
私は、妹の行動の意味がわからず怖くて、ばぁちゃんが大切にしていたのにと思うと悲しくて、声をあげて泣き出しました。
ばぁちゃんは妹に、
あんたは本当に罰当たりな!ろくなことにならんからな!
あんたはもう、どうにもならんからね!
と怒鳴り、
私をなだめながら家に入っていきました。
ばぁちゃんは、私が落ち着くのを待って、
にゃにゃみ、あの子はね、
どうにもならんからね。
でも、構ったらダメよ。
あんたまで、やられる。
あの子は、昔々…って話を嫌うでしょ。
でも、昔々…って話は、とても大切な事を子供にわかりやすくして聞かせてるのよ。
昔を知ること、これはとても大事な事なのよ。
何をすれば人から畜生になってしまうか、
どうすればありがたみのわかる人間になるか、
それをあんたらにわかりやすく話してるのが昔々の話なんよ。
あの子は、全く耳を傾けないでしょ。
そんなの嫌、そんなのしんどい、そんなの邪魔くさい、そんなのどうでもいい。
あの子はそればっかり思ってるから、きっとダメになる。
ばぁちゃんは、昔も大事に、昔々にも色々教えてもらいながら大きくなって欲しいんよ。
…と。
今はまだ、子供で許してもらえるけど、いつか大人になった時、
きっと、いや、絶対あの子が足を引ッ張りに来るから、
その時、にゃにゃみは絶対、相手にしたらダメだよ。
…と、観劇の後にする、あの小声で、仕草で言いました。
子供だった私は、『あー。金のなる木にイタズラをした妹は、きっとお金に困るんだな。』と単純に理解したのです。
あんなに立派だったばぁちゃんの『金のなる木』は、一週間もしないうちに、妹に切られたところから腐っていき、グニャグニャに萎れてしまいました。
ばぁちゃんは、根元から引っこ抜き、お金がついたまま、神社に持って行きました。
神様にお願いするから、お金はそのまま付けておくのよと言ってました。
その出来事から、年月が経ち、ばぁちゃんが亡くなって、
私は成人し、妹は成人の1年前に結婚をしました。
しかし、生活は荒れ、旦那さんは仕事が無くなり、生まれた子供の紙おむつすら買えず、そんな中、次の子供を妊娠し、その出産の際、旦那さんが浮気し、さらに生活は荒れ、
食べるものは愚か、子供のオムツミルクもまま成らず、電気、ガスも止められそうになること、しばしば…。
その度に、近くに住んでた私に無心に来て、挙句、当時の私の彼氏にも無心し、いよいよ堪忍袋の緒が切れて、妹とは一定の距離を開けることになりました。
ばぁちゃんの言うことが全て本当とは思いませんが、
物の大切さを知っていれば…
人からのしてもらったことにきちんと感謝を出来ていれば…
言われたことを守っていれば…
もうすこし、昔々…に耳を傾けていれば…と、
感じることがあるのです。
生きて行く上で、軽んじてはいけない事を、昔々…が教えてくれる。
そういって呟くように、小さな声で、
話してくれたばぁちゃんに、私は感謝しているし、これからも昔々…の事も大切にして行こうと思います。
作者にゃにゃみ
ばぁちゃんが教えてくれたいろんな事の、根本のようなこの話を聞かせたくて投稿しました。
駄文ではありますが、読んでいただいた方に感謝!
何かを感じていただけたら、嬉しく思います。