私の父は、多趣味な男です。
還暦を越えた今でこそ、少し大人しくなり、それなりのおじさんになりましたが、
私の幼い頃は、暇さえあれば、
釣りに行ったり、ゴルフに行ったり、山に登ってみたり…。
休日に、居間で寝転がり、昼寝をしたりしてる姿は見たことのない人でした。
私は、父親が大好きでしたので、そんな父に付いて、いろんなところに行っては、
釣りを教えてもらったり、山になる木の実を取って食べたり、カメラを貸してもらって写真を撮ったりして、父の趣味を一緒にかじっていました。
父は、『楽しむ』と言うことがとても好きな人でした。
私が小学生の頃、父が最もはまっていた遊びが、鮎釣りでした。
身の丈以上の長い竿の先に、友鮎と呼ばれる囮の鮎を付け、川に離します。
そうすると、鮎は縄張り意識の高い魚なので、川に泳いでいる鮎と喧嘩になります。
もつれ合うように喧嘩をしていると、友鮎に仕掛けてある針に掛かり、川にいた鮎が釣れるという仕組みです。
もちろん、それで生計を立てているわけでは無いので、朝から夜の8時までは仕事をし、家に帰って来て夕飯を食べたら、いそいそと釣りに行く準備をします。
朝方まで釣りを楽しみ、釣って来た鮎を一旦、家にある小さな池に離して、風呂に入って少し寝る。そしてまた、仕事に行きます。我が父ながら、鮎釣りが解禁になってる間、毎日と言っていいほどこのように過ごしていた父を『お父さんは、すごく元気が有り余ってるんだなぁ。』と、ある意味、尊敬していました。
夏休みに入ったある日、
夕方ひょっこり帰って来た父が私に、
『お前も一緒に行くか?』と、夜釣りに誘ってくれたのです。
それまで、夜釣りは本当に真っ暗で、危ないからダメだと連れて行ってもらったことが無かったのに、大好きな父に誘ってもらえた私は嬉しくて、リュックに懐中電灯を入れたり、タオルを入れたり、虫よけのスプレーも入れて、準備をし出しました。
父が私も連れて行く事を母に言うと、母は
絶対安全な場所から動かないように!と何度も何度も言いながら、お弁当を作ってくれました。いつも父が出かけるよりも少し早めの時間に川に向けて出発し、そうとはいえ、着く頃には夏と言えども辺りは真っ暗になってました。
満月の綺麗な夜で、星もしっかり綺麗に、目の悪い私ですら、メガネを取っても見えるほどの夜でした。
私はすっかりキャンプに来た気分で、父の後を、釣り道具を運ぶのを手伝いついて歩きました。
父のお気に入りの場所に着き、支度をし、私は小さなレジャーシートを引いて、その上に座っていました。
私が一緒にいることと、夜であるためでしょう。父はそれほど私から離れずに、しかし膝丈くらいまで川に入って、釣りを始めました。毎日と言っていいほど通ってるだけあり、父は私がビックリするくらいに、ホイホイと鮎を釣り上げます。
すごい量の鮎が短時間で釣れたのです。
しばらくして、父が
『あっ!くそッ!』と言ったかと思うと、
竿をクイクイっと動かし始めました。
鮎釣りは、釣り糸の先に友鮎が仕掛けてあるので、私は友鮎を縄張りに誘導するのに手こずっているのかな?友鮎が弱って来たのかな?と思い、様子をみていましたが、
どうもそれとは違い、
まるで、引っかかってしまった釣り糸を取ろうとしているような素振りでした。
『お父さん?どうしたの?』と声を掛けた私に、父は、
『あっ!お前、いたんだな!何でもいいから袋に、大きめの石拾って、ここまでもってこい!』と言うのです。
私を連れて来たことを忘れていたのか?
と言う疑問と、
少し焦った様子の父に、私は驚きながらも、言われた通りに、石を拾い、リュックに詰めて行きました。
そうしてる間にも、父は片手で竿をクイクイしながら、反対の手を川に突っ込み、足元の大きめの石を拾っては、ちょうど友鮎の居てる辺りに、投げつけていました。
私は、石の入ったリュックを背中に担ごうと思いましたが、
父が、
『手で引っ張って持っておいで!担いだらダメ!』と言うので、すごく重たくなったリュックをズリズリ引っ張りながら父のいる付近の川べりまで行きました。父が、川の中を少し私の方に寄って来て手を出すので、その手を取るとぐいっと川の中に引っ張られました。よろけながらも、父の側にたどり着くと父は
『リュックの中の石を、あっちに投げろ!』と言います。
意味がわからず、なんで?と聞き返すと、
『なんで?とかじゃ無くて、投げろっ!』と怒られました。
とてつもない大物が釣れたので、石を投げてビックリさせるのか?もしくは、石を投げて弱らせろと言うことかと思い、リュックの中の石をポイポイと投げました。
『もっと、力を入れてバシャッ!と投げろっ!』とまたもや怒られ、そのあとは父が
『やった!』と声を上げるまで、私達はひたすら石を投げ続けました。
リュックの中の石が、途中で全て無くなりましたが、足元の石を川の中から拾い上げ、遠くに投げつけます。
息も上がり、腕も痛くて、何やってんの?これと、嫌になりかけた時に、父は
『やった!』と声をあげ、おかしな動きをしていた竿もスイスイと元に戻っていました。
戻ってきた友鮎を引き上げ、川べりに戻ると、父は私に、懐中電灯で友鮎を照らすように言いました。
私は、レジャーシートの上に置いてた懐中電灯を取りに行き、友鮎を照らしました。
体には、石にきつく擦り付けたようなスリ傷がたくさんついており、ヒレは、どれもみな傷ついて、胸ビレの一つは根元から引っこ抜かれたように歪に掘れた傷がありました。
エラは、異常なほど広がっており、表側にめくれ上がっているような(火を通した時に皮が反り返る感じ)状態になっています。目はどちらも取れてしまって、くぼんでポッカリと生々しい穴が空いていました。
父は、クソぉ!と言うと、
今まで釣った鮎を全て川に流しました。
家から用意して連れて来た別の友鮎も流してしまい、
先ほどのひどい状態になった友鮎に大量の塩をかけて、川べりに掘った穴の中に埋めてしまいました。
『帰る準備しなさい。』と言われ、もくもくと竿をたたみ出す父の姿に私は、
いくら友鮎と言えども、ふだんから大切に世話をしてる友鮎がボロボロになったから、気分屋の父は機嫌を損ねたんだなと、呑気に解釈し、ずぶ濡れのリュックに持って来た物を詰め、懐中電灯を肩から下げて、
来た道をまた、父の後について車まで戻りました。
私が車に乗ろうとすると、
『待て!待て!』と言われ、またもや塩を大量に地面に撒き散らし、塩を踏んでから車に乗れと言います。
大切にしていた友鮎にも塩を大量にかけていたので、
ここでも私は、
あー、鮎が一匹ダメになってしまった分の弔いかなと解釈し、言われた通りにして車に乗り込みました。
車を走らせ、川から離れて少ししてから、
父が、
『今日の意味、わかるか?』と聞いてきました。
一瞬、へっ?となりましたが、
私は、大物がかかったことで友鮎がダメになってしまい、それが腹立ったから帰って来たんでしょ?と言う旨の事を父に言いました。
すると父は、
『違う。』と…。
さっき、私達を引っ張っていたのは、大物なんかでは無いと言うのです。
あれは、手のある者が彼方で引っ張っていたんだと言うのです。
夜ではありましたが、私達が石を投げてる先は、月の明かりでしっかりと見えていましたし、視界を遮るような草が生えているわけでも無く、大きな岩がゴロゴロしているわけでもありませんでした。
父の言う、手のある者が居てたなら、私にも逆光ではありながらも見えて居たはずです。
『見えないお前は、そう思うだろう。
じゃあ、友鮎があんなになったのは、何でだと思う。』と
また、聞いてきました。
それに関しても、
『だから、大物に引っ張り回されて、抵抗したらあんなになっちゃったんじゃ無いの?』と、先ほどと大して変わりない答えを伝えると、
『いや、それも違う。』
『あれは、穢れを受けたんだ。』と。
穢れと言う言葉がいまいちピンとこない私に父は、
『あれはな、
あそこにいる何かしらが、悪いもん流してたか、
それ自体が悪いもんだったか…。それに当たってしまって、ひどいことになっちゃった。
とにかく、間の悪い時に来てしまったってことだよ。』と。
えっ?それって…と、言葉を詰まる私に父は、
『夜に遊んでたら、まぁ、こういう事にもたまに合っちゃうんだよ。』と、ハハハと笑いました。
しかしそうなると、私と父は、その得体の知れぬ何者かに、石をずっと投げつけていたことになります。
その得体の知れない、父が『穢れ』と呼ぶ物が、悪い物であることが明らかなのであれば、私達はとんでもないことをしたのでは無いかと聞きました。
すると父は、前に1人で夜釣りに来た時にも、同じ事になったと話すのです。
その時は、友達と来ていたらしいのですが、その方は、父より川下に当たるポイントで釣っており、しかし、そう遠いわけでも無く、夜ですので大声で名前を呼べば聞こえるはずなのに、素知らぬ顔で釣りをしていたと言います。
また、父も、今回の私と同様に、もしかすると何やらとんでもない大物が釣れたのかと言う淡い期待もうっすらあり、しかし、どうにもこうにも、引き具合の気持ち悪さ…、
それはまさしく、こちらとの引っ張り合いを楽しむかの様な感じだそうで、徐々に力が強くなってくると言います。
友達を呼んでも気づいてもらえず、気持ちの悪い引っ張り合いが嫌になり、父は足元の石を投げ付けたそうです。
すると、石がボチャン!と音を立て水に当たるたび、相手の力が少しずつ、抜ける様になって行ったと。
無我夢中で石を掘り投げ、ボチャン!ボチャン!と音を立てていると、今まで素知らぬ顔をしていた友達がくるりとこちらを向き、一見、おかしなことをしている様に見える父に驚き、
川から上がって来て、父の方に走ってきました。
その時には、すでに竿の変な引きは収まっており、何事かと走ってきた友達を父は
『遅い!』と怒鳴ったんだそうです。
何がどの様に作用するのやら、全くわかりませんが、
石を投げ付けた事で、その時も正常に戻ったと言うのです。
その時も、たくさんの鮎が釣れたのですが、やはり連れて出た友鮎も含め、全て川に流して帰ったと言います。
使っていた友鮎は、今回同様、ひどい有様になっていたので、
釣ってすぐ食べる時用に持っていた塩で清めて、穴を掘って埋めたのだそうです。
前回のことがあった父は、また、同じことに出くわしたことに小さなパニックを起こし、私が居たことを忘れていたものの、
事態を把握してない私が、呑気に父に声を掛けたことで、パニックから抜け出し、石を投げつけたことを思い出したと言います。
私にリュックを背負うなと言ったのは、仮にその『穢れ』に引っ張られて川にはまった際、背負っていると溺れてしまう、手に持っているなら手を離せば良いだけと思い、私にそう言ったのだとか…。
生きてて、何であれしていれば、いくらかのおかしなことはあっても変じゃ無いんだと父は私の手を繋ぎながら言いました。
変じゃ無いんだと思えば、多少の違和感を受け止められる様になるし、
変じゃ無いんだと思えば、無茶苦茶だと思う方法が、案外、近道なことがあるとも言いました。
時と場合によるけどとね、今回のこれは、まぁ、正解って事だよ。と…。
そして、
『満月の夜だから、少しでも楽になりたくて、少しでも良くなりたくて、
川に来たところを邪魔したから、からかわれたんだと思えばいい。』と、
いとも簡単に、結論づけて、
『まぁ、たくさん釣れてたし、それなりに楽しかっただろ?
色々あったけど、全部ひっくるめて、
あー、楽しかった!なら、それで良いんだよ。それより、強いものは無い!』と言い、
ワハハハハハと、大きな声で笑っていました。
私もつられて、
『そーだねぇ。楽しかった。また、連れて行って欲しいよ。』と笑い、
父も、また行こうと約束してくれました。
そのあと、何度か夜釣りに釣れて行ってもらいましたが、
さすがに満月の夜に、私が夜釣りに誘われることはありませんでした。
作者にゃにゃみ
父に話すと、懐かしいなぁ!と盛り上がる思い出話の一つを投稿してみました。
ご拝読頂ければ、光栄です。