「お隣に引っ越してきた、高田ですぅ。よろしくお願いしますぅ。」
やけに愛想の良い、関西なまりの男が、俺の部屋をたずねた。
軽薄そうな若い男。今時、単身アパートに挨拶に来るなど珍しい。
俺は、その男を見て、息を飲んだ。
驚いてはいけない。
気付かれてはならないのだ。
俺が視えるということを。
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その男は、目の奥が空洞の、細身の女を背負っていた。
もちろん、目の奥が空洞の人間なんていない。
そう、人ならざるモノ。
年のころはおそらく、この男より、少し年上の30代半ばというところだろう。
みえてない、みえてない。
俺は、何も視てないぞー。
俺は今までも何度も苦い思いをしてきた。
視えるがばかりに。
同調してはいけない。何故なら、その時は俺にツイてくるからだ。
道路で轢かれた子猫、交差点に佇む子供の霊、死んだのもわからずに病院を彷徨う老婆。かわいそうだと思った瞬間に奴らは俺に気付く。
視えるのか、私が。
視えるんだね?
しばらくは付きまとわれた。
憑かれ易い俺の唯一の理解者が祖父だった。
祖父も視える人で祓い屋でもあったので随分と祖父に助けられた。
しかし、もうその祖父もこの世には居ない。
俺は、自分が強くなるしかなかった。
付け入られない自分。あくまでも冷徹になるのだ。
それは、日々の習慣になり、いつしか俺についたあだ名は「アイスマン」。
周りからは冷徹な男だと思われている。
決して同情しない。信じるものは己のみ。
この目の前のヘラヘラした男とは真逆の人間なのだ。
手土産の大阪のわけのわからないショボイお菓子を受け取ると、
「どうも」とだけお礼を言うと、すぐにドアを閉めた。
霊がついた男になど、名乗る必要はない。
しかも、あの目は、かなり男を恨んでいる目。
真っ黒な空洞に、怨念が渦巻いているのだ。
ドアを閉めたにもかかわらず、男は大声で表で叫んだ。
「よろしゅうね、皆木さん。」
クソ、表札など出しておくべきじゃなかった。
馴れ馴れしいんだよ。幽霊つきの癖に。
あんな怨念の篭った霊がついてるくらいだから、きっとろくでなしだ。
あの女からは並々ならぬ男への執着が感じられたからだ。
俺はなるべく、隣の男と出くわさないように心がけた。
だが、馴れ馴れしい男は、顔を合わせると、必ず話しかけてきた。
「おはようございますぅ。今日はええ天気ですねえ。」
薄っぺらな人間ほど天気の話しかしない。
そこまでして話さなくてもいいだろう。
口から生まれたような男だ。
無視していても、ペラペラと一人でしゃべる。
満足すれば、自己完結し、ほなと去っていく。
近づくんじゃねえよ。お前が背負ってるそれ、こええんだよ、バカ。
その男は軽薄な見かけ通り、女癖も悪かった。
ほぼ毎日、違う女を連れて帰ってきた。
しかも、あの声がうるさい。
「ンッ、ッあぁっ。アアン、ダメぇ。」
今夜も始まった。毎晩、アンアンうるせえんだよ。
しかも、その翌朝、必ずと言っていいほど、背負っている女の闇が濃くなってる。そりゃあそうだろう。毎晩、自分が関わった男が女をとっかえひっかえだからな。心穏やかではないはずだ。
「いやあ、ほんま、すんません。毎晩うるさいですやろ?今日はお詫びさせてくださあい。」
しつこく鳴らされるチャイムに文句を言ってやろうと息を巻いたら、こいつだった。しまった。
「ええ酒が手に入ったんですわ。こっちでは滅多に手に入らんやつでっせ?一緒に飲みましょ。」
そう言うとずかずかと上がりこんできた。
「勝手に困るよ。」
俺がそう制しても、男は図々しく上がりこんだ。
「かましまへんやろ?彼女さんとかおらへんみたいやし。たまには男同士、腹割って話まへんか?」
お前だけじゃないんだ。お前にはそれがもれなくツイてくるから困るのだ。
なんて図々しいんだ。俺はこいつが嫌いだ。
女はついに、真っ黒な炭のようになっていた。
こんなに怨念の篭った霊は見たことがない。
しかし、こいつは、こんなのを背負っていて、なんともないのか?
だとしたら、かなり鈍いのだろう。
憑かれ易い俺からすれば、馬鹿でも逆に羨ましい。
男は愚にもつかない、くだらない話を延々とぺらぺらしゃべり続けた。
しかも、自分の武勇伝だ。いかに自分がいろんな女と付き合ったかという、いわゆる自慢話だ。本当のバカなんだ、この男。俺は逆に哀れに思えてきた。
「そう言えば、以前、ちょー迷惑な女がおったんですわ。30代半ばくらいの女やったんですけどね。ちょっと遊んでやっただけで、本気になってね。結婚する気でおったみたいなんですよ。誰がそんな年増と結婚します?そのことを伝えたら、その女、自殺しよったんですわ。まるで俺が悪いみたいですやん?」
うわっ、この男、本当のクズだ。最低。
恐る恐る、背負ってる女を見ると、泣いていた。
きっとこの女のことだ。空洞の目からハラハラと涙が溢れ出ている。
俺は無性に腹がたった。
まだ、このバカ男が好きなのかよ。
こんな男のために、泣くのはよせ。
そう思った瞬間、その女がこちらを向いた。
しまった、同情してしまった。
こっちにくんな!来るんじゃない!
俺の思いとは裏腹に、女はどんどん俺に近づいてきた。
ミエルンデスネ?
「それじゃあ、俺、明日仕事あるんで。あ、残った酒、全部飲んでええですよ。おやすみなさい。」
ま、待て。これを、連れて帰ってくれ!
無情にもドアは閉められ、女だけが残された。
嘘だろう?
ああ、俺は視えるのさ。
たぶんこれからもずっと。
なんだって?あの男は嘘をついている?
そんな話はどうでもいい。
お前はあのクズのところに帰れ!
泣くな、うっとうしい。
わかったわかった。話だけ聞いてやる。聞いてやったら帰れよ?
なになに?結婚をエサにしたのは、あいつのほうだって?
結婚したいけど、借金があって結婚できない。
それさえきちんとすれば結婚できるって?
自分にもお金がなかったから、闇金で金を借りたのか。
バカだな。見るからに、クズだろ、あいつ。
なんで見抜けねえんだ。
で?借金だけ残して、トンズラしたわけね?あいつ。
職場にも借金取りに追い立てられて働けなくなって、ソープに売り飛ばされそうになったわけだ。それで自殺か。
あんなクズのために。
泣くな!クズのために泣くなんて勿体無いだろ。
わかった、わかったからもう泣くな。
俺が何とかしてやる。
俺は、バカが忘れて帰った携帯を開く。
酔っ払って忘れて帰ったのを黙っていたのだ。
きっと俺は、こうなることを予測していた。
俺は、あいつが忘れた携帯でいろんなトラップを仕掛けておいた。
まずは、女の鉢合わせ。
そして、極めつけは、踏み倒した借金取りへの密告だ。
そのあくる日から、あいつの部屋は修羅場になった。
女の言い争う声。
強面の借金取りの鬼のような催促。
居留守をキメていたあいつのいる時間帯を教え、俺にぺらぺらとしゃべった職場も教えてやった。
あいつは夜逃げ同然に逃げて行った。
ざまあみろ。
これで俺に平穏な日々がまた訪れる。
と、思ったが、あいつのとんだ置き土産があったんだっけ?
「アリガトウ。ヤサシイノネ。」
女がそう言うと、目に輝きが戻った。
その瞳はとても美しかった。
「成仏しろよ。」
俺が言うと、女は微笑みながら頷いた。
願わくば、俺にツイてる時も、その姿で居て欲しかったものだな。
「サヨナラ」
「じゃあな。今度生まれてくる時は、ちゃんと相手を見極めるんだぞ。」
作者よもつひらさか