私が小学3年生の秋、仲良しのユカちゃんが急性虫垂炎で入院しました。
入院先の病院が、私の家から近かったのもあって、ほぼ毎日のようにお見舞いに行きました。
「ユカちゃん、いつ退院できるの?」
と私が尋ねると、彼女は少し恥ずかしそうに、
「…オナラが出たら、だよ」
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「そっかー、大丈夫だよ!すぐ、プゥッて出るから!」
私が言うと、ユカちゃんは「お腹痛くなるから笑わせないで」と言いながら楽しそうに笑いました。
ユカちゃんのお見舞いに行くのには、他にも目的がありました。
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「この病院ね、屋上に出れるんだけどね、街が見渡せて眺めがいいんだよ」
ユカちゃんの急性虫垂炎の手術が成功して3日ほど経った時、ユカちゃんが教えてくれました。
教えてもらった日に、私はついでに屋上へ行ってみることにしました。
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屋上への扉を開けると、その日は良く晴れていたのもあって富士山まで見えました。
「いまーわたしのーねがーいごとがー…」
ふいに、歌が聴こえてきたので歌声の方を見ると、パジャマを着たお姉さんがいました。
「…そのお歌、好きなの?」
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私が声をかけると、お姉さんは少し驚いたように顔を上げました。
「…うん、好きなお歌だよ。…誰かのお見舞い?」
「うん!友達がモーチョーで手術して入院してるんだよ」
私が答えると、お姉さんは「そっか」と笑いました。
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私は、お姉さんが何か描いていることに気づきました。
手元を覗くと、画用紙にウサギやクマさんがクレパスで可愛く描かれていました。
「わーぁ、ウサギさんだー!お姉ちゃん、絵が上手〜!」
私が目を輝かせると、お姉さんは嬉しそうに笑いました。
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そんなこんなで、私はユカちゃんのお見舞いを口実に、このお姉さんに会いに行くようになったのです。
お姉さんは17歳で、骨髄性急性白血病で入院していました。
いつも大きなリボンを付けている私を「リボンちゃん」と呼んでくれていました。
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「この大空にー翼を広げー飛んでーゆきたーいーよー…」
屋上でお姉さんに「翼をください」という歌を教えてもらい、いつも一緒に歌いました。
「お姉ちゃん、鳥さんになりたいの?」
私の質問に、お姉さんは「どうして?」と聞き返してきます。
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「んー、なんか、このお歌、鳥さんになりたい歌みたいだから」
私の答えに、お姉さんはウフフと笑いました。
「…うん、そうだね。鳥さんになりたい」
お姉さんはそう言って、青空を見上げました。
「どうして鳥さんになりたいの?」
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私が尋ねると、お姉さんはこう答えました。
「お歌にあるように、お空には悲しみがないから」
「そして自由があるから」
「それに、お薬の苦しみも、お母さんに苦労をかけさせることもないから」
それから、いつも被っていたニット帽を外しました。
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「あ…、お姉ちゃん…髪が…」
そこには、毛髪がすっかり抜け落ちた頭がありました。
「抗がん剤っていうお薬の副作用で、みんな抜けちゃって…、つるピカハゲ丸君になっちゃった」
お姉さんは笑っていたけど、私は哀しくなりました。
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「お薬飲むの…つらいの…?」
私が心配そうな顔をしたせいか、お姉さんは私の頭を撫でました。
「飲むと気持ち悪くなって吐いちゃうの。ご飯も食べれなくなっちゃうから、お母さんが心配して悲しそうな顔をするのが嫌なんだ…」
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それからポツリと呟きました。
「私は大人になれないかもしれないの…」
お姉さんの言葉に私は、
「じゃぁさ、じゃぁ、もし大人になれたら、お姉ちゃんは何になりたいの?やっぱり鳥さん?」
そう尋ねると、お姉さんは首を横に振りました。
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「私の夢は、絵本作家なんだよ」
そう言って、お姉さんは絵本作家のことを話してくれました。
「じゃぁ私、お姉ちゃんが本を出したら1番最初に買うね!」
「リボンちゃんには、タダであげるよ」
「ほんとー!?楽しみー!」
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お姉さんとの毎日は、とても楽しいものでした。
絵本のお話を一緒に考えたり、登場人物を一緒に描いたりしました。
そんなある日、ユカちゃんが無事にオナラをして退院の日取りが決まりました。
私はその日もお姉さんに会いに、屋上へ行こうとしていました。
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「リボンちゃん」
屋上へ続く階段のところで呼ばれて振り向きましたが、誰もいません。
廊下へ出てみると、ちょうど角をお姉さんが曲がるところでした。
「お姉ちゃん!」
私は追いかけました。
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お姉さんは、病室へと入って行きました。
「お姉ちゃん!今日は屋上に行かないの…?」
私がお姉さんを追って病室に入ると、看護師さんがベッドの片付けをしているだけでした。
「…あら、迷子?」
私の気配に振り向いた看護師さんが尋ねてきました。
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「うぅん、お姉ちゃんにご用があって…」
私が言うと、看護師さんは、
「…お姉ちゃん…って、ミキちゃんのことかしら?ミキちゃんなら、今朝方に…」
亡くなった、と言われました。
それから、看護師さんから手作りの絵本を渡されました。
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画用紙で作られた絵本には「リボンちゃんへ」と付箋が貼ってありました。
「リボンちゃんって、お嬢ちゃんのことでしょ?」
看護師さんの問いに、私は何度も頷きました。
それから床に座り込んで泣きました。
看護師さんは最初、困ったようにしていましたが、優しく私の頭を撫でてくれました。
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「ミキちゃんねぇ、リボンちゃんと会うようになってから、すごく元気になったのよ。いつも楽しそうにリボンちゃんの話をするの。それにね、お薬や点滴も頑張ってしてた。でもね…、夜中に急に容態が悪くなっちゃってね…」
亡くなる間際に、出来上がった絵本を「リボンちゃんが来たら渡してほしい」と言ったそうです。
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廊下で見たのは、お姉さんの幽霊だったんだと気付きました。
私に絵本を渡したくて、病室まで案内してくれたんだ、と。
私は絵本を開きました。
クレパスや水彩を使って綺麗に描かれています。
それは、こんなお話でした。
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あるところに飛べなくなった青いカナリヤがいました。
青いカナリヤは翼の痛みに、いつも泣いていました。
そこへ白いウサギが現れて、カナリヤの手当てを一生懸命してくれました。
白いウサギは、毎日毎日、カナリヤの包帯を取り替えながら楽しいお話をしてくれました。
カナリヤは、白いウサギに会うのが楽しみになりました。
でもカナリヤは、本当にまた空を飛べるようになれるのか、とても不安でした。
飛べない自分の元へ、それでも白いウサギは来てくれるのだろうか。
ある日、突然襲った翼の激痛に、カナリヤは「もう、このまま飛べずに死んでしまうんだ」と泣きました。
そこへ白いウサギがやってきて、カナリヤに「希望」という名前の薬草を翼に塗ってくれました。
すると、どうでしょう。
みるみる痛みが引いて、翼を羽ばたかせられるようになりました。
カナリヤは嬉しくて大空へ飛び立ちました。
何度も何度も羽ばたいて、いつしか青空へ溶けてしまいました。
カナリヤが消えて悲しむ白いウサギの手には、青いカナリヤの羽根が1枚だけ残されていました…。
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「…カナリヤさんは、ウサギさんに、自分は確かにここで生きていたよって…、その証を残したんだね、お姉ちゃん…」
また、涙が溢れてきました。
一緒に絵本を見てくれた看護師さんも、泣いていました。
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「お姉ちゃんは、一生懸命に生きたんだね…。一生懸命に生きたよって、私に伝えたくて…絵本、描いてくれたんだね…」
私は絵本を、ギュッと抱きしめました。
「ありがとう、お姉ちゃん…」
私はずっと、忘れないよ。
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「今〜私の〜願〜いごとが〜、叶うな〜らば〜、翼がほし〜い…」
その後、学校で翼をくださいを音楽で習いました。
「悲しみのない〜自由な空へ〜翼〜はためかせ〜ゆきたい〜」
歌うたびに、一生懸命に生きようと思いました。
[おわり]
作者ゼロ
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
3年生の春に「にゃんこ先生」を失い、その傷も癒えないうちに、秋にはお姉さんの死に触れました。
すごくショックだったのを覚えています。
お姉さんに教えてもらってから、翼をくださいは大好きな曲になりました。