1
博識で有名な石憲(せきけん)の家を、放蕩で知られた丁(てい)という甥がたずねた。
いつもの金の無心かと石憲は思ったが、なにやら様子がちがうので訊いてみると、
「鬼とか怪物といったものについて知りたい」と言う。
意外な言葉に興味をもち、さらに仔細をきくと、語り始めはつい昨日のことからだった。
遅くに友人宅へ借金にいった帰り道、ふと桑林へ小便に入った。
日暮れのうす暗いなか用をたし、立ち去ろうとした爪先へ硬いものがぶつかった。見れば土より何かつき出ていて、少しかいてみると壺の底部であるのがわかる。
すわ飯のタネかと、家より道具を持ちもどり、まわりひと抱えほどある大壺をどうにか掘りだした。こすると白磁に青い文様が暗がりでも鮮やかになり、口を上向けてのぞくとカラだったが、底のほうから白煙が立ちのぼった。
その煙が丁のことを人の声で「主」呼んだので、大層驚き何者かと問えば、
「天尸魚(てんしぎょ)」と答える。
自らを持ち帰るように言うが、大壺を前に丁が少しく難儀を感じていると、煙はたちまち七尺程の大男に変じ、壺をかるがる担いでみせたという。
今家にいるのでよく知りたいとの頼みに、石憲はそういったものに詳しい「山海図経」の写しを持ちだし、それは変化自在の雲のあやかしの名だと解説する。壺に主がつくと妖力を発揮し、あざむいたり人に憑いたりする。持ちぬしにはよく仕え、禍をはらい益をもたらすが、
「これの主、けっして己を壺中へ入れぬこと。破ればとりこまれる」と戒めを読む。
しかし大器といってもその口は幼子の入るのが精々なので、いらぬ注意だと丁は判じる。餌などについても問うと、淡水魚を大変好むが特にあたえる必要はないと聞き、今度はやや顔をしかめた。丁自身は魚の類が大の苦手なのだ。
家に帰って庭へ行き、丁が早速その力を試すと、あやかしは主の命ずるまま、虎となり、美女となり、あぶの群れ、独りでに鳴る太鼓、寺廟の門、舞踊る長剣、銭の山と次々化けた。
もどる銭があれば生活には困らず、たとえ科挙(役人試験)に挑んでも暴けぬ作弊(カンニング)を工夫できるだろうと、丁は立身の道をあれこれ思案し始めた。
幾日か経った頃、秦のある大将が戦勝祈願に家臣をつれ霊山へ入ったが、これを異様の黒雲が襲うという変事が起きた。
激しい風雨と雷鳴にたたかれ、どうにか前進する一行を、夥しい影のような怪物らが阻む。
この窮地を偶々入山していた若き道士が救ったといい、伝聞はまたたくまに広まったが、その妖異こそ天尸魚の変身によるもので、無論けしかけたのは道士に扮した丁である。
事を機として彼は軍の顧問に招じられる。戦況を占うふりをしながら妖雲を有利に動かし、南山の戦において大いに貢献した。
その後も諸侯へうまく取り入り、邪魔な者あればこれを暗殺、あるいは変化の美女をむけ篭絡するなどし、妖力により栄進していく。
やがて絢爛な屋敷へ美しい妻を迎えた頃、出世した甥のもとを石憲が訪ねてきた。
存分に身分をかためた今、あやしい力を用いるのは慎んだほうがよかろうと云う。
この言には丁も頷き、かの壺は蔵の奥へ押し込めておくことにした。
2
少しして遠方に用事のあった丁は、数日ぶりに自宅へもどるや「あっ」と声をあげた。
若い妻が気を利かせたつもりで蔵のものを裏庭へ日干しにさせていたのだ。
しかし夫は感心するでもなく、壺はどこかと騒ぐので、あれは立派な品なので惜しいと思い、水を入れて飾ってあると表の庭へ案内する。
そこに確かに在ったのを見て、丁はホッとしたように壺の口を覗いた。
そして暫くしてから、急に顔をあげて妻に向かい、
「腹がへったな」と告げた。
食事が済むと、涼みにでも行くように丁はふらっと外へ出で、そのまま行方をくらました。
後日、石憲は主の消えた丁家を訪れて夫人より仔細をきいた。特に、丁と壺について思うところがないかを問うと、夫人は暗い表情で、
「あの日、壺はどこかと訊かれ案内した際、旦那様が随分気にされていましたので私も覗き見ましたところ、水面に映ったお顔はどういうわけか怖ろしいほど苦しげなご様子でした。それが、次にこちらを向いたときにはすっかり苦悶は消え、満面の笑みに変わっていたのです」
石憲は話からそのときの様子を思い、かつて自身の伝えた戒めに気づき思わず嘆息した。
また、その夜の膳には鯉や鮎などを盛るようにいいつけられ、苦手なはずのそれらを丁が喜んで平らげていたとも聞き、心胆の大いに冷える思いがした。
壺の所在を訊ねたが、丁の消えた日にいつのまにか失せていたという。
文公二十年の頃、武都での話。
作者ラズ
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昔の中国を舞台にした創作怪談です。
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