T代さんは二十代前半の頃、定職に就かないで知り合いの部屋を転々としていたという。
「別に親と喧嘩したとか、家出していたというわけではないですよ。確かに仕事しろって怒られはしましたけど――」
人と遊んでいると楽しくて帰りたくなくなるのだと笑った。
T代さんには霊感はない。しかし、泊めてもらう部屋がなんとなく薄気味悪いと感じることがあった。無償で泊めてもらうのだから、もちろんそんなことは口が裂けても言わなかったそうだが。
その日は居酒屋で意気投合した女の子の部屋に泊めてもらうことになった。
B美さんの借りている部屋は年老いた大家さんが住む家の二階でアパートではなかった。だが、外階段で出入りできるようになっている。玄関から入って右に流し台とコンロを置いた小さなキッチン、左側にはトイレがあり、下宿部屋ではなく一階から独立していた。さすがに風呂はなかったが近くに銭湯があるので不便はないらしい。
真冬ではなかったがまだまだ暖房器具が手放せない時期で、六畳一間のフローリングには毛足の長いラグを敷いて長方形の大きなコタツが置かれていた。
「あんまり掃除してないんで汚いけど、どうぞぉ」
B美さんはそう言ったがさほど気を遣ってるふうでもない。
T代さんは遠慮なくコタツに足を突っ込み、部屋を見回した。服のかかったハンガーラックだけで家具類は置いていない。押し入れがあるので収納にはこと足りているのだろう。
「あっ、ごめん。カーテン閉めといて」
T代さんの座った横には窓があり、少し長めのピンクのカーテンが掛かっていた。それを閉めてから再びコタツに入る。
二人はコンビニで買ったビールとつまみをコタツの上にひろげた。居酒屋で散々しゃべりあったのに、おしゃれのこと、好きな男のタイプや嫌いなタイプのことなど遅くまで話に興じた。まだまだ尽きなかったが深夜になり寝ることにした。
B美さんは布団を敷くのが面倒くさくて、いつもコタツで寝るという。T代さんも了解した。
バッグを枕にコタツに潜り込む。
B美さんが反対側から足を突っ込み、「おやすみ」と照明の紐を引っ張った。
温めの温度が心地よく、T代さんはそのあとすぐ眠りに落ちた。
目を開けると部屋は柔らかい朝の光で明るくなっていた。
コタツの中を見るとB美さんがいない。もう仕事に行ったのだろうか。こんな朝早くから行くのなら自分は迷惑だったろうなと寝ぼけた頭で反省したが、朝が弱いのでしばらく微睡んでいた。
帰る時に鍵はどうすればいいのかな。このままBちゃんが帰って来るまでいようか。それもまた迷惑だな――
ぼうっとした頭でそんなことを考えつつT代さんはカーテンの掛かっているほうに寝返りを打った。
「?」
カーテンの下に足がある。
えっ、Bちゃん?
すぐに違うとわかった。足はごつごつとした大きな男の脛から下で黒く煤汚れた裸足だ。しかも左足だけ。
恐る恐る見上げると、カーテンと窓の間に人が隠れているような膨らみも逆光に映る影もない。
視線を戻すと今度はカーテンの幅いっぱいに煤汚れた裸足が並んでいた。男のもの、女のもの、子供のものもある。それらもすべて左足だけだった。
T代さんは背中に冷たい汗を張り付かせて、足たちを見つめた。
夢じゃないよね。わたし、はっきり起きてるよね。
そう自分自身で確認した途端、T代さんの耳がキーンとなり気が遠くなった。
「ただいま」という声ではっとして身を起こすとB美さんが玄関に立っていた。朝ご飯を買いにコンビニに行ってきただけらしく、にこにこ笑って袋を持ち上げ見せている。
T代さんは慌ててカーテンの下を見たが何もなかった。
キツネにつままれたような顔をしていたのだろう。おにぎりやサンドイッチを袋から取り出しているB美さんがどうしたのか訊いてきた。
言おうか言うまいか迷い、T代さんは結局何も言わなかった。夢にしては生々しかったし、目覚めていたのも確かだが、全部夢だと思うことにした。
B美さんの出勤する時間になり、T代さんも帰る準備を始めた。
身支度を整えているとフローリングに大小の黒い足跡が幾つか付いているのに気が付いた。さっきまでそんなものはなかった。それがどんどん増えて重なり合いラグを取り囲んでいく。
ラグの片隅が左足の形に一つ窪んだ。
つま先がT代さんのほうを向いていたので慌ててバッグをつかみ、礼もそこそこにB美さんの部屋を飛び出した。
それからB美さんには会っていない。
「お礼をちゃんと言わなきゃと思って何度か居酒屋に行ったんですよ。その後も気になったし。
でも全然会えなくて。
それでしばらくしてから家に行ってみたんです。だけど更地になっていて。近所の人に聞いたら大家さんが亡くなったとかで親戚の人が処分したってーー
Bちゃんのことは結局わかりませんでした」
作者shibro