Pさんの母親は『視る人』ではないらしい。
「なのにあの時はなんで視えたんだろう」
と、Pさんは首を傾げている。
***
Pさんの母・R子さんは、若くして亡くなったご主人の墓参りを毎日欠かさなかった。
菩提寺が家から近かったということもあり、月命日はもちろん、買い物や散歩に出た時は必ず立ち寄り、ご主人の墓前に手を合わせた。
それは数十年にも及ぶが、今まで異様な出来事にあったということは一度もなかった。
だが先日、墓参りを終え門に向かっていると、一組の男女が門前に立ち、こちらをじっと見ているのに気付いた。
視力が衰えているのではっきりと顔は見えないが、知人ではない。
一歩一歩近付くにつれ、R子さんはぞっとした。
門前の二人がびっしょりと濡れていたからだ。顔色が悪く、何とも形容しがたい表情をしている。
生きている者ではないと直感した。
がくがくと震える膝は今にも崩れそうだったが、必死で前に進んだ。
門をくぐり、視えないふりをして通り過ぎる。眼の端で二人がまだ自分を見ているのがわかった。
視たらあかん。振り向いたらあかん。
R子さんは足早にその場を去った。まだ見ているのか振り向いて確認したかったが、視えていると気づかれたくない。
しばらく歩いて寺のある通りを逸れてから深く息をした。このあと買い物に行く予定だったが、ひどく疲れを感じ、別ルートで帰路についた。
家に着いたR子さんは外出着のままベッドに倒れ込み、泥のように眠った。
目が覚めた時、開け放したカーテンの窓外がすでに暗くなっていた。照明を点けていなかったが、窓越しに入ってくる街灯の明かりがぼんやり部屋を照らしている。
R子さんは体を起こそうとしたが、痺れて動けない。
金縛りだと思った時、ベッドの傍らに立つものに気付いた。
それは門前にいたあの二人だった。
「うどんたべさせてくれませんか」
「うどんたべたいんです」
「うどんたいてください」
「うどんたべたいんです」
抑揚のない声で二人は交互に訴える。
R子さんは訴えを拒もうとしたが声が出ない。
ぎゅっと目をつぶり、心の中で叫んだ。
『無理や。帰って。無理や。帰って。無理や無理無理――』
「うどんたべたいんです」
「うどんたべたいんです」
『いやあ、いやあ、ぎゃあああああ』
それでも止まない訴えに喚き散らした。
声がしなくなったので目蓋を開くと、びしょ濡れの二人が目の前で顔を覗き込んでいた。
「いやあぁっ。もう無理やってっ、そんなんうどんなんか作られへんって。帰ってっ。か、えっ、てっ。帰ってええぇぇ」
声が出たと同時に体が動いて勝手にじたばたと暴れたらしい。気が付くと疲れ果て放心状態になっていたという。
いつの間にか二人の幽霊は消えていた。
***
「冷たい人間や思われるけど、霊に同情するとあかんからと母は笑っていました。
それからしばらくの間、菩提寺に行くのが怖くて父の墓参りをさぼったそうです。
しまいには「お父ちゃんに怒られるわ」って、やっと行く気になって――
今はまた以前のように、欠かさず行っているそうです。
あれからその二人は視てないって言っていました。もちろん他の幽霊も視ていません」
Pさんは笑った。
「なぜ視えたのが父でないのかって母も苦笑いです。うちに会うのん嫌なんやろかって。ははは。
海や川の近くでもない町中でなぜびしょ濡れなのか、現れたのがなぜ母の前なのか、理由は今もわかりません。
母は同情してはいけないと言いつつも、あんなに食べたがっていたんだから、うどんくらい作ってあげてもよかったかなと、今ではそう思っているそうです」
作者shibro