全てが楽しく感じる幼き頃、家々に大小様々な鯉が天を泳ぐ季節に
私は捨てられた。
峠道の休憩スペースに泣き疲れ寝ている私を見つけてくれたのは、これから育ての親になる御夫妻だった。
幼い私を拾い育てる決心をした御夫妻は当時四十歳、子宝に恵まれず養子を迎えるか否かを真剣に悩んでいたそうだ。そんな折、捨てられた私を見つけ、児童福祉施設に保護された私を再び養子として迎え入れてくれたのだ。
当時の記憶を少し覚えている。綺麗な青空と鯉のぼり、走り去る車と、涙を流す女性の顔。女性は実の母だと思う。今は綺麗な青空を見て清々しい気分になるが、当時は青空と鯉のぼりを眺めるだけで精神が奈落の底に落ち、人と会話も出来なくなる程だった。
そんな時は “何故捨てられたのか”を考える。捨てられた要因は多々あるのだと、今は思うのだが、当時の自分は“きもちわるい”から捨てられたのだと…考えていた。
それは…周りには何もない場所で突然切り傷が出来て出血。突然飛ばされた様に窓ガラスに激突し出血、度重なる不可解な怪我で周りの大人達から“きもちわるい子”と囁いている声が聞こえていたからだ。
施設でも度々そのような怪我をしていた。そんな不可解な怪我をする私を知った上で養子に迎えてくれた優しい御夫妻でも、何時かは私の事を“きもちわるい”と感じ、また捨てられるかもしれないと、ビクビクしていた。
私が 7 歳の誕生日、正確には御夫妻と出会った日が誕生日なのだが、買ってくれた物がある。それは当時の私の背丈で膝上あたりまである大きさの武者人形、いわゆる五月人形である。凛とした顔立ちで、金太郎のような髪型に立派な兜を被り、緑色の厚手の布に覆われた五段階段。その一番上に腰を据えていた。
5 月近く、その時期はいつも鬱状態で気分が落ちていた。家に帰ると居間から和室が見えるのだが、その和室に先に述べた立派な五段飾りの五月人形が飾られていた。まるで和室だけが聖域になったようだった…
その人形に目を奪われて、ただ立ち尽くしていた私に母が声を掛けた。
「立派な五月人形でしょう?智明が立派な男に成長する事を願ってお母さんたち奮発しちゃった」
嬉しくて涙が頬を伝った事を今でも忘れない。
人形の兜や鎧が格好良くて朝から晩まで人形を見つめる日々が続いていた。ある時は話しかけたり、又ある時は腰に差す刀を抜いてみたりと。
そんな幸せな気分は長く続かない。ある日の夕方、また不可解な怪我をしたからだ。
居間にはガラステーブルとその横にソファーが設置してある。人形にすこし飽きた私はそのソファーで寝ころびながら漫画を読んでいた。母も寝ころぶ私の横でソファーに腰掛け小説を読んでいたと思う。そしてその時は突然訪れた。私の身体が勝手に持ち上がりガラステーブルの上に落下したのだ。
当然割れたガラスは体中に突き刺さった。幸い命に別状はなかったが、頭を強く打ち気絶したせいもあって検査も兼ね、一週間の入院となった。
虐待の疑いもあってか、知らない大人が度々両親を訪ねていた事に 私は、不可解な怪我より恐ろしかった。
“また捨てられる”と思った私はただ両親に「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝った。
そんな私に優しく声を掛けてくれる両親には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
入院初日から退院するまで怪我をする前後の記憶が飛んでいたのだが、退院してから徐々にその日の記憶が蘇ってきた。
それは身体が持ち上がる瞬間、沢山の黒い手が自分を持ち上げた事だった。
“守ってやろうか?”
不意に聞こえた男の声。家には母以外の人は居ないが、その声は和室から聞こえた気がした。和室には五段飾りの五月人形が飾られている。外から聞こえた声かもしれないが、幼い私は、半信半疑だったとしても、人形の声だと思いたかったのだろう。
自然と私の手は人形へと伸ばし願ったのだ。
“守って欲しい”
すると人形の目玉だけがギョロっと此方に向き
“守ってほしいのなら、おまえの血をよこせ”
先程聞こえた声と同じ声が、耳ではなく頭に直接響いたのだ。
「智明、晩御飯にするよ」
後ろからの母の声に振り向き、人形に向き直ると人形の目は元あるべき位置に戻っていた。不思議と人形に恐怖は感じなかったが心臓はうるさかった。
その晩、夢をみた。人形が私の寝ている布団に近づき鞘から刀を抜き取り、私の右腕を切り付けた。肉が露わになり噴き出る血しぶきで人形が赤く染まっていく夢だ。
切りつけられた右腕がジンジンとした痛みで目が覚めた。見るとガラスで怪我をした部位に巻かれていた包帯が真っ赤に染まっていた。
階段を駆け下り和室の人形の前に立つと人形の口元にうっすら血の跡が残されている。
暫く見つめ、そして自然と言葉が口からでる。
「守ってくれるの?」
人形からの返事はなかった。只の夢…昨日頭に響いた声も、見た光景も、気のせいだと肩を落とし居間のある方向に歩き出したその時、
“守ろう”
そう力強く聞こえたのだった。私は人形に向き直り笑顔を返した。
それから人形はこちらから話しかけても語りかけてくる事はなかった。
五月も終わり頃の学校での出来事だ。
授業も終わり、帰り支度をしていると、同じクラスの修輔君に声を掛けられた。
「一緒に水飲みにいこうよ」
“一人で行けばいいじゃないか”と思うも、友達がいなかった私は割と嬉しかった。
修輔君は物静かで私と同じくいつも一人でいる子で、いつも何かに怯えている感じがした。
そんな子になぜ自分がすぐそこの水飲み場に誘われたのかを不思議に思ったのだが「いいよ」と、返事をした。
修輔と一緒に水飲み場に行き、私もついでに水の蛇口をひねり口に含んだ。水飲み場には大きな鏡があり鏡越しに見た修輔は水も飲まずに私を見ていた。不思議に思い水を飲み終えた私は修輔に「どうしたの?水、飲まないの?」と彼の方を向いた。すると修輔君は私を不思議そうな目で
「智明君は平気なの?そんなに沢山連れて…」
その時彼が何を言っているのか理解が出来なかったが、“沢山連れて?”という言葉につい後ろを振り返って確認してしまった。一瞬だが黒いモヤのような物が見えた気がしたが直ぐに消えてしまった。また修輔に向き直り「今の何?」と困惑した表情で修輔に聞いてみると「消えちゃった」と表情を明るくしながら今度は目をキラキラさせながら逆に聞いてきた。
「後ろの人は悪い人じゃないんだね」
私は戸惑い、彼の意味不明な言葉に少し苛立ちながら眉間に皺を寄せていると修輔君は目線を下に落し、少しモジモジしながら小声で話し出した。
彼には普通の人には見えないものが見える事、私の背後にはいつも大勢の黒い人影がいた事、最近は少し離れた所にいて、その代わりすぐ背後に鎧を着た小さい人がいるとの事。
突然の告白に二人とも水飲み場で暫しの沈黙…
彼の言っている事が嘘ではないのだろう。現にこの間怪我をした時も沢山の黒い手を見て、それに私を守ると告げた人形も居るからだ。そして私も今までの経緯を彼に話した。
彼も私の告白に少し驚いた様子だった。
いままで知らなかったが修輔と家が近かった事もあり、修輔と一緒に帰る事になった。道中他愛もない話で盛り上がる。友達の居なかった二人だからなのだろう。
楽しく話している最中、突然歩みを止めた修輔は 50 M先の電信柱を見つめひどく怯え始めた。「どうしたの?」と問うても彼は黙ったままだ。再度聞いてみると小声で「近づいてきている」と発言した次の瞬間、まるで猛スピードの車を目で追うように彼の見つめていた場所から私の後ろまで彼の目線が移ったのだ。
「走って !! 早く !! 」
彼の恐怖が私に伝わり鳥肌が立つと、なんの疑問も持たず走り出していた。
走りながら彼はこう言った。
「さっきの鎧の人がいないのっ !! そしたらいろんな所から黒い人たちが一斉に…」
そう言い終る前に、鈍い音と共に修輔が消えた。
いや、消えたのではない。赤信号を無視して横断歩道に入った修輔が乗用車に跳ね飛ばされたのだ。すぐ前を走っていた修輔が今は私の左側 50 M位先に横たわっている。頭が身体の下敷きになり首から血が噴き出ていた。
私は気を失ったのだろう。目覚めるとまた病院のベッドだった。
修輔は即死だったらしい。
怪我をしたわけではないが精神的に落ち着くまで入院となり、家に帰る頃には修輔が死んでから二日後がたった。
家に着き、まず私が向かったのは和室だった。どうしても人形に聞きたい事があったのだ。
だが居間から見える和室には畳が広がるだけで、あの五月人形の姿はなかった事に驚き、近くにいた母に血相を変えて聞いた。
「五月も終わりだから、押入れに仕舞ったわよ、智明が入院する前にね。」
その言葉を聞き、修輔が最後に言った言葉の理由を理解したのだが、何故、死ぬのが自分じゃなかったのか、修輔が死んでしまったのかが理解できず、気が付けば押入れから強引に箱を取り出し、人形を手に抱きかかえ、泣いていた。
気が動転しているにも関わらず、後ろにいる母に「きもちわる」と思われるのが嫌で、その場で人形に話しかける事はしなかった。
その夜、少し怖かったが、私は初めて両親に我儘を言った。
“人形だけでも、ずっと飾っていてほしいと”
もちろんそんな願いは簡単に叶えられた。
そして私の不可解な怪我もなくなった。
その人形は、大人になって一人暮らしを始めた今でも、自分の部屋に飾ってある。あの後、一回だけ人形と会話をしたのだが、それから人形が声を出すことはなくなった。たまに夢にでて、私の血を飲みに来るくらいだ。
そうそう、書き忘れていたのだが、あの時、私が襲われずに修輔が死んだのは、
私の血だけじゃ足りなかったから。だから…私の知り合いになった人の中で、毎年一人は死んじゃうんだ。
“はやく、私を捨てた人と知り合いたいな…”
作者欲求不満
少し気が早いような…五月の話です。
春よはよこい。