俺の名前は橋本 たもつ。
幼い頃から親の虐待とかいう地獄を味わってきたせいか、自分でいうのもアレだが少々性格が人より捻じ曲がっているように思う。
母親は俺が小6の時に出ていった。
それからというもの親父の暴力は日に日にエスカレートしていき、中学に上がった頃には毎日の様に殴られ、蹴られていた。
次第に俺はそんな親父がいる家には寄り付かなくなり、悪い先輩たちと連むようになっていった。
恐喝に窃盗、喧嘩に、無免許で車や単車などを乗り回す日々。
学校にもいかず、年上の女の家に寝泊まりしながら、あらゆるドラッグにも手を出していた。
14歳の時、駅前でタムロしていた俺たちの前に突然、親父が現れた。
久しぶりに見る親父の頭は白髪まみれで、一目で老け込んでいると分かった。
しかし話し口調と性格は少しも変わっておらず、俺を罵倒し、さらに仲間をも罵倒した。
気づいたら俺は隠し持っていたナイフで親父を刺していた。
長年かけて溜まっていたものが爆発したのだろうか、俺は何度も親父を刺した。
「死ね!死ね!地獄に堕ちろ!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!」
道路に這いつくばり、首を抑えながら呻き声を上げる親父。
背中を抑えつけてトドメを刺そうとした時、先輩達に引き剥がされて正気を取り戻した。
顔も、服も、手も、親父の返り血で真っ赤になっていた。
翌日、親父は死に、俺はその後少年院に送られた。
罪悪感などこれっぽっちもなかったが、反省しているフリをする事で、20歳を迎える事なく帰ってくる事が出来た。
その後、俺は先輩の口利きで、地元の組事務所に世話になる事になった。身寄りのない俺にとっての居場所はもうここしかなかったのだ。
先輩を兄貴と呼び、酒も飲めない3年の下積み期間を終えて、晴れて俺はヤクザの一員となった。
俺は一生この世界で過ごす事を誓った。
しかし現実はうまくいかなかった。
組に内緒で薬物を横流ししていたのがバレてしまい、たったの1年で兄貴と共に組を破門にされてしまった。
その後、すぐに兄貴とも連絡が取れなくなった。
その日、俺は近所の定食屋でビールを飲みながら途方に暮れていた。
『 …次のニュースです。先月から行方不明になっていた紅葉秋良さんと桜田春美さんの遺体が今朝、捜索隊により雪山の中から発見されました…なお、遺体の損傷は… 』
店内にはカウンターの上に添え付けられたブラウン管テレビと、厨房の中からシャッシャッと鍋を振る小気味の良い音だけが響いている。
「はい、高菜チャーハンおまち!」
いつも愛想の良い店主がテレビに視線を向けながら言った。
「あれま、結局あの子達は助からなかったんですな。可哀想に…」
店主はシワだらけの顔を更にクシャクシャにしながらそう言うと、厨房に戻って行った。
帰る家もなけりゃ金もない。俺の方が可哀想だっつうの。
財布を見ると全財産は3万円。
よせばいいのに俺はその後パチンコ屋へ行き、命の綱でもあるその大事な3万円をアッサリと台に呑まれてしまった。
もうラーメンを食う金もない。
明日からどうしよう。
冷たい夜風に打ち震えながら駐車場を歩いていると、大学生風の兄ちゃん達が自動販売機コーナーの一角に屯していた。
「おい、悪いがちょっとおじさんに金を貸して貰えねーかな?」
つい、昔の悪い癖が出てしまう。
俺は一番背の高い男に狙いをつけて、ドスを効かせながら胸ぐらを掴み上げた。
渋りながら中々財布を出さないので、顔面を思い切り殴りつけてやった。
その瞬間、仲間達は蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ出した。俺に殴られた兄ちゃんは長ベンチのたもとで苦悶の表情を浮かべている。
死んだ親父の姿とかぶる。
「おい、もう一発貰いたくなかったらさっさと財布を出せよ。心配すんな、電車賃ぐらいは残しておいてやるからよ」
兄ちゃんは観念したのか、内ポケットから二つ折りの皮財布を取り出すと俺に差し出した。
俺はその中から万札だけを抜き取り、財布をベンチの上に放り投げた。
「助かったよ、じゃあな」
立ち去ろうとした時、後ろから低い声がした。
「じごくにおちてしまえ」
振り向くともう逃げてしまったのか、さっきの兄ちゃんの姿はどこにもない。
おかしいな。
取り敢えずコンビニでビールを買い、片っ端から泊めてくれそうな知り合いに電話を掛けまくった。
今の俺にはホテルに泊まる金さえ惜しい。
だが、無情にも誰も電話を取ってくれない。
冷たい風に耐え切れず、もう一度コンビニの中に入ろうとした時、突然、背中に強い衝撃を受けた。
よろけながらふり向くと、さっきの兄ちゃんが包丁を握りしめて立っていた。
兄ちゃんは更に俺の腹に飛び込んできた。
内臓が引き千切れるような嫌な感覚と、燃えるような熱さが、背中からも腹からもせり上がってきた。
「じごくにおちてしまえ」
両耳のすぐそばからまたあの声が聞こえた。
声の主は、いま夢中で俺の腹を刺し続けている兄ちゃんではないようだ。
目の前に白いモヤが掛かり、気づいたら俺はぶっ倒れていた。
「俺は、死ぬのか?」
視界がボヤけていく。
だが、不思議な事に包丁を片手に俺を見下ろしているのは、兄ちゃんではなかった。
「たもつー、痛いか?」
白髪まみれの親父は嬉しそうにケタケタと笑った。
…
『間も無く、電車がまいります』
無機質な声に目を覚ますと、なぜか俺は駅のホームにいた。
慌てて腹に手をやると、怪我をしていないどころか、一滴の血も流れていない。
「ゆ、夢?」
そこへゴウン、ゴウンと線路を揺らしながら青塗りの電車が滑り込んで来た。
ドアが開き、暫くそれをぼーっと眺めていたが、一向にドアが閉まる気配がない。
時計を確認すると午前1時をとうに過ぎている。おかしい、こんな時間まで電車は動いているものなのか?
ここに来て不審に思った俺は電車内に目をやる。ちらほらと乗客らしき頭が見えた。
異常な寒さに身を縮める。
「ここに朝までいたら凍えちまうな」
俺はヨロヨロと立ち上がり、電車内に足を踏み入れた。
その瞬間、フシューと音を立ててドアが閉まり、ゴウン、ゴウンと重たそうな唸り声を上げながら動き始めた。
「俺が乗るのを待ってたのかな?」
空いている席に腰を下ろし、財布を確認すると、パチンコ屋へ行く前と同じ金額の、3万円が入っていた。
どこからが夢だったんだろう?
改めて自分の体を確認する。
やはりどこも怪我などしていないし、痛みもない。
「さて、これからどうしようかな、終点まで寝るとするか」
窓の外に目をやると、街の明かりが次々と後ろに流れて行く。
車両内にはずっとスマホを見つめている女子高生と、少し離れた所には髪の毛の脂ぎったオタク風の青年が座っている。
2人共、表情は暗い。
「すいませんが、よろしいですか?」
不意に声をかけられた。
驚いて顔を上げると、いつの間にかすぐ側に背広を着たサラリーマン風の男性が立っていた。
「あの、つかぬ事をお聞きしますが、あなたは一体何をされたんですかな?」
訳の分からない質問だ。しかも初対面でずいぶんと馴れ馴れしい。
男性は俺の心中を察したのか、それ以上は何も聞かずに少し離れた場所に座った。
この電車は一体どこに向かって走っているのだろう?そういえばさっきいた駅には聞いた事もない名前が書かれていたな。
確か、雪光…
視線を感じて前を見ると、女子高生がスマホから目を離して俺をジッと見ていた。
うむ、中々の美人だ。将来が楽しみな程に。
「ねえおじさん、今この電車がどこに向かっているのか考えてたんでしょ?」
「えっ?」
「どうせ聞かれるだろうから先に言っときますけど、この電車はどこにも止まりませんよ。永遠にね、ふふふ」
どこにも止まらないだって?変な事を言う奴だな。そんな事がある筈ないだろう。
俺は彼女の言葉を無視して腕を組み、目を閉じた。
「ねえ、ねえおじさん、言霊使いって知ってますか?」
なんだそれは?聞いた事もない。大人をからかいやがって…
「じごくにおちてしまえ」
そう耳元で囁かれ飛び跳ねると、女の子はさも嬉しそうにこう言った。
「もう帰れないですよ、あなたもわたしも。この電車は最終便の一つ後ですから…」
そう言うと彼女は再び、手に持ったスマホに視線を落とし、暗い表情に戻った。
【了】
作者ロビンⓂ︎