今から語る話は、私が出会った、とある女の子のお話です。
彼女の名前は千鶴。名前に鶴という名前が付く為、友人達からは鶴という愛称で呼ばれていたそうです。
鶴ちゃんはとにかく巻き込まれ体質のようで、中学の頃にも、不可思議な事件に遭遇する事が多々あったそうです。
これは、そんな鶴ちゃんが高校に入学したての頃、体験した話です。良ければお付き合いください。
以下、鶴ちゃんの語り。
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「おーい鶴ー?」
廊下の先、友人達の声で、私はハッと我に返った。
「鶴?さっきから何ジッと見てんの?」
「えっ?あ、うん。何でもない」
そう言って、私は先ほどまで注視していた消火栓に、もう一度視線を這わせた。
「何でもないって、何か有りありじゃん。もうすぐ授業始まるから、私先に行くよ?」
「うん、ごめん」
不服そうな友人の声に、心ここにあらずといった声で私は返事を返すと、再び目の前にある消火栓に目をやった。
正確には、階段踊り場にポツンと設置された消火栓、その消火栓に隠れるようにして、壁に書かれている落書きを、私は見据えていた。
赤茶色で書かれた記号?いや、絵なのかな?
よく分からない、丸文字のような、ふにゃふにゃとした造形文字っぽい落書き。
私が考古学者なら即答できるのだろうけど、あいにく文系しかり理系しかり、得意分野じゃない。まあ全部苦手だけど。
それにしてもつくづく思う。普通ならこんな落書き誰も気にも留めないのに、私ときたら……本当に嫌になる癖だと、我ながら心底思う。
昔から気になると、とことん首を突っ込んで調べたくなる。
そのせいで、本当に意味不明な事件に巻き込まれた事も多々あった。
中学時代、私と瓜二つの人を発見し追いかけたところ、女の子の死体を発見してしまい大事になってしまった事や、
近所の公園で、真夜中に道端で泣き崩れる、少年の幽霊の噂を調べていくうちに、近所で起こっていた連続放火事件に巻き込まれたりとか。
ともかく、一度気になりだしたら自分でも止められないのだ。
「へ~その文字が見えるんだね」
不意に聞こえた、凛とした澄んだ声に、私は思わず振り返った。
腰まである黒髪の女の子が、階段の上に立ち、こちらを見下ろしている。
振り返った私を確認し、その女の子は階段をゆっくりと降りてきた。
綺麗な黒髪がサラサラと揺れた。顔も綺麗だ。ゴシックな服装がピッタリと当てはまりそうな女の子。同い年くらい?
そう思い訝しげに女の子を見ていると、その子は僅かに苦笑し緩やかに口を開いた。
「私、一年A組の亀田っていうの、よろしくね鶴ちゃん」
亀田?いや、ていうか何で私の名前知ってんの?そう思うより早く、亀田と名乗った女の子が口を開く。
「あ、さっきお友達が呼んでたよね?鶴ちゃんって。私も呼んでいい?」
そう言って亀田さんは私の顔を覗き込むようにして言う。
何かくすぐったくはあるけど、もちろん断る理由はない。私はたいして気にもせず頷いて見せた。それよりもだ。
さっき亀田さんが私に言った一言が気になる。その文字が見えるんだね?とは一体どういう意味だろう?
私がそれを聞き出そうと口を開きかけた瞬間、
ピーンポーン……
音に釣られて、思わず天井にあるスピーカーに目をやる。
授業開始の合図だ。やばい、すっかり忘れていた。が、ここで聞き逃す事はできない。
スピーカーから目を離し、亀田さんの方に振り返る。
いない、ていうか素早いなあの子!?
辺りを見回すと、廊下の先に小走りで走り去る亀田さんの姿が見えた。
振り返りこちらに手を振りながら、亀田さんは教室へと姿を消した。
「しまった逃した……」
「何を逃したの?」
「げっ先生……」
担任だった。不機嫌そうにこちらを見る目に、私は頭を深々と下げながら、教室へと逃げ帰った。
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授業が終わり、呼び止める友人の声に耳も貸さずに、私は教室を飛び出した。
向かう先は勿論、一年A組。
「あの、亀田さん、いますか?」
教室の扉にたむろっていた男子達の間を無理やり潜り抜け、やや大きな声で言い放つ。瞬間、一年A組の教室内が静まり返る。
反応はない。私は自分がA組の生徒から注目されている事を気にもせず、教室内を見渡した。
いない。
亀のくせに素早いぞ亀田さん。
内心憎々しく呟きながら、私はA組を後にした。
続いて私が向かったのは二年生側の校舎だった。
こうなったら落書きを片っ端から探してやる。そう息巻いて探してみたものの、結果から言うと、成果はゼロ。
むしろ卑猥な落書きなどをモロに見つけてしまい、廊下で一人赤面して立ち尽くすという、屈辱的ダメージを負っただけだった。
しょうがなく、私は再度三年生側の校舎へと引き返した。
私の通う学校は、真上から見ると台形のような形をしている。真上から見て左側が二年生の校舎。真ん中が一年生の校舎、そして右側が三年生の校舎だ。
得体の知れない落書きは、この真ん中、一年生の校舎と三年生の校舎の間にある、三階の階段踊り場の脇で見つかった。
今度は一階から順に確認していく事にする。私は一度校舎一階まで降りると、一年生と三年生の校舎の間にある階段へと、小走りで向かった。
まずは一階、消火栓裏や掲示板付近などもくまなく探したけど、それらしき落書きはない。
続いて二階、鉛筆で走り書きされた落書きはあったけど、宇流虎万、と漢字で書かれた落書きがあるだけだった。てか何だこれ?
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やはり落書きされていた箇所は、私が初めに発見した、三階のあの場所だけなのか?
小走りに三階から降りてくる女の子、一階にある購買部にでも向かっているのだろうか。
そういえば昼休みだというのに何も食べていない。そう思ったとたんに、全身の力が抜けていく。
「何やってんだろ私」
不意に我に返り、ふうっと、軽くため息をつき俯いたその時だった。
ビュンっと、
瞬間、私の横を、大きな影がすり抜けていった。
それと同時に突如聞こえた、
ドンッ!!ドサッ!と、
何か重い物が落下した音。
鈍い嫌な音が、振動となって私の足元にじわじわと伝わった。
ビクリと体を咄嗟に丸めた私は、落ちたであろう何かに視線をそっと向けた。次の瞬間、
「澤田さん!?」
上から降り注いだ叫び声。一人だけではない。
それに続くように「キャー」だの「うわぁぁ」だのと声という声が私に降り注ぐ。
いや、正確には、その声は私に降り注いだわけじゃなかった。
澤田さん、そう呼ばれたであろう女の子が、額から血を流し、二階と三階の間にある踊り場に、
うずくまる様にして倒れていた。
声は、この女の子へと降り注がれていたのだ。
よく磨かれたラバータイルの床に、深紅の血溜まりが、じんわりと、水溜りを作るようして広がってゆく。
私はそれを、ただただ震えながら、見守る事しかできなかった。
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それからの後は大騒ぎだった。駆けつけた先生達が救急車を呼び、澤田さんと呼ばれた女の子は、
救急車が来るまでの間、一時的に保健室へと担架で運ばれていった。
やがて騒ぎが落ち着きだした頃、震えが弱まったものの、私は事の重大さに怖くなり、駆け足で三階へと昇り、自分の教室へ逃げ帰ろうとした。
が、その時だった。
私は三階に上がった瞬間、ふと、何気なしに消火栓の裏へと目を向けた。そしてその場で足が止まった。
「えっ……?」
と、思わず私の口から小さく声が漏れた。
ない……ないのだ、あの文字が。あの意味不明な落書きが。
消された?直ぐに消火栓へと近づく。まじまじと見たけど、消された後はどこにもない。
それ所か、壁は綺麗な光沢を僅かに放っている。まるでそこには、最初から何も無かったかのように。
「もうないよ、そこには何も」
不意に後ろから声がした。聞き覚えのある声。
亀田さん?
振り返ると、そこには怪しげな笑みを浮かべた亀田さんがいた。
不自然な程に透き通った目で、私の頭の中を凝視すかのように、じっとこちらを見ている。
気圧され怖気そうになりながらも、私は射すくめるその瞳に抗うように口を開いた。
「な、何か知ってるの!?あの落書きの事」
「あら、どうしたの?怒ってるの鶴ちゃん?」
怒っている?私が?そんな事は……いや、自分でも気が付かないうちに、私の声は怒気をはらんでいた。
なぜ?たかだか意味不明な落書きを追っていただけなのに、目の前であんな凄惨な現場を目撃したから?
違う。そうじゃない。もっと根本的な……
首を横に振る。頭の中にこびりつく余計なものを振り払うようにして、私は考えた。
そして確信した。この女の子だ。亀田さん。いや、亀田。
こいつの何もかも見透かしているような目に、私は苛立ちを覚えていたのだ。
「答えて。知ってるんでしょ?あの落書きの事!」
朝の事と言い、今さっきの言葉と言い、亀田は私を試すかのように、私の眼前に餌をぶら下げてくる。
食いつけと言わんばかりに。イライラする。なぜだろう。こんな事は初めてかもしれない。
出会ったばかりの人間に、ここまでイラつくなんて。
「どうしてそんなに文字の事が気になるの?たった今もっと大変な事故が起こったのよ?三年生の澤田さんらしいわ。大丈夫かしら。ねえ、同じ学園の生徒としてそっちを気にするべきじゃない?」
諭すように、緩やかに言う亀田。だけど私は、その瞳に宿る嬉々としたモノを見逃さなかった。
気になったものは見逃さない。私の悪い癖。でも、今だけはそれが私の武器だ。こいつは何かを知っている。間違いなく。そしてそれを、隠そうとしている。
「あの落書きが何か関係してるんでしょ!?知ってる事を話して!」
根拠は何もない。だけど、どうしても胸の内がざわつくのだ。
非科学的な事だって分かってる。正直電波な事を言ってるって、私自信がよく理解している。
それでも気になるのだ。
アレが……あの文字が、ただの落書きなんかじゃないと。
私が強く言い放つと、次の瞬間、亀田は口元を歪め、禍々しいほどの笑みを見せた。その豹変振りに、私は思わず息を呑む。
「やっぱりいいわ貴女、最高よ。その一言が聞きたかったの、貴女の口から、直接ね」
亀田は口元を歪めそう言った。そして更にこうも言った。
「もう一度よく思い出しなさい、そして調べるの、何度でもね。それと、さわだを調べなさい。そうすれば、この事件がどこへ行こうとしているのかが、自然と分かるはず」
そう言い残すと、亀田は気が済んだかのように、踵を返しその場を去っていった。
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続く。
作者退会会員
山窩、という文字をご存知でしょうか?
この話は少々、デリケートなお話となっております。
何卒ご了承くださいませ。