2月28日
「昨日は私の誕生日でした。主人とディナーしてきました。
主人からプレゼントをいただきました。いつもありがとう。パパ。」
私は自分のブログに、コートの写真をアップした。
この時間は私の至福の時間。
このブログは私の城なのだ。
成りたかった自分になれる時間。
そこそこ売れている作家の奥さんで、優雅に生活している自分。
「わあ、羨ましい。エリさんはご主人に大切にされているのですね。」
数分後、早速ネットのママ友からコメントがついていた。
私はここで、虚構の城を築いているのだ。
居間で飲んだ暮れた上に、寝ほうけている男を見て現実に戻る。
クズが。どうせあのまま昼まで寝てるんだろ。
このブログにアップしたコートだって、本当は母にプレゼントしてもらったものだ。
ここ最近、安物ばかり売っている店でしか、服を買ったことが無い。
そんな私を不憫に思って母が誕生日に毎年服や靴を買ってくれるのだ。
そんな自分が、いい大人なのに情けなかった。
「そんな男、別れて帰ってらっしゃい。」
母はいつも同じ事を口にする。
本当に私のことを親身に考えてくれるのは母だけなのだ。
本当は私も、こんなクズ男を捨てて、帰りたいけど、帰れない理由がある。
それは、私が両親の反対を押し切って、今の夫と結婚したからだ。
夫はほとんど売れていない作家だった。
私は小説雑誌で夫の作品を一度読み、ファンになってから
ずっとファンレターを書き続けて、ついに会うことができ、
付き合いはじめて結婚までこぎつけたのだ。
鳴かず飛ばずの作家と結婚するというのだから、両親が
娘が苦労することが目に見えていて、反対しないはずがない。
それでも私は反対を押し切って結婚した。
父は結婚式にすら出てくれなかったのだ。
苦労も承知だと思っていたが、予想以上に暮らしは辛かった。
相変わらず売れない作家の夫は、弱い人で、酒に溺れるようになったのだ。
泥酔して酩酊して、良い作品が書けるはずがない。
私は仕方なく、独身時代に看護士をしていたので、生活のために
仕事復帰せざるを得なかったのだ。
ようするに、今、ソファで寝ているこの男は完全にヒモなのだ。
反対を押し切って結婚した手前、実家に帰れるわけがない。
私は忌々しいクズの横を通って、小さなアパートを後にした。
「おはようございます。ご苦労様です。」
ゴミ集積所で掃除をしていたら、ご近所の奥さんに声をかけられた。
今日は私が、ゴミ集積所の掃除当番になっているので、出勤前に
掃除とゴミの分別をしていたのだ。
「おはようございます。今日も寒いですね。」
私は笑顔で答えた。
「ホント、ホント、寒い日の当番っていやになっちゃうわよね。
来月はうちだけど、3月もまだまだ寒そうね。」
奥さんは自分の薄いカーディガンの袖をさする。
「そうですね。」
私はそう答えながら思った。
そんな薄着で出て来ちゃって。あなたはいいわよ。
専業主婦だから、このゴミを出したら暖かい室内で、のんびりするんでしょ?
私は夫に養ってもらっているこの専業主婦が妬ましかった。
掃除が終わると私は、職場へそのまま出かけた。
私はその日の夜遅くに帰宅した。
思わぬ欠員ができ、やむなく長引いてしまったのだ。
まあ、子供じゃないんだから適当に食べてるでしょ。
そう思い、自分の食べる物だけをコンビニで買ってアパートに帰ってきた。
アパートの部屋に明かりがついていない。
夫はどこかに出かけたのだろうか?
私は玄関の鍵を回した。
部屋は真っ暗だ。
私は居間の明かりをつけた。
夫が朝の姿のまま、ソファに横たわっている。
クズが。ずっと寝てたのか。何も食べずに。
「ちょっと、あなた。風邪ひくわよ。ずっとそんな所で寝てたら。」
私は夫の体を揺さぶった。
夫の体はずるりと、ソファから滑り落ちた。
体が氷みたいに冷たい。
私は息をはっと飲み、両手を口に当て、一歩後ずさり声も出なかった。
「やっと死んでくれたんだ。」
私の口角が、ゆっくりとつりあがって行った。
私は笑い出したくなる気持ちを抑えて、冷静に受話器を取り、119を押した。
もう脈も無いし、死んでる。
私は取り乱した芝居をし、病院では主人の死亡を告げられ悲しみに暮れた。
死因は急性アルコール中毒。普段より浴びるほど飲んでいた。
私は、夫の葬式を終えたあくる日、久しぶりにパソコンの前に座っていた。
「主人が亡くなりました。」
山のような同情やお悔やみのコメントをもらった。
どうせお前ら、ざまあみろと思ってんだろう。クズどもめが。
私は笑いが止まらなかった。
私はもう苦労しなくても良くなったのだから。
良かったわ。夫に多額の保険金をかけておいて。
苦労して保険料を払ってきた甲斐があった。
私は数日後、ある料理屋の個室で男と会っていた。
「ありがとう。コウジさん。これ、お約束の物よ。」
私は手の切れそうな札束の入った紙袋を渡した。
振り込むと足が着くから、現金のほうが良いと思ったのだ。
あの夫が亡くなった日、私と入れ替わりにコウジは我が家を訪ねていたのだ。
双子の弟が訪ねて来たのだから、家に招き入れないはずがない。
コウジは双子の兄を縛り上げ、短時間に大量の酒を注ぎ込んだのだ。
コウジは兄が許せなかったのだ。
夫とコウジは、私と夫が出会う前に、一人の女性を慕い取り合っていた。
結局その女性はコウジを選び、そのあたりから夫は酒量が増えていったようだ。
夫は私と付き合っている時も、結婚してからも、ずっとその女性が忘れられなかったのだ。
私が夫が売れない作家でヒモでも、本当は愛していたのだ。
私とコウジが許せないことが起こったのだ。
たった一度の過ちでも、許せなかった。
コウジは目の前で目撃してしまったのだ。
そして、その日、コウジの妻は消えた。
忽然と姿を消してしまったのだ。
夫は狂ったようにコウジを責めた。お前が何かしたんだろう、と。
コウジは知らないと言い張った。
そうよ。これは、コウジと私だけが、彼女がどこに居るのかを知っている。
どこの山に眠っているのかを。
私達は運命共同体。二人の間には、男女を越えた濃密な絆がある。
私の気持ちを踏みにじった夫を絶対に許せない。
私が、彼女を手にかけた。
今度はコウジが、私の恨みを晴らしてくれる番だったのだ。
私の心を踏みにじった、このゴミを処分してくれる、ゴミ当番。
夫の保険金は仲良く二等分した。
数日後、私は、気のおける仲間とランチを楽しんでいた。
一人は痩せてギスギスで目のクマを目深に被った帽子でごまかしている。
もう一人は化粧のキツい若作りの女。
もう一人は幸の薄そうな、どこか寂しげな女。
どの女も、私のブログで知り合った、とてもかわいそうな人たち。
DVを受けている者、夫が若い女性と浮気ばかりしている女性、
行き遅れてずいぶんと年の離れた男性に買われるように結婚した女。
「さて、みなさん、夫に保険はかけましたか?
今回は誰がゴミ当番になります?」
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【怖話】よもつひらさか http://kowabana.jp/stories/25928/
作者よもつひらさか