やあロビン魔太郎.comだ。
今回は怖いというより少し不思議な話を。
これは今から五年前の話だが、親父が肺癌で亡くなり、その二カ月後に続けて親父の兄も胃癌でこの世を去った。
不幸は続くもので、その数週間後には親父の妹までもが持病が悪化して今現在、集中治療室に入っていて危篤なんだという内容の連絡が母親から入った。
俺はその頃、年中無休の中華料理店を新しくオープンしたばかりで毎日が忙しく、なかなか見舞いに行く時間が作れずにモヤモヤしていた。
昼休みに母親へ電話をすると、病状は決して良くはないが一応安定はしているので心配はいらないと言っていたが、幼い頃から可愛がって貰っていた叔母だけに心配でたまらなかった。
いても立ってもいられない俺は、叔母の一人娘である美希ちゃんに電話を入れて、現状を詳しく教えてくれと言った。
すると俺の予想通り、旦那のいない叔母さんは貯金はおろか、大した保険にも加入しておらず、今回の病院代だけでも全く金が回らないと美希ちゃんは電話口の向こうで涙を流していた。
俺はいつか返してくれとだけ約束して、纏まった金を美希ちゃんの口座に振り込んでやった。
勿論、返して貰うつもりは毛頭ないが、今の俺に出来る事はこれぐらいしかないと割り切り、夜の仕事にかかった。
午前三時を過ぎて客も引き出し、そろそろ片付けでも始めるかなと思った頃、チリンと入り口の自動ドアが開いて、かなりふくよかな女性が一人来店した。
叔母さんだった。
テーブル席でバイトが注文を取る姿を厨房から眺めながら、俺は懐かしい気分に浸っていた。
俺がまだ小さい頃、叔母は一緒に公園で遊んでくれたり、宝塚歌劇を見に連れて行ってくれたり、野球好きの俺の為に甲子園球場のネット裏の良い席を取ってくれて観戦させてくれたりもした。
その優しい笑顔も、体型も髪型もあの頃となんら変わっていなかった。
叔母はニコニコしながら俺が作った餡掛け炒飯を旨そうに平らげると、会計で涙を浮かべる俺に向かって「おいしかったよ」と言って「ありがとう、すまなかったね」とだけ言って店を出て行った。
俺はドアに向かって深々とお辞儀をした。
後ろでバイトが騒いでいるので見に行ったら、叔母が食べていた餡掛け炒飯が一口も手を付けられていない状態のままで残されていた。
叔母さんが俺を気にかけ、わざわざこんな遠い所まで会いに来てくれたんだと思ったら、胸が熱くなった。
午前五時、仕事が終わりスマホを開くと母親から『今朝方、お姐さんが病院で亡くなった』とメールが入っていた。
結局、この数ヶ月間で親父の兄弟が親父を含めて三人立て続けに亡くなった。こんな偶然てあるのだろうか?
妹の夏美は通夜の席で、棺の中の叔母の死に顔を見つめながら小さな声でブツブツと何かを言っていた。
外へタバコを吸いに出た時にそれとなく夏美に聞いてみると、叔母さんに「色々と迷惑かけてごめんね、ありがとう」って言われたんで「ううん、こっちこそ今までお世話になってゴメンなさい、またね」って返したらしい。
しかし、その後に「貴方達も3人兄妹なんだから、私たちの年齢に近づいたら気をつけなさい」と言われたんで「えっ、どうして?」って聞いたら、みるみる叔母さんの表情が険しくなって「それはお前達で考えろ!」って今までとは全く違う低い男性のような声で言われたそうだ。
「あれは絶対に叔母さんじゃなかった」と夏美は珍しく怯えていた。
では叔母さんの口を使って話していたのは一体誰なのか?今でも気になってしょうがない。
親父達が死んだのが五十代後半、もしかすると俺達兄妹の寿命もその辺りなのかも知れない。
【了】
作者ロビンⓂ︎
ふと、思い出した怖くない実話を…ひひ…