その夜、俺と河上が向かったのはとある病院だった。
病院と言ってもとうの昔に閉鎖された廃墟で、この街の一番高い場所にあるせいか化け物見たさの若者以外には、余程の事がない限り立ち入る馬鹿はいない。
施錠された鉄門を乗り越え、正面玄関の前に立つと、外部との明らかな温度差に俺たちは身を震わせた。
時折、ギャアギャアと闇の中から得体の知れない鳴き声が聞こえてくる。
先週から行方不明になっている双子姉妹の由奈と真美。
もしかするとこの病院にいるかも知れないと言ったのは、三年前から付き合っている彼女の沙羅だった。
沙羅には霊感があり、その人の念を頼りに集中すると、自分の行ってもいない場所が克明に映像として視えるのだという。
彼女も一緒に行きたいと泣いていたが、俺の直感でここは明らかに危ない場所だからと、彼女の親友である麻里香に言い包めて貰った。
万が一の事を思うと、男同士の方が逃げ出し易いと考えたからだ。
「さてどうやって入ろうかしら?」
河上 誠が鼻に掛かった野太い声で俺に言った。
実は彼…
いや彼女は俺の幼馴染みで少し前にタイで豊胸と性転換手術をして帰って来た。
まだ冬だというのにはち切れんばかりのシリコン製のデカい胸を強調するかのような、前のパックリと開いたイヤらしい服装をしている。
ガキの頃から薄々感ずいてはいたが河上Mの心は完全に女らしい。沙羅が俺たち二人を一緒にしたくない理由も分かる。
お魚咥えたどら猫ー♪
おーおっかけーてー♪
まるで俺たちの到着を見ていたかのようなタイミングで、胸ポケットの携帯電話が鳴った。
「もしもしロビたん?」
いまだ涙声の沙羅だが、幾分か落ち着きを取り戻しているようだ。
「おお、丁度今から凸入する所だ。しかし本当にこんな寂しい場所にあいつらがいんのかよ?」
俺は素直な疑問を沙羅にぶつけてみた。
「いる訳ないじゃん!」
「………… 」
俺の頭が一瞬だけフリーズした。
受話器越しに沙羅は狂ったように笑っている。
「きゃははははははは!いる訳ないじゃん!きゃははははははは!いる訳ないじゃん!」
テン… ソウ… メツ…
テン… ソウ… メツ…
後ろにいる河上が何やら建物の方を向いてボソボソと小さな声で何か言っている。
完全に何かに取り憑かれている。
だが、今はそれどころではない。
「由奈達がいる訳ないってお前、それは一体どういう意味だよ?」
少しの沈黙の後、沙羅はゆっくりとこう言った。
「アタシを置いて行くから悪いんじゃん、あんた達だけで行って何が出来るっていうのよ?」
ブルっと今までとは明らかに違う寒気がして後ろを振り向くと、つい今までいた筈の河上の姿がない。
建物を見ると、一階の磨りガラスの向こう側に白い人影が見えた。
ハイレタ… ハイレタ
ハイレタ… ハイレタ
耳をすますと中から河上のあの低い声が聞こえる。
「河上君はもうダメね、マングースの霊に取り憑かれちゃってるわ」
「ま、マジかる?」
「残念だけどマジよ」
ポポ
ポポポ
すると風の音に混じり、まるで鳩のような鳴き声が聞こえてきた。
ポポポポポポ
ポポポポポポ
それを聞いた電話の向こうの沙羅が声を荒げた。
「ロビたんダメ!音のする方を絶対に見ちゃダメよ!早く帰っていらっしゃい!」
しかし時既に遅く、俺は声のする林の方を見てしまっていた。
そこにはガリガリに痩せた背の高い女が二人、手を繋いで立っていた。
それはどう見ても尺の狂った由奈と真美だった。
ざっと見ても八尺程はあるだろうか?
二人は俺の視線を確認すると、すっと廃病院の裏手を指差した。
「な、なんだ?あそこに何かあるってのかよ?」
二人は同時に頷くと、フッとその姿を消した。
「残念だけど…恐らくもうあの子達は生きていないわね。
こちらから何度コンタクトを取っても姿がボヤけてるの…
多分だけど、何者かに殺されて病院の裏手にある木の下にでも埋められてるんじゃないかしら」
沙羅がサラッととんでもない事を口にした。
「お前!縁起でもねぇ事言ってんじゃねえぞ!!」
俺は全力で二人が姿を消した病院の裏手へと周り込んだ。
するとそこには沙羅が言った通りドンと太く立派な桜の木があり、その枝には白いロープで首を吊った髪の長い女性が二体、揺ら揺らとぶら下がっていた。
長い間放置されていたせいか、どちらの首も重力に負けて有り得ない程に伸びている。
良く見ると桜の木の下に裸の少年が一人、体育座りをして此方を見ていた。
少し開いた口からは、ンナー、ンナーと、まるで猫が「盛る」時の様な声を発している。
少年は両目を大きく見開いて、満面の笑みで立ち上がった。
「早くそこから逃げてーー!!」
沙羅の絶叫と同時に少年のか細い囁きが、携帯のスピーカーを通して確かに俺の耳に届いた。
『 待っ…てるヨ 』
…
…
警察によると二人は違う場所で別々に首を絞められて殺された後に、自殺を装って木に吊るされたらしい。
沙羅は大層悲しみ、全国に指名手配された曲津 弘(まがつ ひろし)の顔写真を見ながらこう言った。
「真犯人はコイツじゃないわ!アタシには裏で操る二人の女の姿がハッキリと視えるの。
こいつらを捕まえない限りは、またこれと似た悲劇が繰り返されるでしょうね」
俺たちは亡くなった姉妹の写真に向かって手を合わせた。
俺は密かに心の中で今までの感謝の気持ちと謝罪を述べた。
今まで本当に有難う。
…
ゴウン
帰りの車中では陽気なFMのサウンドクルーが春一番がどうのと言っている。
もうそんな季節か。
助手席の沙羅はボンヤリと色の付いてきた遠くの山々を見ている。
河上はあの日から行方不明だ。
【了】
作者ロビンⓂ︎
悪霊退散!悪霊退散!
※ この物語は完全にフィクションであり、登場する人物、団体は実在致しません。