会社の山下先輩は、2児の母でありながら、仕事もばりばりこなすスゴイ人だ。
竹を割ったような性格で、どんな悪いことも笑い飛ばし、みんなからの人望も篤い。
東に凹んでいる女性社員がいれば、「だーはは!」と笑いながら背中をばんばん叩き、
西にやらかした男性社員がいれば、尻をむんずとつかんで、「だっはっは!」と笑う。
そんな彼女が、まだ入社一年目の、うら若き乙女(本人談ママ)だった頃のお話である。
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シャッターの下りた、人けのない商店街を、山下さんはひとり泣きながら歩いていた。
頭の中でリフレインする、昼間の出来事。
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「山ちゃん、まだ終わらないの?きみは本当にのんびり屋さんだね」
ニタニタいやらしい笑みを浮かべる上司と、周りでどっと笑う社員。
山下さんはこぶしをぎゅっとにぎりしめ、いまにも泣きそうなのを必死に堪えていた。
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入社後まもなくして、
上司は、山下さんともう一人の同期を「空気が読めない」という理由で、いじめのターゲットにした。
二人とも身体が小さく、おどおどしていたのも災いしたのだろう。
みんなの前に立たされ、嫌味を言われる。
二人だけ業務メールが回ってこない。
いたるところで陰口を囁かれる。
くる日も来る日も陰湿ないじめが繰り返され、山下さんは心身ともすっかりぼろぼろになり、もう一人のほうは、ある日を境に会社に来なくなった。
会社で心許せるのは、警備室の横にいる番犬くらい。
「ペロ」
休憩時間、遊びにいくと、
ペロは、きゅうんきゅうんと鼻をならして、よってきた。
彼女をぺろぺろなめて慰めてくれ、やさしい目が、彼女のささくれた心をいやした。
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どうして、わたし、がんばってるのに。
昼間はにぎやかな商店街だが、いまは明かりも落ち、静まり返っている。
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(山ちゃん、〇〇の出身なの? 道理でイモくさい顔だと思ったよ)
(兄弟もみんなその顔なの?)
頭の中でわんわん響く、けたたましい嘲笑。目に焼き付いて消えない、蔑みの表情。
かなしい、かなしい、かなしい。
――あんなやつ、しんじゃえばいい。
泣き疲れてじんじん痺れる頭に、ふとそんな考えが浮かび、目の前が赤くなった。
死んで当たり前。殺しちゃえ殺しちゃえ。
楽に死なせるな、苦しめてやれ。
どうしようかな。まず椅子で頭を殴る。
いいわね。それからどうするの。
それから、逃げられないように、ガムテープで手足をしばって、口をふさいで、両手両足の指の爪を、ペンチで一枚ずつはいでやれ。
それから、それから。
指を一本ずつハンマーで叩きつぶそう。ふふ、痛がるだろうなあ、叫ぶだろうなあ。
うふふ、うふふ、それから?
カッターナイフで、あのビール腹を切り裂いて、内臓をひきずりだして、
うふふ、うふふふ。
眼球をカッターで掻きまわして、あの憎たらしい顔を、思い切り踏みつけてやれ。
アハハ! おもしろーい!
善は急げだ。やろう、やろう……。
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「ワンワンワン!」
我に返ったのは、会社まで来たときだった。
ペロがものすごい剣幕で吠えていて、
じぶんの右手にカッターが握られていることに気づいた山下さんは、身ぶるいした。
わたし、どうして……あれ?
さっき、誰かとしゃべってなかった?
「ワンワンワン!」
空にむかって吠えるペロの視線をたどると、
月が二つ。
夜空に浮かぶ満月のとなりで、同じかたちの、血のように赤い月が、ぼーっと点っている。
それは目の前で、すうっと細くなって消えた。
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次の日会社に行くと、大騒ぎになっていた。
あの上司が死んだ。線路に突き飛ばされ、やってきた電車にはねられて。
犯人は休んでいたあの同期で、心の病気だったらしいと他の人が話しているのを聞いた。
ひょっとして、あの子もあれを見たのかも。もしペロがいなかったら、わたしも今ごろ。
そう思うと、背筋が冷えた。
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以来、山下さんの中で、何かが吹っ切れた。
自分の失敗の責任をなすりつけてきた社員がいた。上司の次に彼女をいじめていた男だ。
山下さんが、そいつの襟首ぐいっとをつかみ、にらみつけると、さきほどの居丈高はどこへやら、真っ青な顔で震えている。
耳元に、ドスを効かせた声でひとこと。
「人のせいにすんな、殺すぞ」
口をパクパクさせている男。
あたりを見回すと、みんな、ぽかーんと口をあけていた。
この日から、いじめはぴたりと止んだ。
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「人間、うじうじしてると、悪いモンにつけ込まれちゃうんだから!
だからね、あんたも、図太くなりなさい! だーははは!」
そう言って、山下さんは豪快に笑った。
そんな彼女の家にはいま、
ペロそっくりの、やさしい目をした犬が2匹いる。
作者Glue
長編書きたーい!
でも書けなーい!
うきー。
はーい!みなさま、こんにちはー。
作品へのつっこみ、おまちしてまーす!