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長編8
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紫陽花の訪問者

これは、私の友人が小学3年の頃に体験した不思議な怖話を小説風に書いてみました。

私は彼女のお話を聞いて、なぜか「雨月物語」をふと思い出しました。

…そんなお話です。

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佳子(よしこ)は当時、両親と一つ年下の妹、そして祖母の五人で祖母の家に住んでいた。

祖母は茶道の先生だったこともあり、近所では顔も広く、毎日いろんな人達が祖母のたてるお茶のご相伴に与ろうと家に出入りしていた。

そんな人達の中で、祖母の女学生時代からの長い付き合いになる大親友の菖蒲(あやめ)さんのことが、佳子は大好きだった。

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女優に例えるなら、加藤治子に似ているそうだ。

菖蒲さんは紫陽花が好きで、毎年、梅雨時期になると自宅の庭先に咲いた青や紫の美しい紫陽花を摘んで持ってきて、佳子の家のガラスの花瓶に活けてくれた。

菖蒲さんは、いつも紫陽花をあしらった青紫の訪問着に藤色の帯を締めて佳子の家を訪問する。

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菖蒲さんが来ると、帯に付けた小さな金色の鈴がチリンチリン…と澄んだ音を立てるので、佳子にはすぐ分かった。

そして、独特のおっとりした声音で「ごめんください」と玄関の引き戸をガラリと開けて入ってくる。

祖母の「あらあらまぁまぁ、雨の中をよく来てくれたわ。いらっしゃい、菖蒲ちゃん」という嬉しそうな声がして、佳子も遊びを切り上げて菖蒲さんを迎えに出るのが習慣になっていた。

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「菖蒲ちゃん!」

祖母の真似をして佳子も菖蒲さんを、ちゃん付けで呼んでいた。

「佳子ちゃん、こんにちは。佳子ちゃんに菖蒲ちゃんって呼ばれると、なんだかまるで女学生時代に戻ったようよ」

菖蒲さんはそう言って、いつも嬉しそうに笑ったそうだ。

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ある時、佳子は菖蒲さんに、

「菖蒲ちゃんの菖蒲って5月の花でしょ?学校の図書室にある図鑑で見たよ。それなのに、どうして紫陽花が好きなの?」

と、尋ねた。

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菖蒲さんは小さく笑って、

「紫陽花って土の性質によって色が変わるんですって。だから、花言葉も[移り気]とか[浮気症]とか、あまりいい言葉じゃないのだけれど、私はこう思うの。好きになった人に合わせて自分の色を変えられるって素敵じゃない?それに、菖蒲は私のお母さんが好きだったお花なのよ」

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そう話す菖蒲さんの顔は、なんだか恋する乙女みたいだったと佳子は後日、話している。

「まだ小学3年生の佳子ちゃんには分からないかもしれないけれど、大人になったらきっと分かるわ」

「ウツリギ…って、どういう意味?」

「そうねぇ…。佳子ちゃんが、今までずっとチョコレートが大好き!って言ってたのに、明日になったら突然、やっぱりチョコレートよりクッキーが一番好き!っていうのを、移り気っていうのよ」

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「ふーん…。でもアタシはイチゴのポッキーが一番好きよ♪」

佳子が言うと、菖蒲さんは鈴を転がすような声でコロコロと笑った。

菖蒲さんは、週に二度ほどの頻度で佳子の家に来ていた。

祖母が立てたお抹茶が一番好きなのだと、菖蒲さんは言ったそうだ。

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だから佳子も、菖蒲さんのために美味しそうな和菓子を登校路の途中にある和菓子屋さんで見付けると、祖母に報告してお金を貰い、お使いに行っていた。

「ねぇねぇ、菖蒲ちゃん!今日は紫陽花の和菓子を見付けたから、お婆ちゃんにお願いして買って来たの!ほら、綺麗でしょ?」

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和菓子用の皿に乗った、餡で作られたほんのりピンクと青紫の紫陽花を象った和菓子を菖蒲さんに出すと、

「あらぁ…、本当に綺麗」

目を細めて嬉しそうに笑うので、佳子も嬉しくなった。

しかし、ある日から菖蒲さんが佳子の家を尋ねて来なくなったそうだ。

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祖母に聞いても「御用があって忙しいのかもしれないわね」と言うばかりで、菖蒲さんがまた来る日を今か今かと待つ日々が続いた。

そんな折、祖母が体調を崩して寝込んだ。

地域の交流会があり、ぜひお茶をたてて欲しいと町内会長さんからお願いされ、春先のまだ寒い雨の中を出かけていった為か、風邪をひいてしまったとのことだった。

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「お年寄りは肺の機能が低下するから、風邪でもすぐに肺炎になってしまいます。しばらくは安静にしてあげて下さい」

祖母の主治医が訪問診療してくれて、その主治医が佳子の母親にそう話すのを聞いた佳子は、近所の神社に「お婆ちゃんを助けて下さい」とお願いしに出かけた。

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わずかな小遣いから五円玉を出して神社でお参りをした帰り、神社の階段下の鳥居の外に見慣れぬ服装の男がいた。

くすんだ緑色の上下と帽子、傷だらけの上、泥に塗れたような汚れた顔。

頬は瘦せこけて、鋭い眼光の目だけが爛々と際立ち、階段上の佳子を見据えていた。

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男は何故か、鳥居を潜ろうとはせずにじっとその場にいる。

怖くなった佳子は、帰り道が遠回りになってしまうが神社の裏手から抜けて家へと走って帰った。

そして、その日の夜から悪夢にうなされるよになったのである。

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夢の中に、あの神社の鳥居の外にいた男が現れて逃げる佳子を追いかけ、佳子を捕まえるとその首に手を掛けて締め上げ、苦しくなって目を覚ますと汗をビッショリかいていた。

そして、部屋の窓の方から視線を感じてそちらを見やると、少し開いた障子の隙間からギラギラとした目が佳子を見ているのだ。

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忘れもしない、夢にも出てきた眼光の鋭い爛々と光るあの男の目だとすぐに分かった。

佳子の家にはカーテンがない。

雨戸、ガラス戸、障子の三重構造だったが、雨戸を閉めてしまうと朝でも部屋が暗いため、佳子がまだ夜だと勘違いして寝坊するので、佳子の部屋だけは雨戸を閉めずにいたのだ。

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それに、佳子の部屋は家の二階で窓の外には足場になるようなものはない。

佳子はすぐに、「普通の人じゃない」と感じたそうだ。

佳子は悲鳴を上げた。

その悲鳴に驚いた両親が起きてくる。

両親が部屋の明かりを点けた時にはもう、窓の外にあの男はいなかった。

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翌日、佳子は学校から帰ってくると両親と祖母に神社での話をした。

両親は佳子の話を訝しむように聞いていたが、祖母だけは真面目な顔で聞いてくれた。

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「佳子が見たのは、兵隊さんだろうねぇ。あの神社、昔は負傷した兵隊さんの救急施設に使われていたし、空襲で亡くなった兵隊さんもたくさんいたそうだよ。佳子が可愛いもんで、優しくしてくれるかもと憑いてきちゃったのかねぇ…?」

祖母の話に両親は顔を見合わせたが、子供の言うことだからと真面目には取り合ってくれなかったらしい。

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それからほどなく、佳子の祈願が神様に聞き届けられたのか、祖母の具合は良くなった。

悪夢は相変わらず続き、時には寝る前に閉めたはずの障子がわずかに開いていて、あの男が覗いていることもあった。

寝不足続きで、さすがの佳子も気が滅入ってしまっていた時、菖蒲さんが訪ねてきた。

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ちょうど、梅雨入りしたばかりの頃だった。

「ごめんください、ご無沙汰しております」

いつもの澄んだ鈴の音と、おっとりした声が聞こえてきて、佳子は一気に元気になった。

「菖蒲ちゃん!!寂しかったよ!どうしてたの!?」

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佳子の矢継ぎ早の言葉にもニコニコ笑い、「ごめんなさいね」と優しく佳子の頭を撫でた。

それから、祖母と大事な話があるからと、祖母の部屋へと行ってしまった。

久しぶりに訪ねて来てくれた菖蒲さんに嬉しくなった佳子は、お茶請けの準備を始めた。

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きっと、菖蒲さんは祖母のたてたお茶を飲んで行くだろう、という確信があったからだ。

母に言って羊羹を出してもらい、祖母との大事な話が終わるのを佳子は待った。

祖母からお声がかかり、佳子は羊羹を持って祖母の部屋へと急ぐ。

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襖を開けて部屋に入ると、祖母のたてたお抹茶を菖蒲さんは飲んでいた。

「菖蒲ちゃん!はい、羊羹!お母さんがね、美味しい芋羊羹を見付けて、買ってきておいたんだって!」

「そう。ありがとう、佳子ちゃん。いつもお手伝い、偉いわね」

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菖蒲さんに褒められて、佳子はとても嬉しかったそうだ。

それから菖蒲さんは佳子の顔を見て、

「あら、目の下に薄いクマがあるわ。眠れないの?」

と佳子に尋ねた。

佳子は悪夢に悩まされていることを、菖蒲さんに打ち明けた。

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すると菖蒲さんはニッコリ笑って、

「大丈夫、そんな怖い夢…すぐに見なくなるわ。その男の人も、もう来なくなるからゆっくり眠れるわよ」

「ほんと!?」

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嬉しそうに目を輝かせる佳子に、菖蒲さんは微笑みながら頷いた。

いつもおっとりした口調の菖蒲さんが力強く言ってくれたので、佳子には鬼に金棒な気分だったとのことだ。

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それから一ヶ月くらいが過ぎようとしていたある日の夜、佳子は悪夢の途中で目が覚めた。

一階の玄関先から、人の気配を感じる。

チリンチリン…。

聞いたことのある澄んだ鈴の音。

部屋の時計は夜中の二時過ぎを指していた。

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「夜中なのに…、菖蒲ちゃん…?」

寝ぼけ眼を擦ってベッドから降りると、

「ごめんください…」

控えめな声量で、そう聞こえてきた。

「菖蒲ちゃんだ!!」

佳子は確信して部屋を飛び出した。

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階段を一気に一階へ駆け下り、玄関先へと向かう。

だが玄関には、菖蒲さんの姿はなかった。

佳子のドタドタという足音に目を覚ました両親と祖母、それから妹が眠そうに玄関にやってきた。

「どうしたのか」と両親に尋ねられ、佳子は「菖蒲ちゃんが来ていた」と話したが、「こんな夜中に来るはずがない。お前が寝ぼけていただけだ」と両親に叱られた。

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部屋に引き上げていく両親と妹を見送ったあと、佳子は玄関に落ちていた赤紫の紫陽花を見付けて「やっぱり、菖蒲ちゃんが来てたんだ」と確信した。

紫陽花は少し萎れていた。

その場に残っていた祖母が、

「菖蒲ちゃん、迷子の兵隊さんを連れて逝ってくれたんだろうねぇ…」

そう呟いた。

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その言葉通り、佳子は悪夢を見なくなった。

時折、開いた障子の隙間の窓の外から覗く男も見なくなった。

それから一週間ほどが過ぎた頃、菖蒲さんが亡くなったことを佳子は知った。

祖母の話だと、久しぶりに訪ねて来たあの日、菖蒲さんは自分が癌の末期で、もう長くは生きられないことを祖母に話したらしい。

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佳子は菖蒲さんの四九日法要へ、祖母に頼んで連れて行ってもらった。

読経中は何度も眠くなって落ちそうになったが、無事に納骨をしたあと、佳子は菖蒲さんのお墓に手を合わせて、たくさん「ありがとう」を伝えた。

佳子はそれ以来、菖蒲の花と紫陽花が大好きになったそうである。

[おわり]

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