気付けば長い長い道を歩いていた。辺りは真っ暗で、道以外何もない。
その長い道は光に続ている。光は随分遠くにある。
行ける気がしない。でも、確実に近づている。
ぺたぺたぺたぺた――私の地べたを踏む足音だけが虚しく響く。足裏は物凄く冷たかった。
これは夢だ。きっと明晰夢というやつだ。でも、私はこれは夢だと認識できても、思い通りに操ることはできない。思い通りにできるのは自分の身体だけだ。
なんだか、怖い夢だな。
そう思った。
道端に小さな社があった。歩みを止め、屈んでじっとその社を見つめた。
社から小さな日本兵が出てきて、私を見上げて何か叫んだ。
「我、日本のために忠を尽くした。だが、日本は負けた。我は自分が情けなくて仕方がない。私だけが生きて帰ってきた。仲間を見捨てた。アメリカの子供たちを撃つことはできなかった。草原に座り込む金髪の少女を私は逃がした。何とでも罵ってくれ」
日本兵は座り込むとそれから動かなくなった。
大丈夫だよ、と声をかけた。日本兵は座ったまま私を見上げて、優しく微笑んだ。
「貴女は優しき人だ。母上程に優しい人だ」
そう言うと、小刀を取り出して、自分の腹に突き刺した。血がいっぱい出て、すぐに手が真っ赤になった。
でろん、と腸が外に飛び出し、それからガクガクと痙攣した。日本兵は地面に倒れ、動かなくなった。
私はまた歩き出した。何処からかカラスの鳴き声がした。辺りを見渡しても暗闇で、やはり道以外には何もない。
いつになったらあの光にたどり着くことができるだろう。
道端にまた何かある。今度は椅子だ。学校の椅子だ。そこに男が座って、項垂れている。
どうしたの、と声をかけた。
「高校受験に失敗した。高校受験に失敗した。失敗した。失敗した。頑張って勉強したのに――僕は失敗した」
少年の伏せた顔からボロボロと涙が零れ落ちている。私は少年の顔を覗き込む。
少年の顔はどんどん少年の顔じゃなくなっていった。顎の周りに髭が生え始めて、大きく開いていた目がどんどん細まっていく。
中年おやじの顔だ。
「失敗した。もうやり直せない。ゲームみたいにリセットできない。もっともっと愉しめたはずだ。僕の人生はこんなはずじゃなかった」
高校受験だけが全てじゃないよと言った。
「本当?」
男は顔を上げた。少年の顔に戻っていた。
うん。本当――と言った。
「言うのが遅かったね。でも、嬉しかったよ」
少年の手首には赤い傷が横断していた。赤い傷がぱっくりと開いて、そこからだらだらと血が流れ出た。少年は椅子から転げ落ちて、血をまき散らしながら息絶えた。
私はまた歩き出した。本当に私はあの光の先に行くことができるのだろうか。あの光の先には何が待っているのか。
考えたくもない。
そろそろ起きなさい。母の声だ。
おーい、私はここに居るぞ――呼びかけてみても返事は来ない。当たり前だ。私は夢の中に居るのだから。
「そんなところで何してるの」
肩を叩かれたから後ろを振り返った。
母が居た。
もう四十近くの母だ。顔中皺だらけだ。
何って――と言いかけて、言葉を止めた。私だって何をしてるのか分からないのだ。
「きっとすごく辛いことね。分かってるわよ。だって貴方のお母さんだもの」
涙が頬を伝った。ぼろぼろぼろぼろ。瞳から涙が溢れた。
「貴方、お母さんに似て、涙脆いわね」
母も泣いていた。
「大丈夫。貴方は涙脆くても強い子よ。辛いこともあるけれど、それをちょっと我慢すれば、楽しい人生が待ってる。辛いことなんて過ぎちゃえばなんてことないじゃない。嵐みたいなものよ」
私は何も言わなかった。
「生き抜くのよ。お母さん、痛い思いして貴方を産んだんだからね。ちゃんと楽しく生きないと許さないわよ」
分かってる――分かってるよ、お母さん、と言った。言葉が涙に濡れて、自分でもちゃんと言葉になっているか分からない。
母はにっと笑った。右手には包丁が握られていた。背中をどんと押された。
そろそろ起きなさい。母の声が轟いた。
分かってる、今、起きるよ。
気付けば目の前に光があった。後ろを振り返らなかった。視界がどんどん光に包まれていく。なんだか心地のいい。温かさ。
はっと目を覚ます。母から買ってもらった時計のアラーム音が部屋に鳴り響いている。
いくら考えても夢の意味はよく分からない。
社、椅子――そして、母。
思い出しただけで途轍もないものを見たような感覚に襲われる。
起きなさいという母の声は一体誰の声だったのか。私は母が自殺した浴槽を覗きながら、そのことを一生懸命考えたけれど、結局答えは見つからなかった。
作者なりそこない