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あの日の夜のことを、僕は絶対に忘れません。
僕が大学病院の研修医だった頃の話です。
そのころ僕は、救命救急センターで研修中でした。
夏の終わりのまだ蒸し暑い夜のこと。その日も先輩ドクター数名と一緒に当直中でした。
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夜中の2時頃だったと思います。1本のホットラインが鳴りました。
救急隊からの患者受け入れ要請の電話です。
1名の交通事故の患者を収容したいとのことでした。
事故内容は、山道を走っていたワゴン車が、カーブを曲がり切れずにガードレールを突き破り、崖下に転落。
負傷者は2名おり、助手席の小学生くらいと思われる女の子は身体の損傷が激しく、現場で死亡確認。
運転手の父親と思われる男性は辛うじて血圧は測れるが意識不明のショック状態であり、これから搬送したいとのこと。
すぐに先輩と慌ただしく処置室の準備に取りかかりました。
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間もなく患者さんが到着。処置室で治療を開始しました。
気管挿管、胸腔ドレーン、輸血など主な緊急処置は先輩が手際よく進めており、僕は別室で救急隊に事故の詳細を聴取することにしました。
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救急隊は事故現場のポラロイド写真を見せてくれましたが、事故のワゴン車は原型を留めないほどに大破しており、衝撃の大きさを物語っていました。
また現場で死亡確認した女の子の写真も見せてくれましたが、
女の子の眼球は上転し、顎はパックリ割れ、白いワンピースは血液で真っ赤に染まっており、誰が見ても死亡しているとわかるような胸が痛む写真でした。
調べでは、現場で亡くなった女の子はやはり運ばれてきた男性の娘さんとのことでした。
救急隊からの聴取を済ませた僕は、再び戦場のような処置室に戻りました。
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処置台の上では、運ばれてきた意識不明のお父さんがあらゆる救命処置を受けていましたが、既に心停止の状態であり、状況はかなり厳しいものでした。
丁度その時期は、医学生の病院実習の期間でもあり、医師スタッフに混ざって1人の女子学生さんが処置の見学に入ってました。
心臓マッサージ、点滴の介助など、学生さんでもできることはたくさんあります。
僕は学生さんにも参加を促そうと声をかけようとしましたが、その時、彼女の様子が少しおかしいことに気づきました。
彼女はずっと処置台から目をそらし、壁際の方を向いて立っているのです。
処置の光景にショックを受けているのか、顔色も悪く、表情も呆然とした様子で小刻みに震えています。
「大丈夫?心臓マッサージとか始めてだと思うけど学生さんも参加していいからね」
僕は声をかけましたが、学生さんはまるで聞いている気配がありません。
しばらく見ていると、彼女はだんだん体の震えがひどくなり、立ってられない状態になりました。
僕は看護師に「ちょっとこの子気分悪そうだから別室で休ませてあげて!」と声をかけ、休ませることにしました。
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一方運ばれたお父さんは、その後もあらゆる懸命の蘇生処置を施しましたが、体の損傷がひどく、残念ながらお父さんも最終的には死亡確認となってしまいました。
やりきれない思いがスタッフを包みます。
看護師さんと遺体の処置を済ませ、ひと段落して僕は別室で休んでいる女子学生さんの様子を見に行きました。
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「さっきは大丈夫だった?実習初日だったしちょっとショック受けちゃったのかな」
すると青ざめた表情の彼女は言いました。
「さっきの方、やっぱり亡くなっちゃったんですか?」
「うん、残念ながら死亡確認になったよ。もう少し搬送が間に合えば良かったのにな」
「そうだったんですね・・・。」
そう言いながら彼女は震えながら泣き出してしまいました。
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「私、あの時先生に言おうかどうしようか迷ったんですけど・・」
「ん?どうしたの?」
「私、あの人の他にもう一人患者さんが来てるの見たんです。」
変なことを言うものだなあと思いましたが、何か嫌な予感が走りました。
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思えばこの学生さんは、
処置室でずっと、外に面したすりガラスの窓を震えながら見つめていたのです。
もしかしたら・・。
全身に鳥肌が立つのがわかりました。
「・・ど、どんな患者さんだったの?」
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「・・小学生くらいの血まみれの女の子が、処置室の中をじーっとのぞいていたんです。
窓ガラスに顔をピタッとつけて。
その子、顎がぱっくりと割れて目だけ上を向いていました。
もう生きているのか死んでいるのかもわからなくて・・ただ怖くて。
あの子は助かったんですか?」
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彼女に、その小さな女の子は現場で死亡確認した子であることは言えませんでした。
救急隊に見せられたポラロイド写真の女の子の顔は、今でも忘れることができません。
作者さとし-3
前回の救急救命士の体験談に続き、今回は僕が病院で体験した、とても不思議な話です。