彼に振られた。しかも、私の誕生日に。
彼が別の女と歩いているところを見かけて、それを責めると彼はあっさりとそれを認めて、他に好きな人ができたから、別れてほしいと切り出されたのだ。私は、彼が謝って、その女と別れてくれれば、一度きりの過ちとして許すつもりだったのだ。私が何を言っても、無駄だった。自分の不貞を棚にあげて、私の欠点を並べ立てて、別れる理由をさも私の所為のように言われた。悔しかった。悔しくて、何日も何日も泣き暮していた。
女の職場というのは怖い。どこで私の破局を聞きつけたのか、後輩達が私のことを影で噂しているのは知っている。百合子先輩は、大学の時から付き合っていた彼氏に振られたらしい。やはり付き合いが長すぎると、飽きてしまうのだろうかとか、いろいろと好き勝手に想像を巡らせて楽しそうに話しているのを、陰から見ていたのだ。人の不幸はまさに、蜜の味。
そんなある日、彼の浮気相手のあの女が、彼以外の他の男と歩いているところを見かけた。そのことを彼に告げると、彼は烈火のごとく怒り狂い、お前は嘘をついてまで、俺とよりを戻したいのかと、とうとう私の電話番号とアドレスを着信拒否にした。嘘じゃない。確かに、あの女だったのだ。あの女は、私に気付くと、悪びれることもなく、微笑んだのだ。
気が治まらない私は、暗い夜道、女を待ち伏せて、人気のない路地へと引っ張り込んだ。
「あんた、人の男を盗っておいて何なの?他の男とも遊んでるじゃない!許さないから!」
そう叫ぶと、その女は余裕の笑みを浮かべてこう言った。
「あら、彼もあなたに対して、不貞を働いたでしょう?そんな男に、何で操を立てなければならないの?」
そう言ってクスクス笑うのだ。この女、本当の悪女だ。
「あんたなんて、化けの皮を剥がしてやるから!」
今に、証拠をつかんで、彼の目を覚まさせてやる。
「あなたには、無理ね。化けの皮を剥がすなんて。」
悔しさに、声が震える。
「随分余裕ね。いろいろ方法はあるのよ?」
何なら興信所を雇ってもいい。私ができなければ、他の人に頼んでやってもらうという手もある。
「愚かね、無理だと言ってるでしょう?」
ぞっとするような、冷たい目で私を見る。不覚にも美しいと思ってしまった。
確かに、私より、美しいのだ。
ああ、私も、彼女のように美しかったら、彼が愛想を尽かせなかったのだろうか。
悔し涙をこらえるために、夜空を見た。満天の星。流れ星が流れた。
どうか、神様、私に彼を返して。こんな状況にも関わらず、私は星に願いをこめた。
そして、この女の化けの皮を剥がして、彼が私の元に戻りますように。
そんなことを考えていたら、いつの間にか、彼女がすぐ目の前に立っていた。近い。
私は思わず、後ろに後ずさりした。すると、彼女は私の腕を掴んだ。
「な、何すんのよ。」
彼女は微笑みながら、私にこう言った。
「あなたには、私の化けの皮を剥がすことなんて、できないの。私にはできるけどね?」
腕を掴む手に、力がこめられた。とても女性の力とは思えない。
「い、痛い!離して!暴力を振るうなら、警察を呼ぶから!」
私が叫んだ瞬間に、女は、私の髪の毛を鷲づかみにした。
「きゃあ!」
あまりの痛みに、私は叫び声をあげた。
「物理的に、無理なんだってば。」
彼女は髪を引っ張る力を強めた。何で私がこんな目に。本来なら、私がこの女をこんな目に合わせなければならないのに。あまりの痛さに、気が遠くなって来た。
その時。
ズルリ。
私の頭の上から足の先まで、何かが落ちた。
目の前の女はそれを拾い上げると、嫌らしくニヤニヤと笑いながら、私の目の前に高々と掲げて見せた。
「えっ!」
それは、まさしく、私であった。正確に言えば、私の皮だ。
私は悲鳴をあげようとしたが、声にならない。
「あなたの化けの皮を剥いだわ。」
女は私の皮をブラブラとぶら下げて、コミカルに躍らせて見せた。
嘘でしょう?そんな馬鹿な。
「だから言ったでしょう?私は化けの皮をはがすことができるって。」
化けの皮なんかじゃない。それは、私の・・・。
そこで私の意識は途切れた。
目をあけると、カーテンの隙間から朝日が差し込んできて、眩しさに目を閉じた。
「ゆ、夢?」
そうよ、あんな荒唐無稽なこと。でも、確か、昨日私はあの女を待ち伏せて。
頭の中は混乱していた。とりあえず、会社に向かわなくては。
私は、のろのろと重い体を起こして、洗面所へと向かった。
顔を洗おうと、鏡を見た。
「えっ、嘘っ!」
一瞬鏡は、真っ黒な人影を映し、すぐにその姿を変えた。
間違いなく、その姿は、彼の浮気相手の女性だった。
なんで?私、あの女と入れ替わってしまったの?
じゃあ、私は?恐る恐る、ダイニングへ行くと、そこにはいつものように、母が居て、
「おはよう、百合子。」
と挨拶をしてきた。
姿は百合子ではないのに、どうして?
「何よ、ぼんやりしちゃって。早く食べなさい。」
母がそう言って、ごはんをよそって手渡してきた。
「あ、あの、お母さん。私、顔、変じゃない?」
私がそう言うと、
「何?何も変じゃないけど?何も付いてなんかないわ。」
と見当違いの答えを返してきた。
もっとも、見当違いは私かもしれない。
その時、私の携帯が鳴った。
彼からのメッセージだった。
「ごめん、俺、やっぱり百合子じゃなきゃダメだ。もし百合子が許してくれるなら、やり直したい。」
本来なら、喜ばなければならないのに、複雑な気持ちであった。
私は、確かに皆からは百合子として認識されているが、外見は百合子ではなくあの女だ。
その日以来、私は名も知らぬ女の顔になり、今まで通り百合子として生活し、彼ともよりを戻して、結婚した。
星に願い、美しい容姿を手に入れ、彼も戻ってきてくれたのだ。順風満帆なはずであった。
ところが、彼は、結婚後もいろんな女と浮気をし、ギャンブルに溺れ、借金を返すために、私は昼も夜も働かなくてはならなくなった。小さなボロアパートに、働かない彼を置いて、溜息をつきつつ、階段を下りる。
すると、お向かいの豪邸に、誰かが引越してきたのを見かけた。Sクラスのベンツから、颯爽と降り立った女性を見て、私は目を見張った。その姿は、まさに、百合子である。百合子だった体だ。相手も私に気付くと、ニヤニヤと笑いながら私に近づいてきた。
「どう?私の化けの皮の使い心地は。」
百合子の声で、私に問いかける。私は、怒りで肩が震えた。
「返して、私の体!」
私が、そう叫ぶと、大げさに驚いたフリをしてこう言ったのだ。
「何が不服なの?あなたの望んだ全てがかなったのよ?美しい容姿、愛しの彼も戻ってきたでしょう?」
確かにそうだ。でも・・・。
「百合子、どうかしたのか?」
車から、男性が降りてきた。洗練された大人の男性で、優しそうで知的な、見た目だけでも品性が良いことがうかがえ、身なりもきちんとして、お金持ちであることは疑いない。
「いいえ、あなた。何でもないわ。こちら、お向かいのアパートに住んでらっしゃる方みたい。」
百合子は、私を見下すように、蔑んだ目で見た。
「そうですか。いずれご挨拶に伺います。」
その男性は、優しげに微笑んだ。
私は、呆然とその豪邸の前で立ち尽くした。もし、あの時、この女の体と入れ替わってなければ、この生活は私のものだったはずなのに。貧乏で借金だらけで、働かない彼のために、私がこんな苦労を背負わなければなったのは、この女の所為だ。
「返せ!私の体!私の生活!」
私は、目の前の百合子に飛び掛って、髪の毛を引っ張った。
「痛いっ!やめて!」
百合子は叫んだ。
「な、何をするんだ、あんた!」
私はすぐに、百合子の夫と見られる男に取り押さえられ、警察に通報された。
警察に連行される時に、すれ違いざまに、私にこう囁いた。
「だから言ったでしょ?化けの皮は私にしか剥げないって。」
フフフと女は笑った。
作者よもつひらさか