行ってはいけない所、入るのがダメな所。
意外とありますよね。
私の地元では、そういう所の他に「入れない所」というのがあります。
意味としては、入ろうと思えば普通に入れる、だけど、ある人はそこに近付こうともしない。
そんな場所です。
例えば、N川、U川。
例えば、平和公園、爆心地公園、死没者追悼平和祈念館。
他には、Y国民学校被爆校舎や重工跡地など。
わかる人はわかりますね。
そう、日本に二都市だけある被爆地の一つです。
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近所に赤いレンガのようなものが敷き詰められた広場があります。
見通しがよく、子どもたちが遊ぶのにうってつけだったので、毎日子どもたちのはしゃぐ声が聞こえていました。
そんな彼らも、ある程度の年齢になると自然と耳にする噂がありました。
「赤レンガ(広場のこと)は原爆が落とされた後、死体処理場として使われていた」というものです。
被爆地である以上、そのような場所は結構あっていちいち気にしていられないのですが、小学生たちにとってみたら面白いようです。
写真や資料でしか見たことのない出来事(長崎市では小学校から高校まで毎年平和や戦争についての授業があります)が身近に感じられることと、単純に肝試しができるなんてことも考えるのでしょう。
私もその1人でした。
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噂のことを聞いた時、確か小学五年生だったと思います。六年生の子たちから聞きました。
近所の同級生たちと集まって噂を話し、みんなで肝試しをすることになりました。
赤レンガを含む近所をぐるっと周り、近くの病院の裏山を通って帰ってくるというものになりました。
裏山はいつも遊び場にしていましたし、ゆっくり歩いても40分もかからないので、大きな心配はしていませんでした。
親も毎年子どもが企画するこの肝試しに慣れたもので、スタートの神社と折り返しの裏山、途中横断歩道もあったのでその横断歩道に立っていてくれることになりました。
メンバーは六年生と五年生。全部で15人です。
くじ引きで3人ずつのグループになりました。
私は同級生のみくと六年生のりょうくんとなりました。
ドキドキしながら神社をスタートして歩いていると、みくの様子がおかしくなってきました。
怖がっているのかと思いましたが、それとはまた違います。
「みく、どがんした?」
声をかけましたが、何も言いません。
「具合の悪かごたね…。誰か呼んでくっけん、ここで待っとって」
「わかった」
りょうくんが大人を呼びに行っている間、それは起こりました。
「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!」
みくが白目を向いて暴れだしたのです。
「ちょ、みく!?」
ケガでもしたら大変なので、抑えようとしました。
しかし、小柄な体からは想像もできないほどの力でみくは暴れます。
「みく!ケガすっけん暴れんで!落ちつけって!」
「あ、あついいいぃ!ぁつい!」
急に力が抜けたようにみくは倒れ込みました。
そこにりょうくんと同級生の親が来ました。
「大丈夫や?」
「わからん…。でもさっき急に暴れだして」
「ケガせんやったか?」
「うちはしとらんけど」
りょうくんと話している間に親がみくをおぶっていました。
「どうする?リタイアすっか?」
親からそう聞かれ、私たちはここでリタイアすることになりました。
「なんや、リタイアかよ」
神社に戻ると、早く帰ってきた私たちに同級生たちがチャチャを入れました。
「みくが具合悪くなったみたいやけん、一緒に戻ってきた」
「え、そうなん?みく大丈夫なんかな」
みくは神社ではなく直接家に帰ったので明日お見舞いに行こうと話しました。
最後の組が何故か走って戻ってきました。
六年生2人と五年生の組み合わせで、五年生の子は霊感こそありませんでしたが勘のいい子でした。
「あっぶな…」
3人が口々にそう言っているので、
「何かあったん?」
と話を聞くことにしました。
他の組が何もなかったので、肝試しらしいことが欲しかったのです。
この3人、六年生がさとるくん、はるきくん。五年生がゆうごといいます。
3人の話はこうでした。
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裏山までの道のりでは何もなかったそうです。
しかし裏山の入り口でゆうごが突然
ゆ「俺、ここ入られん」
と言いました。
そうは言っても、ゆうごも裏山でよく遊ぶのでさとるくんとはるきくんは意味がわかりません。
さ「急にどうした?」
ゆ「俺、ここには入られん」
ゆうごは理由も言わずに何度も繰り返すだけです。
さ「入られんって言ったっちゃ、ここに残してく訳にもいかんし…」
は「じゃ、戻る?」
さ「うん、怖がっとんのを無理やり連れてくもんやなかしね」
3人は裏山には入らず、戻ることにしました。
横断歩道の所に立っていた親に、ゆうごが怖がるから裏山には入らなかったと伝え、来た道を帰っている途中でした。
はるきくんがある場所で立ち止まりました。
さ「はるき?どうした?」
さとるくんが振り返って言いました。
は「今、なんか聞こえんかった?」
さ「急に怖いこと言わんでよ」
は「聞こえとらんならよかけど…」
次にゆうごが後ろを振り返りました。
さ「ゆうごまで…」
さとるくんは呆れたように言いました。
しかし、さとるくんも気づいたのです。
後ろの方からガラガラと音がすることに。
さ「何なんかな、親?」
は「親がリヤカー持っとんの見た?」
さ「いや…」
ゆ「ねえ、リヤカー引いとる人、あれさ…」
原爆資料館で見たことある格好だよね
ゆうごの一言で察した六年生はゆうごの手を引いて走り出しました。
そしてそのまま神社まで走ってきたということだそうです。
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裏山は病院の裏の山です。
そして、その病院は建て替えをしているので新しいように見えますが結構昔からありました。
みくが「あつい」と言ったのは恐らく原爆犠牲者が一時的に乗り移ってしまったのでしょう。
そうでなければ10月の夜に「あつい」なんて言葉は出てきません。
お見舞いに行った時には何事も無かったように元気でしたし、肝試しをしたということで一応全員お祓いをしてもらっていました。
さとるくん、はるきくん、ゆうごの3人が見たリヤカーを引いていた人は死体処理をしていたのでしょう。
リヤカーに乗っていたのは亡くなった人だと思われます。
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この事があってから、夜に裏山に入らなくなりました。肝試しでも裏山は使わなくなったそうです。
そうそう、みくの様子がおかしくなった場所とあの3人がリヤカーの人を見た場所は、赤レンガが見下ろせる裏山の入口近くでした。
場所が一緒なのは偶然だったのでしょうか?
作者ひやま
世界遺産の炭鉱島も夜景の綺麗な展望台も地元では割と有名な心霊スポットだったりするので、行く時は気をつけてください。
こんな話をしといてなんですが、長崎いいとこ一度はおいで。