広い和室…。
床の間には高価そうな掛け軸や壺が置かれている。
立派な木で作られた机。
定期的に耳に届く鹿威しの音。
僕は一人、そんな部屋で来夢を待っている。
あの時…。
来夢に託された番号へ電話をかけた僕。
繋がった電話に出たのは女性だった。
何をどう説明したらいいのか分からなかった僕は、僕達の身に起こった事、今来夢が大変な状態だと言う事を一通り伝えた。
女性は黙って僕の話を聞いた後、廃病院の場所を聞き、すぐに向かいます。とだけ言って電話を切った。
それから十五分程が経ち、僕達の元へ二台の黒塗りの乗用車が連なってやって来た。
僕達の前で止まったその車から三名の男性が降りて来て、何も言わず来夢を車に乗せる。
そして、僕にも乗れと言わんばかりにドアを開けたまま待つ男性。
不安が無かったと言えば嘘になるが、来夢を一人行かせる訳には行かないと思い、僕は無言で車に乗り込んだ。
何処へ向かっているのか分からないが、その道中も男性達は何も話さなかった。
そして、程なくして僕達の乗った車は、ある屋敷の門をくぐって中へ入った。
デカっ…。
それが正直な僕の気持ちだった。
テレビでしか見た事の無い様な日本家屋。
綺麗に剪定された庭が印象的だった。
そんな庭を進み、車は玄関口へとつけられた。
車を降りる僕。
来夢は一足先に男性達により、屋敷の中へと運び込まれて行った。
その場に一人取り残され、不安を感じる僕に声が掛かる。
「ようこそいらっしゃいました。
どうぞこちらへ。」
そう言って僕を案内してくれた一人の女性。
どうやら電話の相手とは違う様だ。
そして、僕はその女性に連れられてこの部屋へ来た。
女性はここで待つように。とだけ言い残して部屋を去って行った。
来夢…大丈夫やろか…。
僕が来夢の身を案じていると、部屋の障子が静かに開かれ一人の女性が入って来た。
着物を着た綺麗な女性。
その女性は机を挟んで僕の向かいに座ると静かに頭を下げた。
「この度は、大変ご迷惑をお掛け致しまして誠に申し訳ございませんでした。」
この声…電話の…。
電話の女性は頭を下げたまま、僕に謝罪を始めた。
「申し遅れましたが、私、来夢の母で御座います。
あなた様にはこの度の非礼をどうお詫びすれば宜しいか…。」
母親がそこまで話した時、再び障子が開き一人の男性が入って来た。
「どうだ?」
男性は来夢の母親の横に座ると何かを確認した。
「いえ、まだ…これからです。」
母親が男性にそう答えると、男性は静かに頷き僕を見た。
「君には不愉快な想いをさせてしまったね…。
私は来夢の父親です。
来夢に代わって謝罪させて貰うよ。
本当に申し訳無かった。」
父親はそう言うと、母親と同じ様に僕に頭を下げた。
そして、母親から何かを受けとると机の上を滑らせ、僕にそれを差し出した。
「君が今日見た事全てをこれで忘れて欲しい。」
父親が僕に差し出した物は、中身を見なくてもすぐに分かった。
茶色の封筒に入れられたそれが封筒の口から顔を覗かせている。
札束…。
「もう二度と来夢をあなた様には近付けません。
どうか…どうかそれで許してやって下さい。」
母親が再び頭を下げながら僕に言う。
その声は震えていた。
泣いているのだろうか…。
だが、僕にはこの二人の言っている事も、やっている事も全く理解が出来ない。
これじゃまるで来夢が悪いみたいじゃないか…。
「ちょ、ちょっと待って下さい!
とりあえずこんな物は受け取れませんし、まずはこれを納めて下さい。」
僕はそう言うと、目の前の封筒を手で押し返した。
「こ、これでは不服か…。
分かった…。
君の望む物を言ってくれ…。
私に出来る事ならなんでもさせて貰うよ。」
いや…。
そやし、そういう事言うてんのちゃうねんけど…。
僕は話の噛み合わない二人に、何より来夢を悪者の様に話すこの二人に苛々を募らせていた。
「あの〜…。
さっきから何を言うてはるんですか?
その金の意味も分かりませんし、来夢を近付けへん理由も分かりません。
僕の望みを叶えてくれる?
何です?それ?
ええ加減にして貰わんと、なんぼ来夢の両親でもそれ以上、僕の親友を悪く言われたら黙ってられませんよ?」
僕は二人の態度に我慢が出来ず、ついつい語気を強めてしまった。
そして、そんな僕を見て二人は驚いた表情を見せている。
しもた…。
なんぼなんでも、ちょっと言い過ぎたか…。
?!
僕がそんな風に自分の言葉について反省していると突然母親が机の上に身を乗り出して来た。
「い…今何と仰いました???
ら、来夢とし…親友だと…そう仰いましたよね?!」
「い、言いましたけど何か?!」
僕は母親の迫力に気圧され、逃げ腰で答えた。
「お父さん!来夢の…来夢の親友…ですって…」
父親にそう言い、その場で泣き崩れる母親…。
父親も目を瞑ったまま上を向き、感慨に耽っている。
ちょっと待て…。
この空気なんや…。
何か重たいぞこれ…。
僕は何か禁句でも口走ってしまったのかと、必死に考えていた。
「そうか…。
君は来夢の親友なのか…。」
父親が瞑っていた目を開け、僕を見ながらそう言った。
僕はここまでの話の流れが全く理解出来無かったので、どういう事なのかを父親に問いただした。
すると、父親はゆっくりと話し始めた。
実は今回の様な事は初めてでは無いらしい。
来夢は自分の秘密を打ち明かしてはいなかったが、来夢と行動を共にし、怪異に巻き込まれた者は全て来夢の異常な行動を気味悪がり、その責任を来夢のせいだと責め立てて来たらしい。
来夢の秘密を知る両親は、そんな者達に反論する事も出来ず、その度に金銭で解決するしか無かった。
そして何よりも悲しかったのが、来夢を責め立てる全ての者が、来夢を友達だと言っていた輩達だった事。
当然の事ながら、来夢は次第に心を閉ざし、なるべく人と関わりを持たない様にひっそりと暮らす様になった。
前の学校を同じ様な理由で追われ、新しい学校に転校した途端、またこの様な事態が起こってしまったので、両親はやむを得ず、いつもの様に金銭での解決を取ろうとした。
だが、僕はそれを拒否した。
今までに金額を釣り上げる輩はいたものの、受け取りを拒否し、それどころか来夢を擁護する様な発言をした者はいなかったので、両親は本当に驚いたらしい。
そんなアホな…。
「あの…今まで来夢とお二人がどれ程辛い道を歩んで来られたかは僕には分かりません。
けど…僕は来夢を裏切る様な事は絶対にしません!
来夢は自分の秘密を全て打ち明けてくれました。
そんな来夢は僕にとってかけがえの無い親友です。
そこだけは信用して下さい!」
来夢本人に聞かれると恥ずかしさで溶けてしまいそうな台詞だったが、僕は来夢の両親に想いを真っ直ぐに伝えた。
そんな僕の言葉に、母親は一層泣き声を大きくし、父親も目を潤ませながら何度も頷いた。
「そうか…。
来夢は君に自分の秘密を打ち明けたか…。
そうか…。」
父親がそう呟いた時、再び障子がゆっくりと開き、一人の老婆が姿を現した。
老婆は部屋へと入り僕の存在に気付くと、有無をも言わせぬ剣幕で僕を罵倒し始めた。
「なんじゃ?!貴様!!
まだおったのか?!
受け取るモンを受け取ったらさっさと帰っとくれ!!
それとも何かい?
まだ来夢に酷い仕打ちをしようってのかい?!
貴様らは…貴様らはぁ!!!」
突然現れ、僕を罵倒し続ける老婆。
その口振りからして、恐らく来夢の祖母だろう。
興奮する老婆を何とか宥め、一部始終を説明する父親。
老婆は父親の説明により、興奮を抑えたかと思うと、その態度を一変させ、僕に頭を下げた。
「し…知らなかったとは言え、私は何と言うことを!
ど、どうかこのババアを許してやって下さい…。」
さっきの両親の態度といい、祖母の言動といい、今まで来夢はどれ程の苦痛を味わって来たのだろう…。
そして、この三人はそんな来夢を心から愛しているのだろう。
僕の胸には例えようの無い切なさが込み上げていた。
「お義母さん?
それで…来夢は?」
落ち着きを取り戻し、ゆっくりと頭を上げた祖母に父親が問う。
「今回はそんなに強く無かったからね…。
それでも危険な状態だったが…。
今はもう大丈夫。」
老婆の言葉に両親が胸を撫で下ろしている。
「よっしゃあ!!
さっすが来夢!!
やるやるとはおもとったけど、やっぱりやりよるなぁアイツは!!(笑)」
………………………。
あっ…。しもた…。
僕は来夢が無事らしいと言う話を聞き、三人が前にいる事も忘れて思わず素で喜んでしまった。
「す…すいません…なんか…。」
悪い事をした訳では無いが、少し気まずさを感じた僕は三人に頭を下げた。
「いや…。
君は本当に来夢の事を…。
ありがとう。」
父親はそう言うと、また僕に頭を下げた。
「ところで…。」
そんな父親を横目に、祖母が僕に問いかけて来た。
「カイ君だったねぇ。
カイ君は、来夢の左目は見たのかい?」
老婆の問に僕は何も言わず頷いた。
「そうかそうか。
来夢はあの目を見せたんだねぇ。
だとするならあの子もカイ君の事を本当に信頼しての事…。
それじゃ、来夢について…いや、私らについて少し詳しく話そうかね。」
そう言うと、祖母は神楽一族に纏わる話を聞かせてくれた。
それは来夢が僕に話してくれた様に、何代かに一人、特別な力を持つ者が産まれると言うこと。
だが、神楽一族自体に霊能者や占い師等を生業とする者はおらず、皆会社員や自営で生計を立てている。
ここまでは、僕も来夢から聞かされていた話しだった。
でも、ここから先の話しは僕が始めて聞く話であり、来夢の左目の原点とも言える話し…。
いつの頃からなのか…。
それは誰にも分からない。
誰も知らぬ間にソレは存在し、いつの頃からか神楽一族を護って来た。
通称、お護りさん。
その姿を見た者の話しによれば、髪は胸まである黒髪で、薄汚れボロボロになった辛うじて白だと分かる着物に身を包んでいる。
その顔には隙間無くお札が貼られており、顔を見る事は出来ない。
そして、その体は注連縄で幾重にも巻かれているらしい。
辛うじて見える足はガリガリに痩せ細り、やけに尖った爪が更に不気味さを醸し出しているそうだ。
初めてお護りさんを目にした神楽一族のご先祖は、すぐに名のある拝み屋を屋敷に招いたが、中に入る事無く、尻尾を巻いて逃げ出す始末。
次々と人を変え、払う事を試みたがどれも結果は同じであった。
そうしていつしか、ご先祖はお護りさんを払う事を断念した。
それまで、人ならざるモノの存在に、怯えるだけだったご先祖だったが、払う事を断念したご先祖はある事に気付く。
お護りさんは、その風貌こそ恐ろしいものの、特に悪さをする様子は無く、むしろお護りさんを目にしてから、商いが軌道にのり、神楽一族は豊かになっていった。
これはもしやと、ご先祖はそれ以降、お護りさんを目にしても恐れる事無く、逆に崇める様になったと言う。
だが、お護りさんが神楽一族にもたらした物は富だけでは無かった。
その頃から、神楽一族に産まれて来る子の中に特別な力を持つ者が見え始めた。
人ならざるモノが見える者。
人ならざるモノと口をきける者。
その力は様々であったが、どれも普通の人は持ち合わせていない力。
これには一族中が気味悪がったが、特に実害がある訳では無かったので、いつしか誰も気にしなくなった。
だが…。
遂に事件は起こってしまう。
それまで一族の者に危害を加える事の無かったお護りさんが、遂に一族の人間をその手に掛けたのだ。
それは、一族にまた新しい命が誕生して間も無くの頃。
赤子の母親が用事を済ませる為、少しの間赤子の眠る部屋を空け、暫くして部屋へ戻った時、そこは正に地獄と化していた。
赤子が眠っていた布団は真っ赤な血に染まり、その傍らに血溜まりの中、赤子のお気に入りの小さな人形が何も言わずこちらを見ている。
この余りにも凄惨な現状に母親は、悲鳴を上げる事も出来ずその場で意識を失った。
暫くして異変に気付いた家の者が部屋へ駆け付けた時、部屋の入り口で倒れる母親を発見したが、ショックのせいか既にその命は尽きていた。
野犬やその他の獣に襲われた可能性を考えた家の者は、その痕跡を探すべく、未だ血に染まる部屋を隈無く調べ回った。
そして一人の者が、赤子を手に掛けたモノの痕跡を発見する。
それは、赤子が眠っていた部屋の床の間に落ちていた一枚の札。
そしてそれを発見した者は、特別な力を持って産まれた者。
お護りさんの札…。
札を発見した者は、顔を青くしそう呟いた。
床の間から発見された一枚の札…。
それは紛れも無く、お護りさんの顔中に貼り付けられた札と同じ物だった。
この事実を知った一族の者達は、瞬く間に恐怖のどん底に叩き落とされる事となる。
そしてそれ以降、何代かに一人、一族の者から犠牲者が出る事となる。
「ふぅ〜。」
祖母はここまで僕に話し、大きく息を吐いた。
「カイ君には信じられないだろうけどねぇ…。
それは今も続いているんだよ…。」
祖母は僕にそう言うと、再び語り出した。
一族に特別な者が産まれ始め、そして一族から犠牲者が出始め長い年月が経っていた。
いつ誰がそうなるか分からない中で、一族の者は全てを運命だと受け入れるしか無かった。
そしてそんな中、一族にまた新しい命が誕生する。
両親も祖父母も、周りの者達は新しい命の誕生に心から喜び祝福した。
だが、それと同時に頭に過る不安。
当時、特別な力を持っていた祖父にあたる男性は、決して赤子をお護りさんには獲られまいと、それこそ四六時中、赤子の近くで見守る様に暮らしていた。
そんなある日…。
赤子の母親が買い物に出掛け、祖父が赤子の守りをしていた時。
祖父は異様な気配を感じ、気配の強い部屋の入口をじっと見つめた。
ス―っと音もなく開かれる障子。
そして、ソレは滑る様に部屋の中へと入って来る。
祖父は息を飲んだ。
お護りさん…。
祖父はその時初めてお護りさんを目にしたが、話しに聞いていた様に、胸まである黒い髪に、ボロボロの着物を身に纏い、その上から幾重にも注連縄が巻き付けられている。
が、聞いていた話しと一つ違った点に祖父は気付く。
話しによると、お護りさんの顔は札で覆い隠され、中を伺う事は出来ない筈…。
だが、今祖父の目の前にいるソレの顔には札が二枚しか無い。
どういう事だ…。
祖父は一瞬、お護りさん以外の可能性も考えたが、それにしては特徴が合い過ぎている。
どちらにせよ、余り良くないモノだと感じた祖父は、赤子を隠す様に前へと踊り出た。
「チョウダイ…」
??
とても小さく、酷く掠れた声だったが、祖父の前にいるソレは確かにそう言った。
祖父は赤子の事だと瞬時に悟り、必死になってお護りさんに懇願する。
「チョウダイ…」
だが、お護りさんは祖父の言葉が分からないのか同じ言葉を繰り返す。
このままでは赤子を持って行かれると思った祖父は、お護りさんに対し交換条件を切り出した。
それは、祖父自らの命と引き換えに、赤子を助けて欲しいというものだった。
「タラン…」
それまで同じ言葉を繰り返していたお護りさんが初めて違う言葉を口にした。
足りない…。
私の命だけでは足りないと言うのか…。
だが、祖父には自分の命を差し出す以外に他にくれてやる物が何も無い…。
?!
返事に困り、どうすべきか頭を抱え悩んでいた祖父の横を、お護りさんが恐るべき早さですり抜けた。
そして…。
ジュル…。
?!
部屋中に響き渡る赤子の泣き声。
祖父の横をすり抜けたお護りさんは、そのまま赤子の左目に口を付け、その目玉を啜り取ってしまったのだ。
目玉を取られた赤子は、空洞と化した左目を必死に手でこすり、泣き声を上げている。
だが、不思議とそこから血は流れていなかった。
祖父は衝撃の余り、動く事も声を上げる事も出来ず、ただ赤子をじっと見つめていた。
赤子の目を喰らい、満足気なお護りさんはゆっくりと祖父に近付くと、鼻があたる程に顔を近付け、口を大きく開ける。
それから暫くし、買い物から帰った母親が、二人が待つ部屋の障子を開けた。
?!
そこで母親の目に飛び込んできた物は、真っ赤に染まった畳と布団で眠る左目の無い我が子の姿…。
そこに祖父の姿は無い…。
恐怖の余り声も出せない母親は、それでも必死で我が子を抱き寄せ、這うように部屋を後にした。
その時、母親が去り無人となったその部屋に、ヒラリと一枚の札が舞い落ちた…。
作者かい
思いの外、長くなっちゃいました(^^;
しかもまだ途中…。
一旦切ります!m(__)m